天国のお友達のページ( 16 )

2000/04/17.

本宮さんちの
猫の
花ちゃん

まだ涙が止まらないとアンケートを送ってくださいました。

「今日亡くなったばかりです。ヤルセナイおもいです」

悲しみのなかアンケートにお答えくださってありがとうございました。

猫の花ちゃんとは、どんな風に出会ったのかしらとか、どんな共同生活だったんだろうとか、いろいろ考えました。

猫は、共同生活をする人間の生活サイクルに合わせてくれるので、大切なパートナーになってしまうんですよね。また犬とは違う大切なパートナーです。

その存在を失ってしまったということは、本当に大変なことですよ。空気に溶け込んでいるとしか思えないように、猫と人間の共同生活って、とってもうまくいくんですよね。

彼らが私たちを愛してくれているから。

本当にこんなに悲しくてつらいことって、ないですよね。

花ちゃんのご冥福を愉快な仲間一同でお祈りしています。

花ちゃんは今ごろ天国で天国のたくさんの仲間と、楽しく遊んでいるんでしょうね。でも残された私たちって、しばらくは泣くしかないんですよね。

たくさん泣いてくださいね。

こんなに悲しくて涙がたくさん出ることってないんですから、自分の気持ちを押し殺したりしないでね。


ZUKさんちの
手乗り桜文鳥の
フーちゃん

気持ちの整理がついたとアンケートを送ってくださいました

「6歳で亡くなりました。

脱腸でした。

日曜日の上、田舎で鳥を見てくれる病院が無く、車で一時間の病院まで行きました。その日一日は頑張りましたが・・・

次の日、毛布のかかった籠の中から「ごそごそ」という音がするので見てみると、壷巣から出てきてじーっと私のことを見つめていました。

そのとき出してやれば良かった。手の中で死なせてやれば良かった。でも愚かなる私は、「午後まで寝てろよ」と言って、元通りシーツをかぶせてしまったのです。

それから15分後、見てみると・・・死んでいました。

フーは冬生まれで体が弱く、ヒーターで暖めて大事に育てました。季節が変わると当たり前のように風邪を引きました。喉は慢性的に弱く、飛ぶ度にヒイヒイいってました。大事に育てたせいで我がままでしかも弱いものいじめが好きと言う、とんでもないやつでした。

でも、自分の希望を人に知らせることの出来る、頭の良いやつでした。

死んだ直後は布団の中でずっと泣いて、食事も出来ませんでした。

6年の間続いた日常が、あっという間に崩れ去ってしまったような気がしました。

でもあれから1年経ち、フーの事もあまり思い出さなくなってしまいました。

今はシキという名の鳥と幸せに暮らしています。フーのことも忘れてしまったわけではないけど、やっぱりペットを失ってしまった時、また別のペットがいると元気が出ます。

「もうこんな哀しい思いをしたくない」と思う方もいらっしゃるでしょうが、哀しいと思うということは、それだけその子といられて楽しかったと言う事です。

「死」という一つの出来事だけで、その楽しさを忘れたりしないでほしいです。」

ふーちゃんという名前の文鳥を私も飼っていました。

うちのふーちゃんも天国に逝ってしまいました。たくさん文鳥を飼っているとしても、やっぱり1羽1羽可愛いし、性格の違いなんかもよくわかります。

今シキちゃんという文鳥ちゃんと一緒にいるんですね。新しい文鳥とまたやさしい時間を作っていくことは、楽しいことですよね。

それはフーちゃんを忘れるということではなくて、また新しい係わり合いなんですよね。

いなくなってしまった時の、恐ろしいくらいの喪失感、積み重ねてきた時間が、崩壊していくような痛み。

だけど、新しい自分がきっと心のなかでこう言っているんです。「あの大事な時間は宝物。」って。

もう悲しい思いをしたくないということは、まだまだ思い出をやさしくできてないだけで、そのうち時間が薬になって、新しい自分が見えてくると思います。

それまでの間、少しでも、誰にも理解してもらえない寂しさや怒りを、天国のお友達のページにぶつけてもらえたら、少しは自分だけが悲しいと思っているんじゃないと思えて、日常からの疎外感が薄れるかなと思っています。

そのための通過点のように思ってもらえたら、私の作ったページが生きているんだと思えてうれしいのです。

一緒に過ごした時間が長ければ長いほど、寂しさは募りますよね。

フーちゃんのご冥福を愉快な仲間一同でお祈りしています。


EMIさんちの
雑種犬の
かーるちゃん

まだまだいろんな思い出が整理できていないんですね・・・

「ペットロス暦1年9ヶ月ですが、やっぱり最後の頃のペットを思い出すとぐっととても辛くなる。

未だに最後の頃のの写真はみれないまま・・・」

1年たっても何年たっても、悲しい気持ちに区切りはつけられないですよね。

すこしづつやさしい思い出に変わっていくのに任せて1日1日を過ごしていくという感じですよね。

いつか遠い未来にかーるちゃんが天国から迎えに来たときに、「こんな楽しい思い出をたくさん作ったから聞かせてあげるよ」って、教えてあげなければいけない義務があるんですから。

彼らは悲しませた存在だったというのではなくて、私たちの貴重な存在で、あなたたちがいたからこそ自分がこんなにすばらしい人生を送れたんだよって、言ってあげなければいけないから。

そうしないと彼らはただ自分たちって悲しませて傷つけただけの存在だったのかと悲しむから、だから家族の一因となったからには彼らのことも考えてあげないといけないんですよ。

とても難しく思えるけれど、時間薬って本当にあるんですよ。

だから遠い未来にかーるちゃんが迎えにきてくれた時のために、すこしづつ思い出を整理していくことからはじめましょうよ。

やさしくて温かくて楽しかった思いで。

かーるちゃんのご冥福を愉快な仲間一同でお祈りしています。


YUKIさんちの
雑種犬の
キャンちゃん

まだ涙が止まらないとアンケートを送ってくださいました

「まだ、悲しみが癒えません。

友達は、立ち直るのに一番いい方法は、新しいペットを飼うことだよ、と言ったけど、まだそんな気持ちになれない。

当分、飼えない。

私はキャンを事故で亡くしました。

もう15歳になってたんだけど、絶対「老衰」で・・・って思っていたから、よけいにショックが大きいの。

今も涙が止まりません。

会いたいです。

なでたいです。

たまらなく寂しいです。」

新しいペットを飼うことを進めてもらっても、悲しい間は無理なんですよね。

でもね、ある日とっても信じられないことに、ああ、この子だ!って思えることめぐり合ったりするんですよ。

この子にめぐり合える運命だったのねって、とっても目が離せないの。

野良犬だとか野良猫だとか関係なく。

でも、今はまだ、もっといっしょにいたかったキャンちゃんが天国に逝ってしまって、悲しい間だから、そんな運命の子とはまだめぐり合えないの。

なぜなら、めぐり合わせてくれるのは私はきっと天国の子だと思っているからです。「もう、そんなに悲しい思いばかりで過ごさないで。こんなにあなたを慰めて愛してくれる子がいるよ!」って。

お互いにとても大事に思いあって、やさしい時間を積み重ねてきた同士だから、すぐに悲しくなくなったりすることはないんだけれど、それでも、やっぱり、先に天国に逝ってしまった彼らは、「愛してくれてありがとう。本当にうれしかったよ、とても楽しい時間を過ごしたよね。」って思っているんですよ。

事故だとか、老衰だとか、天国へのアプローチのし方は違っても、彼らは今は安らかなんだろうなと思います。

苦しいこともつらいこともなく。あるのは残してきてしまった私たちの心配だけ。

「悲しませてごめんね。悲しませてごめんね。」そう思っているんです。だから、今は悲しんでいい時間なんですよ。

だってあなたの本当の姿を知っているキャンちゃんだから、悲しんでいるのは当たり前。悲しませてごめんね。そう思っているからですよ。

今はキャンちゃんのことを思ってないていることが一番いいことですよ。

無理に元気を装っても自分がつらいだけ。

天国のキャンちゃんはもっとその姿を見てつらいはず。

本当の自分を出して悲しんで悲しんで悲しんで、それから何かが変わっていくんだと思います。

今は苦しくもつらくもないキャンちゃんに、うちのハムスターや文鳥とも一緒に遊んでねってお願いしてください。

天国にはたくさんお友達がいて、苦しいことはないんだよって。

キャンちゃんのご冥福を愉快な仲間一同でお祈りしています。


NAGATOさんちの
うさぎの
オリーブちゃん

思い出になりつつあるとアンケートを送ってくださいました

「ホーランドロップというウサギです。

私は今24歳ですが、これまで実家で犬や小鳥の死を何度も経験していました。だけど、外で飼っていたからか、自分で一生懸命世話をしていなかったからか、数週間は悲しんでも、そのあとは割と時間をかけずに気持ちの整理はつきました。

だけど、このウサギの時は、同じ部屋の中で暮らし、結婚して慣れない土地で過ごす毎日を共にし、まるで本当の家族のように思っていたからか、その子のあまりの突然の死に何も対しても気力を失い、勤めていた職場も辞め、家にこもるようになりました。

今は、全く同じ種類の同じ色のウサギを飼っています。

今の子は前の子よりも長生きしています。

とても、かわいくて、本当に眼の中に入れても痛くないといった感情です。

だけど、以前の体験からいつもどこかに今の子もいつか死んでしまうんだということが頭の中から離れず、私はいつも不安です。

これは本当に悲しいことです。

今、元気に生きているにも関わらず、死を常に意識してしまうのです。

だけど、いつかまた天国で会えると信じています。」

あまり親密な時間を持たなかったウサギと、いっしょに大切な温かい気持ちと時間を積み重ねてきたオリーブちゃんと、天国に逝かれてからの気持ちが違うのは、仕方がないことだと思います。

大事にしてきた思いと、一緒に過ごしてきた時間の重さは、何で量るんでしょうか?ただただ自分の正直な剥き出しの欲で量るしかないのでは?

ずっといっしょにいたいと思うやさしい時間をたくさん積み重ねてきたあなたならわかるはずですよね。オリーブちゃんを独占したままいたいという欲望の大きさを。

いつかは天国に逝ってしまう彼らですが、できるだけ長くいっしょにいたいと強く願うことは、依存しているからでも、病気でもなく、人間の欲望には果てがないということの現われで、一歩間違うと彼らの死さえも自分の手で支配したいという気持ちに変わってしまうものです。

何十年もいっしょにいてほしいと、強く強く。

彼らを大事に思っていればいるほどそう願ってしまう私たちなのに、彼らの寿命は短くて、なんだか悲しみしか残していってくれなかったような錯覚を与えられるんですよね。

だけど、違うんですよ。

あなたも本当のところではわかっているんです。

わかりたくないから少し逃げているだけなんです。

あなたはちゃんとわかっているんですよ。

思い出せてないだけ。

オリーブちゃんと、心が通じ合ったような瞬間が何度も会ったはずです。

何度も何度もあったはずなんですよ。

大切に大切に積み上げてきた時間が、オリーブちゃんが天国に逝ってしまって、なくなってしまったような錯覚に陥っているだけなんです。

だから新しい可愛いウサギさんとの時間が、大事に積み上げていく貴重なやさしい時間ではなく、天国へ向ってすこしづつ進んでいるようにしか思えないようになってしまっているんですよ。

元気だったのに突然天国に旅立ってしまったということは、いつものようにいつもどうりあなたと過ごす時間が、オリーブちゃんにはいとしい時間だったということの表れで、いろんな思いが胸のなかにはあるでしょうが、もっとどーんと大きな声をあげていっていいんですよ。

してあげたかったことが残っていたこと。

天国にあまりにも早く逝ってしまって、残されているものの気持ちをもっと考えてほしいということ。

遅かれ早かれ別れが来るという現実が本当につらいですが、だからこそ大切に時間を過ごしましょうよ。

いつか遥か遠い時間のはてに、彼らが天国から迎えにきてくれるんですよ。「たくさん思い出を、楽しくて温かくてやさしい思い出を、持って来てくれたんでしょう?」って、いいながら。

「あなたがいなくて寂しい思いもしたけれど、だからこそあなたの分も充実した生き方をして、たくさん思い出を持ってきたのよ」って、いつかその遠い日に胸をはって言いましょうよ。

まだまだ胸のなかにたくさんの思いを抱えていらっしゃるんですね。そんなあなたの思いを天国のオリーブちゃんは「ごめんね、そんな思いをさせてしまって、本当にごめんね。」って、泣いているのかな。

家族の一員が天国とは言いながら遠いところに逝ってしまって、もう触れない、声をかけられない、温かさ、柔らかさを感じられない、こんなつらいことはそんなにあることじゃないですよ。

だから、もっと、どんなにつらくて悲しくて寂しくて死というものに対して怒りと無念とを感じているか、心に閉じ込めているものを吐き出していいんですよ。

オリーブちゃんは他人には単なるウサギだったかもしれないけれど、あなたには大事な家族だったんだし、今も心の大事な家族なんですから。

オリーブちゃんのご冥福を愉快な仲間一同でお祈りしています。


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