主な年間行事




○妙 円 寺 詣 り○





妙円寺詣みょうえんじまい

 妙円寺詣りとは、旧暦9月14日の名月の夜、関ヶ原の戦いで西軍にくみし、苦戦奮闘しわずか80の小勢で敵中突破てきちゅうとっぱ敢行かんこうして国に帰った島津義弘公の武徳をたたえ、気概きがいと苦難をしのび、そのれいなぐさめるため、10数の道程を往復する伝統行事です。

 四方学舎では、現在10月第4日曜日、陣羽織隊じんばおりたいを先頭に鎧武者隊よろいむしゃたいと隊列をって、照国神社てるくにじんじゃに参拝、西田橋を渡って水上坂みっかんざかを登り、横井で休憩してから、徳重神社とくしげじんじゃに参拝しています。
 江戸時代までの妙円寺が明治2年の廃仏毀釈はいぶつきしゃくで徳重神社に変わりました。




◇赤穂義臣伝輪読会◇





赤穂あこう義臣伝輪読会

 1月20日前後の土曜日昼、低学年の舎生も参加し、朗読力をつけることを主眼に、「少年赤穂義臣伝」の輪読会を行っています。
赤穂義臣伝輪読会は、旧暦12月14日主君浅野内匠頭たくみのかみあだった大石内蔵助くらのすけ以下47名の赤穂義臣の忠誠至純ちゅうせいしじゅんの精神をしのび、夜をてっして義臣伝記を輪読した舎の伝統行事です。


 例年通り、上記日程にて、午後2:00から南洲神社の社務所2階 四方学舎で行います。




□薩摩義士伝輪読会□





薩摩義士伝輪読会

 宝暦治水ほうれきちすいの総奉行 平田靭負ゆきえは、苦難の末、木曽三川治水工事を完了引き渡し、藩主への報告書を部下に託した翌5月25日、全ての責任を一身に負い割腹し相果あいはてました。 
 先立った51名の割腹者も「腰の物にて怪我いたし相果てました」との報告のまま、その辛苦の実状おおやけにされず150年余り秘匿ひとくされてきました。

 四方学舎では、5月薩摩義士伝輪読会を行っています。 今も岐阜の人々が薩摩義士たちの功績を世の中に広め、その精神をたたえ、感謝している事を知り、我々は、郷土の先達が遠く美濃みのの国で成した偉業を伝えていきます。


 ※詳しくお知りになりたい方は、大垣青年クラブの方々が作られたHP
薩摩義士 をご覧下さい


日新公じっしんこうの「いろは歌」暗唱

「いろは歌」は、第15代島津貴久の父島津忠良ただよし日新斎じっしんさい)が完成させたものです。忠良は、約15年に及ぶ内乱の末、1545年(天文14年)加世田別府城の戦いに勝利を治め、三州を平定し、実子貴久を本宗家の主とする島津家統一を成し遂げました。「いろは歌」成立当時、領民の文教程度は低く、戦乱の世に明け暮らす領民の生活は苦しく、人々の心はすさんでいました。経済社会的基盤作りと共に、社会教育に重きを置いた忠良は、「歌による教育」は 領民にも分かりやすく、記憶しやすいので、領民の人間としての生き方を示すような歌を、「いろは歌47首」としてまとめあげました。 四方学舎では、幼年から「いろは歌」を繰り返し暗唱させています。



  ※舎の大先輩の四元義隆氏が新年会で話された
   文章が ここ にあります。
 


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