「変化」への意識

最近,G先生とのレッスンのなかで,「山村変了様」という曲を少しやりました。それに触発されて,当時のことを少し思い出したので書いてみます。

この曲は,最初,Y先生から習いました。揚琴の前奏が終わり,それにつづく冒頭の二胡メロディ, なにやら訳が分からなかったのです。河南小曲もそうでしたが,なんかフレーズの流れが読めないというか・・・。 さらに,譜読みのとき「山村変了様」つまり山村が変わってしまった・・という題名に目を留め, これは「山村,つまり自分の故郷が,開発やら何やらで,様変わりしてしまったんだろうな」 というふうに受け取ってしまったのです。そこで,訳わからないメロディながらも, やや哀愁を込めて,ゆったりと練習してきたのです。

で,実際の曲はというと,実はけっこう速くて,しかも嬉しそうに弾くんですよ。 よ〜く見たら,楽譜に「軽快 有精神地(軽快に,元気よく)」と書いてあるではないですか!  自分に都合の悪いこと(?)はすっとばすイケナイ癖がでてしまったのですが, しかしですね,(自分の見落としを棚に上げるようですが)これって, 「変化」に対する,日中の文化的な差異があるのではないか,と思ったのです。

わたしにとっての「ふるさと」は,なんどか転勤を重ねたなかで,いちばん長く居た九州の某県です。 小中高校と,子ども時代のほとんどをそこで過ごしたのですが,そのあと転居したので,すでに そこには帰るべき家はありません。このことが,わたしの「ふるさと」に対するイメージを, やや稀薄な,かつ,もの悲しいものにしています。

同窓会などでこの某県に立ち寄ることもあったのですが,依然として変わらないところも ありました。しかし見違えるほどあか抜けた商店街に感心しながらも,もう昔のママではないんだな・・・ という,そこはかとない寂寥感を感じた覚えがあります。それも,連絡係となってくれた地元の子が 結婚で離れたため,もう行く機会もなくなりました。

自分のいま住んでいる町は,もっともっと便利に,キレイになって欲しいけど, できればふるさとには変わらないでいてほしい,古い記憶そのままで残して欲しい・・・ これは,かなり自分勝手なエゴかもしれませんけど,しかし,ふるさとから離れて暮らすものにとっては, ある程度共通する想いではないでしょうか? しかし中国の方,すくなくともこの曲が作曲された 50年代の中国では,違ったんですね。

50年代の末期,具体的には1958年から,中国は「大躍進」が始まります。この曲はその真っ最中か,少なくとも そういうムードがもりあがる時期に作られたのだと思います。工業大国イギリスに追いつき追い越せという 号令のもと,国中が浮かれたように増産に向かいますが,気分的には,「変わる」ということは 改善であり,進歩であり,躍進であるというイメージと結びついていると思います。 そこには,「故郷も変わってしまったなあ」という感傷が入るスキは全く無いのです。

たぶん,人によっても違うんでしょうが,しかし全体的にみると,中国は変化を恐れないようです。 楽器や奏法なんてどんどん変えてしまう。琵琶とか典型的ですね。いまは二胡も人造蛇皮の 開発が進められているようで,私もちょっとそれを弾かせてもらったことがありますが, やや音が軽いものの,ビニールにウロコ模様をプリントした日本の「パチもん二胡」より かなり良い音がしました。
また別の機会にL先生に人造皮二胡の評価を聞きましたが,湿度等の外的条件に左右されず, 調整も容易なので,もっと改良されればこれが取って代わるだろうし,安定した供給ができる(また 日本人が楽器を空港で没収されることも無くなりますね)と,おおむねプラス評価でした。 しかし,個人的には,自然のものでしか表現できないものもあるのではないか,という フクザツな思いもあり,そう手放しで喜ぶという気持ちではなかったことを告白しておきます。

確かに,日本は古いモノはそのまま残しておきたいという気持ちがより強く働くのではないか,と 思ったりします。それに良い悪いという評価をつける気はありませんが,例えば建築などでいうと, (空襲を逃れたという幸運もありますが)木造建築の寺院が沢山残されていますし,それでなくても 裕福なご家庭の壮麗な和風建築などのつくりには,唐代建築?の遺風がみられる,と, とある中国人留学生が感心していました(このことどこかに書いたかもしれませんが)。 また,中国の古い貴重な書物など,すでに中国で失われたものがけっこう日本に残っており, これは当の中国人がびっくりするくらいだと聞いたことがあります。

ちょっと話がそれましたが,ふるさとのことでしたね。たぶん,変わってしまった故郷に対し, たとえそれが便利に,快適になったとしても,一抹の寂しさを感じるのが日本人ではないでしょうか? だったら,「山村変了様」を完全にしっくりとひきこなすのは,もしかしたらムリなのかも しれません。しかし,この曲の二・三段あたりは個人的にはとても好きなんですけどねえ・・・。

ところで,同じふるさとを歌うにしても,日本人としてしっくりくるのは, 陸修棠の「懐郷行」ではないでしょうか? 
異郷の地における望郷の思い・・・これはきっとどの民族にも共通するものでありましょう。 しかし,この曲が作られたのは1936年秋で(同年12月に西安事件勃発), 数年前にはすでに満州国があり,翌年には日本軍が上海,南京へと侵攻していく,そういう年なんです。 つまり,この望郷の思いには,同時に悲憤,ならびに憂国の情も反映されているのであり, それは日本によってもたらされたものだと知ると,思いは複雑です。

まとまりがなくなりましたが,ただ,「ふるさと」を歌うふたつの二胡曲について, ふと思ったことを,とりあえずかきとめておいた次第です。(2004.09.01)

(この項,終わり)

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