親鸞会と本願寺の相違点
浄土真宗の正しい御本尊は?
×木像でも絵像でもよい
○御名号でなければならぬ
阿弥陀仏の救いについて
×ハッキリするものではない
○救われたら、 ハッキリする
助かるのはいつか
×死なねば助からぬ
○生きている時に助かる
救われたらどうなるのか
×この世で救われたということはありえない
○無碍の一道、絶対の幸福になれる
どうしたら助かるのか
×念仏さえ称えておればいい
○真実の信心一つで救われる
喜んでいること
×死んだらお助けを喜べ
○現在、助かったことを喜ぶ身になれ
念仏について
×念仏はみな同じだ
○自力の念仏では助からぬ。
他力の念仏を称える身になれ
使命としていること
×葬式・法事・読経・遺骨の後始末
○本当の親鸞聖人の教えを伝えること
マンガで分かる
親鸞会と本願寺の違い
作者へメール
4つの質問
論争の経緯
「親鸞会は、親鸞聖人の教えに、反する、全くの、謬見であり、異義である」と断ずる、本願寺発行の『伝道院紀要24号』が発行されたのは、昭和54年12月20日のことでした。
本願寺の批判論文は、不明点が多いものでした。ことは、重大な仏法です。
折角のご指摘であっても、批判点が納得できねば、改めるべきを改め、成すべきを成す、努力もできません。
そこで、親鸞会が、4つの不明点を質したのは、昭和55年1月のことです。
以下は、本願寺へ出した4つの質問です。
[第1問]
仏教で諸善万行といわれるものの中に、破邪顕正や、財施は、入るのか、入らないのか。
[第2問]
「宿善は、あくまでも、他力に、なさしめられるもの」ならば、なぜ、信前の人に、教えすすめる、必要が、あるのか。
[第3問]
二種一具の他力信心の罪悪深重、地獄一定の自覚と、自力信心の罪悪深重、地獄一定の自覚の相異点は、なにか。何によって、それを、判定するのか。
[第4問]
親鸞聖人が、「いずれの行も及び難き身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし」と言われたのは、ウソか、マコトか。
蓮如上人の「この信心を獲得せずば、極楽には往生せずして、無間地獄に堕在すべきものなり」の『御文章』は、ウソか、マコトか。