地震

今朝方また地震があった。会議してる間だったのだが、みんな揺れに気がつき、会館の人達の騒ぐ声が。

あんまり誰でも書きそうな時事ネタは避けることにしているのだけど、今回の一連の地震は自分でもいろいろ思ったので、ガス抜きにちょっとだけ。

私にとっての「最初の地震」は、茨城あたりが震源の地震である。晩飯の用意をしてる時に結構揺れ、「あー地震だ」と思いながらガスも止めなかったので、ちょっと反省。珍しくつけることのないテレビをつけて、「結構大きかったのだな」と納得したり、部下Hから「電車が止まった」というメールを受けたり。それなりにインパクトがあった。

それからしばらくして、新潟の一連の地震である。これは会社にいる時に揺れて「かなりデカいな」と思っていたのだが、実際大変なことになっていた。絶対的な大きさは実はあまり関係ないのだが、「そこそこの揺れが何度も」というのが、ちょっと困りもの。経験的にああいった揺れ方だと、「ちょっと離れたところで大きな地震」なのだけど、案の定だった。

困りものと言うのは、うちの家は蔵前橋通りと昭和通りの交差点に近い。なので、大型トラックやトレーラが通ると揺れる。地震まではあまり気にしてなかったのだが、夜寝ている時にはふすまがカタカタと音を立てるくらい揺れることがあるのだ。このカタカタという音は、もちろん地震の時には結構していたわけなので、私の脳内では「カタカタ鳴ると地震」なのである。

私は新潟方面にはそんなに知人もいないので、ある意味「野となろうと山となろうと知ったこっちゃない」立場ではあるのだけど、やはりいろんなことがあると気になる。となるとついでに想像力が働いてしまって、「揺れたらドキドキなんてもんじゃないだろうな」と心配してしまうのだ。

私はあまり激しい地震を経験したことがないので、「震度5」と言われても机上のことでしかない(ちょっと前の山陰の地震の時は私は東京にいた)。でも3や4は経験があるし、震度5は「松竹梅」となっているくらいだから、さぞ揺れることなのだろう。また、その揺れで家やら山やら潰れたのを見ていれば、「揺れるイコール生命の危機」となっている人も少なくなかろう。そりゃ震度3とか4でもキャーという悲鳴と共にパニックに陥った人達の阿鼻叫喚の図が…

とかということを想像してしまうのだ。「揺れるイコール生命の危機」という図式がなければ、「また地震かぁ。もう慣れたよ」という人もいるだろうが、「直面した生命の危機へ直結した事象」に慣れるのは難しかろう。ということまで思う。そして、その想像でドキドキしてしまう。揺れを感じるともちろんドキドキなのだが、ふすまがカタカタ言ってもドキドキだ。

そのドキドキで心臓に悪い。