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10がつ

20011026
25日14時頃、パソコンが立ち上がらなくなりました。青と赤の小さいアルファベットのビーズができたので、それを布の上に並べて、デジカルカメラで撮りました。フロッピーディスクアダプターをパソコンに差し込んで、さて画像を取り込もうと思ったら動かなくなったのです。Windows has……long file name……Ctrl+Alt+Deleteという文字で止まるのです。Ctrl+Alt+Deleteを何度押しても同じでした。試しにパソコンをトントン叩いても駄目でした。

母はパソコン教室に出かけて留守だし、Kは会社です。机の中や本棚にある説明書などををほうり出して、IBMサポートセンターの電話番号を探しました。パソコンが動かない恐怖というのは、「これは夢でしょう?夢ちゃうの?お願い夢であってください」というほどのものなのです。なにせ、バックアップを全くとってないものですから、数年分のデータやパスワードなどが消えてしまうのです。

サポートセンターに電話をしました。「ThinkPadのお客様は1を、Aptivaのお客様は2を」というガイダンスに従って進めていくのですが、「ピー」という音がなる前に押していました。10分ほどたって、ようやく本物の女性の声で「1件につき3000円かかります」と料金の説明をしました。いつもなら、うだうだと理屈をこねて無料にさせるところですが、「はい、お願いします」と即答しました。

サポートの人に替わりました。「う、Windows has……long file name……Ctrl+Alt+Deleteで、と、止まるんです」と云いました。息切れしそうでした。男は丁寧過ぎるぐらいの落ち着いた声で「では、起動していただいて、Starting Windows……というメッセージがでたら、F8を押してください」と云いました。つまりそのよくわからないのですが、セーフモードで起動するというわけです。それでも立ち上がりませんでした。プリンタやスキャナのケーブルを抜いても駄目でした。絶望的です、「駄目だ駄目だ、うああああーん」という感じです。こんなときは壁につるしてあるお守りを「役立たずめ!」と憎むものです。

原因はCドライブの空き容量がなくなっているということでした。「使わないソフトなんか削除すればよかった……」と思っても後の祭りです。「これはですねえ、故障ではなくて、DOSコマンドでファイルを削除すれば起動するかもしれません」と男は云いました。「そのやり方を教えてください」「こちらでは、お客様のハードディスクを削除するということはできませんので、DOSの使える知り合いに頼んでください」「そういうのは教えてくれないんですか……」「サポート外になってしまいますからねえ、こちらに持ってこられても、リカバリーするしかありません」と男は冷たく云って電話を切りました。

とにかくKの帰りを待っていればよかったのだけど、手当たり次第に電話をかけなければ気が済まなかったのです。Kの職場にはさすがに電話できないので、留守とわかっているKの家に電話をしました。当然留守です。サポートセンターの人に「パソコン雑誌などに載っている修理はすごく高額です」と云われていたのですが、パソコントラブル出張にも電話をしました。ああいうところって直らなくても(潰れても!?)数万は取られるそうです。

18時。母が帰ってきました。「駄目かもしれない、駄目かもしれない」とふてくされていました。泣いていたかもしれません。「バックアップちゃんとしときや、って云ってくれてたらよかったのに!」と、パソコンをほとんど触ったことのない母に喧嘩を売りました。母は「他人のせいにするにもほどがある!」と怒りました。

今までにもcgiが動かないなどのトラブルはあったわけで、管理者に聞かなければどうしようもないことなのに、パニックになったことを思い出しました。落ち着いてKの帰りを待つことにしました。最悪リカバリーのことも考えて、「ちょうどパソコンの整理ができていいや」と開き直る決心もしました。でもこういうときって時間が長く感じるんです、なかなか進まないんです。新聞を読んでいても、「こんなの、どうでもいいんじゃ」という気持ちでした。

21時。やっとKが電話にでました。「はぁ、ずっと電話してたんだ。もう駄目かもしれない……」と死にそうな声で云いました。「死んでやる!」とクスリを飲んでいたときの声よりも、死にそうな声だったと後でKが云っていました。Kは仕事で疲れているのに優しく「じゃあね、F8を押して、command prompt onlyを選択してから、Ctrl+Cを押してごらん」と云いました。「うんうん」とKの云うとおりにしました。ゆっくりとDOSコマンドを打って、temporary fileを削除しました。

そしてCtrl+Alt+Deleteしました。立ち上がったのです!!!!!!!!本当に「!!!!!!!!」という気分でした。Kが目の前にいたら押し倒して抱きついていたことでしょう。「こんなこと誰だって知っているよ」とKは云っていましたが、Kは天才で、なんだって直すことができるし、なんだってかなえてくれる魔法の手を持っている人だと思っています。

「ほら、Kさんに教えてもらいなさいって云ってたでしょう」と母が云いました。「ほら」ってなんだかよくわかりませんが、そうなんだと思います。「ほら、Kが直してくれた、ほら、Kが教えてくれた、ほら、Kがやっつけてくれた、ほらほらほらね!」ということなんでしょう。

わたしはこれに懲りて新しいパソコンを買うことにしました。

20011024
前にも書いたと思うが、わたしはKによく電話をかける。Kはわたしと違って普通に勤めているので、日中は電話ができないわけで、平日は大体21時から3時の間に電話をしている。Kが会社に行ってる時間にも電話をかけることがある。変なことをするもんだと自分でも思う。「もしかして、誰かがでるんじゃないか」というドキドキも0.01パーセントぐらいあるけど、リダイヤルの慣れたトーンを聞いて安心するためにしている。やっぱり変だよね。

ちなみに、Kは携帯電話を持っていない。持っていないというよりも、「持たないで欲しい」と頼んでいる。もしKが携帯を持っていると、今以上に止めどなくかけてしまうだろうからだ。

「コンビニに行く」とKが云って、電話を切った直後にも電話をかける。「本当に出かけたかな?」と確認したいのだ。こういうことをしていると、「失礼だよ、人を信用したらどうなんだ」と嫌がられる。信用してないわけじゃないのだけど、執拗に確認したくなるのは病気のせいにしている。「わたし病気だから〜」というのは治す気がないとか開き直っているとか卑怯だとか、そういうんじゃなくて、「病気がこうさせている」とわかっていれば、ラクになることもあると思うのだ。自己嫌悪してうだうだしているよりは、あっさりと病気のせいにしてしまって、前に進む方がいい。

20日土曜日。会社は休み。Kが「コンビニに行く」と云うので18時に電話を切る。5分後に電話をかけて出かけたことを確認する。19時に電話かける。まだ帰っていない。悶々とした気分のままウォーキングシューズをはいて母と散歩に出かける。歩きながら何度も電話をかけていた。「散歩のときぐらい電話をするのやめなさい」と母が呆れて云う。

20時45分。本屋に寄る。新刊本、文庫本、ガイドブックなどを見る。本屋にいるときは、少しだけKのことを忘れて本に集中できる。それでも、Kが読んだという本を探している。22時。店内から閉店の音楽が流れる。荒木スミシの『グッパイ・チョコレート・ヘヴン』を購入。店を出て、もう帰っているだろうと期待をして電話をするが、でない。どうしたんだ、どうしたんだ……、どこでなにをしているんだ。19時には帰ると云ったのに。ファミリーレストランで本を読んでいるのか。それとも、もしかして、もしかして……。

そういえば、わたしの電話の前に、電話が鳴ったと云っていたね。Bかもしれない、AさんからKの電話番号を聞きだして、BがKに電話をしたんだわ。きっとそうに違いない。BはずっとKのことを狙っていたもんなあ、それぐらいわかっていたんだよ。コンビニに行くと嘘を付いてBと会っているなんて!いやいや……、これは妄想なんだよね。そうそう、妄想なんだ。疲れていると妄想がでてくるじゃない?Kのことだからベルの音にも気づかずに寝ているんだよね。でもでも……、もしかしてってことがあるでしょう?あああああ……!

と(笑)、いまだにこう頭の中がぐるぐると回転することがあるのだけど、極端な話、こういう状況になれば、病気のことはおいといて、メリットがあるかないかを考えればいいんだよね。メリットがあれば続けたらいいし、なけばやめてしまえばいいのだ。KがBと会っていたとしても、それは変えようもないことであって、わたしがすぐに東京に行って確認できるものでもないわけで。妄想してメリットというと、こうやってKのことが書けるということかな、いや冗談じゃなくて。

KはBと会っていたのでもなく、その他の女と会っていたのでもなく、疲れて朝まで寝ていたということだった。トンデモないことを妄想していても、こうだと気が抜けてしまう。だからなんというか、本の一冊でも読んでいなさいと思うわけですよ。とほほほ……それにしても暇やねえわたし。

20011019
病院は2週間に1回になった。なったというよりも、わたしがそうしようと決めた。可愛い先生とお話する時間が減るということなのだ。ここで考えてしまうわけで、医師は仕事でやっているのだから、「2週間に1回にしてください」と云っても全然構わないのであるから、それだけ云えばいいのに、「今調子がいいのは、躁になっているだけなのかもしれませんが、とりあえず診察は2週間に1回にしようと思うんです」と、回りくどい言い方をしたわけだ。「あ、そうだねえ、そうするか」と先生はあっさりと答えて、「でも診察だけでもきてもいいからね」と付け加える。いいセンセだ。

診察内容はネット関係のことが多かったのだけど、最近は「どこへ出かけた」とか楽しい話をするようにしていた。病院で「していた」というのは変かもしれないけど、とくに問題がなければわざわざ問題を作ることもないと思うのだ。医師側も昔のトラウマの話になっていくのを避けているように思う。うんと昔のことを解くことよりも、とにかく前に進んでしまえということなんだろうか。

奈良に行ったことなどを報告する。「行動することが増えてきたんですよ、バランスがよくなってきたんでしょうね」と先生の答えを聞く前に、自分で答える癖はなんとかしなければならない。意識して黙る。「そうかあ、うんうん」と先生は笑顔でうなずく。「距離は関係なくて、一人で出かけるのはどう?」「うーん、お母さんがいて当たり前と思っていたから考えたことなかったです」「一人では不安になるとか?」「うーん、不安かなあ……」「うん、ゆっくりでいいから、これから考えていこうよ、そういうのを考えるとまた面白いかもしれないし」。

わたしは母が運転する車の中で無言で考えた。母のことは好きだと思う。しんどいときは背中をさすってくれるし、おいしいご飯を作ってくれるし、部屋の掃除もしてくれるし、洗濯もしてくれるし、お風呂も沸かしてくれる。あちこちに連れていってくれるし、洋服も買ってくれる。

……母は、わたしのいうことを大抵なんでも聞いてくれる人です。「お小遣いを渡すから自分でお金の管理をしなさい」と云われているのだけど拒否しています。子供の頃に「お菓子ロボット」というロボットを作りました。牛乳パックを胴体にして、ガスコンロ用のアルミ箔をスカートにして、「朝起きたらスカートにお菓子が入っているの」と母にお願いするのです。入っていないと泣きじゃくり不機嫌になり延々と駄々をこねて脅迫する子供です。

病院の帰りにビーズを買いに行きました。「大体2回手に取ったものは買うようにしている」とKが云っていたので、手に取ったもの全てをカゴに入れていました。後からKに聞くと「手に取るというのは1日の内にじゃなくて、何日かたってということだよ」と呆れていました。とにかくビーズを選ぶのは楽しかったんです。カゴをレジに出したときに「買いすぎたかな……」と気づきました。家に帰って大量のビーズを見るとちょっと憂鬱な気持ちになりました。「買ったら飽きてしまった」とKに泣き言を云うと、「典子が元気になるからと思って買ってくれているのに何を云ってるんだ!」と怒られました。その通りだと思い、わたしは小さいくまさんを一つ作りました。今も子供の頃とあまり変わってないのかもしれません……。

しかし先生は上手いこと云うなあ、「考えると面白いかもしれないし」って。「お母さんがいなくなったらどうするつもり?いつまでもいないんだよ」と云われていたら、「うっせーな、わかっとるわい」ってなるもんね。わたしは、母のことKのことをロボットにしないように努力したいと思います。

20011017
最近のわたしは有言実行で「見たい、行きたい」と口に出せば、それは「見る、行く」ということなのだ。現実不可能なことはなるべく口に出さないようにしている。そういうことが病気が治ってくることだと思うからだ。

しかしまあ、「奈良に行きたい」「USJに行きたい」「広島の原爆ドームが見たい」「瀬戸大橋を渡りたい」「山口県の秋吉台が見たい」「九州に行きたい」「東京に行きたい」「ニューヨークのお姉ちゃんに会いたい」……と、どんどんと遠くに行きたくなる。「典子が元気になってくれるんだったら、できることはするけどね」と母の顔がひきつる。

奈良の大仏が見たかった。高いところも好きだけど、大きいものも好きなんだ。5月に行ったときは大仏の前まできたのに、17時に閉まって入れなかった。京都は慌ただしかったので、奈良ではゆっくりしたいと思っていた。「大仏と般若寺のコスモスを見るだけでもいいよね」と車の中で母と話していた。なんだかんだと確認をしないと、滅茶苦茶な行動をする二人なのだ。

わたしはいつも母とべったりでいる。わたしが誰かに話しかけられると、「ねえ、お母さん、お母さん」と助けを求める。こういうのって自立心がなくなるとか、依存だとか、いろいろとまずいらしくて、病院ではわたしと母は別々に診察を受けている。でも何がまずいんだろう、わたしにとっては全然まずくない。今はこれでやっていけてるのだからいいと思う。

般若寺は別名コスモス寺といわれている。約10万本のコスモスが咲き乱れる中で、わたしは夢中でデジタルカメラのシャッターを押した。一眼レフの立派そうなカメラをもっている人はきっと上手なアングルもわかっているんだろうなと思って、後をつけたりする。その人が去った後にパチパチっとね。蜜蜂がコスモスの蜜を吸っている。わたしは蜜蜂も追いかけた。コスモスだけよりも、コスモスと蜜蜂の方が可愛い。いつの間にかわたしは一人になっていた。「典子、夢中になっていたから」と母がお寺から出てきて云った。

40分ぐらいコスモスを見てから、東大寺に向かった。入り口で拝観料を払って大仏の大きさや説明が書かれた案内書をもらう。わたしはこういうものはその場で読まずに家に帰ってから読む方なので、母が説明をする。「典子、大仏って48.91メートルもあるんやって」「うそお、そんなにあるん?」と、25メートルプールを2倍想像して大仏を眺める。「ほんまあ?そんなにあるように思えんけど」「そう書いてる」「ふうん、そうなんや」と納得した。

大仏殿をでてから、やっぱり48.91メートルもあると思えなくて案内書を見る。「お母さん……、48.91メートルと違うやんか!単位をよく見てよ、フィートやんか!」「あら、そうなの」「左に14.98メートルって書いてあるのに……」「だったら、あんたがちゃんと読みなさいよ」「そういうことじゃなくて……、もお、お母さんは適当なんだから!」。

母はわたしのページをときどき見ている。つぶやきも読むことがある。「あんたねえ、わたしの馬鹿なことを書くのはやめてよね、自分のことだけにしなさいよ」と母は云うのだけど、「本当のことなんだからいいでしょう」と勝手な理屈で通している。12日のつぶやきは、わたしがKに頼んで書いてもらったわけで、母も読んだ。「Kさんが不憫やわ、お気の毒やわ、Kさんのことちょっとは考えてあげなさい」と云われた。Kにそのことを云うと、「そうだろ、そうだろ、典子のお母さんは僕の味方なんだよ」と得意気になっていた。

若草山でお昼ご飯を食べることにした。鹿のふんで足が滑らないかなとドキドキしながら山を登った。柵の手前ギリギリまで登ってお弁当を食べた。店員がお箸を入れるのを忘れていたので手づかみで(笑)。ぶつぶつ文句を云いながらだったけど、山で食べるお弁当はおいしかった。

山を降りて、時間に余裕があったので春日大社に向かう。「勝守」という小さいお守りを買う。すっかりお守り好きになってしまった。金閣では厄除けのお守りを買った。頑張っているときはこういうものもどんどんと吸収するんだよね。ベッドの上の壁ににフックをつけてお守りをかけている。「神さま同士で喧嘩しちゃわないかな」とKに聞くと、「喧嘩しても一番強い神さまが残るから大丈夫なんだよ」と答えた。Kの言葉もおまじないのようにわたしに効く。

奈良公園を通って帰る。ちょうど角切りが行われていて、ほとんど角が短く切られていた。たまに立派な角が生えている鹿は貫禄がある。繁殖期らしくて「カッカッカッ」と威嚇して他の鹿を追い払っている鹿もいた。角を木に擦っているのは、マーキングのようなものなのかな。

40分ぐらい歩いたところで、道標が立っていた。「え、わたしたち15キロも歩いたんだよ」とわたしが道標を見て云う。「そんなに歩いたんだ」と母。「ほら、ここから若草山まで15キロって書いてあるやん」「ほんとだ」。すごいねと二人で喜んでいた。しばらく歩いてから、「あれ?15キロを40分で?変だ、変だ」と思った。いつも歩いている散歩コース3キロは早足で30分かかるわけで、その計算からすると15キロは150分はかかるはずだ。

道標のところまで戻って確認した。1.5キロ……。「テンが抜けているじゃない!」「あらぁ……ははは」「お母さんも変だと思わなかったの?」「気づかないわよ、こんな小さなテン」「もお、お母さんは本当に適当なんだから、嫌になるわ!」「わたしのせいにしないでよ」「はぁ、そうだったねえ……この小さなテンが悪いんだよ!」。

でもね、こういうのも愉快だと思うんだ、後になって。帰り道の車の中でデジカメで撮った写真を見て嬉しくなるんだ。家に着いてからKに興奮気味で報告するのも楽しいんだ。Kが寝不足になるとか、考えなきゃいけないんだけど、それよりもKと話がしたいというのが上回ってしまうんだ。どうしようか。

20011012
てん子ちゃんとおしゃべりするのは楽しい。楽しいんだけど、てん子ちゃんは限度というものを知らないのか、つきあうのは大変です。でも、かかってくると条件反射で受話器を取ってしまいます。てん子ちゃんのウチの金魚みたいです。コンコンコンと水槽を叩くとヒョイヒョイヒョイとてん子ちゃんに寄ってくるそうです。その金魚のことをてん子ちゃんは得意がっています。いいことだと思います。僕も、電話のベルが鳴る0.01秒前には受話器を取れるようになりました。電話のベルの音が耳に到達するより先に受話器を取っています。信じられないことでしょうが、本当のことです。

朝、電話で起こしてくれることになっているのだけど、よく、てん子ちゃんは昼過ぎまで寝ちゃってることがあるので、起こしてもらえないこともたまに(?)あります。それでも、「昨日は起こしてあげたでしょ」と言います。昨日は昨日、今日は今日なんだけど、何か不思議な力で納得させられてしまいます。夜中の3時に電話のベルが鳴っても、ついつい出てしまいます。夜中の電話は、たいてい「寝られへーん(泣)」という内容です。でも、そのあとはよく寝られるようで、「寝られへーん(泣)」という電話の翌日は、お昼頃までスヤスヤと寝ているようです。ずるいと思います。そういう時は、僕は「起きられへーん(泣)」なのです。よく、電車の中でヨダレを垂らしそうになりながら寝ています。

K記す 10月12日

20011010
昔は電話が大好きだった。外に出かけるよりも、ご飯を食べるよりも、電話が好きだった。だから部屋に籠もって電話をしていた。今から考えると狂っていたんだろうなと思う。次から次へといろんな人と何時間も喋り続けていたんだもの。同時進行でチャットなんかもやっていて、「電話のときぐらいキーボードを打つのをやめろよ」と電話の相手が怒ったこともあった。でも電話もチャットもやめなかった。哀しいけど楽しかったから。

それから数年が経って、最近はすっかり電話が苦手になった。電話が鳴ってもほとんど出ない。電話嫌いになるとメイル好きになる(正確にいうと好きな人とメイルをするのが好きになる)。昔と反対。携帯に入ったメイルは、いまだに携帯から返事を出すことができないので、パソコンから返事を出している。雨が降っているとか、秋刀魚を食べたとか、目黒の秋刀魚の話とか、プラモデルを作ったとか、ジグソーパズルが完成しないとか、結構楽しい。このことを昔よく電話で話したJに云うと、「進歩というか衰退というか難しいね」と云った。

わたしは極端なことをやらないとわからない奴だ。というよりもわかっているのだけど、やらないとわからないどうしようもない奴(笑)なのだ。耳が痛くなるほど電話をして、リダイヤルを100回押して、手に汗が出るほど受話器を握りしめて、受話器を投げ飛ばして、モジュラーケーブルを引っこ抜いて、電話を冷蔵庫に隠して、やっとやっとバランスというものがわかったのだと思う。晴れた日に散歩をするのもいいし、雨の日は部屋で読書をするのもいいし、ゆっくりとメイルを書くのもいい。電話もたまにはいい、かな。

20011005
10時に家を出て12時30分に京都に着いた。京都のお寺は大体17時に閉まるので、約5時間で清水寺、銀閣寺、金閣のコースをまわらなければならなかった。銀閣寺は東山で金閣は北山にある。持っていた地図では端から端に離れている。結局、車で迷いながらなんとか行けたわけなんだけど、どうして哲学の道を走ってまで、どうしてお昼も食べずに金閣に行かなければならなかったのだろう。

こうやって書いていると冷静に判断ができるのだけれど、京都では「金閣を見なければならない」と血眼になっていたのだ。とにかく金を見ると元気になるからだとか、三島由紀夫の『金閣寺』を読むといいんだとか、念じるような信じるような、そんなものだったと思う。母もわたしが興奮しているのがわかっているのなら、「銀閣寺でゆっくりしよう」と云ってくれたらいいのに、こういうのを楽しんでいるような感じがする。本当に意地悪だ。

四条通りの『幾岡屋』で京友禅で出来たテディベアを買う。赤と水色のを2個。茶色い看板のマクドナルドで月見バーガーを食べる。18時のお昼ご飯。最後に八坂神社でお参りをする。途中、たどたどしい日本語で「シャッターを押してください」と頼んできた女性がいた。ライトアップされた朱色の門をバックにシャッターを押した。どこから来たんだろう、一人っきりで楽しそうだな、と思った。自分で自分の為に楽しんでいるんだもの。京都には一人で来ている女性が結構いた。わたしも今度こそはゆっくりと落ち着いて出かけたいと思う。無理かなあ……。

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