※はじめに−このページの表現が10月19日に若干修正された経緯について
このページは、10月6日の公開以降、日向一派から執拗な抗議のネタとされてきました。
こちらにあるとおり、日向一派は、当方が実行委の一員を務める「テロにも報復戦争にも反対!! 市民緊急行動」の行動現場に登場し、実行委の任務に就いている当方に対しデマを含むいいがかりをつけ、結果的に実行委による行動の運営に支障を及ぼさせています。
このページに対しての、一派の言い分は次の2点です。(1)9・24集会での管理人の言動は承服しがたい。
(2)このページは、管理人が実行委入りした後、「日向一派の反戦運動へのもぐりこみを許すな!」と題し、メンバーの顔写真入りで公開された。実行委という立場でありながらのこの行為は問題ではないのか?言うまでもなく、(1)については当方は9・24の時点では実行委に属しておらず、単なる1ネットワーカー・サイバーアクティビストとして、「サイバーアクション一般について語ってほしい」という提起を受けて取り組んだものであり、それ自体に一点の曇りもないと考えます。
また(2)については、当方は一派からの抗議を受けた後の実行委での討論を踏まえ、以下の見解を10月13日に発表しました。(A)この問題は実行委の問題ではなく、当方個人と日向一派との問題である。
(B)当方は実行委内で「日向一派を排除すべきだ」などと言ったことは一度もなく、また現場の任務としてもそういうことは一切していない。
(C)当方は当方個人の、日常的な取り組みとして日向一派を弾劾している。実行委という立場に属しているとは言え、その立場を実行委の運営そのものに持ち込まない限り、自由な批判は何ら問題ないと考える。
(D)しかし、そのあたりでの無用な混乱を避け、反戦運動の前進を克ち取るため、同ページの文章表現を「より誤解を生みにくいようなもの」に少々手直しする。この作業は17日をメドとして行う。
(E)画像については、山根については機関紙上で名前・顔写真が掲載されているので何ら問題はないと考える。また、他の人物にはすべて目伏せ・ぼかし処理を入れており、何ら問題はないと考える。よってこれらを削除するつもりは全くない。
(F)今後、実行委に対して、また実行委の任務についている間の当方に対して、一切の抗議・要望・議論持ちかけを行うな。
(G)それ以外の時間・空間で、当方に対して個人的な抗議を申し入れることに対しては、実行委は関知しないだろうが、当方は、以下の2つの理由よりその申し入れを受けるつもりは全くない。
(あ)第3者が不在の場合、日向一派から暴行を受ける危険性を排除できない。
(い)この問題は様々な見解の相違に基づいており、当事者のみの議論をしても平行線を辿るのみであることは明らかであり、双方の主張を多くの第3者がチェックできない状態での議論には意味がない。
(H)当方は日向一派に対し、以前から表明しているとおり、多くの聴衆が存在する公開の場での討論、またはインターネット上での公開の討論(メールは含まない)のいずれかを強く提起する。以上に踏まえ、多忙な中、当初の予告より2日遅れではありますが、ここに表現の若干の修正を行い、上記事情とともに改めて断乎公開し続けることをここに表明するものです。
9・24「テロにも報復戦争にも反対!!
市民緊急行動」集会は、予想を大きく上回る1800名(主催者発表)が結集し、反戦の声を響かせました。
しかし、この場に、本当に「反戦」を言う資格があるのかどうか極めて疑わしい集団が、200名ほどの部隊を出してきました。
そう、日向一派です。
この集会の本題は、当方も参加している反戦ネットワークサイトに画像レポートがありますので、そちらをご覧いただくとして。
集会開始前、元一派の三里塚現闘団員、小林義也さんが、一派への警戒を呼びかける個人名義のビラを配布しはじめると、さっそく一派幹部が妨害にやってきました。
この様子を、当サイトの掲示板「旧あかいしわーるど」21に書き込まれた小林さん自身のコメントで紹介します。
なお、このしばらく後で自らも山根に絡んだ当方(藁)としては、ここに書かれていることはまったくの真実であることを保証できます。
9・24集会当日。会場入り口近くでビラをまいていると、まず最初にやってきたのが、三里塚現闘団長の今井俊政。あの名文、「ストーカー小林義也の『逆恨み人生』」を書いた方ですね。その後、山根克也、他2名がやってきた。
今井氏との会話は、ほぼ以下の通り。
「このビラは誹謗中傷ではないか。まくのをやめろ」
「誹謗中傷ではない。ここに書かれているのは事実であり、批判である」
「経緯とかをすっ飛ばして、都合のいいところだけ切り取っているじゃないか。佐藤のやったことはどうなるんだ」
「彼はビラをまいただけでしょ」
「あんなものはとうてい許すことが出来ない」
「それなら言葉で批判すればすむことじゃない」
「言葉で言ってもやめないからやったんだ。だいたいお前の書いた『三里塚の大地に跪いて』だって、自分に都合のいいように書いてるじゃないか?」
「どこを都合のいいように書いてるの?」
「だいたいお前は勝手に逃亡して……。お前がいなくなってからも、俺は10年以上も責任を持ってやってきたんだ」
「このような組織にいるのは間違っていると判断してやめたのだ。逃亡ではない」
「お前は菅沢のような人物をどう思うのだ?」
「彼は間違っている。でもSENKIのやったこともスパイでしょ」
「実行委で問題にするぞ」
「すれば」
山根克也との会話はもっと珍妙であった。
「お前だって暴力を肯定していたではないか?」
「はあ? それは機動隊に対してでしょ」
「機動隊にだったらいいのかよ」
「当たり前だろ。向こうは暴力でもってやってくるんだから」
顔は覚えているが名前を忘れてしまった、もうひとりとの会話も珍妙であった。
「革マルも来ているが、なぜ革マルは批判しないんだ」
(革マルは、集会場前で宣伝活動をやっていた)
「必要だと思うなら、あなたがすれば」
「そうじゃない。今日は反戦という大きな目的のために、革マルとも共闘しようと思っているんだ。どんな批判も差し控えるべきだろう」
「革マルは入れないって聞いてるよ。へー、あんたらは、革マルとも共闘するんだ?」
山根克也が次のように言っていたのは重要だろう。
「俺たちはロフトプラスワンにはなんの恨みもない。佐藤以外の被害者には謝っているよ」
「謝罪を受けていないと、本人たちから聞いてる」
「伝わってないのかもしれないが謝っているんだよ」
「本人に直接謝らなければしょうがないだろう」
「謝ればやめるのか?」
「それが最低条件だ」
公平に言って、彼らのある種の善良さも認めなければならない。「佐藤が先に手を出した」なる明確な嘘を彼らが口にしなかったことだ。残っている良心を手がかりにして、彼らが正しい方向に進むことを願いたい。
しかし、集団としてのSENKIには、そのような善良さはひとかけらも残っていないことが明らかになった。このような文章を書くことを強要された高倉君は、本当に気の毒だ。
彼らが進むべき正しい方向とは、まず最初にSENKIを離脱することだろう。
(ボールド化は当方による)
どーですかお客さん!
「佐藤以外の被害者には謝っている」なんていう200%のでまかせを言う←山根克也よ、貴様はスパイ行為をついに完全に開き直った宮崎学と同レベルの人間だ!
ここで、小林さんが配布したビラの内容を掲示しておきます。
暴力を居直るSENKI派(自称・ブント)の参加は アメリカのもくろむ報復戦争、それに追随しようとする小泉政権にNO!の声を上げるために集まられた全ての皆さん! アフガニスタンの一般市民の生命を奪い生活を破壊する戦争をやめさせるために、力を尽くしていこうではありませんか。テロの犠牲を、テロと無関係な市民の死であがなうなどということが許されていいわけがありません。
2001年9月24日 小林義也 |
そして後日一派がこれにあわてて反論してきたのが、コレ。
相変わらずのデマ文章で、特に前者には大きな論理的欠陥・誰にでも納得できる大ウソがあります。
これは意図的なウソというよりも、一派が9・24にかなりあわて、急遽反論をデッチあげたがために自ら落とし穴に落ちた、というようなものでしょう。
そのうちこれは暴かれるでしょう。その時になってコッソリサイト修正したりしないよう、今しがたこちらは上2本のスナップショット保存しましたので言い逃れはもうできませんよ。ま、せいぜい今から悩んでてくださいな。(藁)
当方としては、やはり後者にある
>「ブントは批判を暴力で封じ込めようとするひどい連中だ」と思わせたいのだろうが、肝心の「SENKI批判のチラシ」の中身について小林は何も触れていない。そりゃそうだろう。「正義」の味方を装いたい小林にとっては、余りに都合が悪すぎる内容だからだ。
ぉぃぉぃ、それならおまえらもリンク張れよ、小林さんの文に。(激藁)
(このあたりは「AKAISHIニュース」に書きました)
さて、話がそれました。集会のレポートですね。
実はこの集会、なんかわからんですが当方も発言したのです。\(^o^)/
で、発言の内容がこれまたすばらしい(って自分で言うなよ(藁)>じぶん)
「反戦の声を非暴力で!意見の違いは議論で解決しましょう!暴力で組織的襲撃をしたり、私もやられましたがプロバイダにホームページの閉鎖要求を出したりすることは許されません」。
ところが、これらの問題をよく知らない、一派部隊の中の若い人の一部は「うんうん」とかうなずいたりする始末(笑)。おーい、山根クンよ、指導が不足してるんじゃないの?(藁)
まぁはっきり言って、多少ネットの専門的な話になったし(そういう話を発言してくれ、と実行委から言われてはいたのですが)、最初の発言者ダグラス−スミスさんが時間使い過ぎで押していたこともあって早口になって、お世辞にも「聞きやすい」発言ではなかったのですが、それでも発言後はそれなりに拍手もらいました。^^;; で、一派のメンバーにも素直に拍手するものが多く、それを見届けた山根は最後に数度だけアリバイ的拍手。(激藁)
なお、この集会の間中、宮崎「スパイ」問題を中核派弾劾に利用しようとばかり気張ってる革マル派数人が紛れ込み、原宿駅頭などで一派が撒いていた「グラン・ワークショップ」紹介ビラに宮崎の名と写真までが入っていたことを採り上げて、トイレに行こうとした一派メンバーを捕まえてネチネチとねんちゃっくないじめをしていました。
しかし、かわいそうな一派メンバーは、思考停止状態に陥ったかのごとく、動揺しつつダンマリを決め込むだけ。
当方、10月4日のロフトプラスワンイベントで「宮崎学「スパイ」問題を糾察する会」の資料集配布を手伝いましたが、その中にははっきりと「SENKI派は宮崎擁護の立場」と記されてますよ。
いいんですか?そんなこと書かれてて。
で、集会の後は渋谷の街中を突っ切るデモに出発です。
一派は最後尾に独自挺団となってました。
んで、うちらはなぜかその直前。
ということで、ものすごいショットが撮れてしまいました。\(^o^)/
言うまでもなく右側は小林義也さん。そして、そのすぐ左側に写り込んでいる奴こそが、第1次および第3次襲撃事件の首謀者である、元麻布高校出身のワーク幹部=五味洋なのです。
いやー、やっと生五味クンを拝めましたよ\(^o^)/ 一生忘れませんからね♪
さらにうちら有志は、デモ終了後、流れ解散とした実行委の決定を乗り越えるべく、独自の総括集会を解散場所にて提起。もちろん、横で一派も総括集会を開いています。\(^o^)/
当然ながら、真っ先に司会の当方より「元戦旗・共産同三里塚現闘団の小林義也さんの発言をお願いします」と提起。小林さんが「反戦、非暴力の集会にプラスワン襲撃事件の張本人が登場するのはナンセンスだ」との力強いアピールを行いました。
一派隊列の参加者は「何が起こったのだ?」とこちらを気にし、五味洋は湯気出しそうな勢いで怒っていました。
だがしかし、山根は当方のギャグに笑ってみたり、当方のお笑い挑発にお笑いで応えるなど、すっかり腐敗モード全開。
当方は確信しましたよ、この態度を見て。五味はともかく、山根は、うちらが一派批判をすることそのものに怒っているのではなく、単に自らのメシのタネである一派という組織を守るためだけに官僚的に振る舞っている、腹の底が腐りまくった輩だ、ということを。
ともあれ、パンドラの匣がついに開けられました。
現実世界で、うちら反一派側と一派が直接対峙する局面がついに訪れたのです。
当方は、この状況を好機とし、日向一派の策謀を徹底的に弾劾していく所存です。