ネットの向こうに「生身の人間」なぞいない

ネットで酷いことを書く人に、よく「ネットの向こうにも生身の人間がいるんだよ」的なことを言って諭すことがある。

それは間違いじゃないし、そう思ってやることも悪いことじゃないし、それを忘れた人には良い諭しだと思うのだけど、私はあえて逆を言いたい。

「ネットの向こうにも生身の人間がいる」のは本当のことだし、そのことを忘れて酷いことを言ったりすることは良くない。そのこと自体を否定するつもりはない。

だけど、私達はえてしてそれに囚われ過ぎている。

「ネットの向こう」ではいろんなことが起きる。不快な事件、不条理な出来事、気の毒な人々、残念な人々… ネットの向こうには、確かに「生身の人間」の生があり、それゆえいろんなことが起きる。

いろんなことが起きていると、いろんな騒ぎにもなる。人の考えは一つではないから、ある事件があってもいろんなとらえ方があり、賛否の議論やら、単なる野次馬やらが、「騒ぎ」を大きくする。

そして、現代はネットを通じて、そういったものが伝わって来る。情報は取捨選択が可能だから、何らかに偏った見方が集まったりする。あるいは「感動の嵐」みたいな宣伝文句と一緒に来たりするものもある。一日Twitterでも見てれば、そんなものは膨大にあることがわかると思う。

そのせいで、こちらの精神はゆすぶられる。情報を出している者がそれを意識しているかそうでないかに関係なく、他人が喜んでいればこちらも喜ばしくなるし、他人が怒っていればこちらも腹が立って来る。他人が悲しめばこちらも悲しくなるし、他人が楽しいことはこちらも楽しい。情報と共に、喜怒哀楽の感情も伝わって来る。なにせ、「ネットの向こう」には生身の人間がいるのだから。

そこまではいいのだが、そのせいでこちらの精神は安定でなくなる。楽しいと思ってる時に不愉快な情報が来れば、楽しさは減る。悲しむべき時に面白いジョークでも来たら、悲しさは減る。悲しさが減ることは一見良いことなんだが、悲しむべき時に悲しむことは、精神の安定に必要なことだ。

そういった、自分という生身が本来経験している時に、あるいは自分の生活に必要なことを経験している時に、時としてネットはそれに対して「雑音」として入って来る。

世の中にはおせっかいな人がいて、自分が楽しんでる時に「悲しむべき出来事」を伝えて来て、「こんな不幸なことがあるのに楽しんでいるのは不謹慎だ」とか言って来たりもする。それは一見正論に見えるし、また良心的な人ほど、そういったものに真剣に対することは正しいと思ってしまう。まー、確かに真剣に対することは悪いことではない。

しかし、そういった「悪いことではない」こと「間違ってない」こと、あるいは「正しい」ことであっても、確実にこちらの精神を疲労させる。心が動くということはそれ自体でエネルギーを使うし、それで使うエネルギーがわずかであっても、度重なれば疲労する。

平時の普通の人なら、それくらいはどうってことない。それくらいの精神力は持ち合わせておくべきだし、他人の心情に寄り沿うことは良いことだし、それは「善人」の基本だろう。つまり、「ネットの向こうには生身の人間がいる」と思い続けることは、悪いことじゃない。

しかし、精神はいつもそんな状態じゃないし、何らかの理由で精神が不安定な人もいる。そういった時に不必要に精神を揺さぶられると、激しく疲労する。つまり、精神が過労状態になってしまう。そして、それはそういった時、そういった人にとっては

有害

でしかない。

特に今はネット経由でどんどんそういった「精神を疲れさせる情報」が入って来る。一つ一つはどうってことなくても、あるいは楽しいことであっても、それらは確実にこちらの精神を疲労させて来る。

そういったものにはフィルターかけてしまえばいいという考えもあるし、実際それをやっているのだが、フィルターをかけようという積極的な行動に出る必要があることだけが問題なのではなくて、むしろ日常的に流れている情報そのものからも疲労はやって来る。そういったものまでフィルターをかけてしまうと、そもそもネットをする意味すらなくなってしまう。

そこでお勧めしたいのが、表題に書いているように、

ネットの向こうには「生身の人間」なぞいない

と思うことだ。強いて言えば、実際に会ったことのある人だけが生身であり、それ以外は「人工知能(無能)」だと思ってしまうのだ。

そうやって線を引いておけば、ネットの向こうの喜怒哀楽に過度に同調する必要がなくなる。「不条理」や「悲劇」は「テレビドラマ」くらいに受け止めておけば、過ぎてしまえば忘れられる。「生身の人間が現実に苦しんでいる」と思えば見るに耐えられないような出来事も、「俳優さん大変だなー」くらいに他人事に思うことが出来る。

それくらいに思っておかないと、過度に精神が揺振られて疲弊するのが、現代の情報量の多さだ。そういった時には「ネットから離れろ」とか言われることも多いのだが、そーゆーわけにも行かないのが人間なのだ。それよりは、「ネットの向こうには生身の人間はいない」「ネットで見えているのはエンターテイメント」という認識を持つ方が、気が楽である。

自分の精神を護ることが出来るのは自分だよ。

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This entry was posted on9月 23rd, 2017 at 13:18:49. You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0. Responses are currently closed, but you can Trackback..

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