[2008年1月26日(土)] 坊ヶ峰(ぼうがみね)〜富士見岩(ふじみいわ)

≪後半≫

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コ−ス=≪前半≫
07:30(名鉄)新安城 発−07:59豊橋 着−08:35(豊鉄バス)−09:09崇山 着−
-09:15崇山バス停スタ−ト−09:45舗装路合流−10:20本坂峠 着−
-10:48坊ヶ峰 頂上着−11:00頂上 発−11:50富士見岩 着−(昼食)−
コ−ス=≪後半≫
12:50富士見岩 発−13:10大知波峠 着−13:25林道 着−15:15三ッ口池 着−
-15:52国隠バス停 着−(豊鉄バス)−16:18(名鉄)豊橋 着−
-16:32豊橋 発−(東岡崎乗換)−17:00新安城 着

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参考資料=コ−ス略図 下山コ−ス

≪後半概要≫
“富士見えず岩?”でランチタイムも終わり、岩の上まで這い登って周囲の景観を楽しむ。東の“浜名湖”周辺から北の長野方面の雪を冠した山々まで素晴らしい景観! そして約1時間の休憩の後、今度は“大知波峠”(おおちばとうげ) を目指して進路は南西へ。この尾根伝いのコ−スも≪前半≫同様“豊橋自然歩道”の継続、少々のアップダウンを経ながら20分ほどで“大知波峠廃寺跡”と書かれた国指定史跡に到着、南東側が山裾の傾斜になった小広場には小さなお地蔵さんが沢山並んでいた。

ここは各方面からの交差地点になっていて、その各方面への標識と地図で確認したが標識の地名がどうも解り難い? 当初の予定では“崇山”から登って、最後は同じバス路線の“石巻山登山口”と云うバス停に戻る予定だったから、“石巻山”と云う地名を探していたら、広場の隅に『石巻山方面に至る』と書かれた小さな標識を見つけたので、早速その標識どおりに進むことにする。かなり広い道が山中腹を縫っている。ここを歩き出して途中から“豊橋自然歩道”の標識どおり左手の林の中へ進んだら下り坂、そして林道に出てからが長かった!

途中の材木集積場まではほぼ平道だが若干なだらかな登りもあり、その後今度は緩やかな下りが延々と続く山中腹の林道。やがて右下に見えてきた“三ッ口池”、結局“大知波峠”を出てから、途中ちょっとの林の中の下りを除くと、その大半は単調な林道歩きが約2時間ほども続いたことになる。“三ッ口池”の先は住宅街の歩き、“県営金田住宅北”の信号をさらに直進、“石巻小学校”の前を通って“アイセロ化学”と云う大きな工場先の交差点左側のバス停“国隠”で今日の約14qの歩きを終えた。

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↓昼メシ食べて少しは身体も暖まり、どれ岩の上に登ってみよう!【01】、、、なかなかの絶景! “浜名湖”北側の街並み【02】、その湖の北から東にかけて【03】方角的にはこの方向に“富士山”が見えるはずだけど? そして南側【04】。北の山並み【05】から西側【06】、もう一度北の山並みのズ−ムアップ【07】あの雪を冠した山は長野県南アルプスか?  

↓約1時間も休憩した。標識【08】は静岡県側への下山路、我々は12:50“大知波峠”(おおちばとうげ)【09】を目指して出発、進路は南西だ! しばらく草道の緩やか下りル−ト【10、11】が続く、、、途中右側に有った三角点【12】この地点が372.5mらしい?、、、この尾根伝いのコ−スも≪前半≫同様“豊橋自然歩道”の継続【13】、、、

↓少々のアップダウンを経て、、、チョット急な下り坂【15】、、、その先に小さな広場が見えてきた【16】、、、13:10あぁここが“大知波峠”だ!【17】。小広場には小さなお地蔵さんが沢山並んでいた。“大知波峠廃寺跡”と書かれた国指定史跡【18、19】、なんでも平安時代に出来た寺の跡らしく近年発掘されたらしい? 南東側が山裾の傾斜になっている【20】、ここからの“浜名湖”の眺め【21】

↓ここ“大知波峠”に大昔有ったと云う山寺跡とは? そう聞いて改めて周囲を見渡せば、何となくミステリアスな、またロマン的な雰囲気があるな〜! ここもル−トの要所らしく沢山の標識や案内板【22〜26】、しかしこちらが向かおうとする“石巻山”は? とウロウロ探してみたら広場の隅で見つかった小さな標識【27】、これだ! と早速その標識どおりに進む【28】

↓こちらはかなり広い林道【29】、、、平道の林道を歩いていくと左側にこんな標識【30】、つまり先ほどの“大知波峠”付近が豊橋自然歩道の稜線になる、ってこと、、、さらに進むとセメント道が右にカ−ブしている地点【31】、その左側に狭い山道の入口と、そこの標識【32】、セメント道を外れてこの小道に入る【33、34】、、、下り坂を手摺に沿って左へ【35】

↓手摺に沿って階段を下る【36】、下には先ほどの林道、つまりこの小道は林道をショ−トカットした事になる。13:25林道に降り立ってそのまま直進【37】(後で気付いたが階段を下りて右折したら、先ほどの上の林道と繋がるが途中から左へ入って“石巻山”方面へ行ける様だった!)、、、直進して行くと左側にこんな標識【38】、先ほどの階段を登ると遊歩道に出て稜線に至る、ってこと。、、、前方に車止めの柵【39】、近づくと「銃猟禁止」の立札【40】。柵の横を通り抜けてそのまま平道の林道歩きが続く【41,42】、、、この先が延々と続くことも知らないで、、、!

↓初めて歩くコ−スはとかく長く感じるものだが【43】、、、途中の水溜りは凍っていた!【44】、、、右手の木立の間に見えた岩山【45】、どうも位置的に“石巻山”の様だけど?、、、やっぱりこの林道は長〜い【46】、、、材木集積場が有った【47】、その左にも林道が続いている【48】、その入口の標識【49】赤岩?

↓左側の林道には入らずそのまま直進【50】、、、やっぱりこの林道は山中腹に沿った道だから曲りくねってるのだ!【51、52】、しかも時々先ほど【45】の“石巻山”らしい岩山が同じ右方向に見え隠れする、、、テクテク歩きが続き、ふと右下を見ると木立の間に湖?それとも溜池?【53】、、、この辺りからコ−スは今までの平道から九十九折の下り坂に変わってきた【54、55、56】

↓やっとこさ下山し終わったようだ! またもや前方に車止め【57】、、、その先の寂れた小屋は食堂の跡だった【58】、、、どうやら先ほど中腹から見えた湖?に近づいてきた【59】、、、かなり広い道路に出て【60】近くに居た人に現在地を尋ねたら、この湖が“三ッ口池”と云う!【61】、この時15:15。“大知波峠”を出てから、その大半は単調な林道歩きが約2時間ほども続いたことになる。池の左手を進むと【62】、、、こんな案内板【63】農業用水の溜池だった!

↓堰堤側から見た“三ッ口池”【64】、池の向こう側、右手後方には例のあの岩山、あれがやはり“石巻山”だった!【65】 という事はやはり当初の予定コ−スより南側の山の中腹を歩いて来たことになる。、、、まぁ〜良いさ、と“三ッ口池”を後にしてそのまま直進【66】、右手に田園風景を見ながら【67】、、、もう一度道を尋ね、右側の道を行く【68】、つまり“石巻山”の麓の方角だ、、、民家が増えてきた【69】、、、もう一度振り返ってみた“石巻山”【70】、その中腹の建物は後日調べたら「見晴莊」と云うホテルだった。

↓この辺りまで来たら完全な街中の歩き【71】、直進テクテク歩き、“県営金田住宅北”の信号【72】を過ぎてさらに直進、“石巻小学校”【73】の前を通って、、、お次は“アイセロ化学”と云う大きな工場【74】を左に見ながら、、、、工場の最後辺りの交差点【75】から左折したら直ぐそこが豊鉄バス停“国隠”だった!【76、77】 この時15:52、長かった〜! フッ〜!(汗)。ト−タル14qの歩きのFinish。幸い直ぐ来たバスで豊橋駅まで、16:32豊橋 発の電車で帰路に着きました。

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今回の見所は先ず最初の“姫街道”、昔を偲ばせるなかなか風情のあるコ−ス! しかし昔の旅人、特にこのコ−スは主に女性が歩いたらしいが、昼なお暗き森の中の、しかも草鞋での登り坂はさぞや難儀だったろうな〜! 心細かっただろうな〜? もう一つ“富士見岩”はかなり絶景! 今回は残念ながら“富士見えず岩”だったけど! 静岡県側からのハイカ−が多いようだ。また“大知波峠”の国指定史跡、廃寺跡”はちょっと興味が沸く場所! 平安時代に150年ほど栄えた山寺らしいが、当時の僧侶も修行の合間にここから“浜名湖”を眺めていたんだろうか?  

今回、下山コ−スが最初の予定より狂ってしまったが、後日地図をよくよく精査してその原因を考えてみたら、【36】で林道に降り立った後、そのまま直進せずに右折して上の林道と繋がる途中まで進んでいたら左側への“石巻山”方面へ行ける様だった。そうしたらあんな長ったらしい林道歩きを延々としなくて済んだはず! そして場合によっては“石巻山”まで登ることも出来たかも? しかしまぁ〜これも経験かッ! 

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