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 SATONET : since 1991-05-01 
 小学生の森林教室 : since 2003/07/10
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森の植物や動物について
(1)森は生き物のすみ家。
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  雑木林には、大きく分けて、天然の雑木林と、人の手で仕立てられたコナラ・ 
 クヌギの林(人工林)という、二つの種類の違う森(林)があります。これらの
 森は環境が全くちがうので、生えている植物も生息している動物も異なります。
 たとえば、蝶の種類など驚くほどちがうのです。
  人間はあまり環境に左右されることなく生活をしていますが、野生の生き物は
 生息する環境によって、生息する生き物の種類がちがうのです。人間よりはるか
 に敏感に環境を利用して生きているのです。ですから、人がその環境を壊してし
 まうとそこに生活していた生き物はいなくなってしまいます。よそへ行くことは
 ほとんどなく、たいていの場合は、死んでしまいます。近頃、日本の各地で絶滅
 が心配されている生き物がふえたのも、私たちが贅沢をして、そのために次々と
 森をほろぼし、田畑を滅ぼしていいるからです。また、水のある環境をほろぼし
 水を生き物が生きていけないほど汚しているからです。
  森も田畑も、また、川や湖もみんな人間以外の多くの種類の生き物の生息の場
 です。いいかえれば、自然の環境はすべて他の生き物のすみ家なのです。もし、
 皆さんの心に生き物を大事にする思いがあるのなら、それを思い出しながら森を
 利用するように心がけてください。(2004/04/14)             
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このように、手入れの行き届いた森では、4月の末から5月にかけて草が
たくさん生えてきます。そこへ、虫がにぎやかに集まってくるでしょう。
 
(2)オケラの新芽:万葉集の歌にも出ている。
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  日本で最も古い歌集の万葉集には、次のような和歌がでています。このころ  
 はオケラではなく、「ウケラ」と言っていたようです。三首とも詠んだ人の名
 は伝えられてはおらず、9世紀に万葉集が編纂されたころ、すでに誰の作品な
 のかわからなかったようです。
  名前を公表するのを避けるほどの教養を感じさせる作品でもないので、自然
 発生的な今の歌謡曲のようなものだったのかもしれません。
  読むとわかりますが、「ウケラ」の花をみて、その花に感動して詠んだ歌で
 はないのです。比喩(ヒユ:たとえ)として使っているのです。余りにも地味
 で代わり映えのしない花の様子から、「思いを人に知られるようには出さない」
 ことの比喩として使われています。
  オケラはキク科の多年草で山地で多く見られます。日当たりのよい乾いた草
 地に多い植物です。狭山丘陵や三富の開拓地の雑木林でも普通に見られる植物
 ですが、管理が悪い雑木林では絶滅しつつあるようです。花は10月から11
 月にかけて見られます。鎌倉や三浦半島の山々でも見かけました。
  3376 
  恋しけば袖も振らむを武蔵野のうけらが花の色に出なゆめ    不詳
  (或る本:いかにして恋ひかば妹に武蔵野のうけらが花の色に出ずあらむ)
  3379 
  我が背子をあどかもいはむ武蔵野のうけらが花の時無きものを  不詳
  3503 
  あせか潟潮干のゆたに思へらばうけらが花の色に出でめやも   不詳
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「山でうまいはオケラにトトキ、嫁に食わすは惜しゅござる」といわれています。
トトキ(ツリガネニンジン)
(3)クヌギの花
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  人工のコナラ・クヌギの林では、薪炭材として利用するために10年ごとに伐採 
 しました。ただし、新たに造林する場合は、実生の苗を畑で3年ほど育て、それ
 を植林したのですが、その場合は20年を経過しないと、必要な直径の材は得られ
 ません。そのため、造林後20年目で伐採し、以後は「萌芽更新」という方法を繰
 り返してきました。
  4月の初め頃花を着けますが、雄花は毛虫を思わせるような房状です。コナラ
 より濃い色で、たいていの人は花の咲いているのに気がつきません。
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クヌギの大木に房状の花が咲いています。独特の色はその色なのです。
(4)コナラの萌え
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  人は、自分たちが使いたい樹木を植え、自分たちの使える材になるよう、工  
 夫をしながら、長い年月をかけて森林を手入れしてきました。このように人が
 自分たちの必要性から、手を掛け工夫して編み出してきたものが、今日の「森
 林管理」の技術や方法です。   
  コナラ・クヌギの人工林の場合には、「堆肥の原料として有効な樹種」が第
 一の基準であり、次に、エネルギ−調達という観点から、「火力が強く、火持
 ちのよい材」という第二の基準が定まり、この二つの基準を満たす樹種として、
 「コナラとクヌギ」が選ばれました。
  従って、コナラ・クヌギの人工林の主な用途は堆肥の原料となる「落ち葉の
 採取」、「薪炭材としての利用」ということになります。その他の用途は上の
 二つ目的を満たすための手入れがもたらした副次的な用途ということができま
 す。それは、主として「林床植生の利用」ということです。
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コナラの新葉はさ緑でやさしい感じの色です。花もクヌギよりも繊細です。
コナラの新葉
(5)ルリタテハ:コナラ・クヌギの人工林の蝶
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  コナラ・クヌギの人工林の林床には、サルトリイバラやヤマジノホトトギス  
 などが生えています。これらはルリタテハの食草(しょくそう:餌)です。だ
 から、このチョウは雑木林でよく見かけます。
  成虫のまま越冬するので、春一番はじめに見かけることが多いのです。お見
 せした写真も越冬したチョウです。タテハチョウですから、普通は羽を立てて
 止まるので、裏しか見られません。でも、ときどき、思い出したように羽を開
 き、見事なルリ色を見せてくれるのです。
  この写真は、所沢市下富のコナラ林の再生の仕事をしている際に出会ったも
 のです。
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シダに止まるルリタテハ:越冬からさめたばかりです。(2004/03)
ムラサキシジミも
(6)コナラ・クヌギの人工林
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  コナラ・クヌギの人工林は、手入れをしないと、壊れてしまいます。また、
 手入れの仕方を知らずに適当なことをすると、やはり駄目になってしまいます。
 しかし、50年も手入れをしないままに放置された林の場合、持ち主さえ手入れ
 の仕方が分からないのが実情です。
  手入れの仕方を知っているのは70歳以上の作業の経験のある人です。例えば、 
 農家に育ったと言っても、手代や小作人まかせの大地主の家に生まれた方は、
 作業の経験はありません。都会の方ももちろん経験はないでしょう。筆者はた
 またま、中学生の頃、郷里で我が家の最後の「萌芽更新」(ぼうがこうしん)
 を経験しました。そのため、方法を覚えているのです。
  今、若い方々に林業の技術、雑木林の管理の仕方を教えながら、写真のよう
 な気持ちの良い森を作っています。困ったことに、このように手入れをしたら、
 たくさんの人が入り込んできて、手入れした中へ入ってしまうことです。それ
 では手入れをしたことが無駄になってしまいます。
  (注)ボランティア活動は「ただ働き」だと思っている方がたくさん居りま
    すが大間違いです。参加する人は、交通費、弁当代、道具代それに参加
    費を払うのです。主催者も燃料費、道具・器具代、倉庫代、装備代、保
    険料、連絡費、通信費、資料代がかかります。それは皆、手入れの費用
    です。それにたくさんの人たちの善意の労力の提供が加わるのです。
     ちなみに、2003年度の主催者の出費は約250万円でした。これに各人
    の費用が加わるのですから、森の管理には大変な費用と労力が必要です。
    手入れして、入りやすくなったからといって、中へ入られたのでは、森
    は壊れてしまいます。それでは、この大変な費用と労力が無駄になって
    しまうのです。
     森は「遊び場」ではありませんし、「保養所」でもありません。間違
    ってはいけません。森はみんなのものではなく、持ち主のものです。み
    なさんの庭と同じです。皆さんの庭へ誰かが勝手に入ったら、笑ってみ
    ている人はいないでしょう。
     ついでに、森で「花火」をしたり、「焚き火」をしてはいけませんよ。
    森では、火を使わないことが「鉄則(かたいきまり)」です。それが元
    で、山火事を起こしたら大変なことになってしまいます。
     皆さんが使っていいのは、公(おおやけ)の「道」だけです。
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「里ネット」の森林ボランティア活動で手入れをして明るくなったコナラの林。
2005/06/04の様子
(7)コナラ・クヌギの人工林
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  コナラ・クヌギの苗の仕立て方については、江戸時代の記録が残っておりま  
 す。その方法は、今、埼玉県川口市安行の苗木業者が使っている方法と変わり
 ありません。
  違いと言えば、最近は、ポリポットを多く使用するので、以前のような裸根
 苗(らこんなえ:根がむき出しの苗)や根巻き苗(ねまきなえ:根のまわりの
 つちが落ちないように、布で巻きなわで巻いた苗)より、活着(かっちゃく:
 根がつくこと)する割合が大変高くなって来ております。運搬も楽ですし、手
 間もかかりません。
  では、本題のコナラ・クヌギの苗の仕立て方を紹介しましょう。
  (1)ドングリを拾う。
  (2)拾ったその日に蒔く。(発芽率が高い)
  (3)1年後に畑に移植する。
  (4)3年保育(ぼいく:育てる)する。
  (5)4年目に植林する。(2,3月頃)
 というように作業を進めます。
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落ち葉掃きも終わり、きれいなコナラの林。
(8)コナラ・クヌギの人工林
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  萌芽更新によるコナラ・クヌギ人工林の更新法を具体的に説明しましょう。こ 
 の方法は、他の箇所でも説明してあるとおり、コナラ・クヌギの森林の再生の技
 術です。従って、天然林の雑木林(二次林)における、切り株からの萌芽が、自
 在にのびることは「萌芽更新」とは言いません。
  この更新法では、成林(せいりん:伐採時期の来た林あるいは森)の伐採は、
 「皆伐」方式(かいばつほうしき:残らず伐ってしまうこと)をとります。部分
 的な伐採や一部を残す伐採では、萌芽の成長は思わしくありません。
  更新法はきわめて簡単で、以下のようなものです。
  (1) 成林(実生あるいは植栽後20年、萌芽更新後10年)を皆伐方式で伐採
    する。 
   (2)  伐採後3年間放置する。(下刈り、落ち葉掃きをしてはいけない)
   (3) 3年目の冬、萌芽を選別し、3ないし5本残し、残りを切り払う。
     (注)芽かき、もや分けなど、地域特有の言葉があるが、一般的な
      用語ではないので、注意!
    (注)萌芽の選別に当たっては、門柱や建築材を収穫する目的で、
      1本立ちにすることもあります。縁起をかつぎ、2本や4本立
      てることはしません。
       現在2本立ちや4本たちになっているものは、保育の途中で
      1本枯れた結果です。書籍や森林公園などで、「萌芽を選別に
      あたり、2、3本残す」と書いてあるのに出会いますが、これ
      は、明らかな間違いです。
   (4) 4年目からは、1年に1回下刈りを実施し、同じく、落ち葉を掃きま
     す。
     (くずはき、くずっぱき、落ち葉っかきなどの地域特有の言葉がある
      が、一般的な用語ではないので、注意)
   (5) 10年目に再び伐採し、薪炭材に利用します。   
             
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● 10年サイクルで伐採する理由 
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  コナラ・クヌギ人工林においては、10年ごとに伐採して萌芽更新を行います。
 その理由は、次のようなところにあります。
  (1) 木炭の形状と価格に密接な関係があること。(経済的理由)
  (2) 鋸(のこぎり)、斧、鉈(なた)が主たる道具であったこと。(道具
     の制約)
  (3) 炭を焼くサイクル(1週間)にあわせて、次の材を用意する作業がし
     やすいこと。(制限時間:7日間)
  (4) 確実に萌芽更新できること。
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取り除いた樹木の整理も大切なことです。これも技術の一つ。
               
(9)シロタエ:人の作り出した桜
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  「シロタエ」はサトザクラの一種です。八重咲きの真っ白なサクラで、他の花 
 とはその白さがことなります。サトザクラは人の手で品種改良の末に生み出され
 てきたものです。
  持統天皇(女性の天皇)の御製(ぎょせい)に
   春過ぎて夏来るらし白妙(しろたえ)の
   衣ほしたり天の香具山
 という和歌があります。日本最古の歌集「万葉集」の収められているものです。
 これも「真っ白な」という意味ですね。
  サクラと言えば誰でも知っているのが「ソメイヨシノ」ですが、このサクラも
 人の手により作り出されたものです。以前から、このサクラは、エドヒガンとオ
 オシマザクラを親として生まれたサクラだ、と言われてきましたが、最近になり、
 遺伝子の研究からこの説が正しいことがわかりました。
  「ソメイヨシノ」の名の由来ですが、「ソメイ」は苗木屋の村だった、巣鴨の
 近くの染井からとられました。この品種を生み出した苗木屋が染井の住人だった
 からです。「ヨシノ」は、奈良県の地名で、「ひと目千本」といわれるサクラの
 名所吉野のことです。吉野のサクラはヤマザクラだそうです。「ソメイヨシノ」
 は生まれた地染井と天下に知られたサクラの名所吉野をつないでつけられた名で
 す。
  これも「シロタエ」と同様、人の作り出したサクラの品種なのです。
   
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所沢市松が丘の将軍塚のバス停の横にある「白妙(シロタエ)」です!
 
(10)タチツボスミレ:森のスミレ
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   山路来てなにやらゆかし菫草 松尾芭蕉(まつお ばしょう)
  スミレと聞くとすぐ頭に浮ぶのは、有名な芭蕉のこの句です。きっとこのス  
 ミレは、タチツボスミレだったのだろうと考えています。万葉集にもスミレの
 歌が4首出ております。
  1424  
  春の野にすみれ採みにと来し吾ぞ野をなつかしみ一夜寝にけり 山部赤人
  1444 
  山吹の咲きたる野べのつぼすみれこの春の雨に盛りなりけり  高田女王
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八国山のタチツボスミレの花
 
(11)ワサビの花:森の恵み
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  庭隅のワサビには、毎年花が咲くが、一向にふえません。植えてから、すで  
 に15年以上経つのですが、水もないのに、枯れもせず生き続けています。
  ワサビを栽培しているところでは、畑に種を蒔いて苗を育て、それをワサビ
 田に植え付けて、ワサビを育てます。
  水のない環境の庭でも、適度に散水をすれば、ワサビは生きているのです。
 しかし、余り極端に水が不足すると枯れてしまいます。ワサビは森と沢の水の
 恵みですから。
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庭隅に花をつけるワサビの花
  
(12) ヤマナシは新葉も紅葉も美しい!
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  「銀河鉄道の夜」や「注文の多い料理店」など、たいへん毛色の変わったお  
 話を残した岩手の詩人宮沢賢治をご存知でしょう。その詩集「春と修羅」の中
 に収められた作品の一つに「山梨」という詩があります。
  水底で平和にくらすカニの親子の様子がリアルに書かれています。世界は水
 の中、天に当たるのは川の水面、その発想がなんとも面白くて忘れられません。
 その水面を「ヤマナシ」が流れていくのを、この親子が見つけ追いかけていく
 と、水面に張り出した木の枝にひっかかり止まるのです。
  カニの親は、それがお酒になって沈んでくるから、それまで待とうという、
 いかにものんびりとした物語を詠んでいるのです。
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新葉が取り分け美しいヤマナシ!
 
(13)ヤマザクラ:春の山を彩る花
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  「万葉集」をご存知でしょうか。日本で最も古い歌集で、奈良時代の終わり  
 に編纂されました。約4500首の歌が収録されております。そのうち植物に関係
 のある作品は約1600首で、その中には、ヤマザクラを詠んだ歌が57首あります。
  奈良時代には「花」といえば「ウメ」のことだったとは、良く聞かされるお
 話ですが、万葉集では123首の歌があります。確かにヤマサクラより多いよう
 です。 
  0477 あしひきの山さへ光り咲く花の散りぬる如き吾が大君かも 大伴家持
  1864 あしひきの山の間照らす桜花この春雨に散り行かむかも  不詳
  1872 見渡せば春日の野辺に霞立ち咲き匂へるは桜花かも    不詳
 などを上げておきましょう。
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ヤマザクラの花は可憐であり、繊細です!
 
(14)ヤマザクラ:平安時代の昔から人に喜ばれた!
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  コナラ・クヌギ人工林を、10年のサイクル(周期)で伐採する理由は、他で 
 述べましたが、森の片隅に、姿や形のよいヤマザクラガが伐られずにのこされる
 ことがありました。
  ヤマザクラは大木になり、とりわけ、まっすぐに育ったものは高い値段で売買
 されました。立派なお屋敷の天井板、敷居、炉ぶちや上がりかまちに使われたか
 らです。また、木版印刷の盛んであったころは、今の印刷で原版にあたる版木を
 彫るのに使われました。
  ヤマザクラは、いざというとき、速やかにお金を用意しなければならないとき
 に、おおいに役立ちました。いまの言葉でいえば、これはいざというときの保険
 にあたるものだったのです。
  (注)結婚式、葬式、叙勲などの祝い、お披露目(おひろめ)などお金のか
    かるようなとき、このようなヤマザクラが伐採されて売られました。今
    日の保険の様な役目をしていたのです。
  (2004/04/14)
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(15)ヤマザクラ:花と言えばヤマザクラの花。
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  憂世から何里あらうか山桜  古丸(山本常朝)
  白雲や只今花にたづねあひ  期酔(田代陣基)              
   
  これは、江戸時代、今の佐賀県(九州)にあった佐賀藩に伝わった「葉隠」
 (はがくれ)という書物の最初のところに出ているものです。隠棲していた
 山本常朝を田代陣基がたずねて教えを乞うた際の句です。武士道の精神を
 「山桜」に見立てているのですね。陣基が常朝をたずねた際にヤマザクラが
 咲いてもいたのでしょう。
  「葉隠」は陣基が常朝から伝えられた教訓等を書き残したもので、佐賀藩
 士らの精神のもとをなすことになりました。そのため、「鍋島論語」ともい
 われ、武士道を説いた書として高い評価を得ていました。
  昭和20年ごろまでは、日本人の精神的なよりどころとされ、多少でも勉強
 をするぐらいの人の書棚には1冊ぐらいはありました。なかにどのようなこ
 とが書いてあったのかは知らなかったのですが、私が「葉隠」のことを知っ
 たのは、国民学校初等科2学年(今の小学2年)のころです。
  ところが太平洋戦争が終わって6年を経た昭和26年ごろになると、顧み
 る人もなく、東京神田神保町の古本屋さんの表の台の上に捨て値(5円均一:
 電車の初乗り区間が5円でした)でどこでも売られていました。この本を手
 に取る人はなく、読む人もなくなったのです。
  私の手元にある「葉隠」は、この棚ざらしのあわれな本のなかの1冊です。
 5円で買ってきました。私の青少年期の座右の書の一つなのです。
  (2004/04/14)
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 (16)ウワミズザクラ:サトザクラの咲く頃
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  ヤマザクラの花が終わり、木々の葉が一段と緑を増し始める頃、街角や公  
 園でサトザクラと呼ばれる八重のサクラが咲き始めます。八重の花は、おし
 べが葉と変ったものなので、実がならないと言われています。
  ちょうど、その頃、ウワミズザクラの花が咲き始めます。他のサクラとは
 異なり、花は小さく房のようになっているので、たいていの人は気が付きま
 せん。
  深い緑のさわやかな色をした葉の間に、霞を引いたように花が咲くのです
 が、足を止めて見入る人もなければ、それをサクラの仲間だと知っている人
 も少ないと思います。写真を見てもらうと分かるとおり、近くで見るときれ
 いです。
  ちょうど夏休みの始まるころ、実が熟すのですが、この実をとって、ホワ
 イトリカ−に氷砂糖とともに漬けるとおいしい果実酒ができます。「アンニ
 ンゴ酒」と呼ばれています。(2005/07/22)
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 房状になって咲くウワミズザクラの花
 [七月に色づくウワミズザクラの実]
 
 (17)ヤマツツジ:雑木林の林床を染める
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 窓から見ていると、キチョウがまるで、空に絵を描いているかのように木の  
上を枝先に沿ってとんでいきます。その木の下には一帯にヤマツツジがありま
す。この山の数少ないヤマツツジの群落です。
 4月の末から5月にかけて、色とりどりの花が咲いていました。花の色に変
化があるのがヤマツツジの特徴です。また、花の形にも多少の違いがあります。
武蔵野のコナラ人工林の林床には、このヤマツツジの他にレンゲツツジの生え
ているところがあります。
 山を崩して住宅にしてしまったり、工場にしてしまったりするとこういう草
木は滅びてしまいます。滅びてしまった草木は二度と復活することはありませ
ん。ですから、一つ一つの草木の命を大切にし、未来の人も見ることが出来る
ようにしてあげたいもの、と私は考えて、行動をしています。(2005/07/22)
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 [色の違うヤマツツジの花]