「かぜひきこぎつね」−長調と短調の話から−


小学校の音楽の時間にならった「こぎつね」という歌,みなさんご存じですか? あの「こぎつねこんこん,やまのなか,やまのなか」という曲です。

私の記憶では,この曲を習ったとき,「じゃあこの曲,ミとラを半音さげてみます」と先生が言わはって, それをピアノで弾かはりました。すると,とたんに物寂しい曲調になるのです。 もし原調がハ長調とすれば,ハ短調になったということですね。
(実際の調子記号は,ミとラのほか,シも半音下げるのですが)。

そして新しい歌詞が与えられます。「こぎつねこんこん,かぜひいた,かぜひいた」クラスのみんなも悲しそうに歌いました。 同じ曲がこんなに違って聞こえるなんて・・・当時の私にとってかなり印象に残った出来事でした。

そのあと,二胡を習い始めた私に,またまた衝撃が走ります。Y先生から「独弦操」を習ったときでした。 最初楽譜をさらった時は,「なんとなく明るい感じ」がしたのですが,先生はこの曲を「あきらめ,悲憤」の 表れだというのです。「ええ? 中国の人はそういう気持ちを“長調”で表現するんですか?」と聞き返してしまいました。

でも,そもそも,「長調(dur)」「短調(moll)」という概念自体が,西洋音楽を学ぶうえで教わったことなので, むしろ,それに当てはまらないほうが多いのかもしれません。

ということで,「かぜひきこぎつね」体験以来,長調=楽しい 短調=悲しいとしていた単純な図式が,ここではじめてひっくり返ったわけです。

よく考えると,日本のわらべ歌も悲しい曲調ですね。(このへんに興味ある方は, 小泉文夫「日本の音」(平凡社ライブラリー 1994)をごらんください。)

さて中国の音楽に戻りますが,ちょっと長調と短調の話とは離れますが, 次に似たような体験をしたのは「漢宮秋月」を習ってる頃でした。 一生懸命練習してると,それを聞いてた友達が一言。 「な〜んか脳天気な曲やねえ」

ありゃ,ぜんぜんそんなんじゃないんだけど・・・。Y先生の説明によれば, これは漢代の宮女だった王昭君が,北方の遊牧民族をなだめるために嫁にいかされ, 異国で中秋の月をみながら望郷の念をつのらせるという 悲しい気持ちがこめられているとか。ノー天気とはほど遠いぞ。

もちろん,みなさん心の中で「それはあんたの腕のせいや!」とつっこまれたでしょうが, そしてたぶん仰せの通りだとは思うんですが,そこを離れて,もちょっと踏み込んで考えてみました。

果たして,こういう曲を超超一流のソリストが弾いたとして,そして観客が一般の日本人,つまり 曲の背景をぜんぜん知らない人たちだったら,いったいどういうふうに受け取るんでしょう?

(もちろんステージ上では,演奏中の奏者の表情やしぐさをみれば,そう音楽に鋭くない人でも 曲にこめられた気持ちをある程度推しはかることはできると思うのですが・・・)

ここでちょっと立ち止まってみますと,出演する側,聞く側にかかわらず, コンサートに関わる人の考え方には2種類あると思うんです。 つまり,音楽の解説や背景・解釈について,なるべく詳しい情報を提供したい,あるいは提供して欲しいタイプと, なるべくそういう先入観なく,まっさらな気持ちで音楽と接してほしい,あるいは接したいというタイプと。

私自身は前者で,もし聞く側に回っても,できれば知ってる曲,もっと言えば弾いたことのある曲のほうが 思い入れたっぷりに聞けるし,またある曲について細かいところまで事前に解説があったうえで聞けたら いっそう楽しめるのになあ,と思うタチです。

もちろん,後者の考え方も理解できます。しかし,自分が中国の曲を練習したときの受け取り方の あまりのギャップを鑑みるに,「漢宮秋月」ってノー天気な曲なのね,で果たしていいのか,と。

まあ,それは受け取る側の感受性の問題,あるいはどう受け取ろうとそれは聞く人の自由だ,という 考えもありえますね。

もっといえば,この受け取り方は民族性の問題とも関わってくるのかどうか,ということもあります。 簡単にいえば,一流のソリストが弾いた「漢宮秋月」なら(つまり送り手の表現が完璧ならば), たとえ事前に知識がなくても,聞く側が中国人であるならやはり悲哀を感じ取ることが可能なのか, ということです。

しかしそこまで立ち入ると,今の私の力量ではこれ以上文章をつづけられなくなりますので, この項はこの辺でやめときます。

えっと,内容にとりとめがなくなったのでまとめますと,中国の曲が表現するものには, 西洋音楽の感覚がしみついた私らには直感的に分からないこともあるなあという個人的感想が一つ。

その感想をふまえ,もし中国音楽を聞く側に曲に対する理解が無い場合,ただしく曲を受け止めることができるのか, いや,正しい正しくないとかそういうのは関係なしに聞く側の自由なのか,という疑問その1。

またこの受け取りの違いには民族性も関係しているんだろうか,という疑問その2・・・です。

みなさんはそういうことに遭遇したことがありますか?
またそういうことについて何か考えたことがありますか?
これを読んで何か思うことがあれば,当HP掲示板か  こちら に ご意見をいただければ幸いです。
                                 (030912)


おまけのページへ戻る
トップページへ戻る