歩歩高 bubu gao   呂文成作曲


●題名●
この曲は呂文成(1898〜1981)が1932年以降に書いた曲とされてます。 呂文成は広東音楽の形成・発展に寄与した人物として有名で, 広東音楽に欠かせない高胡の開発・演奏などのほか, 多くの広東音楽を作曲しました。 なかでも「歩歩高」は彼の代表作とも目され,中国では今に至るまで広く愛されている曲です。

この曲名は,中国語の「歩歩高昇(歩歩登高とも)」にちなんだと言われています。 これは成語(四字熟語)で,意味は「とんとん拍子に出世すること」。
とてもおめでたい言葉です。

いまもあるのかどうか分かりませんが,中国のDVDプレーヤーに 「歩歩高」という商品名のものがありました。 私の留学中(97〜99年)はそのテレビコマーシャルにおいて 李蓮傑(ジェット・リー)が「歩ー,歩ー,高!」と滑舌よく宣伝してたのを覚えています。

また,この曲名はあとでのべる曲の構成の特徴とも深く結びついています。

●構成●
「歩歩高」は明快で変化の多いリズム,起伏に富んだメロディが特徴で, 活力にあふれ,聞いててとても楽しくなるような曲です。

2小節の前奏に続いてメロディがはじまりますが,そこでいきなり一オクターブの跳躍があるなど, 全曲を通じてほぼ出ずっぱりでメロディを担当する高胡は,頻繁にポジション移動があって, 実に忙しいです。

構成上の大きな特徴は,リズム・メロディライン双方に「段階性」があること。
同じ音型を繰り返しながら音域が段階的に上下するところがあり, それに従って音量も段階的に強弱がつきます。 特に曲の後半部分にこのパターンがかなり明確な形で繰り返し現れています。

このようなメロディラインの特徴が,「歩み,また歩んで高みに登っていく」ことを 意味する「歩歩高」という曲名と深く関連しているんですね。

また,流暢なところと,ふっと停頓するところの対比,さらには高音と低音の配置バランスなど 非常に考え抜かれた構成がされています。

呂文成は,この曲の旋律の展開に,中国の伝統音楽(特に器楽)に多様されている 「反復」・「加花」・「拡展」等の手法を用いて,曲の活発さと明快さを強調しました。

 ・「反復」はいわゆる「繰り返し」で,同じフレーズを何度かもちいること

 ・「加花」は基本メロディに装飾音を加えること
  ↑ 「加花」はもう一つの手法「放慢」と組み合わせて「放慢加花」と使われることが多いです。
     この語は将来,「江南糸竹」の説明で触れることになると思います。


 ・「拡展」は,他本にある「展衍」と字面が似てるんで,一瞬「これかな?」と
   思ったんですけど,「展衍」の解説文をみるとなんとなく違うっぽいので,
   憶測で書くのはやめときます。

   ※さらにこの曲は「自由模進手法」を用いて楽曲に新しい趣向を加えている,と書いてあるのですが,
   「模進」というのも,某楽器店の二胡テキストの翻訳時から頭を抱えている用語です。
   上海で音楽用語辞典を見つけたら,ぜひこれらの語の意味を確認したいと思います。


話を戻すと,これらの伝統的な手法に,「外来」の新しい作曲技法を巧みに融合させたという 非常に創造性にあふれている曲だそうです。当時,このような手法が流行ったのですが, この曲はそれがうまいこと成功した希有な例で,発表当時の広東音楽の楽壇に一大センセーションを 巻き起こしたということです。

……ということは,その背後には現在にまで生き残れなかった失敗作が 累々と横たわっているんでしょうなあ。

●背景●
彼の伝記によると,広東省出身で,長らく上海に住んでいた呂文成ですが, 1932年に上海で日本海軍陸戦隊が中国軍と衝突した「上海事変」 (事件の起こった日付にちなんで一・二八事変とも言われている)をきっかけに 香港に移住したということです。そして,そのまま香港で他界しました。

ということは,「歩歩高」はおそらく香港で作曲されたと思われます。

前に触れたように,呂文成は,この曲において当時の正統派の広東音楽の伝統を きちんとふまえながらも,その枠にとらわれず,大胆に新たな表現技法を取り入れました。 だいたい「新たな」とか「外来の」というあいまいな表現がされているのですが, 明確に「西洋音楽の影響」と指摘する解説もあります。

当時の香港には,粤曲(エツキョク。粤は広東地方の古称)の大物演奏家が集まっていて, なかでも,呂文成と,彼と長年仕事をともにした尹自重・何大・程岳威の4人が 「四天王」と呼ばれていたそうです。(後期には程岳威の替わりに何浪萍が入るらしい)

大物たちが切磋琢磨しあう香港では,多くのレーベルが設立されて優れた音楽家を雇い,広東音楽をつぎつぎとレコーディングして行きました。
うち,呂文成が関わったものだけでも270種に昇るレコードが制作されたということです。 この数だけみても当時の香港の広東音楽界の熱気が伝わってくるようですね。

しかしこの時期,国際的には始終不穏な空気がただよっていました。
日中両国は,1931年の満州事変と,呂文成の香港移住のきっかけとなった1932年の上海事変を経て, 1937年の盧溝橋事変を契機に,ついに全面戦争へと突入します。

呂文成は1980年代まで存命していたようですが, 戦後,この曲を日本人が演奏するのを目にする機会は果たしてあったんでしょうか?
もし,私たちがいま演奏していることを彼が知ったら,どんな感慨を抱くのでしょうか?


※演奏データ:
・この曲の特色である「段階性」を意識して,一段一段,きちんと強弱の変化をつけること。はぎれよく演奏することが大事だと思います。

・文中にもあるように,音が飛ぶことが多いのでつい必死になってしまいますが,
とにもかくにも「楽しそう」にすることですね。

・「歩歩高」には,前奏以後の全体を2回繰り返す一般の「歩歩高」のほか, くりかえしのあと,さらにアップテンポしたコーダがつくバージョンも有ります。
張先生によると,後者は「“大”歩歩高」と言われ,大編成の楽団ではたまにこのバージョンが使われるそうです。

※出典データ:
・上海音楽出版社編『中国音楽欣賞手冊(続集)』(上海音楽出版社 1989)492頁
・中国芸術研究院音楽研究所編『中国近現代音楽家伝 第1巻』
                          (春風文芸出版社 1994)330,334頁
 ↑ 呂文成本人の写真も載ってますが,ちょっと盧家熾(ロ・カシ)に似てる。広東顔?

・CD『伝統粤(エツ)楽名曲精選』解説,14頁
・李民雄『民族器楽概論』(上海音楽出版社 1997)第5章,第6章

・『コンサイス世界年表』(三省堂,1976)
・『角川世界史事典』(角川書店,2001)
 ↑ 中国近代史はかなりアヤフヤで,こういうのをいちいち引いて確認しないといけないのは
   歴史出身の人間としてちょっと情けないです。




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