歩を邯鄲に学ぶ−「教える」ということ

私はこれまでJ先生・Y先生・L先生・P先生(とりあえず全員仮名)に二胡を習ってきました。
(このなかには現在でもならっている先生もいますが)

生徒として,私は「教わる」立場から先生方に接してきましたが,
あるとき,Y先生から壮絶な話を聞きました。私はそれを聞いて,
「二胡を教える」ということがどんなに困難で大変なことか,身にしみて感じたのです。

3年くらい前のある日,先生は私の快弓(速い弓)に問題があると指摘なさいました。具体的には

(1)手首をほとんど使っておらず,腕から動かしていた
(2)外弦を弾いているとき全く馬毛を張ってなかったため,換弦のたびに弓が泳いでいた

ために,余分な動きが生じ,それによって雑音を発したり,なめらかな移行を妨げたりしている,と。

それを矯正するために,いままでやってた難しい曲の練習を,いったん,すべて停止しました。
かわりに,「15515115」等の基礎練習や,「平原競馬」という曲を集中的に練習したのです。

弓の張りを保つためには,右手指に一定の力を保って馬毛を支えなければなりません。
しかしそうすると手首が硬くなります。逆に手首をリラックスすると,指の力が抜け,弓が泳ぎます。
二つの相反する動作がどうしてもできず,弱音を吐く私に,先生は静かに自分の経験を話されました。

「快弓」をどうやってこなすか−これについては,いろんな先生がいろんな言い方・いろんな教え方をしている。
自分は果たしてどのように教えればいいのか。とりあえず,それらの方法をすべて自分でやってみなければ・・・

こうしてY先生は知ってるかぎりのすべての方法をためしてみたそうです。
「とにかくくにゃくにゃ動かす派」「手首だけ動かす派」ほかいろいろおっしゃいましたが
みなまでおぼえていません・・・。
そしてひととおり試したあと,先生に何が起こったか?

なんと,自分がいままで普通にこなしていた快弓を,すっかり忘れてしまったんだとか。
愕然として,それをとりもどすのに何日も何日もかかったということです。

それを聞いて私はふとある故事を思い浮かべました。
ある人が都のきどった歩き方を学ぼうとしたが,それを学びきらないうちに,
自分のいままでの歩き方を忘れてしまい,しかたなく地面をはって帰った,というものです。

いま,HPに書くために改めて調べてみたら,それは「歩を邯鄲に学ぶ」という『荘子』の故事でした。
辞書には「自分の本文をわすれて人のまねをすると,あぶはちとらずになるたとえ」(角川新字源より)と
ありました。ああ,今思えばなんて不謹慎な想像をしてしまったのでしょう・・・。

とにもかくにも,「教える」ということはかくのごとく大変なことだということ,
そして,そんな苦労を経た先生が,その経験をもとに私に一生懸命教えてくれてはることに
かぎりない感謝の念を感じました。

果たして,「快弓」問題は解決できたのか? いやいや,まだちゃんとできてないと今でも思います。
そのたびに,Y先生の話を思いだし,「がんばろう!」と思うしんちなのでした。
(この項,終わり)



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