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[241] 大山君へ。 投稿者:漱水沈積 投稿日:2005/07/31(Sun) 22:07  

おおやまくん。

いわきさんは、仏教をほとんどわかっておられないお方だから、あまりケンカごしになるのは、やめなされ。やるなら、丁寧に、イロハから教えてあげなされ。

仕方があるまい。

これは、わたくしたちの怠慢と受け止めて、
おたがい真実広めることに前進する以外にはありませぬ。




[240] 無題 投稿者:大山 投稿日:2005/07/31(Sun) 20:57  

>大山クンも貴殿も本願寺が、本願寺が、本願寺が
と異常な憎しみをお持ちのようですが。
いったい何なんですか、本願寺というのは?


現在の(東西)本願寺とは・・・・本当の親鸞聖人の御教えを全く説こうとしない、怠慢でそれでいて傲慢な、現代稀に見る、日本の伝統ある御立派な、宗教団体、です。








[239] 合掌 投稿者:漱水沈積 投稿日:2005/07/31(Sun) 20:53  

いわき様

『正信偈』の「遊煩悩林現神通」というのは、
煩悩の林に遊びて神通を現じ、と読みます。

ここのくだりは、親鸞聖人が、天親菩薩がこのように教えられた、ということでおっしゃっているところです。

その前を見れば明らかなように、

「蓮華蔵世界に至ることを得れば、
即ち真如法性の身を証せしむ、」

とあります。

すなわち、信心決定した人は、死んで阿弥陀仏の極楽浄土へ行くが、そこで満足しているのではくて、未だ、阿弥陀仏に救い摂られていない多くの苦しむ衆生を済度するために、

「煩悩の林に」現れて、自由自在に、神通力を使って、

「応化を示す」わけです。


つまり、煩悩を否定して仏心に至る、という意味とは全く何の関係もないわけです。

敬具




[238] Re:[234] 漱水大肛門、いや、大顧問さんとやら 投稿者:大山 投稿日:2005/07/31(Sun) 20:45  

> まだ浄土にもいけない我々煩悩の徒が顕正などとは、
> 傲慢にもほどがあるというものです。
>

自身の無知を「謙虚」におきかえ、真実とくものを「傲慢」と呼ぶ。そうとう本願寺の教えが染み付いている模様。もはや、改善の余地なしか・・・・。





[237] Re:[233] 本願寺 投稿者:大山 投稿日:2005/07/31(Sun) 20:42  

>
>  私自身も、真宗大谷派の僧侶です。
>  ですから、何があったのか気に成ります。


何があったのか、なかったのか。そんなことは明らかじゃありませんか。

本願寺をはじめとする、真宗十派が、真実を説こうとしない。説いても、邪説ばかり。だから、すべての人が救われるたった一つの教えが、全く教えられていない。本願寺はもはや滅亡寸前の風前の灯火です。

シニ本願寺も、日餓死本願寺も。




[236] Re:[235] 仏教のイロハも知らない岩ちゃんの法話そのA 投稿者:大山 投稿日:2005/07/31(Sun) 20:37  

> ときおり真宗の聞法会に参加する、単なる親鸞好きのうるさいオッサンにすぎません。
> わたしごときが本願寺のかたわれだと思われては本願寺も大迷惑でしょうから
> ここに一言ことわっておきます。

なるほど。それで、本願寺と似たようなことをいってるのですな。納得。仏教のイロハも知らない本願寺の僧の話を聞いているから、岩城さんも仏教のイロハがわからない、というわけか。納得。


>
> さて、浄土真宗の開祖である親鸞(しんらん)のお弟子さんで唯円(ゆいえん)という人が
> 『歎異抄』(たんにしょう)というものを書いています。

『歎異鈔』の作者は、不明です。
学者の間では意見がわかれていていますが。
あくまで、不明。


> 曽我量深という偉いお坊さんはそのあたりのことをこう書いています。
>
>  信心異なることを嘆く精神、だれが異なるかというと自分が異なっている。
>  異なるは自分である。『歎異抄』もちょっと見ると異なっているのは他人
>  のように見えるが、それだけではないとわたしは思ふ。
>  唯円も異は自分にあることを痛感していたと私は思ふ。
>
> 唯円の『歎異抄』はご同輩の信心の異なることを嘆くのですが、同時にその嘆きは逆転して唯円自身にふりかかります。
> そこには大勢の信心とは違う自分の信仰のありように、ときにかすかに揺らぎそうになるのをはねのけようとする
> 堅牢な意志があり、まことの信心の受け入れられぬご時勢を嘆き、孤立に耐えている老いた
> 孤独な信仰者の姿があります。
> こういう唯円が、わたしはとても好きですね。
> ときに親鸞以上の人間的魅力を感じます。
>

親鸞聖人以上に唯念に人間的魅力を感じる、曽我量深という偉いお坊さん、には、用はございません。



> ところでわたしはさきに親鸞のことば
>
> 「遊煩悩林現神通」(ゆうぼんのうりんげんじんつう)
>
> を引用してこう解釈しました。「煩悩の林に遊び、仏性に至る」。
> 「煩悩というのは仏性の別の姿」なんだと。
> これを大肛門、じゃなかった大顧問先生は、いやそうじゃなくて
> >信信心決定した人の衆生済度の喜びの心を書かれているのであって、
> >「煩悩を否定したのではなく、それこそが仏心だ」という主張とは、
> >全く何の関係もないものと思われます。
>
> と訂正なされました。

はい、訂正されてますね。漱さん。

> でも、こんな大雑把な言い方では、じつは何も言ってないのと同じことなんです。中身のない国会答弁のような解釈です。

はは。やはり、無理だったか。元の意味がわかってないから、漱水さんが、何をいわんとされているか、全くわかっていない。まさに、イロハもわからぬ、仏教に暗い。


> 実際、遊煩悩とは何か、どういう意味か。
> 現神通とは何か、どういう意味か。まったく答えておりません。

煩悩に遊ぶ、とは、ここでいう煩悩とは、すべての人ということで、苦しみ悩んでいるすべての人の間へ入っていって、遊ぶ、というのは、それらの人達に自由自在に真実をお伝えするということです。

> そこで自分がどういう考えをもつかにより「わたしの南無阿弥陀仏」が決まってくるのですが。

↑ なにをおっしゃっているのか、意味不明ですな。

> まったく通俗的な感想をそのままコピーしている。
>
> 浄土真宗は煩悩熾烈、罪悪甚重、下品下性の「ダメ人間」の救われる道です。
> であるからこそ親鸞は「煩悩の林」に「遊ぶ」ことによって「仏」に至ることができると言っているわけです。

↑『正信偈』の全くの誤解。
こんなことをふれまわって、誰かに言っているとしたらならば、(あなたでなくてもいい。あなたはどうせ偉い坊さんから聞いたんでしょうから)、恐ろしい法謗罪です。

煩悩の林、とは、苦しみ悩むすべての人のことです。
遊ぶとは、利他の活動のことです。

であるから、


> 同じことを親鸞さんは『浄土高僧和賛』にも書き記しています。
>

下の和讃が、同じであるはずがない。
下の和讃は、救われた世界のことをおっしゃった和讃。
正信偈のお言葉は、衆生済度のお心。
それが全くわかってない。



> 罪障功徳の体となる
> こほりとみづの如くにて
> こおりのおほきにみづおほし
> さはりおほきに徳おほし
>
>
> (岩城:意訳)
> 罪や煩悩は功徳のもとになるものです。
> 氷と水のようなものです。
> 氷が多いと、溶けたときに水も多いでしょう?
> 罪悪や煩悩が大きければ、また功徳も大きいのです。
>
> もちろん、これもわたしのひとつの解釈=「異義」に違いありません。
> わたしたちがニンゲンという限界を背負って生きているかぎり、だれしもが異義からは逃れられないのです。


> だからこそわたしは、大肛門、いや、大顧問大先生との仏教論議をさけたのです。

負けるのが怖いからですね。了解。

> わたしの「異義」と大先生の「正義」がぶつかったところでしょうがないわけです。

仏教のイロハもわかってないからですね。了解。

> 正義は仏さんのところにしか本来ないものですのに、なにかそれを掴んだと錯覚している頭のおかしな相手と仏教論議をしたところで
> 時間の浪費でしょう。

仏教の「ぶ」の字も知らないから、まずは学習しなければならないから、時間がないんですね。了解。


> 「破邪顕正」(はじゃけんせい)というのは本来、己のよこしまさを破り、仏さんの姿に真の正しさを見出せという内省であったのに

破邪顕正(はじゃけんしょう)というのは、邪を破り、正をあきらかにする、ということです。邪とは、阿弥陀仏の本願をさまたげるものすべて、のことです。正とは、阿弥陀仏の本願のことです。



> いつのまにやら、それが外に向かって叫ばれている。
> 自分が仏さんと同等になっちゃって、人のよこしまさを非難している。本末転倒もはなはだしい。

なにをおっしゃっているのか、意味がわかりませんな。

> 法然さんは『七箇条起請文』にて、こう言っております。
>
> 一、無智の身を以って有知の人に対ひ、別行の輩に遇ふて、好みて争論を致すことを停止すべきこと。
>
> つまりわたしのような無智愚トンの輩が大肛門先生のような偉い人と争論してはならない。

仏教のイロハもわかってないから当然ですね。了解。


> 大肛門先生のような別行(カルト教)の方と争論をすることを禁じると仰っているわけです。
> さらに唯円さんもいっております。
>
> 争論の処には、もろもろの煩悩起こる。....
>                  『歎異抄』
>


破邪顕正をさけて通る。まさに、現在、真宗の衰退を表していて面白いですな。親鸞聖人の90年のあの激しい波乱万丈の人生は一体なんだったと心得られておられるのか?
偉い坊さんにでも、一度お聞きしたいものだ。


> それにしてもおそろしいものですね。煩悩というのは。
> 大肛門先生は最初、大山クンに対して煩悩のほむらを消せと諭されたはずですのに、
> いつのまにやら、怒りのためにパソコンのキーを打つ手が震えている。
> あー、ナンマンダブ。ナンマンダブ。
>
>

「南無阿弥陀仏」を茶化すのは、恐ろしい法謗罪です。


    



[235] 仏教のイロハも知らない岩ちゃんの法話そのA 投稿者:岩城 投稿日:2005/07/31(Sun) 15:35  

  仏教のイロハも知らない岩ちゃんの法話そのA
    ー異議および「破邪正顕」についてー

エー、仏教のイロハも知らない岩城です。
ただし、ことわっておきますがわたしは本願寺教団とは何の関係もないし
門徒でも僧侶でもございません。
正真正銘の真宗僧侶である吉田学さんがご承知のとおり、わたしは
ときおり真宗の聞法会に参加する、単なる親鸞好きのうるさいオッサンにすぎません。
わたしごときが本願寺のかたわれだと思われては本願寺も大迷惑でしょうから
ここに一言ことわっておきます。
さて、

異義(解釈の違い)というのはだれにでもあるものです。
映画や小説の感想がひとりひとり違うのと同じでしょう。
たとえば原始仏典というのはお釈迦さんの死後何年もたってから、わしはブッダからこのように聞いた(如是我聞)といって、
自称お弟子さんたちがそれぞれ勝手に書き記したものの集大成ですが、考えてみると、
とてもいい加減なものでして、
なかには「お釈迦さんは悟りを開いてから死ぬまで何も喋らなかった」なんてことを大真面目に記した仏典もあります。
つまり全仏典の全否定ですね。お釈迦さんが何も喋らなかったんだから、「わしはこう聞いた」というのは全部ウソだということになる。
ところが面白いことに、それも仏典のひとつとして加わっている。
キリスト教やイスラム教、創価学会あたりならこんな経典は即、破り捨てられ、闇から闇に葬られるのがおちでしょうが、
仏教ではこういう「異義」も、ちゃんと仏典に加えられ残されている。
ここらあたりが仏教の「ふところ」の深いところでしょう。

さて、浄土真宗の開祖である親鸞(しんらん)のお弟子さんで唯円(ゆいえん)という人が
『歎異抄』(たんにしょう)というものを書いています。
これは親鸞さんの教えを間違って解釈しているお坊さんが多かった当時の状況を嘆いて、遺書として書かれたものといわれています。
それはそれでとても感動的な書物です。

しかし、ここにひとつ問題があります。
唯円自身は異義(教えの間違った解釈)におちいっていなかったか? ということです。
ニンゲンというのはだれでも解釈の違いを持つものです。
異義を持つことのない存在があるとすればそれは仏さんだけでしょう。
ニンゲンであるという限界を背負って生きている限り、ひとはだれも異義から逃れられない。
それは親鸞さんも唯円さんも同じだったでしょう。
曽我量深という偉いお坊さんはそのあたりのことをこう書いています。

 信心異なることを嘆く精神、だれが異なるかというと自分が異なっている。
 異なるは自分である。『歎異抄』もちょっと見ると異なっているのは他人
 のように見えるが、それだけではないとわたしは思ふ。
 唯円も異は自分にあることを痛感していたと私は思ふ。

唯円の『歎異抄』はご同輩の信心の異なることを嘆くのですが、同時にその嘆きは逆転して唯円自身にふりかかります。
そこには大勢の信心とは違う自分の信仰のありように、ときにかすかに揺らぎそうになるのをはねのけようとする
堅牢な意志があり、まことの信心の受け入れられぬご時勢を嘆き、孤立に耐えている老いた
孤独な信仰者の姿があります。
こういう唯円が、わたしはとても好きですね。
ときに親鸞以上の人間的魅力を感じます。

ところでわたしはさきに親鸞のことば

「遊煩悩林現神通」(ゆうぼんのうりんげんじんつう)

を引用してこう解釈しました。「煩悩の林に遊び、仏性に至る」。
「煩悩というのは仏性の別の姿」なんだと。
これを大肛門、じゃなかった大顧問先生は、いやそうじゃなくて
>信信心決定した人の衆生済度の喜びの心を書かれているのであって、
>「煩悩を否定したのではなく、それこそが仏心だ」という主張とは、
>全く何の関係もないものと思われます。

と訂正なされました。
でも、こんな大雑把な言い方では、じつは何も言ってないのと同じことなんです。中身のない国会答弁のような解釈です。
実際、遊煩悩とは何か、どういう意味か。
現神通とは何か、どういう意味か。まったく答えておりません。
そこで自分がどういう考えをもつかにより「わたしの南無阿弥陀仏」が決まってくるのですが。
まったく通俗的な感想をそのままコピーしている。

浄土真宗は煩悩熾烈、罪悪甚重、下品下性の「ダメ人間」の救われる道です。
であるからこそ親鸞は「煩悩の林」に「遊ぶ」ことによって「仏」に至ることができると言っているわけです。
同じことを親鸞さんは『浄土高僧和賛』にも書き記しています。

罪障功徳の体となる
こほりとみづの如くにて
こおりのおほきにみづおほし
さはりおほきに徳おほし


(岩城:意訳)
罪や煩悩は功徳のもとになるものです。
氷と水のようなものです。
氷が多いと、溶けたときに水も多いでしょう?
罪悪や煩悩が大きければ、また功徳も大きいのです。

もちろん、これもわたしのひとつの解釈=「異義」に違いありません。
わたしたちがニンゲンという限界を背負って生きているかぎり、だれしもが異義からは逃れられないのです。
だからこそわたしは、大肛門、いや、大顧問大先生との仏教論議をさけたのです。
わたしの「異義」と大先生の「正義」がぶつかったところでしょうがないわけです。
正義は仏さんのところにしか本来ないものですのに、なにかそれを掴んだと錯覚している頭のおかしな相手と仏教論議をしたところで
時間の浪費でしょう。
「破邪顕正」(はじゃけんせい)というのは本来、己のよこしまさを破り、仏さんの姿に真の正しさを見出せという内省であったのに
いつのまにやら、それが外に向かって叫ばれている。
自分が仏さんと同等になっちゃって、人のよこしまさを非難している。本末転倒もはなはだしい。
法然さんは『七箇条起請文』にて、こう言っております。

一、無智の身を以って有知の人に対ひ、別行の輩に遇ふて、好みて争論を致すことを停止すべきこと。

つまりわたしのような無智愚トンの輩が大肛門先生のような偉い人と争論してはならない。
大肛門先生のような別行(カルト教)の方と争論をすることを禁じると仰っているわけです。
さらに唯円さんもいっております。

争論の処には、もろもろの煩悩起こる。....
                 『歎異抄』

それにしてもおそろしいものですね。煩悩というのは。
大肛門先生は最初、大山クンに対して煩悩のほむらを消せと諭されたはずですのに、
いつのまにやら、怒りのためにパソコンのキーを打つ手が震えている。
あー、ナンマンダブ。ナンマンダブ。

    
                             「完」

 



[234] 漱水大肛門、いや、大顧問さんとやら 投稿者:岩城 投稿日:2005/07/31(Sun) 11:36  

大山クンも貴殿も本願寺が、本願寺が、本願寺が
と異常な憎しみをお持ちのようですが。
いったい何なんですか、本願寺というのは?
ぱっぱりわかりませんなぁ〜。
わたしのわかっているのは、たしか親鸞会が「本願寺」を「破邪顕正」の標的としている
ということだけです。↓

“いずれにせよ本願寺を沈没寸前の老朽船にたとえる高森会長は、「破邪顕正」―邪教を
打破して正教を顕彰する―を親鸞会の運動論とし、本願寺を「破邪」の最大目標に据えた。
それは蓮如以降、自他共に許す本願寺の金城湯池北陸に生じた公然たる「反乱」だった ...”
「真宗王国と新宗教「蓮如さん今を歩む」 (北国新聞社 平成8年初版発行)


それから、
日蓮正宗に「破邪顕正新聞」(笑)というのがあって、これまた
本願寺が、本願寺が、とみっともない煩悩の炎をもやしていおりますなー。
こういうみっともなさと浄土真宗は無縁ですよ。
まして「破邪顕正」? 
浄土真宗の僧侶なり門徒がそんなことをいったら笑われますよ。((((((核爆)))))
だいいちですねー、浄土の真宗は、わたしたちがニンゲンという限界の存在であるから
「正義」など得ることができようはずもないことをわきまえているからです。
真実なり正義なりは仏にのみそなわっている徳でしょうに。
まだ浄土にもいけない我々煩悩の徒が顕正などとは、
傲慢にもほどがあるというものです。



[233] 本願寺 投稿者:吉田 学 投稿日:2005/07/31(Sun) 02:02  

 >本願寺とか。本願寺とか。本願寺とか。

 >本願寺の僧侶がよくやるパターンですな。

 >本願寺がよく言う屁理屈ですな。

 『本願寺』『本願寺の僧侶』の事が書き込んでありますが、何か個人的な体験があるのでしょうか?
 もし宜しければメール等で具体例を教えて頂ければ幸いです。
 どういう体験、あるいは風説でもって、そういう風に感じられたのか。何もなければ書き込む事もないでしょうし。

 また、『本願寺』といっても、現状『本願寺』が沢山ありまして。。。
 一番有名なのは『西本願寺』(浄土真宗本願寺派)、『東本願寺』(真宗大谷派)なのでしょうが、現在は本願寺維持財団や、浄土真宗東本願寺派等もあって、本願寺が沢山あります。
 また、『本願寺僧侶』といっても10万人以上居るわけですし。

 私自身も、真宗大谷派の僧侶です。
 ですから、何があったのか気に成ります。


[232] Re:[216] はぁ〜? 投稿者:大山 投稿日:2005/07/30(Sat) 21:48  

> >仏教の「ぶ」の字もわかっていない、いわき、とかいう人間?
>
> アホ丸出しの大山クン、とうとう炎暑のために延髄が故障していまいましたか?

延髄はしっかりしています。心配無用でござる。


> あのね〜、
> 仏教というのはね「わかる」ようなシロモノではないのだよ。
> 仏教がそのように「知」の領域に属するものなら、IQしか自慢できない東大のアホが
> 一番仏教の「ぶ」がわかるというものだ。
>
> しかしねー、大山クン、漱水とかいう「最高顧問」とやらにも
> 教えてあげたまえ。
> 仏教は旗立てて「わしは仏教を知ってるぞー」なんて振り回すものではなく
> 〈信〉と〈不信〉のあいだでひとり悶々と格闘するものなんだ。
> 信仰とは、人に向かって仏教の知識をひけらかしたり、まして他人に
> 説教を垂れるようシロモノなものでもない。

本願寺がよく言う屁理屈ですな。




> ましてや(特に浄土真宗は)禅宗のように悟りを開くためのものでもない。
> だれかより偉ぶるためのものではないということだ。
> もっとも、世の中には、仏教知識、キミの言う仏教の「ぶ」の字を自慢したがる
> アホがごまんとおるがね。
>

いつ、わたしが知識を自慢したのか?
わたしは、知識を自慢した覚えはない。
「破邪顕正せざるものは仏弟子にあらず、仏法中の仇なり」とお釈迦様もおしゃっているとおりのことをやっているだけです。「破邪顕正」と「知識の自慢」とは、何の関係もありませぬ。


> 大山君、ちみはまだ若い。これから将来ある身だ。

世は無常。これが仏教の教えです。
仏法に明日はありませぬ。


つまらない人たちと付きあって
> つまらない考え方を身につけて、まともな人たちからバカにされる道を選ぶのも
> キミの自由だが、どうだね?
> 一度わしの書いた「愚禿伝説」でも読んで、仏教と言うものが
> 〈知〉ではなく〈情〉であることを了解してはどうか?

「愚禿伝説」?
おおよそ、法謗罪の嵐でしょうな。

> 多情仏心ともいうではないか。
>
聞いたことがない、言葉です。
意味を教えてください。


> それからね、最高顧問の瀬水さんとかが「煩悩具足」と言っていたが
> ほんとうは「煩悩愚息」が正しい。
> 愚息というのはもちろん、ちんぽのことだよ。(爆)
>

こういうのを、「法謗罪」といいます。






[231] Re:[218] 岩城の仏教法話その一 仏教の「ぶ」の字が「わかる」とはどういうことか 投稿者:大山 投稿日:2005/07/30(Sat) 21:40  

> わしも忙しいので、これからはあまり書き込めない。
> まあ、あまり信用せずに読んでもらいたい。
> さて、
>

最初から、たいして信用してませんが、一応反論しておきます。



>
>
> 大山クンの「仏教の〈ぶ〉の字も知らない岩城」という言い方には思わず苦笑してしまいました。
> ガキのころ「おまえのかあちゃんデベソ」とよくいわれたものです。
> でも他人事だからといって大山クンを小バカにしてばかりもいられません。
> わたしたちも、だれもが大なり小なり大山クンのような間違った仏教のとらえ方をしてしまっているからです。
> 仏教を知っている人と知らないひと、わかる人とわからない人がいる、という間違った考え方におちいっているからです。

これは、誤解ではなくて、仏教を聞き誤っている人がいることはたしかです。

「真仮を知らざるによりて如来広大の恩徳を迷失す」(『教行信証』)

と親鸞聖人もおっしゃっています。
また、化身土巻には、雑種の十三種をあげられ、くわしく教えておられます。




> ほんとうは、そういう〈知〉を深めれば深めるほど謙虚になっていかざるをえないはずなんですがねー。
> 《実るほど頭を垂れる稲穂かな》ってやつです。
> ほんとうは、勉強すればするほど、いかに仏教を勉強している自分たちがアホであるか気づくはずなんですよ。
> ほんとうは、そのことを知らしめるために仏教学はあるはずなんです。
>

自分の「無知」を「謙虚」に置き換える、本願寺の僧侶がよくやるパターンですな。




> なぜなら、わたしたちが仏教を学ぶのは「仏教を知るため」ではなく、「仏教を知るとはどういうことかを知る」ためだからです。

言葉のお遊び、観念の遊戯ですな。


> なんだ、岩城は、何がいいたいのだ、と笑うひとがいるかと思います。
> しかし、よーく人生を経験してきた人ならご存知でしょう。

人生経験と仏教を知らないということ、とは、関係ありませぬ。

> 世の中には仏教にまるで関心もなければ勉強もしていない市井の人々の中に、じつは多くの「仏教がわかっている」方々がいることを。

そんな人をみたことはありませぬ。



> 仏さまとしかおもえない純粋な人たちがいることを

はて? 仏とはどういう方が御存知か?



> そういう人たちは「仏陀のほうからその人たちのほうにやってきた」人たちなんです。

権仮とでもいいたげですが?


> そういう人たちは、わざわざ仏教を学ぶ必要のない人たちです。難解な仏教用語を知らなくてもいいし、
> 仏教の歴史にまったく関心がなくても「仏教がわかっている」人たちなんです。

もはや、意味不明ですな。

> 間違ってはいけません。

確かに、あなたのように。「間違っては」大変だ。

> 「仏教を学ぶ」ということは普通の人たちより劣っているから学ぶんです。仏陀のほうからやってきてないから
> 学ぶという非常手段によって「自分のほうから」そこに到達しょうとしているということなんです。

上の文章、意味不明、よって、

> こんなことはちょっと気の利いた先達の宗教家ならだれにでもわかっていることです。

誰もわからないと思うが。

>
> たとえばキリスト教の世界で言えばエックハルトという人がその説教集のなかの論文に『離脱』ということばで
> こういう考え方を展開していることは有名です。
>
>   わたしがわたし自身を強いて神に至らせるよりも、わたしが神を強いてわたしに来たらせることのほうが何倍も素晴らしい事である。
>              『エックハルト説教集』論述「離脱」より
>
>


仏教の話をしているのに、キリスト教を出すなど論外。
キリスト教は、因果の道理に反する教えだから、
仏教では徹底してキリスト教を排斥する。



> 女性の思想家ではアンナ・ハーレントがそうでしょう。
>
>  わたしは信仰があることを、信仰がないことよりも下位におく。
>                  『重力と恩寵』
>
同じく、キリスト教の思想家から、仏教のことを学ぼうなど無意味愚か。


>
> わたしたちの身近で言えば親鸞がまさしくそのことを言っております。

そんなこと親鸞聖人はどこにもおっしゃっておられません。


> わたしたちが仏教を学ぶのはふつうの人たちよりダメだからだ、とはっきり言っております。。

どこに、そのようなことをおっしゃっているのか?
お示しください。


> だから、「仮土」へ行って、そこで仏教を学び、それから阿弥陀さんに掬い取られるしかないのだと。

どこに、親鸞聖人が、そのようなことをおっしゃっているのかお示しくだされ。

>
> しかし、実際は、おれこそが「仏教の〈ぶ」の字がわかってる」「いや、おれのほうが深い」といった
> みっともない罵り合いや、逆に何でも知っている大人(たいじん)を気取って説教を垂れるといった、
> おのれの「仏教の〈ぶ〉の字」の深さについて自慢し、争っているアホがほとんどというみっともなさです。
>
> 仏教が「わかる」ということは、「仏教がわかるとはどういうことか」それがわかるだけだということです。
> たいしたことではないのです。
> それがわかれば他人にたいして「仏教がわかってない」というような言い方は軽々しく言えないのではのではないでしょうか。
> 大山クン、至らぬもの同士です。お互いに精進いたしましょう。

仏教の「ぶ」の字もわからぬ、岩城。これに狂いなし、が、見事に証明されたかな。





[230] 合掌 投稿者:漱水沈積 投稿日:2005/07/30(Sat) 21:24  

いわき様

>漱水さんとやら、仏教論議をふっかけるなど、あなたらし>くもない。
>みっともないと思いませんか?
>それこそガキのなせるわざ。煩悩のなせるわざですよ。

せっかく、あなた様から、「煩悩を否定する」ということの意味をお聞きできると思われたのに、非常に残念でした。ひょっとして、「煩悩」の意味がわかっておられないのではないか、と心配しています。はやり、大山君のいうように、仏教の「ぶ」の字もわかられないおかたなのかとも邪推しています。いいかたがおきにめさないならば、仏教のイロハもわかっておられないのかもしれません。だから、質問されても答えず、逃げ回るのかな、と。よくありますよね。本願寺とか。本願寺とか。本願寺とか。

敬具



[229] Re:[226] 大山クン 投稿者:大山 投稿日:2005/07/30(Sat) 21:19  


> ほんとうにキミがそう思っているのなら、まずキミが率先してわたしを誹謗中傷するのをやめればどうかねー?
> まったく最高肛門、いや最高顧問といい、キミといい。笑わせてくれるね〜。
>

いつ、わたしが、あなたを、誹謗中傷したのか?
ご指摘願います。
そのような覚えはございません。





[228] 無題 投稿者:大山 投稿日:2005/07/30(Sat) 21:17  

大阪府警のHPを確認しましたが、

「だれかが詐欺などを働いている場合、被害者の増加を防ぐため
大いにその事実を公表していただきたいと大阪府警は願っております。」

などという記述はありませんでした。
わたしの見逃しかもしれませんので、
もしありましたら、ご指摘願います。





[227] 犯罪を公表することは被害者を救う 投稿者:大阪府警広報課 投稿日:2005/07/30(Sat) 15:50  

大山という方の投稿はひとつ間違うと犯罪になります。
犯罪の助長の罪です。
だれかが詐欺などを働いている場合、被害者の増加を防ぐため
大いにその事実を公表していただきたいと大阪府警は願っております。


[226] 大山クン 投稿者:岩城 投稿日:2005/07/30(Sat) 15:44  

>掲示板というのは、他人の犯罪を指摘する場ではありません。
>ネットで他者を誹謗中傷するならば、読んでいる人も、不愉快でしょう。

ほんとうにキミがそう思っているのなら、まずキミが率先してわたしを誹謗中傷するのをやめればどうかねー?
まったく最高肛門、いや最高顧問といい、キミといい。笑わせてくれるね〜。



[225] 漱水沈積さん 投稿者:岩城 投稿日:2005/07/30(Sat) 15:30  

漱水さんとやら、仏教論議をふっかけるなど、あなたらしくもない。
みっともないと思いませんか?
それこそガキのなせるわざ。煩悩のなせるわざですよ。



[223] 東さんを誹謗した件について。 投稿者:大山 投稿日:2005/07/30(Sat) 08:03  

>わしは一貫してただひとつの事実をいっておる。
@東こと西岡のやっている「NPO翼」はNPO法人ではない。
AにもかかわらずNPOと書いた機関紙を戸別訪問して売り歩いている。
「事務所」の看板にもにもNPOと書いておる。
Bこれは何も知らない人たちを騙す行為だ。
Cさらに浪速区には以前からほんもののNPO「つばさ」という団体がある。その団体に失礼である。
Dこのことを指摘し、注意を促したところ、おまえの親分、東こと西岡が
釘のついた角棒でおれに殴りかかってきた。
Eところがおれに逆に蹴飛ばされ、警察に突き出された。
F東こと西岡が、この事実を認めた調書は浪速警察署三階の刑事課にいまも保存されている。

東さんを誹謗した件について。


以上のことが、仮に事実だとしても、
それが一体どうしたというのでしょうか?

わたしが主張しているのは、
そのような事実を、公の場でさらしたあなたの行為であり、
そのことによって東さんの名誉をきずつけた、ということです。

わたしが主張しているのは、一貫してそのことなのです。
それがあなたには、わからない。

仮に、誰かが犯罪を犯したとして、
その事実を、公に公表することは、
人権問題になります。
道徳性のかけらも感じられないあなたの態度は、
まわりのものを不愉快にし、
また、自らもその言動によって苦しむことになります。

そのことをわたしは言っているのです。

掲示板というのは、他人の犯罪を指摘する場ではありません。

ネットで他者を誹謗中傷するならば、
読んでいる人も、不愉快でしょう。



[222] Re:[215] くそ坊主 投稿者:大山 投稿日:2005/07/30(Sat) 07:55  

意味不明の文章。
仏法を茶化すのは、恐ろしい法謗罪であることを知っていただきたい。




[221] 更新ページ 投稿者:河合由美子 投稿日:2005/07/28(Thu) 10:21  

★ナンナンちゃんのキンタマ刺身の巻

http://www.nurs.or.jp/~tenko/iwaki/nannan2.html


[220] 合掌 投稿者:漱水沈積 投稿日:2005/07/28(Thu) 00:17  

いわき様

はじめまして。コメントいただきありがとうございます。

>述作をお読みになればわかるように、親鸞は「煩悩」を否>定したのではなく
>それ(煩悩)こそが「仏心」だといっております。

わたしは親鸞聖人の著作を読んだことがありますが、
親鸞聖人がどこに「煩悩を否定したのではなく、それこそが仏心だ」とおっしゃっているのでしょうか?もしよろしければおしえていただけないでしょうか?

ちなみに、『正信偈』の、
「遊煩悩林現神通」というのは、
信心決定した人の衆生済度の喜びの心を書かれているのであって、

「煩悩を否定したのではなく、それこそが仏心だ」という主張とは、全く何の関係もないものと思われます。

なお、ついでに申しておきますと、
「煩悩を否定する」という言葉の意味がわからないのですが、教えていただけますでしょうか?

書き込みを拝見される限り、よく勉学に励まれているいわき様、勉強不足の私に、是非、教えていただく思います。

よろしくお願いします。

敬具



[219] いわき様へ 投稿者:大山雄野 投稿日:2005/07/28(Thu) 00:06  

「念仏誹謗の有情は
阿鼻地獄に堕在して
八万劫中大苦悩
ひまなくうくとぞときたまう 」 (『正像末和讃』)

と親鸞聖人はおっしゃっています。
他者を誹謗する「悪口」(あっこう)の者は、まだ無間地獄には堕ちません。
しかるに、真実の仏法を茶化したり、バカにしたり、誤った教えを広げたり、あるいは真実を伝えるものを非難したりするものは、地獄の中でももっとも恐ろしい地獄に堕ちる、といわれています。

阿弥陀仏の本願で、「唯除五逆誹謗正謗」というのは、
法謗罪をつくっているものは、金輪際助かる縁でがかりもない、ということです。




[218] 岩城の仏教法話その一 仏教の「ぶ」の字が「わかる」とはどういうことか 投稿者:岩城 投稿日:2005/07/27(Wed) 17:39  

わしも忙しいので、これからはあまり書き込めない。
まあ、あまり信用せずに読んでもらいたい。
さて、



大山クンの「仏教の〈ぶ〉の字も知らない岩城」という言い方には思わず苦笑してしまいました。
ガキのころ「おまえのかあちゃんデベソ」とよくいわれたものです。
でも他人事だからといって大山クンを小バカにしてばかりもいられません。
わたしたちも、だれもが大なり小なり大山クンのような間違った仏教のとらえ方をしてしまっているからです。
仏教を知っている人と知らないひと、わかる人とわからない人がいる、という間違った考え方におちいっているからです。
こういった誤解がどこからくるのか、ちょっと考えてみましょう。


わたしたちが仏教を学ぶ場合、だれもがまず「知」から入ってゆきます。
仏教史を学び、教典を暗記し、用語の意味を教えられ、信仰態度を吟味し、解脱や悟りの境地が価値あるものと教えられます。
それは書籍を通じてでもそうですし、学校のような教育機関でもそうでしょう。
これが仏教を学ぶ場合のパターンといってよいでしょう。
だから、大山クンのように勘違いしやすいのではないでしょうか。

ほんとうは、そういう〈知〉を深めれば深めるほど謙虚になっていかざるをえないはずなんですがねー。
《実るほど頭を垂れる稲穂かな》ってやつです。
ほんとうは、勉強すればするほど、いかに仏教を勉強している自分たちがアホであるか気づくはずなんですよ。
ほんとうは、そのことを知らしめるために仏教学はあるはずなんです。

なぜなら、わたしたちが仏教を学ぶのは「仏教を知るため」ではなく、「仏教を知るとはどういうことかを知る」ためだからです。
なんだ、岩城は、何がいいたいのだ、と笑うひとがいるかと思います。
しかし、よーく人生を経験してきた人ならご存知でしょう。
世の中には仏教にまるで関心もなければ勉強もしていない市井の人々の中に、じつは多くの「仏教がわかっている」方々がいることを。
仏さまとしかおもえない純粋な人たちがいることを。
そういう人たちは「仏陀のほうからその人たちのほうにやってきた」人たちなんです。
そういう人たちは、わざわざ仏教を学ぶ必要のない人たちです。難解な仏教用語を知らなくてもいいし、
仏教の歴史にまったく関心がなくても「仏教がわかっている」人たちなんです。
間違ってはいけません。
「仏教を学ぶ」ということは普通の人たちより劣っているから学ぶんです。仏陀のほうからやってきてないから
学ぶという非常手段によって「自分のほうから」そこに到達しょうとしているということなんです。
こんなことはちょっと気の利いた先達の宗教家ならだれにでもわかっていることです。

たとえばキリスト教の世界で言えばエックハルトという人がその説教集のなかの論文に『離脱』ということばで
こういう考え方を展開していることは有名です。

  わたしがわたし自身を強いて神に至らせるよりも、わたしが神を強いてわたしに来たらせることのほうが何倍も素晴らしい事である。
             『エックハルト説教集』論述「離脱」より


女性の思想家ではアンナ・ハーレントがそうでしょう。

 わたしは信仰があることを、信仰がないことよりも下位におく。
                 『重力と恩寵』


わたしたちの身近で言えば親鸞がまさしくそのことを言っております。
わたしたちが仏教を学ぶのはふつうの人たちよりダメだからだ、とはっきり言っております。。
だから、「仮土」へ行って、そこで仏教を学び、それから阿弥陀さんに掬い取られるしかないのだと。

しかし、実際は、おれこそが「仏教の〈ぶ」の字がわかってる」「いや、おれのほうが深い」といった
みっともない罵り合いや、逆に何でも知っている大人(たいじん)を気取って説教を垂れるといった、
おのれの「仏教の〈ぶ〉の字」の深さについて自慢し、争っているアホがほとんどというみっともなさです。

仏教が「わかる」ということは、「仏教がわかるとはどういうことか」それがわかるだけだということです。
たいしたことではないのです。
それがわかれば他人にたいして「仏教がわかってない」というような言い方は軽々しく言えないのではのではないでしょうか。
大山クン、至らぬもの同士です。お互いに精進いたしましょう。








[217] おまじない。 投稿者:島そだち 投稿日:2005/07/27(Wed) 14:56  

鼻の頭に、はな糞を付けて「仏教者気取り」で闊歩すると悟りを得られるよ!! がんばってネー ( ・ω・)ノ``☆  


[216] はぁ〜? 投稿者:岩城 投稿日:2005/07/27(Wed) 10:40  

>仏教の「ぶ」の字もわかっていない、いわき、とかいう人間?

アホ丸出しの大山クン、とうとう炎暑のために延髄が故障していまいましたか?
あのね〜、
仏教というのはね「わかる」ようなシロモノではないのだよ。
仏教がそのように「知」の領域に属するものなら、IQしか自慢できない東大のアホが
一番仏教の「ぶ」がわかるというものだ。

しかしねー、大山クン、漱水とかいう「最高顧問」とやらにも
教えてあげたまえ。
仏教は旗立てて「わしは仏教を知ってるぞー」なんて振り回すものではなく
〈信〉と〈不信〉のあいだでひとり悶々と格闘するものなんだ。
信仰とは、人に向かって仏教の知識をひけらかしたり、まして他人に
説教を垂れるようシロモノなものでもない。
ましてや(特に浄土真宗は)禅宗のように悟りを開くためのものでもない。
だれかより偉ぶるためのものではないということだ。
もっとも、世の中には、仏教知識、キミの言う仏教の「ぶ」の字を自慢したがる
アホがごまんとおるがね。

大山君、ちみはまだ若い。これから将来ある身だ。つまらない人たちと付きあって
つまらない考え方を身につけて、まともな人たちからバカにされる道を選ぶのも
キミの自由だが、どうだね?
一度わしの書いた「愚禿伝説」でも読んで、仏教と言うものが
〈知〉ではなく〈情〉であることを了解してはどうか?
多情仏心ともいうではないか。

それからね、最高顧問の瀬水さんとかが「煩悩具足」と言っていたが
ほんとうは「煩悩愚息」が正しい。
愚息というのはもちろん、ちんぽのことだよ。(爆)





[215] くそ坊主 投稿者:島そだち 投稿日:2005/07/27(Wed) 00:53  

仏教の「ぶ」は、犬や猫や豚でも、子を育む全ての虫や獣の親の心の中にも「内在」している普遍的な「血と命」の「尊厳性」の「比喩的表現」の教えであろう。
※うぬぼれた「仏教道」とやらを鼻にかけた「嘴の黄色いガキ」が、一人前に知った風なセリフを抜かす「仏教者気取り」のアホを見れるのも
人間のみに尊厳性が存在していると錯覚してるような、安っぽい「詩人」気取りで徘徊してる「ニセ詩人」を見てるようで面白い!90点!(; ̄◇ ̄)ゞ
笑わせてくれてありがとう。( ̄(エ) ̄)ノ``☆ って釣ってみる。



[214] 漱水さんへ 投稿者:大山雄野 投稿日:2005/07/26(Tue) 23:29  

漱水さんありがとうございました。
反省します。
仏教の「ぶ」の字もわかっていない、いわき、とかいう人間に、怒りの炎を消せといっても無駄だった、とつくづく思いました。わたし自身、もっと、他の人を援助するべきでした。もっとも、阿弥陀仏の本願は、すべての人を助けるといわれていますから、仏教の「ぶ」の字もしらぬいわき様も、やがて、阿弥陀仏の本願海に帰入されることを念じています。




[212] 漱水沈積さま 投稿者:岩城 投稿日:2005/07/26(Tue) 11:23  

はじめまして。
書き込み読ませていただきました。
失礼ですが、「翼」という会は、異常な奴らの集まりかと思っていたのに
これだけの大人(たいじん)がいたとは驚きです。
まずは冷静なその大人(おとな)の対応に謝意を表しておきたいと思います。
あなたもご指摘のように、わたしも大人気ないところがありました。
しかし、わたしは大人(たいじん)を気取ることをよしとしないタイプの人間であり、
クソにまみれることをむしろ(嫌々)引き受けることをよしとするものです。
せっかくのご忠告ですがわたしはクソが投げかけられればそれをよけて歩く大人ではなく
クソを踏んずけて喜ぶ子供の遊び心をもっていく所存でございます。

ところで「煩悩具足」というのは浄土真宗の開祖親鸞の多用したことばですが、
述作をお読みになればわかるように、親鸞は「煩悩」を否定したのではなく
それ(煩悩)こそが「仏心」だといっております。

遊煩悩林現神通(煩悩の林に遊び仏心に至る)

これは『正信念仏偈』という
親鸞の述作に書かれている有名なことばです。
大山君も煩悩をさっさと引っ込めるのではなく、己のいやったらしさを
とくと見つめて仏心に至っていただきたいとせつに願っております。

                  敬具




[211] 大山くんへ 投稿者:岩城 投稿日:2005/07/26(Tue) 10:59  

あのなー。アホ丸出し大山クンよ。
何度も言うように「誹謗」というのは根拠のないウソ・悪口をさしていう。
わしは一貫してただひとつの事実をいっておる。
@東こと西岡のやっている「NPO翼」はNPO法人ではない。
AにもかかわらずNPOと書いた機関紙を戸別訪問して売り歩いている。
「事務所」の看板にもにもNPOと書いておる。
Bこれは何も知らない人たちを騙す行為だ。
Cさらに浪速区には以前からほんもののNPO「つばさ」という団体がある。その団体に失礼である。
Dこのことを指摘し、注意を促したところ、おまえの親分、東こと西岡が
釘のついた角棒でおれに殴りかかってきた。
Eところがおれに逆に蹴飛ばされ、警察に突き出された。
F東こと西岡が、この事実を認めた調書は浪速警察署三階の刑事課にいまも保存されている。

で、アホ大山よ。どこが誹謗なんだ? うん?
すべて事実だ。
東とコソ泥のお前に謝罪してもらうべきはおれだ。
おまえ、いくら専門学校生だからといってそこまで底脳か?
ついでにいうとなー、
言葉の専門家のおれに主語だの述語だの寝ぼけたことを聞くんじゃない。
だからお前、大学にも入れないんだ。
それをいうなら主語・述語じゃなくて、主部と述部はどこですか?と聞くべきだ。
「これをふんまえて」という以上、単語であるはずがなかろう。
ひとまとまりの意味連合である主部と述部に決まっている。
それらがまた主語や述語を修飾しておるのだろうに。文章と言うのはそういう構造を
もっておるんだよ。おまいはバカか。
お前のような底脳を相手にするのがばかばかしくて黙ってやっているからといって調子に乗るんじゃない。ぼけ。
それから、「だれ」が「だれ」に向かって語っているかは「おなまえ」の欄とタイトルの欄ではっきりしておる。
当然、おれ岩城が、おまえアホ大山に向かって語っておる。
おまえ、それも読めんのか?

いずれにせよ、少し頭を冷やすことだな。






[210] 大山君へ。 投稿者:漱水沈積 投稿日:2005/07/26(Tue) 00:16  

我輩、漱水沈積でござる。NPO翼の最高顧問をやっている。

昨日、いつも原稿をもってきてくれる大山君から、『電車男』やりませんか?といわれたので、我輩は、「二番煎じはダメじゃ」と答えた。

詳細を聞いてみて、当HPの記録を読んでみた。

我輩が思うに、

大山君、そなたは、少し怒りの炎で燃え上がっているようである。冷静になって反省したほうがよいと思う。『電車男』の件は、我輩の独断と偏見で脚下させていただく。

そもそも、仏教では、大山君にいつもいってることなのだが、

人間は煩悩具足の凡夫といわれる。
煩悩とは、わたしたちを煩わせ悩ませるものである。
代表的なものに、欲、怒り、愚痴がある。
欲しい欲しいと思う欲のこころ、それが満たされないと腹がたつ怒りの心、そして怒れない相手にはうらみねたみつらみの愚痴の愚かなバカな心。「どっちがバカか?」などということを考えている暇があるのならば、自分自身の種まきを反省して、向上すればいい。

もちろん、いわきさんとやらも、同様である。

以上、我輩は、大山君へ、この場を借りて勧告しておく。

NPO翼 最高顧問 漱水沈積




[209] おかえりなさいませいわきさま 投稿者:大山雄野 投稿日:2005/07/25(Mon) 23:20  

帰ったと思いきや、又戻ってくる。まったく意味不明な原稿不一致なお方、それがいわき様ですね。

おそらく、NPO翼で、この一連のやりとりをばらされて自分の「アホさ」が全世界に広がると思い、「やばいな」と思って冷や汗かいて、かえってこられたのでしょうね。(あくまでわたしの勝手な妄想ですが。)

>いずれにせよ、わしはおまえさんたちのような異常な奴らと議論するのは好まない。
今後は一切の交通を拒否する。

はい。了解しました。
で、といいながらまたもどってこられたら、
自己矛盾になりますので、
そこのところを、よ〜く、頭を冷やして考えてくださいね。
カッカして、書き込むと、バカがぽろぽろ出てきますから。(わたしもそうですけどね。)

>ただし、河合さんにしつこくつきまとったり、俺に関することを無断で記事にした場合は
実力行使でぶっつぶす。

河合さんにつきまとった覚えはございません。
あなたに関することを記事にするのではなく、
あなたがのぞんだ「公開討論」を、記事にする、のです。
つまり、あなたが望んでいることですよ。
だって、最初にいったじゃないですか、
メールでやろうって。
でもあなたはそれを否定した。
そして「公開でやろう」といった。
そしてわたしが矛盾を追及すると、
逃げていき、
ひびって書き込む。
まさに矛盾の塊。
怒りの炎がもえたぎってますね。
愚痴のこころで、苦しむのは、
あなた自身です。

●もう一度いいます。
NPO翼の東さんを誹謗したことを謝罪してください。
メールでもかまいません。

以上、よろしくお願いします。





[208] shokoさんへ 投稿者:岩城氏 投稿日:2005/07/25(Mon) 18:47  

>なんだかもめてるようだけどなにもtenkoさんのBBSでやらなくてもいいのでは…と思うのですが。
>特に岩城氏の粘着質な文章はとても不快です(おっしゃっているこのの真偽ではなく、表現方法が)
>どうもこのような人とおつきあいのあるtenkoさんは大丈夫なのだろうか?との不安があるのですが私だけなのでしょうか。

shokoさん、あなたの不安はよく理解しております。
かくいうわたしもわたしの偏狭な性格が河合さんにマイナスに働いてないか
いつも不安ですし、心配しております。
ただ、わたしはあなたの上記の書き込みに一抹の不審を感じずにはおれませんでした。
たしかにわたしはあなたが仰るようにいやったらしい粘着質な文章を書きます。
これは否定しません。
また、あなたがわたしの文章の粘着質ないやったらしさを嫌うのは、
これまた当然あなたの自由です。
ただ、人間の性格や性向、精神は一枚ガラスのように一面だけで出来ているわけでもないのです。
ダイアモンドのように多面です。数百の嗜好性傾向性思想精神が混じり合っております。
そのなかには、だれにでも他人から見て嫌な面もあるでしょう。
その中の、ただひとつの性向だけを取り出して、それを全人格に拡大し、
河合さん、こんな人と付き合って大丈夫と言い切るあなたの精神状態が
むしろわたしには不安なんです。
あなたが個人的にわたしの文章が嫌いであることは自由ですが、
それをわたし個人にぶつけないで、河合さん、こんな人間と付き合ってるなんて大丈夫
というのはあまりにも一面的な言い草ではないでしょうか?
わたしはむしろあなたのその偏狭な視野の狭さにこそ不安を覚えます。

さらには「このような人とお付き合いのある」と書いていますが
わたしと河合さんがどのような「お付き合い」をしているのか
あなたはよくご存知なのですか?
勝手に妄想されては困りますよ。わたしはあなたの顔さえ知らない。
あんたがわたしと河合さんの付き合い方を知っているはずもない。
また「このような方」とは、どのような方なのですか?
あなたの嫌いな粘着質の文章を書く人間はみな「このような方」となるのでしょうか?
単一の性向だけを取り上げ、しかもそれが個人的に嫌いだからといって
他人様にも「よくもこんな男と付き合ってられるわね」とでもいいたげな発言、
河合さんを心配しているどころか、遠まわしに小バカにしているだけじゃないか。
人のことを心配する前に、自分がそういう自己中心的な偏狭な性向をもっていて
それによってどれだけ人に迷惑をかけ、お節介をしているかよく反省するほうが
よほど大事だろうに。



あなたが河合さんのことをほんとうに心配しているのなら、カンパの一円でもしたり
上映活動を手伝ったりすればいいのであってね、
おれに直接、あなたの文章は気に入らないというのならともかく
ほかならぬ河合さんに向かって、
「こんな男と付き合って馬鹿じゃないの」といわんばかりの人をバカにしたようなことを
これ以上のたまっていると、いくら女だからといって我慢の限度ありまっせー。
気をつけることですな。










[207] 大山くんとIQコンプレックス 投稿者:いわきはるお 投稿日:2005/07/25(Mon) 09:28  

>いわきVS大山 どっちがアホか?
>みたいな題名で、(最高顧問の)漱水さんに編集してもらいますから。

『NPO翼』はNPO法人ではないのだから、NPOなんて呼称をみだりに使ってはいけない、
何も知らない人を騙すことになるというハナシが
いつのまにか「岩城と大山どっちがアホか」という話題に替わっている。

あのね、大山クン。
キミがいくら専門学校生だからといってIQコンプエックスを丸出しにすることはないのだよ。
大学にいけなくったって頭が悪いとは限らない。
本題そっちのけで、
「どちらが頭がいいか」なんて言ってしまうとキミの専門学校生コンプレックスが丸出しになってしまうんだ。
きみが哲学なんてものをみだりに振り回すのもそう。
人よりエライと思いたがる知能コンプレックスの発露だ。
それはきみの仲間に共通の精神的な疾病だ。
大学にいけなくったて頭のいい人はいっぱいいる。
心配することはないのだ。
きみの親分の西岡のようにウソをついてまで学歴を詐称するヤツもいるが、
そんなことする必要もないんだよ。
自信を持ちたまえ。
おそらくそのことについては随分悩んだのだろうね、ちみも。(あらら、またしても「そのこと」ってなーに?なんていう偏執的発言がくるのかしら?)
議論の内容よりも主語述語にこだわるチミの偏執性も専門学校生コンプレックスからきている。
まだ、わからないか?
頭を冷やして自分がどういう文章を書いたかよく反省したまえ。
上に示したきみの書き込みわずか二行に、きみのコンプレックスが如実に露呈していることがわからんかね?
『翼』は、わずか数名しかいない小さな会だ。
なのに「最高顧問」なんていう呼称を使っている。
それだけをとっても、おかしいと思わないかね。

いずれにせよ、わしはおまえさんたちのような異常な奴らと議論するのは好まない。
今後は一切の交通を拒否する。
ただし、河合さんにしつこくつきまとったり、俺に関することを無断で記事にした場合は
実力行使でぶっつぶす。
おまえらのようなキチガイ集団に言葉は不要だ。







[206] ナンナンちゃんはやっぱり美味かった2 投稿者:いわきはるお 投稿日:2005/07/24(Sun) 19:45  

ナンナンちゃんのキンタマ刺身の巻


「夏ですね」
「夏です」
「やっぱり、夏ですか」
「やっぱり夏です」
「すると夏ですね」
「夏です」
「ふむ。じゃあ夏としかいえませんね」
「いえません」
「とうぜん夏ですね」
「とうぜん夏です」
「しょうがありませんね」
「しょうがないねー」
「猫鍋ですね」
「猫鍋です」
「正確には《ホルモン猫鍋》ですね」
「正確にはね」
「ネギや豆腐も入れるから、《ちゃんこ猫鍋》のほうが正確じゃないですか」
「正確ですね」
「じゃ、《ちゃんこ猫鍋》にしましょう」
「んー」
「問題があるでしょうか」
「大いにあります」
「それでは《なんなんちゃんこ鍋》でどうでしょう」
「《なんなんちゃんこ鍋》ならいいです」
とまあ、こんなぐあいに猫鍋の名称決定から、調理の手順、係りまで、わいわいがやがやと
おだやかに、かつ民主的にナンナンちゃんのお鍋の作業は進んだのですが、
途中ナンナンちゃんの「金玉さしみ」をめぐってひと悶着起こってしまいました。

場所が悪かった。
三角公園の真ん前にはカソリック系の教会があります。
そのとなりには「一生男と結婚しないブスの会」(正式名称を忘れたので筆者意訳)という尼さんの修道会もあります。
そこに「釜ケ崎のマリア」といわれている五十ちかいおばさんがいます。
その女性が間の悪いことに、両足糖尿切断車椅子おじさんが赤い顔をしてナンナンちゃんのキンタマをスライスしている最中に、目に大粒の涙を溜めてわたしに苦情を持ち込んだのです。
「これ以上、上田さんをいじめないで」
「上田さん?」
ナンナンちゃんのことではございませんでした。

上田というのはカソリック教会のひよろ〜っと痩せた、顔の青白い、頼りない神父のことです。
わたしどもの知り合いのホームレスの面倒を見てくれていたのはいいのですが、いくら注意しても酒を飲むというので、
とうとう上田は、どこも異常でないのに、彼を精神病院に入れてしまったのです。最初の約束では数ヶ月ということだったのですが、
一年以上もほったらかしにしているので、わたしく、知人と共に強硬にこの神父に苦情を申し込んだばかりでございました。
ところがのらりくらりと逃げ回る。卑怯でずる賢い、釜ケ崎の活動家たちの典型というタイプでございました。
それでとうとう教会の分厚い鉄板をよじ登り、宿舎に向かって石を投げ込んできたのでございました。

わたくし女の涙には弱い。
ましてみんなから「釜ケ崎のマリア」といって、尊敬されているお方です。
はは〜ん、この女、一生結婚しないといいながら上田に惚れてるな。わたしはぴんときました。
多分、乱暴者の岩城に身を挺して直訴する健気な心に、自分で酔って涙を流していたのでしょう。
上田さん、わたしって素敵でしょう? マリアさまみたい。
ばかばかしいったらありゃしないのですが、とにかく「わかった。二度と上田さんには近寄らないことを約束します」
そういって安心させました。涙を浮かべられてはしょうがありません。
ところが女の人というのは安心すると食欲が増すのでございましょうか、手のひらを返したようにけろっと泣き止み
「あら、おいそうね」
と、ナンナンちゃんのキンタマ刺身をみておっしゃってくれました。
「なんのお肉?」
ニューギニア原住民中野がケケケと例の真っ白な歯をみせて笑いながらほんとうのことをいおうとしたや先に、
さすが両足切断糖尿車椅子おじさんは年季が違います。
焼酎のせいで、入道のようにつるつるの真っ赤に染めた頭をさすりながら優しい声で
「鴨だよ」
と一言。
「あら、鴨? どうしてそんな高級な食材が?」
「岩城さんが滋賀の温泉町から貰ってきたんですよ」
「そうなの?」
こうなればわたしも嘘をつくしかございません。
「ああ、出張にいったんですよ。雄琴のほう」
早速、ナンナンちゃんの股肉二本を新聞紙に包んで渡すと、当然断ると思っていたのに、なんと釜ケ崎のマリアさんは喜んで受け取りました。
これは事件です。
それから「その白い輪切りはな〜に?」とたずねてくるではございませんか。
謹厳実直を絵に描いたような校長先生顔凶暴ホームレス田村がにこりともしないで
「猫のキンタマです」
さすがに釜のマリアさんは、いやらしい冗談だと思って完全無視です。
わたしと両足糖尿切断車椅子おじさんは「まさか」と一笑にふしました。
「鴨の耳の刺身です」
「あら、じゃあ軟骨ね」
「こりこりとしておいしいですよ」
わたしは輪切りにしたナンナンちゃんのキンタマの刺身を皿に数切れ盛り、彼女に渡しました。
「お醤油でいいのかしら」
「そのまんまでも、おいしいよ」
両足切断糖尿おじさんは頭にタオルをのせて、すっかり温泉気分です。
ニューギニア中野は犯罪的な現場を見るように目を白黒させております。
校長先生顔凶暴ホームレス男田村は口だけにた〜っとほころばせました。
田村がこういう笑い方をすると笑うセールスマンそっくりになります。
釜のマリアおばさんはとうとうナンナンちゃんのキンタマを口に入れました。
「な〜に、これ。べとべとぬるぬるしてる」
「まずいですか?」
「まずくはないけど、なんだかヘン」
「生肉ですからねー」
「でも、なんのなのかしら、このジューシイな、どろどろねばねばしたのは」
とうとう中野が弾けたように笑い出しました。
「キンタマだから、あたりまえでしょう」
「えっつ?」
「それ、猫のキンタマの刺身ですよ」
「まさか!」
そーら!といってだれかが猫の首を彼女の足元に投げ出しました。
あとはもう、とてもここに書けるような状況ではございませんでした。
「ぁ。あたし、生まれて初めて....キ、キンタマを!それも精液まみれの...う、上田神父様!」
はい。とんでもない修羅場、愁嘆場が出現いたしました。
悲鳴。絶叫。爆笑。怒声。罵声。サイレンの音。

ただ、ひとつここに書き加えておきますと、なぜか彼女は最後まで新聞紙に包んだ猫肉を放しませんでした。
あとで風のうわさに聞いたところによると、ちゃんとお鍋で煮て、出汁をとって食べたということです。
さすが釜のマリアさま。殺生が無駄になることははさけられたようです。
そしてその後、郷里の大分県にお帰りになったとのことでございます。
「なんなんちゃんのキンタマ刺身の巻』 完










[205] 河合さん 投稿者:いわきはるお 投稿日:2005/07/24(Sun) 19:36  

『ナンナンちゃんはやっぱり美味かった』写真追加版ありがとうございました。
これで小説に臨場感が出ました。
なを、さらにエピソードを追加記入していくつもりです。
ご迷惑になるようでしたら、削除して例の特集コーナーに移してください。


[203] 猫の権利 投稿者:吉田 学 投稿日:2005/07/24(Sun) 16:12  

 >一切束縛しないという方針だった。だから籠にもいれないし、部屋にも閉じ込めない。しかし水と餌はふんだんに用意して、あとは猫の気分にまかせるにした。

 >野生に戻れればいいし、野生に耐えられないで死ねば、それは宿命だろうと考えた。

 >飼い馴らすということが、そもそもむごいことだという自覚も無いお前ら「猫がかわいそう」なんていわれたくねえよ。

 え〜、横入りすいません。
 基本的に想像力の問題なのかな?っと思いました。
 岩城さんがネコを逃がした事にキレているらしい人達だって、『ネコ』の代わりに『奴隷』とか『女』とかの言葉を入れ替えれば全く違った反応を示すと思います。
 決して、その人達は
 「お前が奴隷を逃がした!」
 「お前が女を逃がした!」
 等とは決して言わないでしょうし。
 「逃げた」でなく、「自由になった」というと思いますし。
 ですから岩城さんに対しても「逃がした」と責めるのでなく、「自由にしてくれた」と言うでしょうし(笑)

 その辺の生命観に対する想像力の違い、あるいは思想、宗教の違いといってもいいのかも知れませんね(笑)
 『ペット』と呼ばれる生き物なら、管理する事が当たり前であって、自由にさすと何をしでかすか解らないし、死ぬかも知れないし、殺されるかも知れない。だから、管理する事でネコを束縛する事がその人達にとっては『愛』なんでしょうし、ですからその人達にとっては「岩城さんは愛が解っていない!」みたいな感じでしょうか。「かわいそうだから」とか、「哀れむ」とか。
 まあ、逃げた(?)ネコの判断を無視した、『ネコ権』を無視した話ですね。

 でも、ちょっと岩城さんキレ過ぎでっせ(笑)
 岩城さんにゴチャゴチャ文句をいっているらしい人達の中に、知った人の名前があるので、「ああ。。。また感情に任せてゴチャゴチャ言ってんやろうなぁ。。。そら、岩城さんもキレるわなぁ。。。」と、思うのですが、やっぱり、ちょっとキレ過ぎ(笑)
 
 え?「お前に言われたくない!」
 あ、。。。すいません。。。お邪魔しました。。。

 以下独り言。「だから安モンのヒューマニズム批判がおこるんだよ。こら!運動坊主!ヒューマニズム批判を沸き起こしてるのは、テメー等の『人権意識』の限界性なんだよ!ちっとは『正義の座』から降りて、物事を平たく考えてみやがれ!寺から出ても、『寺意識』『僧侶意識』のままじゃないか!」

 あかん、キレて来た。。。

http://8025.teacup.com/erovows/bbs


[202] 更新ページ 投稿者:河合由美子 投稿日:2005/07/24(Sun) 03:15  

★ナンナンちゃんはやっぱり美味かった(写真追加版)

http://www.nurs.or.jp/~tenko/iwaki/nannan.html


[201] 無題 投稿者:shoko 投稿日:2005/07/23(Sat) 23:20  

なんだかもめてるようだけどなにもtenkoさんのBBSでやらなくてもいいのでは…と思うのですが。
特に岩城氏の粘着質な文章はとても不快です(おっしゃっているこのの真偽ではなく、表現方法が)
どうもこのような人とおつきあいのあるtenkoさんは大丈夫なのだろうか?との不安があるのですが私だけなのでしょうか。


[200] いわき様へ 投稿者:大山雄野 投稿日:2005/07/23(Sat) 22:53  

ありゃ?
もう終わりなの?

>大山クンよ。
わしは、わしのいうことが、最初からきみに解るとは思ってないし、又、
解らせるために書いているわけでもない。
わしにそんな義務もないし、暇もない。
大山くん、残念だがそれだけのことだよ。

>まあ、暑い日が続く。くれぐれもお脳のほう、大事にしたまえよ。

>でわ、お大事に。


では、一連のやりとりを、わたしの知り合いのNPO「翼」最高顧問の漱水さんにお願いして、今度の別冊『路』8月号で、とりあげてもらうことにしますね。

問題があるなら、おっしゃってくださいね。

いわきVS大山 どっちがアホか?
みたいな題名で、漱水さんに編集してもらいますから。

では、いわき様も、お体お大事になさってください。
さようなら〜



[199] 真説:ナンナンちゃんはやっぱり美味かった 投稿者:いわきはるお 投稿日:2005/07/23(Sat) 10:45  

みなさん、聞いてください。告白します。
隠していても、いずれバレることです。
こういうことは、いつまでも隠しおおせるものではありません。いっそ正直に暴露します。ほんとうのことをすべて洗いざらいぶちまけます。
そのほうがよほど気楽だからです。
なんのことかって?
例の「ナンナン」ちゃんのことですよ。
ほら、杉原さんが飼っていた猫ちゃんのことです。
行方が知れず、わたくし岩城が虐待したと、陰口を囁かれている例の猫ちゃんのことです。
えー、えー、神に誓ってわたしは虐待なんかしておりません。
そう思われるのは心外ですが、わたしの不徳のいたすところでしょう。
でも虐待はしておりません。じつは、食べました。
はい。
ナンナンちゃん、猫鍋にして食べたんです。

杉原さんが猫可愛がりに育ててきたナンナンちゃんのことですので、思ったとおりとても美味でございました。肉質もやわらかく、軟骨はこりこりと歯ごたえがあって、淡白な、とても上品な味でした。少々泡が目立って困りましたが、これは猫鍋に特有のことですので、この程度の難点は我慢しなければならないでしょう。
青果市場から拾ってきたネギをふんだんに入れ、ニンニクのかわりにショウガで臭みを消し、お豆腐とお揚げでいろどりを添えました。
このおいしい猫鍋を、
生まれつき顔が真っ黒なホームレス「ニューギニア木村」、両足糖尿切断車椅子ホームレスおじさん、校長先生顔の凶暴ホームレス男田村。そしてわたくし岩城の四人で、舌鼓を打って食べました。
三角公園という特殊な場所での野外鍋ですので、この四人のほか食べた人はこれ以上いちいち覚えておりません。


猫鍋に関してはじつはわたくし、八年前、ベトナムから帰国した女性から詳しく聞いて知っておりました。
ベトナムでは猫を好んで食するそうです。
ベトナムで猫を食することは虐待ではなく、アメリカ人が牛を食い、日本人が秋刀魚を食い、北極原住民が白熊を喰うのと同じく、生活の一部であり一種の食文化であります。
かれらにとっては、むしろ野生の動物をペット=玩具として「飼い慣らす」ことこそが動物愛どころか「虐待」なのです。

わたしもじつは「ナンナン」ちゃんをまさか食べようなどとは夢にも思っておりませんでした。
ところが、このクソ暑い夏です。わたしたちホームレス仲間はたんぱく質不足でグロッキーでした。
両足糖尿切断車椅子おじさんはシケモクを拾うのに疲れて炎天下で上半身裸で伸びておりましたし、生まれつきアフリカ人のように手も体も顔も真っ黒けのケーの「ニューギニア木村」も空き缶ひろいに疲れ、黒ずんだ目をしておりました。
校長先生のように髭をたくわえた、威厳と品格のある面がまえの田村は、その顔つきとは裏腹に単純素朴な凶暴性を秘めている単なる危険きわまりない中年男にすぎないのですが、こいつも三日も何も喰わずに疲れ果て脱力しておりました。
そこへ「ナンナン」ちゃんの登場です。
猫愛好家にして博愛主義者、動物愛護家の京都某寺の住職とかいう蓮月をはじめ、杉原のお友達みなから引取りを断られた、あわれな「ナンナン」ちゃんがつれてこられたのです。
こいつを喰わない手はありません。

じつはわたくしお恥ずかしいお話ですが「ナンナン」ちゃんの首をしめるとき、ずいぶん躊躇しました。
抱きしめると、心臓の鼓動と生温かい体温が手の平に伝わってくるのです。それは厳粛な生命そのものの感触でした。
ヒューマニストを気取って「どうしょうかなー、いや、やっぱりおれにはできないや」、などと皆の前で善人を気取った一人芝居を演じていると、昔から三角公園にたむろしている六十過ぎの狂人のホームレスお婆さん、(この人はとてもおとなしい狂女で、この十年、彼女が他人に毒づく姿を見たことがなかったのですが)この狂女が物凄い剣幕で怒りだしました。
「いつまで格好つけてるのよ! さっさと絞めるなら絞めなさい! 女の腐ったみたいに、いやらしい!」
わたしはその怒りのこもった激しいことばを聞いて、ハッと目が覚めたような気がしました。おれは釜ケ崎に巣食う嫌味な活動家と同じことをしている。これじゃあ動物愛護を自称する蓮月や死刑反対運動家の坂口や詐欺師博愛運動家の東(西岡)や、日雇いを「仲間」といいながら辱め虐待する釜ケ崎日雇い労働組合委員長、山田実らと同じ穴のムジナではないか!
狂ったおばさんのおかげで、自分がとても恥ずかしい振る舞いを演じていたことに気づかされました。心の底から恥じました。ニンゲンはどんなに格好をつけたところで、これまでずーっと生き物を殺して生きてきたのです。これからもそうです。喰うために動物を殺す場合、なんの弁解もいらないのです。

さて、首を絞めてぐったりした「ナンナン」ちゃんを三角公園の銀杏の木に大の字に吊るし、全身をぐらぐらに沸騰した熱湯に漬けました。
こうすると毛がむしりやすくなるのです。
「毛むしり」は部落で育ってニワトリの毛をよくむしったことがあるという「ニューギニア木村」が担当しました。
笑うと白い歯が目立つ木村はケケケと笑って上機嫌でした。
腸(はらわた)を引っ張り出して、きれいに血合いを洗い、おいしそうなホルモンと喰えない内臓に分けるのは、もと板前の両足糖尿切断車椅子おじさんの得意とするところでした。「ナンナン」ちゃんの金玉、おっと失礼、睾丸も輪切りにして新鮮な刺身にいたしました。


「ニューギニア木村」は、毛をむしるだけでなく、きれいに皮も剥いでくれました。ナンナンちゃんの一枚皮です。
猫の皮は伸縮性がいいので、なめして、あとでTパックの猫柄パンツを作るつもりでした。そのパンツはもちろん、猫愛好家の蓮月さんに送って、蓮月さんにはいてもらい、彼女が住職を務めるお寺の本堂で、彼女おとくいの前衛ダンスでも踊っていただければ、ナンナンちゃんも本望だろうと思っております。
蓮月さま、ナンナンちゃんのTバックパンツ、多分、近日中にお届けすると思います。いえいえ、お中元のつもりで頂いてください。

それからナンナンちゃんの頭。これどうしょましょう?
「ピアノ売ってちょ〜だい」のあの猫みたく、頭と両手だけお鍋に残ったんです。だれか貰ってくれないかと、今うんうん、なんなんうなっております。


いずれにせよ、わたしがまさかナンナンちゃんを虐待! などしでかしてはいなこと、これで皆様にはおわかりでしょう。
虐待どころか、その命をきれいに頂きました。
ナンナンちゃんの命は多くの人たちの身肉となって現に今も生きております。

虐待というのは、たとえば、自分の都合で、ペットとして飼い慣らした動物を自分の都合で捨てることをいいます。
あるいは自分なしには生きられないように育て、自分をご主人様と思い込ませることをいいます。つまり生命のペット化です。
自称動物愛護家は「生命のペット化」というソフトで深刻な虐待を平気で繰り返しております。
とくに気取った坊主に多いですね。
それにくらべて、殺して喰うという行為のなんと崇高なことでしょう。ここでは一切の弁解は通用いたしません。はい。

蓮月とかいう坊主たちは、自分たちが受け取りを拒否したくせに、潔く引き受けを承諾したこのたわたしに対し、陰口を叩き、あらぬ中傷を振りまき、猫がどこへ逃げたのか、どうして逃がしたのかわたしに問いただすという。

わたしにはわかりかねます。
この人らは、いったいどういう神経をしているのでございましょうか?
この人たちは、今朝なにを食べたのでございましょうか? 夜は何を食べたのでございましょうか? 魚でしょうか。豚でしょうか。卵でしょうか。牛乳でしょうか。しこたま動物を食らっておいて動物虐待反対?
はぁ〜? 
で、その一方で動物たちをペットに仕込む。それが動物愛だとすました顔をしている。本末転倒もはなはだしいとは思いませぬか。
しかも四国のアホ坊主にいたっては「(岩城というのは)猫というものを知らないやつですな」オッホッホと笑ったというではございませんか。
文化人を気取りたいのなら、或いは僧侶を気取りたいのなら、博愛家を気取りたいのなら、まずその手で猫の首を絞めてごらん。
でなければとても博愛だの動物愛護だの言う資格はないよ。
三角公園の狂った老女に「卑怯者」と罵られるのがおちだ。もっとも俺たちと違って物事の本質を見る能力の欠如したこういう鈍い連中には彼女の恫喝など屁でもないだろうが。

いずれにせよわたくしンナンちゃんを食いました。はい、たらふく食いました。ちょうど今日あたりナンナンちゃんのウンコが出るんじゃないかな。蓮月さま、検便にして送りましょうか?




          「小説・なんなんちゃんはやっぱり美味かった 完」













[198] 大山君へ 投稿者:岩城 投稿日:2005/07/23(Sat) 10:41  

>何をおっしゃっているのか、全くわかりません。

大山クンよ。
わしは、わしのいうことが、最初からきみに解るとは思ってないし、又、
解らせるために書いているわけでもない。
わしにそんな義務もないし、暇もない。
大山くん、残念だがそれだけのことだよ。

まあ、暑い日が続く。くれぐれもお脳のほう、大事にしたまえよ。

でわ、お大事に。


[197] いわき様へ 投稿者:大山雄野 投稿日:2005/07/22(Fri) 23:43  


まず、以下の文章ですが、わたしの頭がわるいのか、何をおっしゃっているのか、全くわかりません。もう少しバカのわたしでもわかるように理論整然とお書きになっていただけたら嬉しく思います。とくに「このことを踏まえて」の「このこと」が何を指示しているのか不明です。

>おたくが、だれかを信じているとして、わしに対してこういうのなまだらいい。
「岩城さん、あなたが東さんのことを何と言おうと、わたしは東さんを信じています。
ですからあなたが何を書こうとわたしはあなたのいうことを信じません」
これなら結構。おたくの勝手だ。
こういう言い方なら、わしは何も言わない。反論もしない。
ところがおまえさんは、このことを踏まえて、更に、わしにこう要求してきた。
「東さんに謝罪しろ」
うん? わかるかな? このことのおかしさが。

次に以下の文章も主語述語がまったくはっきりしておらず、何をおっしゃりたいのか全く不明です。小学生レベルのわたしの頭でもわかるように、主語述語など明確にして文章を書いてください。お願いします。


>おたくが東を信じることはかまわない。それはあくまでおたくの主観の問題だからだ。
ところが、そこから一歩踏み出して、だれかに対して謝罪を求めるとなると
客観的な証拠にもとずく論証が必要になるということだ。
つまり、おたくのいうところの根拠のない「悪口」であることを明証しなければ、
おたくは他人に何事かを要求することはできないんだよ。
単に主観的に信じているからだけではだめなんだ。
そんなことだけでなんでも他人に要求できるのなら世の中めちゃくちゃになる。
これは、小学生にもわかることだ。


さらに以下の文章も何をいいたいのか、意味不明です。いわきさまこそ自分の書いた文章を「おかしいと思わないの」でしょうか?


>きみが誰かに(この場合、東を信じていようがいまいが関係なく)
だれか他者に向かって何かを求めるときには必ず必要となること、それが客観的な明証性だ。
それがきみにはわかっていない。きみが東を信じているのなら、わしの言うことを信じなければいい。
それだけでよかったんだ。でなくおたくはわしに、さらに「謝罪」を要求してきた。
この条理の飛躍を、きみはおかしいと思わないのかい?

>メールの場合も同じ。
きみはまずわしに「メールで話し合えませんか?」とお願いもしくは要求をすべきだったのだ。

はあ、要求したつもりなんですが・・・


>うん? ここまでコンセツテイネイに話せばもうわかったかね?


主語述語なく、意味不明の文章だらけで、なにをいいたいのか、全くわかりません。


>これでわからなきゃ、もう相手にしないよ。

え?もう相手にしてくれないんですか?
逃げるおつもりですか?
ああ〜残念だな〜。逃げちゃうなんて・・・


>きみはいつもこうなんだよ。他者性が欠如しているんだ。

他者性が欠如している、とはどういう意味ですか?
えらい難しいいいまわしですね。
もしかしてレビナスとかの用語ですか?

>だからね、謝罪を要求するのも強要するのもわしのなかでは同じことなんだ。
うん? わかるかな? 

あなたの中で同じだ、ということはわかりましたが・・・
わたしの中で同じではないのですけども・・・

>べつにわからなくても結構だよ。次、

わかりたいので、明晰判明な説明をよろしくお願いします。

>おたくがそこまでいうのなら、明日でも浪速警察署へいって改めて被害届けを出すことになるよ?
うん? それでもいいんだね?

はい、どうぞ。

>改悛の情もなく、逆にわしに謝罪を要求してくるとなれば
これは一種のお礼参り(復讐)だ。
暴行、殺人未遂として、再度、被害届けを出すことになる。
これはハッキリいっておく。いいのだね?

被害届けでもなんでもおだしくださいませませ。

>せっかく被害届けを思いとどまってやったのに、

思いとどまらなくてもいいですよ。
というか、出す勇気がないのですかね?なんかそんな気がしますが。まあ気のせいでしょうね・・・

>おまえさんは東の意を受けて、さらにわしを脅してきた。

脅した覚えはございませんが・・・
脅した部分をお示しくださいませませ。

___________

さて、わたしがいわき様に質問されたことについて、いわきさまは、全くお答えになっておられないので、もう一度お聞きいたします。どうか、冷静に読んでくださいね。カッカしないで。そしたらたぶん主語述語のあるきちんとした文章がお書きになれるかと思います。

●幼稚なことを書いた覚えはありません。
書いた部分があるならば、ご指摘ください。


●あなたはここで「おまえの犯罪性」と書いています。
すなわちわたしが犯罪を犯したとでもいいたげです。
わたしがいつどのような犯罪を犯したのか、お示しください。

●>ヤクザでないのなら、きちっと、どこが事実無根な誹謗であるかちゃんと論証しろ。

わたしの頭が悪いせいか、この文章の意味がわかりません。
頭の悪いわたしにもわかるように書いてください。
おそらく主語が抜けているかと思われますが・・・


次に、もう一度、わたしの主張をいっておきます。
まず、わたしが故人のものを正式な許可なく持ち帰ったことをお詫びいたします。そして持ち帰ったものは、いついかなる場所でもお返しいたします。御連絡ください。

次に、いわき様は、わたしの大切な友人である東さんを誹謗しております。そのことに対する謝罪を求めます。仮に、謝罪がない場合、いわき様を、名誉毀損で訴える可能性もありますことを通告しておきます。ついでにもうしますと、いわき様は、わたしを誹謗しておりまして、その点は別にかまわないのですが、まあ、名誉毀損で訴える可能性もありうることを指摘しておきます。いちおう。

いわき様の誠意ある回答をお待ちしています。
なお、メールでは一切うけつけません。
いわき様のほうから、メールではやらないとおっしゃっているからです。メールで「ごめん」といっても、そのメールは無視します。この場で、謝罪してください。東さんの悪口をいったことを。

以上、よろしくお願いします。
暑い日々が続いています。
あまりカッカされると、頭に血がのぼってよけいにあつくなるので、どうか冷静にお読みくださいね。








[195] 大山くんへ 投稿者:岩城 投稿日:2005/07/22(Fri) 17:16  

>幼稚なことを書いた覚えはありません。
>書いた部分があるならば、ご指摘ください。

ったく、困ったお子様だな。
しょうがない。懇切丁寧に、「おまえさんのどこが幼稚であるか」解説してあげましょう。まず、

おまえさんが、だれかを信じることはおまえさまの勝手だ。
わしはそれをやめろといっているのではない。また、
だれかを盲目的に信じることが悪いとも、いけないとも言ってない。
わしがおたくを「幼稚」だと書いたのは、
だれかを信じていることと、謝罪しろと要求することの間にある、おまえさんの論理の飛躍を指摘したのだよ。
おたくの頭が、ある部分でねじれて、おかしくなっていることを注意してやったのだよ。

おたくが、だれかを信じているとして、わしに対してこういうのなまだらいい。
「岩城さん、あなたが東さんのことを何と言おうと、わたしは東さんを信じています。
ですからあなたが何を書こうとわたしはあなたのいうことを信じません」
これなら結構。おたくの勝手だ。
こういう言い方なら、わしは何も言わない。反論もしない。
ところがおまえさんは、このことを踏まえて、更に、わしにこう要求してきた。
「東さんに謝罪しろ」
うん? わかるかな? このことのおかしさが。
こうなると、まったくの論理の飛躍なんだよ。
おたくが東を信じることはかまわない。それはあくまでおたくの主観の問題だからだ。
ところが、そこから一歩踏み出して、だれかに対して謝罪を求めるとなると
客観的な証拠にもとずく論証が必要になるということだ。
つまり、おたくのいうところの根拠のない「悪口」であることを明証しなければ、
おたくは他人に何事かを要求することはできないんだよ。
単に主観的に信じているからだけではだめなんだ。
そんなことだけでなんでも他人に要求できるのなら世の中めちゃくちゃになる。
これは、小学生にもわかることだ。
きみが誰かに(この場合、東を信じていようがいまいが関係なく)
だれか他者に向かって何かを求めるときには必ず必要となること、それが客観的な明証性だ。
それがきみにはわかっていない。きみが東を信じているのなら、わしの言うことを信じなければいい。
それだけでよかったんだ。でなくおたくはわしに、さらに「謝罪」を要求してきた。
この条理の飛躍を、きみはおかしいと思わないのかい?
だから小学生以下の低劣さだと斬って捨てざるを得なかったのだ。
メールの場合も同じ。
きみはまずわしに「メールで話し合えませんか?」とお願いもしくは要求をすべきだったのだ。
わたしの返事を聞くべきだったんだ。
ところがきみは(やはり)一方的にメールで話すことで決着したと思い込んでしまった。
これもやはり、わしに対する東への謝罪要求と同じく、一方的かつ主観的な思い込みだけで
相手が自分の思い通り動いて当然だというきみの狭量な考え方からきているのだよ。
うん? ここまでコンセツテイネイに話せばもうわかったかね?
これでわからなきゃ、もう相手にしないよ。
きみはいつもこうなんだよ。他者性が欠如しているんだ。
そんなこたあ、少しでもきみの文章を詠めばわかる。
更にいうならば、
謝罪というのは、相手に要求するものではないのだよ。
謝罪というものは相手の自発性にまかせるものであって、要求したうえでの謝罪というのは
本心からのものであるとはいえない。そんなものが謝罪であるとわしは思っていない。
要求したうえでの「謝罪」というのは、ほんとうの謝罪でなく単なる、要求する側の鬱憤ばらしなんだよ。
だからね、謝罪を要求するのも強要するのもわしのなかでは同じことなんだ。
うん? わかるかな? 
ま、わかるぐらいなら、コソ泥のような真似や、詐欺師のバシリなんかしないだろうから、
べつにわからなくても結構だよ。次、

>誹謗というのは、「他人の悪口をいうこと」です。
>あなたは、東さんの悪口を言っておられます。

だからね、悪口であるか事実であるか、きみがそれをはっきりさせる義務があるんだよ。
浪速警察署にいって聞いてくれば、わしの言っていることが事実であるかどうか、すぐハッキリするんだ。
わしは東に殺されかけたんだよ。
しかし刑事の説得で被害届けはやめてやったんだ。東こと西岡はおれに感謝すべきなんだよ。
ところが東こと西岡はその後、謝罪にも訪れていない。
警察でおれが強硬に被害届けを出しても良かったが、かわいそうだと思って引っ込めたんだ。
おたくがそこまでいうのなら、明日でも浪速警察署へいって改めて被害届けを出すことになるよ?
うん? それでもいいんだね?
改悛の情もなく、逆にわしに謝罪を要求してくるとなれば
これは一種のお礼参り(復讐)だ。
暴行、殺人未遂として、再度、被害届けを出すことになる。
これはハッキリいっておく。いいのだね?

>わたしがいつどのような犯罪を犯したのか、お示しください。ちなみに、いわき様、あなたは、「名誉毀損」という犯罪をすでに犯していることを指摘しておきます。

せっかく被害届けを思いとどまってやったのに、おまえさんは東の意を受けて、さらにわしを脅してきた。
「謝罪せよ」とね。なんの根拠も、論証もなくだ。どういうことがあったのか調べようともせずだ。
これが犯罪でなくて何だ?
わしは明日、改めて浪速警察署に出向き、こないだの件で脅迫を受けているので、やはり被害届けを出すことにしましたと言うしかなかろうね。
感謝してしかるべきなのに、逆におまえさんたちがわしを脅しにかかるから、こういうことになるのだよ。大山君。

やぶへびだったね。







[194] いわきさまへ 投稿者:大山雄野 投稿日:2005/07/22(Fri) 01:20  

コメント188を読まずに193を書いてしまいました。

>公けで始めた議論を、誰の眼にもとまらないところでやる気は最初からない。
今後もない。

以上、了解しました。
それでは、公開で討論することにします。
メールは結構です。

>大山とかよ。
おまえ、歳は何ぼじゃ?

26歳です。

>それが何だ、ガキじゃああるまいし。
あまりにも幼稚なことを書くんじゃないよ。

幼稚なことを書いた覚えはありません。
書いた部分があるならば、ご指摘ください。

>おれの発言のどこが事実と違うか(誹謗であるか)
>証拠をもとに論証して初めて、おれの発言が根拠のない誹>謗であると
>おれに言うことが出来るのだが。

誹謗というのは、「他人の悪口をいうこと」です。
あなたは、東さんの悪口を言っておられます。

>おまえはチンピラ・ヤクザか?

専門学校生です。

>当人でなく、その取り巻きが、何の反証も無く、ただ、親分を批判されたというだけで
謝罪を強要し、許さないと言って来る。

まず、わたしは東さんの子分ではありません。
わたしの大切な友人です。一度、書いてあるはずです。
ご覧下さい。
次に、東さんを「批判した」のではなく、あなたは「誹謗
」しました。(ついでに申しますと、わたしをも誹謗しています。)
次に「許さないぞ」などとは言った覚えはありません。
過去のコメントをもう一度冷静にごらんください。

>これだけちゃんとした根拠をもとにおれは東こと西岡やお前の犯罪性を
明らかにしたのだ!

あなたはここで「おまえの犯罪性」と書いています。
すなわちわたしが犯罪を犯したとでもいいたげです。
わたしがいつどのような犯罪を犯したのか、お示しください。
ちなみに、いわき様、あなたは、「名誉毀損」という犯罪をすでに犯していることを指摘しておきます。

>ヤクザでないのなら、きちっと、どこが事実無根な誹謗であるかちゃんと論証しろ。

わたしの頭が悪いせいか、この文章の意味がわかりません。
頭の悪いわたしにもわかるように書いてください。
おそらく主語が抜けているかと思われますが・・・


>しかもだな、お前はおれに謝罪を強要しておきながら、

強要などした覚えはありません。要求した覚えはあります。

>(「誤ります」じゃなく「謝ります」だ、ぼけ! お前は中学で国語も勉強してないのか)

中学では国語を勉強しました。
なお、パソコンで活字を打ち間違えたから、国語を勉強していない、という論理が成り立つならば、いわき様も国語を勉強しておられないということになりますね。

(>具にも付かない ←愚ですね。)

>二度とおれに近づくな。
今度おれに声をかけたら、覚悟しておけ。

はい。いつでも覚悟はしていますよ。
それより、いわき様こそ、このままでは名誉毀損で訴えられる可能性がありますので、覚悟してくださいね。

以上、「公開で」反論お待ちしています。













[193] いわき様へ 投稿者:大山雄野 投稿日:2005/07/22(Fri) 00:53  

いわき様

何度も重ねていいますが、
わたしへの批判・誹謗があるならば、メールで送っていただきたい。これで三度目です。メールがおくれないのならば、その旨を書いてください。

yuya.ohyama@nifty.ne.jp

次に、これも何度もいいますが、
わたしに非があるのならば、わたしはいついかなる場合でも謝ります。わたしがもっていったものをいついかなる場でもお返しする、と書いています。よく見てください。

次に、東さんを誹謗した件について。
重ねて謝罪を求めます。
謝罪がない場合、

不特定多数が見ることが出来る掲示板で東さんを誹謗したあなたを、名誉毀損で訴えるかもしれません。


なお、「誹謗」「謝罪」「名誉毀損」などの意味がわかられない場合は、辞書で調べてみてください。辞書をお持ちでないならば、図書館へいくか、あるいはネットででもお調べになってください。

これはわたしの勝手な想像ですが、あなたの言葉つかいから思われることは、あなたは他者を誹謗することを趣味にでもしておられる少し変わったお方です。(もちろん想像ですが)。それとも、一時的な怒りのため、我を失っているか、あるいはその他か。

他者を誹謗することによって生まれるものは何もありません。自らつくった罪は、つくった本人にかえってきます。

なお、重ねていいますが、わたしが故人のものを許可なく持ちかえったことを、お詫びします。

以上、紳士ある解答をお待ちしています。
よろしくお願いします。

大山。








[192] 血命 投稿者:kaa 投稿日:2005/07/22(Fri) 00:35  

頭だけでは机上の空論。
空を舞うから目も舞い放題。
血走った眼に映るのは、
狂った三日月の末裔。
だから身体ごと、
舞い踊るしかないのだ。



[191] クソ大山よ(改訂版) 投稿者:岩城 投稿日:2005/07/20(Wed) 14:29  

大山とかよ。
おまえ、歳は何ぼじゃ?
まさかー小学生じゃあー、あるまい。
いい歳の親父なんだろう?
それが何だ、ガキじゃああるまいし。
あまりにも幼稚なことを書くんじゃないよ。

>東さんを誹謗したあなたに、わたしはあなたの謝罪を求める。あるいは、コメント「174」を消去していただきたく思う。

↑これは何だ? ウン?
おれの言ったことが誹謗であるということは、事実と違うということだな。
だったら、子供じゃあるまいし、おれの発言のどこが事実と違うか(誹謗であるか)
証拠をもとに論証して初めて、おれの発言が根拠のない誹謗であると
おれに言うことが出来るのだが。
そんなことは小学生にも分かることだが。
お前はナニか、うん?
証拠も、論証も無く、ただ、「東さんを信じている」という主観的な信念だけを根拠におれに
東に謝罪しろと強要するのか?

一切の論証抜きでおれの発言は「誹謗」だから「謝れ」という。
何じゃコレは。おまえはチンピラ・ヤクザか?
ヤクザというのは、親分を信じているから、証拠も何もなくても
おれが親分を信じているのだからお前の発言は間違いだ。謝れといってくる。
大山とかよ、お前はそういうむちゃくちゃなことをおれに要求しているのだ。それがわかっているのか?
本来なら、おれにデタラメを指摘された東こと西岡がおれに謝罪を要求するのならわかる。
当人でなく、その取り巻きが、何の反証も無く、ただ、親分を批判されたというだけで
謝罪を強要し、許さないと言って来る。
なんだこれは。

おい! キチガイ大山よ。
おまえはとんでもなく失礼で、傲慢なことをおれに命令しているのだ。
おめの親分である東こと西岡に聞けばいいだろう。
東こと西岡は難波警察署の取調べで、おれを角棒で殴りかかったことを認めている。
これだけちゃんとした根拠をもとにおれは東こと西岡やお前の犯罪性を
明らかにしたのだ!
謝罪してもらいたいのは、こちらのほうだぜ。

それとも大山よ。
とことんヤクザなやり口でくるのかい?
それならそれなりの対応をしてやるぞ。
ヤクザでないのなら、きちっと、どこが事実無根な誹謗であるかちゃんと論証しろ。

しかもだな、お前はおれに謝罪を強要しておきながら、前段では矛盾したことにも

>わたしに非があったならば、非を認め、誤ります。

と書いている。(「誤ります」じゃなく「謝ります」だ、ぼけ! お前は中学で国語も勉強してないのか)
いったいどこに非があったのか、どこを自省したのか? これもまったく論証抜きだ。

おまらに特有の自分勝手な思い込みによる具にも付かないインネンの最たるものだ。

クソ大山よ。もう一度言う。二度とおれに近づくな。
今度おれに声をかけたら、覚悟しておけ。






[190] クソ大山よ 投稿者:岩城 投稿日:2005/07/20(Wed) 11:46  

大山とかよ。
おまえ、歳は何ぼじゃ?
まさかー小学生じゃあー、あるまい。
いい歳の親父なんだろう?
それが何だ、ガキじゃああるまいし。
あまりにも幼稚なことを書くんじゃないよ。

>東さんを誹謗したあなたに、わたしはあなたの謝罪を求める。あるいは、コメント「174」を消去していただきたく思う。

↑これは何だ? ウン?
おれの言ったことが誹謗であるということは、事実と違うということだな。
だったら、子供じゃあるまいし、おれの発言のどこが事実と違うか(誹謗であるか)
証拠をもとに論証して初めて、おれの発言が根拠のない誹謗であると
おれに言うことが出来るのだ。
そんなことは小学生にも分かることだ。

ところがお前は、一切の論証抜きでおれの発言は「誹謗」だから「謝れ」という。
何じゃコレは。おまえはチンペラ・ヤクザか?
それならそれなりの対応をしてやるぞ。
ヤクザでないのなら、きちっと、どこが事実無根な誹謗であるかちゃんと論証しろ。

しかもだな、お前はおれに謝罪を強要しておきながら、前段では矛盾したことにも

>わたしに非があったならば、非を認め、誤ります。

と書いている。
いったいどこに非があったのか、どこを自省したのか? これもまったく論証抜きだ。

おまらに特有の自分勝手な思い込みによる具にも付かないインネンの最たるものだ。

クソ大山よ。もう一度言う。二度とおれに近づくな。
しまいにはブチ切れるぞ。






[189] ナンナンちゃんはやっぱり美味かった?! 投稿者:岩城 投稿日:2005/07/20(Wed) 11:28  

あー、おどろいた。
開いた口がふさがらないとは、このことだ。
先般、自死で亡くなった杉原氏の遺品を、親の承諾も得ず漁りまわった人たちが、そのさい唯一、金にならない面倒な生き物=杉原の飼い猫を、他人に押し付けたのであるが、その連中が、やむをえず猫を引き受けたおれをぼろくそに批判・非難しているというのだ。

本末転倒もはなはだしい。

杉原とかつて同居していたという女性は、杉原に五年以上も音信不通だったのに、なぜか死んだとたんに現れ、勝手に荷物を運びだしたのだが、その後、京都の蓮月とかいう女性住職に猫を引き取ってもらうよう頼んだ。
が、あっさり断られた。
そこでこの女は、杉原と仲のよかった河合さんをここでも利用して、猫の引き取り手を捜すように依頼した。しかし、引き取り手がなかなかみつからなかった。他人に育てられた猫は厄介なものだ。まして杉原の場合は猫を外に出さないで自分の子供のように密室に閉じ込めるようにして文字通り猫可愛がりしていたから、今更ほかの人になつかないことは杉原の知り合いにはわかりきっていることだった。

結局、両足のない車椅子のホームレスのおじさんが引き受けると言ってくれた。まさか、自分の飯を食うこともできない野宿の、それも両足のない車椅子のおじさんが、人の猫を育てられるかどうか。常識で考えればわかることだが、このホームレスのおじさんは、だれも引き取ってくれないという河合さんの困った顔を見て、男気を発揮したのだった。気持ちはとてもうれしいが、どう考えても無茶な話である。

ところが、河合さんの報告を受けるとくだんの女は(まさかそんな人に大事な猫を預けないだろうと思っていたが)なんと! ほんとうに猫を籠に入れてやってきたのだ。
要するに、本心はもはや杉原の猫のことなど厄介物以外の何ものでもないと考えていたのだろう、としかおれには受け取れなかった。
男気を出したホームレスのおじさんも、猫も、あまりに不憫なので、ついついおれは、「じゃあだれか適当な飼い主が見つかるまでおれが当分引き取るよ」と言ってしまった。

ただし、おれの場合は、猫に限らず動物を飼うという行為は、人間のサディズムの発露だとしか考えていないので、生まれてからこの方、動物を飼ったことはない。動物の「命」(生命だけでなくその自由意志も)を大切にするのなら動物を飼わないのは当然の態度だとおれは思っている。

人間がペットを「飼い」「馴らす」のは、人間がもともとそういう風に権力から飼いならされる抑圧された社会的な存在だからだ。それ(人間の宿命)を、本来自由な動物にコピーして、自分たちの宿業を無知なペットに刷り込ませるのは、これは外見がどうであれ内実は残忍なサディズム以外の何物でもない。

だから、おれはいやいや猫を飼うにしても、一切束縛しないという方針だった。だから籠にもいれないし、部屋にも閉じ込めない。しかし水と餌はふんだんに用意して、あとは猫の気分にまかせるにした。
しかし、できるだけ猫が快適に暮らせるように、ずいぶん餌や猫の居場所には気を使ったつもりだ。河合さんと一生懸命、杉原が使っていた猫の食器を洗い、ゴキブリが何十匹もこびりついた猫の籠も洗って日干しし、快適な布団も用意した。

ところがである、ここまで努力しても、やはりというか、猫は翌朝にはすっぱり消えていた。おれはたぶん、杉原のアパートに戻ったのだろうと思った。猫は家に付くという。しかし、探す気にはなれなかった。どうせ杉原以外の者にはなかなか、なつかないように育てられたのだ。野生に戻れればいいし、野生に耐えられないで死ねば、それは宿命だろうと考えた。

いずれにしても損得抜きで、おれはやることはやった、と胸を張った。

ところがである! 猫の受け取りを断った女住職や、猫をおれに押し付けた女や、勝手に杉原のところから私物をもっていた人たちが、岩城が猫をどうにかしたと今になって非難しているというのだ!
いったいこの連中の破廉恥さはどうにかならないのか?

こんな馬鹿な話があるか! まず己らの薄みっともない行為を恥ろよ!
おれに猫を押し付けた女は、猫が居なくなったことを報告すると何と言ったか! 猫の行き先の心配をよそに、まず「籠を返してくれ」だった。「あれは私が買ったもので、高いのよ」
それならせめて綺麗に洗ってからおれに渡せよ。おれと河合さんがそういったものを洗うのにどんなに苦労したか。

猫を引き取ったおれに別に感謝してもらおうとも思わないが、なにをトチ狂ったのか、この恥知らずな人たちは、おれが猫を逃がしたということで、話に輪を付けておれを非難しているというのだ!

開いた口が塞がらない。あきれて臍が茶を沸かすとはこのことだ。自分たちの冷酷さを棚に上げて、おれを逆に非難し「猫が可愛そう、人間なんて死ねばいい」いったいなんのこっちゃ? 
それなら最初からおまえらが猫を引き取れよ。引取りを断って何が猫が可愛そうだ。「人間なんて死ね」だ。この薄ボケたゴミ溜め野郎、女坊主にクソ男坊主ども。おまえら坊主ですらないよ。坊主が動物を飼うか! ボケ!
てめえが動物愛護のつもりで猫を飼っていても、それは間違いなく猫への虐待なんだよ。
飼い馴らすということが、そもそもむごいことだという自覚も無いお前らに「猫がかわいそう」なんていわれたくねえよ。ぼけ。


蓮月だの坂口だの、四国の坊主だの橘だの、おまえたちはいったいどこまで破廉恥なんだ? 恥を知れ恥を!
おれと河合さんが杉原の死後どれだけ汗を流したと思っている!
何も知らないだろう。
知らなければ黙ってろ!

その上、おまえたち、おれが『労働者の家』から住人を追い出したなどというデマを流しているというではないか!

おい! 糞便以下の蓮月とかいう糞女、その取り巻きの糞野郎ども! 何も知らないで寝言をいうものじゃないぜ。
『労働者の家』は当時、管理をしていた西という馬鹿がなにもせずに放置していたものだから、覚せい剤の密売人の巣窟になっていたんだ! 覚せい剤の注射器がごろごろして、あとの奴はもう酒乱やアルコール依存症の糞どもで、そういう連中のの溜まり場だった。かれらが飲む酒のこぼれ酒ビールの液らと、垂れ流す小便で二十四時間板の床が濡れて乾くときがなかったというような想像を絶する状態だったんだ!

 管理をまかされていた西という馬鹿がほったらかしていたから『労働者の家』は末期的な状態だったんだよ。そんなでたらめな状況を知った上で、おれがかれらを追い出すのに命がけの行為をしたことを承知で批判しているのか? ええ?!
こら、いい加減にしろよ。

『労働者の家』に入ったこともなければ、修理のために一本の釘を打ったこともない、無責任な糞便野郎に限って、知りもしないでデマを垂れ流す。
言っちゃ悪いが、おれは「労働者の家」に居た真面目な人たちの大部分の人たちを、すべて生活保護にしてアパートを持てるように動いたし、自分で言うのもなんだが体を張って面倒をみてきた。だから、ここを出ていった人と道であっても相手に萎縮するほど身を縮めて感謝の言葉をかけられることがあっても後ろ指をさされたことは一度もない!

おれを批判したり非難するのは、お前らのような、『労働者の家』の当時のことを何もしらないクソだけだ。ばかばかしくて話にもならないハイエナ野郎どもよ!おまえらについて言及するのはこれが最後だ。
糞便ども! 俺の前から永久に失せろ!




[188] クソ大山よ 投稿者:岩城 投稿日:2005/07/20(Wed) 11:27  

メールを送ってくださいというのはおまえの側の一方的な要望だろう?
いつのまにそれが決定事項になったのだ?ウン?
おれの都合、考えはおまえの勘定には最初から入っていないのか?
良いか。クソよ。
おまえら自称文化人インテリ気取りの連中のいけないところはそこだ。
交渉ごとには必ず相手がいる。相手の承諾を得てはじめて己の要望が既定事項になるのだ。
それぐらいのことは小学生にも分かることだ。
おまえにはそれも分からんか?

分からなければ言ってやる。
公けで始めた議論を、誰の眼にもとまらないところでやる気は最初からない。
今後もない。
というか、お前、おれに気安く口を利くな。
こんどおれに何か喋っても一切相手にしないどころか、おれの気分が悪いときには殴るかも知れないぞ。
このうすら基地外野郎!


[187] いわき様へ 投稿者:大山雄野 投稿日:2005/07/20(Wed) 00:21  

>大山とかいう、N詐欺師・西岡=東の片棒かつぎへ

>大山よ、よく聞け。
>おまえの親分、東こと西岡(笑い。。。いったいこいつに>は幾つ偽名があるのか!?)
>このクソ野郎がやったこと、表沙汰にするとかわいそうな>ので、できれば、ここで明らかにしたくなかったが
しょうがない、事実に基づいてこの詐欺師の実態をここに暴露する。


わたしを批判するなら、わたし個人にメールを送っていただきたいと、述べたはずです。

さらに、あなたは、東さんがいないところで、東さんを一方的に批判しています。

わたしに非があったならば、非を認め、誤ります。
しかるに、根拠なき誹謗・中傷には、断固として許すことはできません。

いわき様

あなたがいかなる人物か知りませんが、
わたしは、東さんがどのような人物かあなた以上に知っています。

東さんを誹謗したあなたに、わたしはあなたの謝罪を求める。あるいは、コメント「174」を消去していただきたく思う。

以上、よろしくお願いします。




[186] ナンナンチャンはやっぱり美味かった?! 投稿者:岩城 投稿日:2005/07/19(Tue) 23:02  

あー、おどろいた。
開いた口がふさがらないとは、このことだ。
先般、自死で亡くなった杉原氏の遺品を、親の承諾も得ず漁りまわった人たちが、そのさい唯一、金にならない面倒な生き物=杉原の飼い猫を、他人に押し付けたのであるが、その連中が、やむをえず猫を引き受けたおれをぼろくそに批判・非難しているというのだ。

本末転倒もはなはだしい。

杉原とかつて同居していたという女性は、杉原に五年以上も音信不通だったのに、なぜか死んだとたんに現れ、勝手に荷物を運びだしたのだが、その後、京都の蓮月とかいう女性住職に猫を引き取ってもらうよう頼んだ。
が、あっさり断られた。
そこでこの女は、杉原と仲のよかった河合さんをここでも利用して、猫の引き取り手を捜すように依頼した。しかし、引き取り手がなかなかみつからなかった。他人に育てられた猫は厄介なものだ。まして杉原の場合は猫を外に出さないで自分の子供のように密室に閉じ込めるようにして文字通り猫可愛がりしていたから、今更ほかの人になつかないことは杉原の知り合いにはわかりきっていることだった。

結局、両足のない車椅子のホームレスのおじさんが引き受けると言ってくれた。まさか、自分の飯を食うこともできない野宿の、それも両足のない車椅子のおじさんが、人の猫を育てられるかどうか。常識で考えればわかることだが、このホームレスのおじさんは、だれも引き取ってくれないという河合さんの困った顔を見て、男気を発揮したのだった。気持ちはとてもうれしいが、どう考えても無茶な話である。

ところが、河合さんの報告を受けるとくだんの女は(まさかそんな人に大事な猫を預けないだろうと思っていたが)なんと! ほんとうに猫を籠に入れてやってきたのだ。
要するに、本心はもはや杉原の猫のことなど厄介物以外の何ものでもないと考えていたのだろう、としかおれには受け取れなかった。
男気を出したホームレスのおじさんも、猫も、あまりに不憫なので、ついついおれは、「じゃあだれか適当な飼い主が見つかるまでおれが当分引き取るよ」と言ってしまった。

ただし、おれの場合は、猫に限らず動物を飼うという行為は、人間のサディズムの発露だとしか考えていないので、生まれてからこの方、動物を飼ったことはない。動物の「命」(生命だけでなくその自由意志も)を大切にするのなら動物を飼わないのは当然の態度だとおれは思っている。

人間がペットを「飼い」「馴らす」のは、人間がもともとそういう風に権力から飼いならされる抑圧された社会的な存在だからだ。それ(人間の宿命)を、本来自由な動物にコピーして、自分たちの宿業を無知なペットに刷り込ませるのは、これは外見がどうであれ内実は残忍なサディズム以外の何物でもない。

だから、おれはいやいや猫を飼うにしても、一切束縛しないという方針だった。だから籠にもいれないし、部屋にも閉じ込めない。しかし水と餌はふんだんに用意して、あとは猫の気分にまかせるにした。
しかし、できるだけ猫が快適に暮らせるように、ずいぶん餌や猫の居場所には気を使ったつもりだ。河合さんと一生懸命、杉原が使っていた猫の食器を洗い、ゴキブリが何十匹もこびりついた猫の籠も洗って日干しし、快適な布団も用意した。

ところがである、ここまで努力しても、やはりというか、猫は翌朝にはすっぱり消えていた。おれはたぶん、杉原のアパートに戻ったのだろうと思った。猫は家に付くという。しかし、探す気にはなれなかった。どうせ杉原以外の者にはなかなか、なつかないように育てられたのだ。野生に戻れればいいし、野生に耐えられないで死ねば、それは宿命だろうと考えた。

いずれにしても損得抜きで、おれはやることはやった、と胸を張った。

ところがである! 猫の受け取りを断った女住職や、猫をおれに押し付けた女や、勝手に杉原のところから私物をもっていた人たちが、岩城が猫をどうにかしたと今になって非難しているというのだ!
いったいこの連中の破廉恥さはどうにかならないのか?

こんな馬鹿な話があるか! まず己らの薄みっともない行為を恥ろよ!
おれに猫を押し付けた女は、猫が居なくなったことを報告すると何と言ったか! 猫の行き先の心配をよそに、まず「籠を返してくれ」だった。「あれは私が買ったもので、高いのよ」
それならせめて綺麗に洗ってからおれに渡せよ。おれと河合さんがそういったものを洗うのにどんなに苦労したか。

猫を引き取ったおれに別に感謝してもらおうとも思わないが、なにをトチ狂ったのか、この恥知らずな人たちは、おれが猫を逃がしたということで、話に輪を付けておれを非難しているというのだ!

開いた口が塞がらない。あきれて臍が茶を沸かすとはこのことだ。自分たちの冷酷さを棚に上げて、おれを逆に非難し「猫が可愛そう、人間なんて死ねばいい」いったいなんのこっちゃ? 
それなら最初からおまえらが猫を引き取れよ。引取りを断って何が猫が可愛そうだ。「人間なんて死ね」だ。この薄ボケたゴミ溜め野郎、女坊主にクソ男坊主ども。おまえら坊主ですらないよ。坊主が動物を飼うか! ボケ!
てめえが動物愛護のつもりで猫を飼っていても、それは間違いなく猫への虐待なんだよ。
飼い馴らすということが、そもそもむごいことだという自覚も無いお前らに「猫がかわいそう」なんていわれたくねえよ。ぼけ。


蓮月だの坂口だの、四国の坊主だの橘だの、おまえたちはいったいどこまで破廉恥なんだ? 恥を知れ恥を!
おれと河合さんが杉原の死後どれだけ汗を流したと思っている!
何も知らないだろう。
知らなければ黙ってろ!

その上、おまえたち、おれが『労働者の家』から住人を追い出したなどというデマを流しているというではないか!

おい! 糞便以下の蓮月とかいう糞女、その取り巻きの糞野郎ども! 何も知らないで寝言をいうものじゃないぜ。
『労働者の家』は当時、管理をしていた西という馬鹿がなにもせずに放置していたものだから、覚せい剤の密売人の巣窟になっていたんだ! 覚せい剤の注射器がごろごろして、あとの奴はもう酒乱やアルコール依存症の糞どもで、そういう連中のの溜まり場だった。かれらが飲む酒のこぼれ酒ビールの液らと、垂れ流す小便で二十四時間板の床が濡れて乾くときがなかったというような想像を絶する状態だったんだ!

 管理をまかされていた西という馬鹿がほったらかしていたから『労働者の家』は末期的な状態だったんだよ。そんなでたらめな状況を知った上で、おれがかれらを追い出すのに命がけの行為をしたことを承知で批判しているのか? ええ?!
こら、いい加減にしろよ。

『労働者の家』に入ったこともなければ、修理のために一本の釘を打ったこともない、無責任な糞便野郎に限って、知りもしないでデマを垂れ流す。
言っちゃ悪いが、おれは「労働者の家」に居た真面目な人たちの大部分の人たちを、すべて生活保護にしてアパートを持てるように動いたし、自分で言うのもなんだが体を張って面倒をみてきた。だから、ここを出ていった人と道であっても相手に萎縮するほど身を縮めて感謝の言葉をかけられることがあっても後ろ指をさされたことは一度もない!

おれを批判したり非難するのは、お前らのような、『労働者の家』の当時のことを何もしらないクソだけだ。ばかばかしくて話にもならないハイエナ野郎どもよ!おまえらについて言及するのはこれが最後だ。
糞便ども! 俺の前から永久に失せろ!






[184] 無題 投稿者:テスト 投稿日:2005/07/19(Tue) 13:48  

<font color=red>
テスト


[183] 無題 投稿者:テスト 投稿日:2005/07/19(Tue) 13:47  

<font color=pink>
テスト


[182] ここは、どこですか 投稿者:ONLY 投稿日:2005/07/18(Mon) 21:58  

 パラサイト聖書(準備中)から戻って、迷いこんだのですが。ぼくは去年の12月から「日本ひきこもり協会」を開設した者です。参照先にアドレスを書いておきます。簡単な自己紹介もしているので、ぼくが何者だと思われる方はお楽しみください。
 ぼくの檀家は禅宗です。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~only/


[181] 次回期日 投稿者:質問者 投稿日:2005/07/13(Wed) 23:13  

稲垣さんの次回期日はいつですか


[180] Re:[179] 反日か左翼かアジアか知らぬが 敵?さえも愛します 投稿者: Maledetti vi amero 投稿日:2005/07/11(Mon) 04:21  

まさに宗教=アヘン あなた達の罪を赦す  
http://give-peace-a-chance.jp/pnkj/index.html

http://give-peace-a-chance.jp/pnkj/project/917_2004/advocate_list.html
1974年日本カトリック司教協議会の組織改正にともない日本カトリック
正義と平和が設立され、新たに発足した社会司教委員会のもとで活動を続ける
(担当司教:相馬信夫  会長:武者小路公秀  秘書:斉藤恵彦 )
   
    

http://www.nipponkaigi.org/


[179] 反日か左翼かアジアか知らぬが 敵?さえも愛します 投稿者: Maledetti vi amero 投稿日:2005/07/11(Mon) 03:20  

http://www.jade.dti.ne.jp/~jpj/indexJP.html

http://www.jca.apc.org/ncc-j/index.html

http://www.jade.dti.ne.jp/~jpj/jp-moyoshi.html#kyouseinoajia

http://www.h2.dion.ne.jp/~kaihou/
 祈りの言葉
 祈りの言葉は各教会によって定められるものですが、参考として下記の祈りを提案します。
*「部落差別がなくなりますように」
*「部落差別をなくすために共に働くことができますように」
*「部落差別に負けないで生きることができますように」
*「部落差別に出会ったら『間違っている』と言える勇気と力が与えられますように」
*「すべての差別がなくなりますように」
*「差別の痛みがわかる人間になれますように」
*「差別をしない人になれますように」
*「様々な差別の現実にしっかり向き合うことができますように」
*「差別を生み出す社会を変えていくことができますように」
*「部落解放を証する教会になれますように」
*「教団部落解放センターの活動募金が満たされますように」

http://www.bll.gr.jp/

http://www.blhrri.org/

http://www.blhrri.org/news/blhrri_news/news.htm

http://www.nipponkaigi.org/


[178] 名古屋にて 投稿者:★あき★ 投稿日:2005/07/10(Sun) 21:54  

初めまして。
↓のりんさんと同じく、「私を見つめて」を名古屋に見に行きました。
最近結婚したばかりの旦那も連れてど真ん中で陣取ってみました。
摂食障害や鬱をわずらったまま結婚したので、相手にもわかってほしくて連れて行ったのですが、色々ためになりました。

帰りにtenkoさんとお話が出来たらいいなぁと彼と少しはなれたところで、順番を待っていたのですが、他の方ともお話をされていたので、今回は帰ってしまいました(残念)。

見に行く機会があって本当に良かったです。


[177] 名古屋で 投稿者:りん 投稿日:2005/07/10(Sun) 09:29  

 昨日、名古屋で「私をみつめて」を見ました。
 貴重な映画が見ることができてよかったです。
 ありがとうございます。
 またお忙しいなか、帰りには一緒に話ができて嬉しかったです。私も乗り越えていけるようにがんばろうと思いました。ありがとうございました。
 帰りが大変になってしまったようで、本当に一日お疲れ様でした。


[176] 0時20分発 投稿者:tenko 投稿日:2005/07/10(Sun) 00:57  

の新幹線に乗ってます。


[175] 静岡地区大雨で 投稿者:tenko 投稿日:2005/07/09(Sat) 22:24  

新幹線動いてません…。叔父さんと名古屋駅にいます。


[174] 無題 投稿者:いわき 投稿日:2005/07/09(Sat) 08:45  

大山とかいう、N詐欺師・西岡=東の片棒かつぎへ

大山よ、よく聞け。
おまえの親分、東こと西岡(笑い。。。いったいこいつには幾つ偽名があるのか!?)
このクソ野郎がやったこと、表沙汰にするとかわいそうなので、できれば、ここで明らかにしたくなかったが
しょうがない、事実に基づいてこの詐欺師の実態をここに暴露する。

「NPO翼」というのはもちろん、大嘘である。
西岡のやっている「翼」はNPO法人ではない。
それどころか天ぷらもいいところだ。
もっともNPOだろうがなかろうが、そもそもNPOなんてものに価値を認めていないおれにすればどうでもいいことだが、
問題は、
NPOがいかにも大事に思っているこのクソ詐欺師野郎が、NPOをかたっていることだ。
しかもそれを機関紙?にまでいけしゃーしゃーと印刷している。
「NPOでもないのにNPOと書けばだれだって法人だと誤解するだろう。誤解を承知で印刷するのならそれは詐欺だ」
とおれは西岡に抗議た。
それのみならずこの男のいままでの嘘、詐欺、出鱈目の数々を指摘して
厳しく批判した。
西岡よ、忘れたとはいわせんぞ!
そもそも「NPOつばさ」という、昔から大阪にある有名な慈善団体とまぎらわしい。
それを承知で機関紙?を戸別訪問して売りに歩いている。
これでは詐欺かたりの類だ。

で、西岡よ。おれが出鱈目を指摘したとき、おまえはそのときおれに何をした? うん?

みなさん、用心してくださいよ!
この自称西岡、又の名を東は、五寸釘の何本も打たれた太い2メートルほどもある角材を工事現場から拾ってきて
おれを威嚇しながら罵りはじめたのだ。
そんなもので殴られれば確実に死ぬ。
隙を見て棒にくらいつき、西岡から角棒を取り上げようともみ合っているうちにこの馬鹿は自分から地面に倒れた。
このもみあいの間中おかしかったのは、
直前まで腰が痛いといって人を騙して同情を煽っていたこの男、ぴんぴんとしているのだ!

角材を取り上げ、この異常者を警察に引っ張っていったのだが、
浪速警察署のいうところでは、「精神異常者は罪にとえない」とか。
含みのある言い方で、調書をとっただけで警察は奴を釈放した。
これは憶測だが、おそらく四国の病院あたりから逃げてきたのだろう。

それはべつに構わない。構わないが、しかし、この馬鹿はおれが被害者なのに
周囲の人間に「いわきにやられた」とふれて歩いている。
ばかばかしいったらありゃしない。

こんな馬鹿を相手にしたくもないが杉原さんも西岡には批判的だった。
それを承知でこの大山とかいう男は、一面識もない人の通夜の席に現われ、通夜の客をニタニタ笑いながら見回し、
お棺もニタニタ笑いながら覗き、しかも河合さんが気持ち悪がっているに
あとをしつこく追いまわした。

その上、資料を盗んで行ったとは!
どうせまた似非NPOの機関紙?に悪用されるのが目に見えている!

吉田さんの書いているとおり、そもそも杉原の私物を勝手に処分した連中の神経が知れない。
わたしと河合さんは最後までお母さんと連絡をとり、その上で私物の処分の許可を得る
ことを基本にやってきたのに、わけのわからない連中が勝手に私物をめいめいで持っていった。
こんなことがあっていいのか!

もちろん、おれは杉原が死んでからは一度も部屋へは行ってない。
お母さんなりの許可を得れば別だが。
それは河合さんも同じで、彼女はお母さんと連絡をとるための電話帳を探しに入っただけ。(管理人さん立合いの上)。

たしか杉原は吉田さんから法衣をもらっていましたね。
一度しか袖を通さなかったと杉原は言ってたけど、あれ、どうなったのかな?




[173] いわき様へ 投稿者:大山雄野 投稿日:2005/07/05(Tue) 23:51  

>NPO翼?ふざけるな!この詐欺やロウ!

>どこがNPOだ! うそをつくのもいい加減にしろ!
>大山だと?てめえ、東とか言う詐欺師野郎の手下だろ!こ>の糞こそ泥やロウ!板が穢れる。杉原や仲間を冒涜するの>は
>?もうやめろ! このくそごみ野郎ども!

わたしを批判するなら、メールでお願いします。
yuya.ohyama@nifty.ne.jp

いわき様

あなたがどのような方が知りませんが、
私は、私の信念にもとづいて、生きています。
東さんは私の友人です。東さんを批判するのはやめていただきたい。

以上、よろしくお願いします。

なお、私が持ち帰ったものなら、いついかなる場所でもお返しします。メールにて御連絡ください。

許可なく持ち帰ったことをお詫びいたします。

大山。





[172] こそ泥 投稿者:吉田学 投稿日:2005/07/04(Mon) 00:25  

 もの凄く素朴な疑問なんですが、杉原さんの遺品って、部屋から持ち出して来る時に誰かの許可を取ったのでしょうか?
 取ったのなら、まあ、それは許可を取って部屋から持ち出した人が「所有権」みたいなもんを訴えるのは解るのですが、無許可なら誰のものでもない気がするのだが。。。
 っていうか、許可を取ったにしろ、やっぱり杉原さんのものだし。。。
 ただ、杉原さんが河合さんとの想い出を書いた日記があったが、あれなんか誰の許可がいるのか知らないが、河合さんが持って居るのが一番だと思うし。。。
 
 で、亡くなった事を色んな人に連絡をしてると「俺が杉原と一番仲がよかった」と。そういう人が居てですね、でもそれも本人に聞いてみないと解らないし。。。
 まあ、私は杉原さんと付き合いは永かったけど、それほど親しくないからこんな呑気な事が云えるのでしょうが。。。
 「NPO翼」とかどういう所か知りませんが、そこの人が杉原さんと親しかったのだったら、当然遺品を持っててもおかしくないし、遺稿集を作るのにあたって遺品を借りてコピーさせてもらったらすむ話だと思うのだが。。。

 まあ、通夜等に集まった人達や、行けなかったけど杉原さんが生前に親しくしていた人は沢山おられるのだろうと改めて感じたのだが、だから『杉原さんの奪い合い』は好きじゃない。
 いわきさんとか、よしむら君は杉原さんと親しかったし、死因が死因なだけにカッカするのも解るが、「こそ泥」は違うと思う。

 
 あ、河合さん、昨日は飲みのお誘いありがとうございます。地元で酔っぱらって倒れていましたので行けませんでしたが、また『かんむりや』でもお誘い下さい。
 っといっても、いわきさんに連れて行って貰わないと道が解らないので、いわきさん所で待ち合わせにすると、そこの近所の方がええか。。。


[171] 無題 投稿者:いわき 投稿日:2005/07/03(Sun) 18:08  

NPO翼?ふざけるな!この詐欺やロウ!

どこがNPOだ! うそをつくのもいい加減にしろ!
大山だと?てめえ、東とか言う詐欺師野郎の手下だろ!この糞こそ泥やロウ!板が穢れる。杉原や仲間を冒涜するのは
もうやめろ! このくそごみ野郎ども!


[170] 「こころの経営」 投稿者:あだち 投稿日:2005/07/02(Sat) 22:40  

 
   失礼します
     「勝手書き込み」をお許しください。


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