天国のお友達のページ(8)

1999/06/04.

nobukoさんちの
ミニチュアダックスフントの
ミッキーちゃん

まだ涙が止まらないと、アンケートを送ってくださいました。

「私の勉強不足でペットショップから我が家に迎えた時にその子犬は、ジステンパーという恐ろしい伝染病にかかっていた。そのショップのあまりの誠意の無さ、また、いまも、そんなショップから罪も無い子犬がどこかの家庭で苦しんでいると思うと、何もできない自分の非力さが情けないので・・・」

何ヶ月か前に、鳥越さんの、「ザ・スクープ」と言う深夜番組で、あくどい金儲け主義に走っている、近所に悪臭をまき散らかして、動物に満足に餌も与えない、ペットが家にきてすぐ病気になって苦情があっても歯牙にもかけず、動物病院の間では、「ああ、あそこでこの子を飼ったのか・・・こういう病気でも来た、ああいう病気でも来た・・・。」と、有名で、行政指導されても改善しないふてぶてしさで、しかもその事を取り締まる法律が無いからどうしようもないというペットショップがあるという事を紹介していました。どうせなら、名前と所在地を紹介してくれたら良いのに、それは出来ないようでした。

きっと幸せにしよう、お互いに幸せになろうと思って、新しい家族を迎え入れるのだから、ペットショップのほうも、きちんとしてくれたら良いのに、なかなか良心的なところがないんですね。動物病院でもそうです。うちのリンリンちゃんは、ゴールデンハムスターで、グレーだったのに、ジャンガリアンハムスターと勘違いする医者に掛かってしまいました。「この子は大きいね」というので、「いいえ、今まで飼った仔の中では小さいです。」というと、不思議そうに、「大分年よりなのかな?それで大きいのかな?」なんて言うんです。「ゴールデンハムスターの中ではこの仔はどこの子に比べても小さいです。」と、むきになると、「えっ!?こんな色ははじめてみた・・・。ジャンガリアンじゃ無いのか・・・」ですってさ。結構中年の今働き盛りという感じの医者だったのに。ハムスターは、手術もするくらいちゃんと診察できると言ってくれたからわざわざ遠いのに車で40分かかって行ったのに。

どうして、ペットショップを開いて、いろんな動物を家族に迎え入れてどうか可愛がってねっていう気持ちを何処かに隠して、金儲け主義に走ってしまうんでしょうね。ジステンパーにかかってるなんて、ペットショップでしかかかる場所は無いのに、ひどい話しです。元気で可愛い子を新しい家族にって楽しみにしているのに、病気ですぐに天国に逝ってしまうとわかっているような子を渡すなんて。いくらなんでもひどいです。家族になってすぐに天国に逝ってしまわれたら、残されたほうは悲しくてどうして良いかわからなくなるのにね。

早く、法律がきちんと作られて、それを行使する事ができるようになって欲しいですよね。そうしないと、そういうペットショップは、ずーっと野放しですもの。

ミッキーちゃんが天国に逝ってしまった事は、本当に悲しい事ですね。どうか安らかでありますように、愉快な仲間一同でお祈りしています。


Pochiさんちの
はじめて飼ったセキセイインコの
ペコちゃん

愉快な仲間のお友達のページで、可愛いオカメインコちゃんの写真をいただいている、Thanks to my birds の、pochiさんがはじめて飼われたセキセイインコのペコちゃんが、5月20日に天国に逝ってしまいました。お母さんになったと聞いたばかりでしたので、私もショックでした。きれいなセキセイインコちゃんで、お母さんになりましたと、お写真をいただいて、感激したのはつい先月の事です。そのお写真を、皆様にも見ていただきたいので、このページに載せさせていただく事をお願いしました。可愛くてきれいなセキセイインコのペコちゃんです。ペコちゃんは今ごろは天国でどうしているんでしょうか。ペコちゃんのご冥福を愉快な仲間一同でお祈りしています。

天国でお友達と遊んでねペコちゃん


Hitomiさんちの
桜・白文鳥、すずめの
チーコ・サッチ・チュン・ガンコ・チュン太ちゃん

「つい最近すずめが亡くなりました。今、ずっと面倒をみていた母親がペットロス症候群です。

私は今親元から離れて生活しているので、いなくなったショックはありますが、母親ほどではありません。今、母親はすずめがいた部屋に一人で入りたくないと言います。涙がとまらないと。(それにすずめがいたスペースがやけに広く感じてとてもつらいと言っていました)

家族のようなペットが突然いなくなるのは身内が死ぬと同様に本当に悲しいことだと思います。私が経験したペットロス症候群は、ほんとうにつらかったです。

一人っ子だった私の兄弟は、桜文鳥と白文鳥でした。小学校のころからずっと一緒だったので、一人っ子だという自覚もなく、淋しい思いをすることも今思えばなかったです。親に怒られて泣いていたら、気持ちがわかるかのようにそばにいてくれます。そんな生活が10年続き、(白文鳥は成鳥になって不慮の事故のためなくなっていたのですが、)桜文鳥は、一番難しい時期でもそばにいてくれてはげましてくれました。

そんな桜文鳥が、高校卒業のころ老衰(たぶん、10年生きていたらおじいさんでしょう)のため亡くなりました。私の手の中で最後を迎えました。温かさがなくなっていく感覚を一生忘れることはないでしょう。あの感覚は二度と味わいたくないです。そのときは、何かする気力もわかず、ただただ泣いてばかりでした。部屋にこもってずっとしずんでいました。大学進学が決まっていましたが、ぜんぜんうれしくなくて、先がまっくらだったのを覚えています。

こんなにもペットがいなくなることがつらいとは思いませんでした。いまだに、桜文鳥と白文鳥がいなくなったことに対して悲しみがなくなったわけではありません。思い出すたびに、やはり泣けてきます。(今も泣きそうです)その後、なんどかすずめを保護し、育ててきましたがそれでも、死なれるとほんと淋しいしつらいです。

それを克服するのは、やはり自分しかないと思います。いつかこのままじゃだめだって気づくまで時間がかかりますが、しんだペットのためにも強くいきなきゃって思います。

寂しさや悲しみを無理矢理忘れるんじゃなくていつまでも自分の中で生き続けてもらうことが自分に対しても死んでいくペットに対してもいいことじゃないかと思っています。」

そのとうりだと私も思いますよ。寂しいから悲しいからといって、楽しかった時の思い出まで忘れてしまったら、天国に逝った彼らに失礼だと思います。家族だったのに思い出を閉じ込めてしまうのではなく、いつまでも心の中で楽しかった時の事、柔らかい手触り、愛らしい声、家族として暮らしてきた歴史、ずーっと覚えていて、ありがとうって、いっしょに居てくれてありがとうって言っている彼らのメッセージに答えてあげなければいけないと思います。こちらこそありがとう、いっしょに居てくれて、慰めてくれて、温かな思い出をくれて、本当にありがとうって。

でも、本当にそんな風に思える様になるのには、時間がかかるんですよね。私にしても、まだ、4年前に死んでしまったJちゃんという雛文鳥の事を、心の中できちんと整理できていません。死んでしまった時の事を思い出して泣けて来る時もあれば、エルちゃんを眺めながら、Jちゃんと重ね合わせて考えているときもあります。Jちゃんが死んでしまった次の日に、身代わりのように買って来たエルちゃんは、エル自信をちゃんとエルとして見てもらえてないのです。私からは。こうやって字に書けば、きちんと区別できるのに、エルちゃんを見つめていると、Jちゃんがダブってくるんです。

今、うちの家にもすずめが居ます。目が見えないすずめだから、ストレスで寿命は短いだろうといわれています。とても可愛いです。文鳥やすずめって、とても小さいですよね、体は。でも、その存在は、家族の一員としてとても大きいんですよね。もう、啼き声を聞けなくなった、姿を見られなくなったという事が、とても重たくのしかかってくるんですよね、心に。お母様の喪失感は、誰にもどれくらいのものなのかはわかりません。

でも、きっと、天国から、彼らのメッセージが届くときが来ると思います。「お願いだから悲しまないで、楽しかったよね、毎日毎日ありがとう、可愛がってくれてとてもうれしかったよ、本当に楽しかったよね、だから、その事を思って頂戴、悲しい最後の事だけを思い出さないで、楽しかった時の事をたくさん思い出して頂戴、天国からいつも見てるよ、お母さんの事を、いまでも愛してるよ。」って。

桜文鳥・白文鳥・すずめの、チーコ・サッチ・チュン・ガンコ・チュン太ちゃんたちのご冥福を、愉快な仲間一同でお祈りしています。

お母様の悲しみがいつ癒えるのかわかりませんが、彼らは私たちを悲しませるために存在していたんではないという事が、時間がかかっても、いつかお母様にわかっていただけるのでは無いでしょうか。その日が一日でも早く訪れる事も、あわせて祈ってます。


kebbyさんちの
猫(おたろちゃんのお友達)の
ミーちゃん

おたろちゃんのお友達の、オス猫ミーちゃんが天国に逝ってしまいましたと、メールをいただきました。おたろちゃんが居なくなって、寂しくなってしまった事が、ストレスになってしまったのでしょうか・・・。

「庭を住み家にしているミーちゃん(男の子)が入院です。まいったな〜、というのが正直な感想です。

偶然なのか、そうでないのか、今まで絶対に玄関から家に入らなかったミーが、(ちなみに父親は「ノン」、母親は「ノスケ(野助)」と呼んでます。)オタロがいなくなった翌日くらいから、恐る恐る入ってくるようになりました。それでも、見つかると一目散に表に逃げ出しますが…。

オタロとも仲が良かったので、探しているのかと勝手に解釈しております。

そのミーが、金曜日の昼から食が細り、土曜は一切食べなくなりました。早速、オタロの最期を見てくれた病院に連れて行きました。熱が40度ちょっとで、すぐに血液検査。結果は白血球の増加があり、体内で炎症が認められる。また肝臓障害があるが、これが発熱の原因かどうかは現時点では不明。解熱剤他を注射して、「また明日来るように」とのこと。帰って来て、今夜は家の中で寝かしてあげようとしたのですが、いままでずーっと外にいたもんですから、暴れて暴れて脱走。まあ、これだけまだ元気があれば大丈夫だろうと思っていたら、日曜日は家出。いつもどんなことがあっても、朝は顔を見せていたのに来ない。庭の住み家(実際は、私が作ってやった猫小屋ですが)にもいない。結局、帰って来たのが夜10時過ぎ。しかも、あんまり元気がない。ちょっとやばいな〜と感じるも、時間が時間。今度逃げたら本当にやばいと思い、空いている段ボール箱に無理やり押し込んで家の中に。昨晩は、さすがにほとんど抵抗せず。今日(24日)朝いちで病院へ。まだ、熱が下がってない。再度血液検査。白血球が更に増えてるとのことで、即入院。

と、

ここまで書いておりました。そこへ病院から電話、息を引き取ったとの連絡でした。信じられないというのが本当でした。朝はまだ、病院に行くのに抵抗して人をひっかいたのに。

看取れなかったのが心残りですが、病院できれいになってました。オタロが逝ってまだ2週間、それなのに続けて逝かれてしまうとは。ずいぶん前、そう約23年前でした。犬のジローが逝ったあと、1カ月してもう1匹の犬のテミが逝ってしまいました。

ミーは推定9〜10歳で、我が家に来て約3年。ミーちゃんの生涯はきっと幸せではなかったと思います。我が家に来たときの痩せた姿や、人への恐怖心など、とても辛いものだったろうと思います。でも我が家での時間は、ミーもきっと納得してくれていると思います。

今夜は、ミーが初めて家の中でゆっくりと眠ります。一緒に最後の時間を過ごしたいと思っています。ミーちゃんはオタロの隣に埋葬しました。天国でも仲良くしてくれてると思ってます。オタロが逝ったとき、あと1回こういう思いをするんだな〜と、漠然と考えてはいましたが、まさか2週間後になんて全く考えてませんでした。

医者の話では、ミーはずいぶん前から肝臓が悪かったはずで、人間でも肝臓は物言わぬ臓器というように動物でもそうなんだそうで。特に猫は病気の時もギリギリまで我慢してしまうので、家の中できちんと飼っている場合でも病気の発見が遅れることが多いと聞かされました。慢性疾患が環境の変化などのストレスで急速に悪化することがあるようです。オタロがいなくなったのが、それにあたるかどうかはミー以外には分からないことですが…。

我が家からペットがいなくなりました。約20年ぶりのことです。そのことが気持ちの中にポッカリと大きな穴になった感じです。庭の猫小屋を見ると、そこにいるはずの主がいないというのを実感します。でも、しばらくそのままにしておくつもりです。

ミーが家出したときはもう2度と帰って来ないと覚悟してました。猫って人の前では逝かないって聞いてます。帰って来たときは本当にホッとしました。結果的に最期を看取ってやれませんでしたが、誰もいないところで静かに逝かれるよりも我が家に埋めてやれるので、私自身は納得しています。

いつものことですが、逝かれたあとにもっと早く気付いてやればとか後悔するんです。その自己嫌悪が癒されると冷静に思い出を振り返れるようになります。

それにしても、こうも早く逝かなくたってと思います。1999年はまだ半年もしてないのに、最悪です!

それから、ミーのことも天国のお友達のページに載せていただければ幸いです。あのページは、とても温かなページだと思っています。載せていただくことによって、この世に生を受けていたという証ができるみたいです。あのページを見ていると、癒されます。」

ミーちゃんの肝臓に与えたストレスが、おたろちゃんが居なくなってしまった事にあるのか、それは本当に、kebbyさんのおっしゃるとうり、ミーちゃんにしかわからない事でしょうが、人間に対して恐怖心を持ってしまった猫が、自分から、環境が違う病院に連れて行かれてびっくりしながらでも、kebbyさんの家に帰ってくるという事で、どれくらい、kebbyさんを信頼していたかよくわかりますよね。信頼を回復すると言う事は、誰にでも出来る事ではないですから。猫の、それも、前半生を、なにか恐ろしい人間不信に追いやられてしまう出来事に出くわしたんであろうミーちゃんの、もう一度人間を信頼してみようか・・・という気持ちにさせた、kebbyさんのやさしい気持ちが、ミーちゃんが帰って来てくれたという事で、ちゃんとミーちゃんに伝わっていたんだという事がわかります。

ミーちゃんは、きっと、kebbyさんに伝えたかったんだと思います。ありがとうって。またやさしい人に出会えて、その人を信頼する事が出来て、おたろちゃんというお友達まで出来て、本当にうれしかったよって。こんなに早くおたろちゃんが居る天国に逝ってしまう事で、kebbyさんを悲しませてしまう事はわかっているけれど、でも、とても大好きで感謝しているこの気持ちを、どうかわかってねって。

おたろちゃんが迎えに来てくれていたら、ミーちゃんは寂しくなく天国に逝けたでしょう。戸惑う事も無く、おたろちゃんと天国で、もう、どこか痛かったり、何かにおびえたりする事も無く、ただただkebbyさんにありがとうって、おたろちゃんと一緒になってメッセージを送っていると思います。悲しませてしまってごめんね、でも、楽しかった事や、うれしかった事、柔らかい毛ざわり、ご機嫌でのどをごろごろ言わせていた事。いろいろな楽しい思い出をたくさん覚えていてねって。

ミーちゃんのご冥福を愉快な仲間一同でお祈りしています。おたろちゃんと仲良く遊んでいる事を願っています。たくさんの天国のお友達とも、仲良く遊んでいると思っています。なによりも、kebbyさんに、おたろちゃんとミーちゃんとの楽しかった思い出を教えていただいた事を感謝しています。


滋賀のムツゴロウオイチャンさんちの
拾った油こうもりの
コウちゃん

油こうもりを拾ったと、ご相談を受けていましたが、自然のこうもりは自然に帰すのが一番よく、コウちゃんは自然のこうもりらしく自然に天国に旅立ちました。

5月17日 今日アブラ蝙蝠の子供(だと思う?)を拾いました。親とはぐれたのだと思いますが、とりあえずミルクをやってみたらピチャピチャ舐めてゲプッとやってくれました。(さすがは哺乳類)さてこの後はどうしたら良いのでしょうか?

5月19日 餌のモンプチはやはりあまり口に合わないようでマッチの頭程度食べて、後は、いやんとばかりにプイと横を向いてしまいました(好き嫌いはゆるさ〜ん(゜o゜))ミルクも水もあまり飲みません。やはり病気でしょうか?とりあえず失礼ながら「コウちゃん」と命名し、庭での放牧(?)となりましたが、全く飛ぶ気配すらありません

5月20日 コウちゃんとの出会いですが 会社のエアコンの室外機の裏に張り付いていたのを偶然見つけたのです初めは蜂の巣かな? と思ったのですがよくよく見たらあ、こいつはコウモリではないかと言うわけで捕まえてしまったわけです

5月22日 今朝 例の八朔の木を見に行くとコウちゃんの姿が見当たりません  留まっていた真下を見るともう冷たくなったコウちゃんがいました少し羽根を広げてうつ伏せになっていました約三日間 ずっと同じ場所にいて何も口にできずに死んでしまいました水槽や部屋の中でなく 自然の中で逝ったのがせめてもの救いかと自分を慰めながら埋めてやりましたとりあえずご報告まで..         合掌

油こうもりを拾って育てていた私は、皮膜がぼろぼろだったコウちゃんを自然に帰してやれずに居ました。そして、コウちゃんは水槽の中、台所の壁を塗り替えるシンナーのにおいにやられて死んでしまいました。そのころはまだ公団にすんでいたので、定期的なメンテナンスが公団側から行なわれていたのです。換気に注意はしていても、強烈なシンナーのにおいは体の小さなこうもりにはものすごく負担だったんですね。だから、自然に帰そうと、コウちゃんを木に止まらせてこうもりの野生のままにしておいてくださったムツゴロウオイチャンは、自然のものは自然のままにという本来のこうもりの姿のまま逝かせて下さって、私個人としても、こうもりの気持ちとしても有り難い事だと感謝しています。本当は空を飛んでいってほしかったですね。でも、悲しい事に寿命というものがあるんですね。今は天国でうちのコウちゃんは、ムツゴロウオイチャンちのコウちゃんと一緒に飛び回っているでしょうか。こうもりはこうもり同士、楽しくしているでしょうか。コウちゃんのご冥福をお祈りしています。


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