ナンナンちゃんのキンタマ刺身の巻

「夏ですね」
「夏です」
「やっぱり、夏ですか」
「やっぱり夏です」
「すると夏ですね」
「夏です」
「ふむ。じゃあ夏としかいえませんね」
「いえません」
「とうぜん夏ですね」
「とうぜん夏です」
「しょうがありませんね」
「しょうがないねー」
「猫鍋ですね」
「猫鍋です」
「正確には《ホルモン猫鍋》ですね」
「正確にはね」
「ネギや豆腐も入れるから、《ちゃんこ猫鍋》のほうが正確じゃないですか」
「正確ですね」
「じゃ、《ちゃんこ猫鍋》にしましょう」
「んー」
「問題があるでしょうか」
「大いにあります」
「それでは《なんなんちゃんこ鍋》でどうでしょう」
「《なんなんちゃんこ鍋》ならいいです」
 とまあ、こんなぐあいに猫鍋の名称決定から、調理の手順、係りまで、わいわいがやがやとおだやかに、かつ民主的にナンナンちゃんのお鍋の作業は進んだのですが、途中ナンナンちゃんの「金玉さしみ」をめぐってひと悶着起こってしまいました。

 場所が悪かった。三角公園の真ん前にはカソリック系の教会があります。そのとなりには「一生男と結婚しないブスの会」(正式名称を忘れたので筆者意訳)という尼さんの修道会もあります。そこに「釜ケ崎のマリア」といわれている五十ちかいおばさんがいます。その女性が間の悪いことに、両足糖尿切断車椅子おじさんが赤い顔をしてナンナンちゃんのキンタマをスライスしている最中に、目に大粒の涙を溜めてわたしに苦情を持ち込んだのです。
「これ以上、上田さんをいじめないで」
「上田さん?」
 ナンナンちゃんのことではございませんでした。

 上田というのはカソリック教会のひよろ〜っと痩せた、顔の青白い、頼りない神父のことです。わたしどもの知り合いのホームレスの面倒を見てくれていたのはいいのですが、いくら注意しても酒を飲むというので、とうとう上田は、どこも異常でないのに、彼を精神病院に入れてしまったのです。最初の約束では数ヶ月ということだったのですが、一年以上もほったらかしにしているので、わたしく、知人と共に強硬にこの神父に苦情を申し込んだばかりでございました。ところがのらりくらりと逃げ回る。卑怯でずる賢い、釜ケ崎の活動家たちの典型というタイプでございました。それでとうとう教会の分厚い鉄板をよじ登り、宿舎に向かって石を投げ込んできたのでございました。

 わたくし女の涙には弱い。ましてみんなから「釜ケ崎のマリア」といって、尊敬されているお方です。はは〜ん、この女、一生結婚しないといいながら上田に惚れてるな。わたしはぴんときました。多分、乱暴者の岩城に身を挺して直訴する健気な心に、自分で酔って涙を流していたのでしょう。上田さん、わたしって素敵でしょう? マリアさまみたい。ばかばかしいったらありゃしないのですが、とにかく「わかった。二度と上田さんには近寄らないことを約束します」そういって安心させました。涙を浮かべられてはしょうがありません。ところが女の人というのは安心すると食欲が増すのでございましょうか、手のひらを返したようにけろっと泣き止み
「あら、おいそうね」
 と、ナンナンちゃんのキンタマ刺身をみておっしゃってくれました。
「なんのお肉?」
 ニューギニア原住民中野がケケケと例の真っ白な歯をみせて笑いながらほんとうのことをいおうとしたや先に、さすが両足切断糖尿車椅子おじさんは年季が違います。焼酎のせいで、入道のようにつるつるの真っ赤に染めた頭をさすりながら優しい声で
「鴨だよ」
 と一言。
「あら、鴨? どうしてそんな高級な食材が?」
「岩城さんが滋賀の温泉町から貰ってきたんですよ」
「そうなの?」
 こうなればわたしも嘘をつくしかございません。
「ああ、出張にいったんですよ。雄琴のほう」
 早速、ナンナンちゃんの股肉二本を新聞紙に包んで渡すと、当然断ると思っていたのに、なんと釜ケ崎のマリアさんは喜んで受け取りました。これは事件です。それから「その白い輪切りはな〜に?」とたずねてくるではございませんか。謹厳実直を絵に描いたような校長先生顔凶暴ホームレス田村がにこりともしないで
「猫のキンタマです」
 さすがに釜のマリアさんは、いやらしい冗談だと思って完全無視です。わたしと両足糖尿切断車椅子おじさんは「まさか」と一笑にふしました。
「鴨の耳の刺身です」
「あら、じゃあ軟骨ね」
「こりこりとしておいしいですよ」
 わたしは輪切りにしたナンナンちゃんのキンタマの刺身を皿に数切れ盛り、彼女に渡しました。
「お醤油でいいのかしら」
「そのまんまでも、おいしいよ」
 両足切断糖尿おじさんは頭にタオルをのせて、すっかり温泉気分です。ニューギニア中野は犯罪的な現場を見るように目を白黒させております。校長先生顔凶暴ホームレス男田村は口だけにた〜っとほころばせました。田村がこういう笑い方をすると笑うセールスマンそっくりになります。釜のマリアおばさんはとうとうナンナンちゃんのキンタマを口に入れました。
「な〜に、これ。べとべとぬるぬるしてる」
「まずいですか?」
「まずくはないけど、なんだかヘン」
「生肉ですからねー」
「でも、なんのなのかしら、このジューシイな、どろどろねばねばしたのは」
 とうとう中野が弾けたように笑い出しました。
「キンタマだから、あたりまえでしょう」
「えっつ?」
「それ、猫のキンタマの刺身ですよ」
「まさか!」
 そーら! といってだれかが猫の首を彼女の足元に投げ出しました。あとはもう、とてもここに書けるような状況ではございませんでした。
「ぁ。あたし、生まれて初めて....キ、キンタマを! それも精液まみれの...う、上田神父様!」
 はい。とんでもない修羅場、愁嘆場が出現いたしました。悲鳴。絶叫。爆笑。怒声。罵声。サイレンの音。

 ただ、ひとつここに書き加えておきますと、なぜか彼女は最後まで新聞紙に包んだ猫肉を放しませんでした。あとで風のうわさに聞いたところによると、ちゃんとお鍋で煮て、出汁をとって食べたということです。さすが釜のマリアさま。殺生が無駄になることははさけられたようです。そしてその後、郷里の大分県にお帰りになったとのことでございます。



「なんなんちゃんのキンタマ刺身の巻」 完


haruo iwaki