makiさんちの
プレイリードックのぷー太郎ちゃん
「まだ涙が止まらない」と、アンケートを送ってくださいました。
「プー太郎は半年しか生きさせてあげられなかった。
虚弱体質な子だったけど私にべったりでとてもかわいく、私の全てでした。
なのに、やっと元気になったのに、私のせいでプー太郎は死にました。
事故が起こったとき、私は体が裂けるように感じました。何かを叫びつづけていました。(「嫌!」とかだったと思います。)
私の生活は全てプー太郎と一緒でした。プー太郎は私の生活そのものでした。なのに、今ここにプー太郎我が膝の上にいない。
プー太郎の最後の姿が目に焼き付いて離れません。
1日中ただただ泣いてばかりで他のことには何もする気がしません。最後の姿を思い出すと今も体が裂け、頭が割れそうで、叫びそうになります。これからどうしたらいいのかわかりません。
ペットを飼えばいいのかさえも自分でわからないのです。とても苦しいです。」
とてもお辛いなか、アンケートを送ってくださって有難うございました。
まだまだぷー太郎ちゃんの事でお辛い日々を送っていらっしゃると思います。
お互いに悲しませようとか苦しませようとか考えてないのに起こってしまった事故は本当に後悔ばかりで辛いですよね。
ぷー太郎ちゃんも辛いと思います。やっと元気になって楽しく又暮らせるようになったとたんに天国に来てしまったから。
天国ではもう虚弱体質とか関係なくていろんな動物とも楽しく過ごせるから本当に天国だとおもうのです。だからぷー太郎ちゃんにとってはもう辛い事はないはずだけれど、残してきたMAKIさんが、事故で死なせてしまったと、とても辛くてどうしていいかわからないくらい取り乱しているから自分ばかりもう辛い思いをしなくて済む天国にさっさと来てしまって、辛い現実にあなたを残してきてしまったから。
そして、もう、ぜんぜんつらくないんだよって天国から声をかけても、今までみたいに顔や目を見つめてのお話はできないし。
ぷー太郎ちゃんにとって、MAKIさんとの生活はつらいだけのものだったのでしょうか?楽しい思い出はないですか?たくさんあるはずです。ぷー太郎ちゃんのためにも自分のためにもその楽しい思い出を思い出してください。温かくて優しい思い出は、MAKIさんとぷー太郎ちゃんだけの大切な積み重ねてきたもののはずです。
今の悲しみや自責の念だけにとらわれずに楽しい温かい優しい思い出をたくさん思い出してください。そのうちに本当に時間が薬になって辛い思いよりも楽しかった思い出のほうが心の中からあふれてくるようになります。そうしたらぷー太郎ちゃんも安心すると思いますし、新しい可愛い家族になれる存在と出会えるとおもうのです。
ぷー太郎ちゃんの最後の瞬間を思い返すよりも出会った瞬間や心が通じ合えた瞬間をたくさん思い出してあげてください。少しずつ少しずつ気持ちの整理が出来るようになると思います。せっかく出会えたかけがえのない存在を失った悲しみにとらわれてばかりいるんじゃなく、そんな大切な存在になってくれたぷー太郎ちゃんに本当に有難うと元気でねをいってあげてください。
どんなにか悲しい事でしょう。
うちでもとてもなついていた文鳥の雛をとても安心しきっていたからかそばに寄り添って寝ているのに気づかず旦那が腕で押しつぶして死なせてしまった事があります。悲しくて悲しくて私は身代わりのようにほかの雛を次の日に購入しました。だからなんだか未だに気持ちの中では死んだ雛と今居る文鳥と区別がつかないような変な気持ちです。
そんな私の事を文鳥は許してくれているのか長生きをしてくれています。ありがたい事です。
区別がつかないような状態になったら同一視されている子は許してくれるけれど自分で自分が許せないような複雑な気分になりますよ。私の体験談でした。
ぷー太郎ちゃんのご冥福を愉快な仲間一同でお祈りしています。
aokiさんちの
マルチーズのマユちゃん
「まだ涙が止まらない」と、アンケートを送ってくださいました。
「実は今朝、うちの子、マユは亡くなったばかりなのです。11歳、高齢ですが、体重2キロ強の小さくってかわいい子でした。
会社を早退し、両親と一緒にお寺に行き、火葬してもらってきました。とにかく心の整理などついてもいない状況で、必死の思いでこちらのページを探しだしたところです。
1週間前から重い生理になり、何かおかしいなと思っていたところでした。
しかし、食欲もありほかに特別な異常も無く、ただの生理かもしれない、と、ついつい病院に行くのを伸ばし伸ばしにしていました。そして昨日、HP上で獣医師から助言がもらえる相談掲示板を見つけ、うちの子の様子について相談したのです。
昨日の夜までは、出血は相変わらず多いものの元気だったのです。そして今朝、私が出勤した後で容態が急変し、痛みを訴えるように鳴き続け、両親が病院に担ぎ込んだ時にはすでに息がありませんでした。
先程、掲示板を見てみると、獣医師さんから返事がありました。「子宮蓄膿症」という病気の疑いがあること、至急病院へ行くように、ということが書いてありました。悔やんでも悔やんでも、本当に悔やみきれない。つらいです。苦しいです。本当に本当に失ったということの実感に押しつぶされそうです。
言葉を交わすことが出来ないだけに、なぜ早く気付いてやれなかったのか、毎日毎日訴えていたのではないか、どれだけ苦しかっただろうか、と思うと涙が止まりません。この苦しみや悲しみが癒える日は来るのだろうか、私達家族が今一番欲しい答えです。」
悲しみの中、アンケートを送ってくださって有難うございました。
まずお尋ねの答えのほうを。
失ってしまった苦しみや悲しみは必ず癒されます。本当です。個人個人、時間がどれくらいかかるかわかりませんが、いつか必ず癒されます。私はこれは、きっと天国の可愛い子たちが、そんなに悲しんでばかりいないでと、何か気持ちを癒すエールを送ってくれているからだと思っています。だって、思い出せば悲しくてたまらなかった楽しい思い出を、ああ、楽しかったねって、素直に思い出せるようになっていくのですもの。
「そんなに悲しい思い出ばかり残してこなかったでしょう?楽しい思い出をたくさん残してきたでしょう?それを思い出してにこにこ笑っていてよ。」って、彼らが思っているのでしょうね。私たちにしたら、もうそばに居ない、声を掛け合えない、暖かくて柔らかい体をなでたり抱きしめたり出来ないと、悲しくて悲しくてたまらないのですが。彼らにしてみれば少し違う考えなのかもしれないと今少しだけ思います。でも、失ってしまったすぐのときは、そんな風に私も思えません。やっぱり辛くて悲しくてなにかに押しつぶされそうで苦しいです。
子宮蓄膿症とは違いますが、うちの10才になる猫が、5歳のときに卵巣膿腫になりました。猫は犬と違って生理の血はぽたぽた出ません。マーキング以外では自分の匂いがどこかにつくのを嫌う猫は、すぐになめてきれいにしてしまうからだそうです。だからうちの猫が生理の様に血膿(そのときは生理と思っていた)をぽたぽた落としながら歩いているのを見たとき、ものすごくびっくりして、今まで、子供を産んだこともある猫でしたが、生理を見たことははじめてだったので、掛り付けの病院に連れていきましたが、緊急とまでは行かなくてもすぐに手術でした。普通は小指の先ほどもない大きさの卵巣が、親指2本分くらいに腫れて、破裂寸前でした。でも、出血を見るまでは元気で今までどうりだったし、餌もいつもと同じだけ食べていました。
出血で人間がびっくりしただけで、猫は変りがなかったのです。
動物は、自分が弱っていてもそれを見せないようにかばうと良く誰もが言いますが、それは違います。
病気になったときに可愛がられたことを覚えていて、仮病を使って又同じようにちやほやされたいと思ったりする子が居れば、、家族が心配するから、どこか痛い所があっても我慢してみんなにいつもどうりニコニコしていてもらいたいと思ったりする子も居るということでした。うちの猫は後者のほうだということで、破裂寸前で痛くないという事はないだろうに、いつもどうりの猫でした。
私の猫と同じにしてはいけないでしょうが、きっと、猫のお医者さんが言っていたとうり、マユちゃんも、家族のみんなが心配しておろおろしたりしないように、いつもどうりにこにこしていて欲しかったのではないでしょうか?いつもと違う雰囲気になったりしたら心細い思いをしたのかもしれません。
人間でもペットでも、生きているものは生きていくという事に貪欲です。それにペットは絶対に死ぬという事を自分で選んだりしません。そこが人間とは違うところです。マユちゃんだって、生きていく事、今までと同じように家族みんなと一緒に居る事に対して、ものすごく貪欲だったと思うのです。だって、家族だもの。いつまでもいっしょに居たいと思うのはお互いに同じように思っている事です。
マユちゃんはいつもと同じようにいつもどうりにおうちに居たかったんだと思います。同じように家族といっしょに居たかったんだと思います。残された家族は、どうしてもっと早く気がついてやれなかったのかと、自分を責めて悔やんでぼろぼろになってしまうのですが、マユちゃんの気持ちは、ただ、居心地の良いおうちに居たかったというだけだったのでは?
今はまだまだご自分たちを責めて後悔して悲しくて苦しくてたまらない気持ちしかないでしょうが、最後の最後までおうちに居たマユちゃんは幸せだったと思います。
私がこのホームページを作ろうと思ったのは、その頃飼っていたゴールデンハムスターのテンちゃんという子を紹介したかったからです。プロバイダーと契約が出来てホームページをアップできるようになったその日に、急にテンちゃんは天国に逝ってしまいました。1998.1.30PM6:00頃です。それから2ヶ月ほど経って、テンちゃんを飼う前から飼っていた文鳥をメインにしたホームページをアップしました。テンちゃんの思い出もたっぷり載せて。あの頃は、「もうテンちゃんは居ない・・・。もうテンちゃんは居ないんだ・・・。」という気持ちしかありませんでしたが、今は、少し違います。「もうテンちゃんは居ないけれど、天国で楽しくお友達と遊んでいるのかなぁ?何をしているんだろう。たまには私たちの事も思い出してくれているのかな?」と、思ったり、「楽しい思い出をいっぱいありがとうね、テンちゃん。」と、涙ぐんだり、いろいろです。全く忘れ去ってしまったり、全然悲しくなくなったりはしません。
だけど、楽しい思い出を思い出しても、ああ、本当に楽しくて暖かい思いをさせてくれてありがとうね、テンちゃん。と、素直に思い出せるのです。時間の経過というののはすごいと思います。時間薬というものは本当にあるんですね。
マユちゃんは家族を悲しみの底に落としこむためや、後悔させるためにみんなの家族になったわけではないんだと思います。本当です。お互いに大事に思いあって、長い時間いっしょに居て、ずーっといっしょに居たかったとおもうのです。いつまでもいつまでもいっしょに居たくてたまらなかったとおもうのです。
今はまだ、こんな言葉は上滑りしてしまうでしょうが、本当にそうおもうのです。
マユちゃんのご冥福を愉快な仲間一同でお祈りしています。
ご家族の方の悲しみが癒される日が早く来ますようにマユちゃんとともに祈っています。
だいこくさんちの
ペルシャ猫のミルキーちゃん
「思い出になりつつある。時間が癒してくれた」と、アンケートを送ってくださいました。
「たかがペットが死んだくらいで・・・と、言われた事がありました。
でも、毎日共に暮らし、気持ちが通い、支え合って生きている以上人間の家族と何ら変わりのない存在です。
自分の悲しみに加え、周りのそういう冷たい態度が辛く心にしみた記憶があります。」
アンケートにお答え下さって有難うございました。
ミルキーちゃんは思い出の猫ちゃんになりつつあるんですね。時間に癒されたんですね。
ミルキーちゃんは家族の一員。大事な大事な猫ちゃんだったんですね。
たかがペットという言葉を良く聞きます。されどペットという言葉をその言葉に返したい気持ちでいっぱいです。
どうしてそんな言葉を悲しんでいる人に向かって簡単にいえるんでしょうね。
うちにも10才の猫が居ます。彼と彼女はわがままいっぱいで気まぐれなように見えていつも私が寂しくないようにそばに居てくれている猫です。
結婚してもいっしょに居ます。旦那様と一緒に居て楽しくても猫とのコミュニケーションは大事です。元気でそこに居てくれるということがどれだけ私たちを慰めてくれていることでしょう。
そんな存在なんですよね。
だからもうそばに居ないという事を受け入れることは本当に身を切られるように辛いことです。居ないということだけが心の中にいっぱいに広がって楽しかった思いでも悲しみでしかなくなるんですよね。
だけど、今は楽しかった思いでは楽しかったときっと思えるようになったんですね。
ミルキーちゃんとの大切な思い出はわからない人にはわからないものなんでしょう。こんなに大切な存在にめぐり合えたという本当に貴重な思いは誰にでも味わえるものではないと思いましょう。
ミルキーちゃんは今天国で何をしているんでしょうね。
お友達を見つけて楽しく遊んでいるでしょうか?だいこくさんが少しずつ悲しみから立ち直る姿を見て喜んでくれているところでしょうか?
ミルキーちゃんのご冥福を愉快な仲間一同でお祈りしています。
AT&Tさんちの
白文鳥の白ちゃま
「まだ涙が止まらない」と、アンケートを送ってくださいました。
「私は小さい頃からいろんな動物に囲まれて育ちました。その一人一人とお別れするときに、ものすごい喪失感を味わい続けてきました。
高校生の頃、人間よりも動物の方が尊敬できる存在だ・・とキリスト教の学校にありながら書いてしまい、チャプレンから奇異の目で見られたこともあります。
結婚してからも寂しくて、病気にかかってしまったこともあり文鳥を飼いました。
桜文鳥と白文鳥の2羽でひなから飼いとても楽しく毎日が幸せに暮らしていました。でもたった2年で白文鳥が死んでしまいました。その当時は泣き暮らす毎日で、何ヶ月も落ち込んでいました。
桜文鳥が非常にさみしがり、白文鳥を探しまわる姿をみてまた悲しみが募って・・・。とにかく何も考えられない日がずーっと続きました。
半年以上たつ今も、思い出の場所に目をやると、まだ白文鳥がいるような気がして涙が出てきます。10月に入ってから忘れられない思い出を形にしようと、ホームページを作りました。」
と、アドレスも送ってくださいましたが、まだこのページに載せても良いという許可を得ていないので、公開は控えます。
とても可愛がってくださっていたんですね。白文鳥ちゃんの事を。とても仲の良い文鳥同士は離して飼うとものすごくストレスを感じるようです。でも、桜文鳥ちゃんはAT&Tさんが可愛がってくださっているのだから、寂しさがまぎれますよね。でも、もう居ないということを良くわかっている飼い主はいろいろと思う事もあって寂しくてやりきれない気持ちになってしまうんですよね。
確かにある一面だけを見ると、動物は最低自分が生きていくぶんだけの殺生はしても、むしゃくしゃしたからといってほかの動物を襲う事はあまりありませんよね。人間の持つ感情は良い方面にそれが生きれば他人と一緒に生きていく上での潤滑油の役割を果たしてくれますが、悪いほうに生きてしまうと取り返しのつかない出来事を引き起こしてしまったりもしますね。
白ちゃまがあなたの良いほうの感情をたくさん引き出してくれていたのだとしたら、今ごろ天国から心配しているかもしれませんね。「あんなに可愛がってもらったのに、悲しみしか残してこなかったのかしら・・・。」って。
白ちゃまとの楽しくて温かくて優しい思い出も、たくさんあるはずですからどんどん思い出してください。
白ちゃまのご冥福を愉快な仲間一同でお祈りしています。
たまみさんちの
キャバリアのかりんちゃん
「その他」としか書かれてなかったのですが、アンケートを送ってくださいました。
「かりんは、1週間前に旅立ちました。心臓病とわかって5年間、最後は寝たきりにもなり体はむくみ、それでもがんばってくれました。旅立った日には、「これで楽になったね。」という言葉がいちばんはじめに出てきました。病院の先生も驚くほどがんばってくれました。わたしも、自分なりにせえいっぱいの事はしてきたつもりです。別れは辛かったです。覚悟はしていたつもりでしたが、やっぱり悲しくて、悲しくて。でも楽になった、かりんのことを思うとわたしも、少し楽になりました。いつでも、どこか近くにいてくれると思います。9歳11ヶ月でした。」
かりんちゃん、本当に長い間頑張ったんですね。今は天国でゆっくりしているんですね。
5年間も頑張るという事はなかなか大変な事ですね。かりんちゃんも頑張ったでしょうが、たまみさんたちの支えもすばらしかったのでしょうね。本当にゆっくりと安らかに天国で遊んで欲しいですね。たくさんのお友達がいるでしょう。かりんちゃんはもう苦しくないんだね。
長い事いっしょにいた可愛いかりんちゃんがもういない事はとても寂しい事でしょう。私も同じ思いをしました。その事が原動力になってホームページを作ったようなものです。可愛い大切な存在の喪失はなかなか何をもってしても埋められないのですが同じような喪失に悲しむ誰かの悲しみを少しでもやわらげられたら私もうれしいですし私の大切な天国の家族もたまみさんのかりんちゃんも喜んでくれると思っています。
かりんちゃんのご冥福を愉快な仲間一同でお祈りしています。
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