「切り捨ての論理」は通用しないかも

相変わらず、バカッターが進化していて、DQN行動に歯止めがからない。

ちょっと前まで、あれは

  • 単なるネットによる可視化(昔から馬鹿はいた)
  • DQNの想像力の欠如(身内でウケてりゃ満足)
  • 「近頃の若いもん」の行動(「俺も若い時はヤンチャした」)

的な考察があった。てか、たいていの考察ってこのどれかを結論にしてると思う。

これらに共通するのは、要するに「俺達とは関係ない奴等が馬鹿やってる」的なものだった。普段マトモな生活を送っている人達ほど、そういった結論になりがちだ。そりゃそうだ、自分でやるとは想像もつかない行動だから、「俺達とは違う人種」と分析するのは、そう突飛なことではない。

でも、最近ふと、そういった「俺達と違う人種」という結論で良いのか、疑問に思うようになって来た。

あくまでも「疑問」に過ぎないので、それでどうしたとか言えないんだけど、

  • いくらでもある
  • 騒ぎになった後からでも出て来る
  • バリエーション豊富

とか思うと、そういった単純な結論で良いのかと思えて来る。つまり、

構造的な何か

があるのではないかとさえ思えて来る。

もちろん「社会が」とか「ネットが」「貧困が」的な理由づけもされているのだけど、そういったわかりやすいと言うか、安易な結論で終わるようなものでもない。もちろん「ユダヤの陰謀」の類でもないだろうけど。

何だかよくわからんけど、もうちょっと成行きを注目してから説明しても遅くないような気がして来た。DQNの分析みたいな話は、それはそれで意味があると思うのだけど、それでバカッターの説明は拙速なように思う。