ニンジン
習慣というものは恐ろしい。 俺は話をしながら無意識のうちに室井さんの食べているビーフシチューに 手を伸ばし、ごろんと大きいニンジンを拾い上げて自分の皿へ移していた。 室井さんはカレーやシチューに入っているこの煮えたニンジンが嫌いなのだ。 いつもそれを食べる役目は俺。
室井さんは生のニンジンは嫌いじゃ無い。 晩酌の肴に野菜スティックを作ると美味しそうにコリコリと食べてくれる。 細く切ってサラダに入れても食べてくれる。 炒めたニンジンもまあまあ好き嫌いなく食べている。 外食で肉料理の付け合わせに甘く煮たニンジンが付いて来るとそれはあまり 好きではないようだが甘ければ一応は食べる。 でも、カレーやシチューに入っているニンジンだけは何故か食べない。 どうして? と聞くとちょっと口をとがらせちらりと上目使いに俺を見て 「ニンジンは煮ると味が変わってあまり好きじゃないんだ。我慢すれば 食べられないこともないけれど…出来れば食べたくない」 と小さく答えた。 視線を外してほんのり目許を赤らめ怒ったように横を向く室井さん。 それを可愛いなあと思いつつ、嫌いなら仕方がないね、と納得してしまった 俺はそれ以来、室井さんのお皿からその手のニンジンを引き受けて食べている。
室井さんはたぶん、他の人達の前では好き嫌いのことなどおくびにも出さず カレーやシチューのニンジンも残さず全部食べるのだろう。 でも、それってストレスだよね。
2人だけになると、自分の皿に入っている煮込みニンジンを全部拾って 何も言わずにそっと俺の皿へと寄越す室井さん。 黙ってそれを口に入れる俺。 なんかこれって、仲良しの友だちっぽいよね。 ニンジンと共に噛み締める小さな幸せ。
その日も俺は無意識のうちに皿を寄せ、室井さんのシチューから ひょいひょいとニンジンだけを拾って自分の皿に移していた。 ごく自然に。 すみれさんたちとおしゃべりしながら。 そう。 この時俺は、みんなと一緒に食べているという状況を忘れていたのだ。 「……………」 すみれさんと雪乃さんと真下の、驚愕の視線が俺の手許に突き刺さる。 会話が上滑った。 なんか視線が痛い…んですけれど。 そりゃそうだよね。 一応この御方、キャリアで雲の上の上司様なわけだし。 今、5人で一緒に飯を食っているこの状況こそが珍しいくらいで。 上司の皿から本人に断わりも無くニンジンを取ったのは…しかも、いかにも 日常的にやり慣れてますって動作でナチュラルにやっちゃったのは……ねえ? やっぱり何か言わないとマズイのかな。 あ、室井さん固まっちゃってる…。
ええと、これは、その、室井さんはニンジンが嫌いで、あ、でも全部キライな わけじゃなくてナマのニンジンは好きなんだけれどでも煮たニンジンは…云々。 シドロモドロに言い訳を始めた俺を真下が恨めしそうな目付きでジッと見ている。 怖いよ真下クン、そんな目で見つめないで。 真下が低い声でぽつりとつぶやいた。 「……仲、いいんですね。先輩たちって……」 すみれさんがさらに爆弾発言を追加した。 「ほ〜んと。まるで夫婦みたい」 怖いよやめてよすみれさん。そりゃ俺だって仲良しだとは思っているけど。 その例えはマズイっしょ? せめて親友…って。俺たち親友なのかな…。 跳ね上がる心臓をどうにか押さえて。 俺は引き攣った営業スマイルを浮かべて馬鹿みたいに笑ってみせた。 やだなぁ、ナニ言ってるのよキミタチ。俺と室井さん、名コンビだもの。 これくらい仲いいの当たり前じゃないのよ。ねえ? 救いを求めるように愛想笑いを向けた先には、これ以上ないというくらい 不機嫌な眉間に縦皺を刻んだ怖い顔。 睨まれているのに、おっきい目だなあ綺麗な宝石みたいなんて一瞬見とれた ことはナイショ。 あああやっぱり怒ってます? ………怒って…ますよね……おこがましくてゴメンナサイ……。 俺はよっぽど情けない顔をしていたのだろうか。 睨んでいた室井さんがふっと笑った。 ……可愛い。 また性懲りも無くそんなことをぼんやりと思ってしまい。 室井さんはそんな俺に 「ほんずなっすが」 と小さくつぶやくと、背筋をしゃんと伸ばし、ゆったりとみんなを見渡して クールに言い切った。 「腐れ縁だ」 あああ………やっぱり? ねえ。 せめて名コンビって言ってくださいよお。
★おしまい★
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