日本人は「宗教ラジカル」状態である

ちょっと前から書こう書こうと思いつつ、抹香臭さのない文章は難しいので避けていたのだけど。

日本人は自らの宗教性にいいかげん気付くべき

これは「日本人」ではなくて、人類共通のことらしい。ただ、日本人は実質的に宗教を持たないので、化学で言うところの「ラジカル」になっているのだ。

昔、教会で言われたのは、「人は心に神の形の穴がある」ということ。なんだったか哲学者だか宗教家の言った言葉なんだろうと思うけど、それは失念。意味としては、そーゆー「穴」があるから何かで埋めないといけない的なそーゆーことだ。

常々、

宗教とゆーclassは存在しない

と言っているので、あまり「宗教」とゆー言葉を使いたくはないのだけど、「宗教」というものが存在するとして、それを無理やり定義すると、その「穴」にうまくはまり込むものだと言えなくもない。なんとゆーか、いわゆる「科学」とか「理性」と言ったようなロジカルなものだけでは満足しない、そういった部分にはまり込んでくれる、そーゆーもの。「世の不条理」といった、ロジカルなものでは理解の出来ないものが増える程、「穴」は大きくなる。

ちょうどその「穴」があることは化学で言う「ラジカル」と同じように働く。ラジカルは不安定なので、そこに何かをつっつけないと安定な状態にならない。逆に言えば、安定になるためには、何かをくっつけないといけない。

日本人は社会的に宗教を忌避するようにされているので、「穴」があきっぱなしでラジカルなのだ。だから、心が不安定になっている。そこに喪黒福造がやって来て、

「ココロのスキマ、お埋めします」

とやるわけだ。だから、疑似科学とか占いとかと言った、

宗教モドキ

が入り込みやすい。その告白の一つが、

白井由佳が放射能パニックになった理由

なのだと。

まぁだから宗教を持たねばならんとか、そーゆー抹香臭い結論にはしない。いや、一宗教者としてはそう言うべきなのかも知れないけれど、そういった陳腐な結論にしても面白くない。ここでは中途半端で抹香臭い結論じみたものを持って来るのではなくて、日本人は「宗教ラジカル」状態であるとゆーこと言ってみるだけにしとく。そして、そう思っていろんな現象を見ると、なんとなく納得出来ることもあるかなと。