ブント蜂起派機関紙「赤星」2001年7・8月合併号より
共産同(ブント)再建を期して
なすべきことをなそう!

赤井 隆樹

※「赤星」は月1回刊。発行は蜂起社(東京都江東区大島3-9-25)です。


 ブントを名乗る日向派は、機関紙「SENKI」(6・25付第1046号)紙上で、「未だ前衛党史観にとらわれた人々」と題する特集(3面)を組み、「赤い星?一体どこの馬の骨だ」(渋谷要)としたり顔で我々を誹謗中傷し因縁をつけるためだけの記事を掲載した。まったく愛も変わらぬマヌーバーやデマゴギーを旨とする政治思想・組織体質をさらけ出している。他人の心配をするより、自分たちが、いかに姿・形を変えても(その根っこに)染み着いた組織体質−黒田・革マルイズムをブントに密輸入したルーツ−から抜け出せず、未だに呪縛されているかを自覚すべきであろう。本稿は、当初の予定を変更して−道草を食うことを承知の上で−、紙幅を彼らへの反論に割くことにした。
 彼ら(日向派)は、よほど我々の言動や動向に関心があるらしい。「どこの馬の骨」か分からない小党派に何故ことさら左様に心穏やかならぬもの(無視し難いもの)を感じてしまうのだろうか。
 要するに、彼らは、我々(蜂起派)が、機関紙上で「赤井隆樹などがしきりと『ブントの再建』を口にしている」ことが、よほど気にかかるらしいのだ。「誰もが自由かってに(ブントの)再編・統合など口にしていいわけないだろう。生意気を通り越して非常識だ」と自分たちを無視して勝手に「ブント再建」など言われては困るということのようだ。
 だが残念ながら我々は、彼らの「常識」にも「要望」にも応える気はさらさらない。我々は、共産主義運動−新左翼運動の再生を目指して(そのために)共産同(ブント)の再建に挑み、「なすべきことを着実に断固としてなす!」だけであり、このことに最善をつくそうと思っている。
 彼らが我々の言動に「過剰反応」するには、それなりの理由があるのだろうが、ブントらしくもっとおうように構えた方がいいのではないか。「そもそも70年代初頭の『連合赤軍』事件など悪名となった『ブント』の名を…パラダイム・チェンジを通じて善名に変えてきたのは我々」だと、己の唯我独尊を顧みず「前衛主義」だの「セクト主義」だのと他を批判するのは、気色が悪いブラック・ジョークという他あるまい。最近でも、かつて「赤いヘルメットをかぶった革マル」と言われた時代を彷彿とさせるような新宿ロフト・プラスワンでの彼らの「武勇伝」を聞くにつけ、「左翼思想のパラダイム・チェンジ」も額面通り受け取るにはかなりムリがある、大衆は(日向派の)独善性に半ば辟易としているのだということくらいは認識しておいたほうがよかろう。
 しかも、彼らは、我々に因縁をつけるにあたって(我々が)「さらぎ氏をパージした」「組織から追放」したなどとデマゴギーを飛ばしている。我々は、組織から追放=除名した者について、公表することをためらったりはしない。彼らが、いくら我々の組織事情に通じているかのように装って当てこすりをしても、組織体質に染み着いてしまったデマゴギー政治が透けて見えるだけだ。時流に敏なだけで簡単に流言に惑わされるようでは底が浅いと言わざるを得ない。
 我々蜂起派と彼ら日向派との関わりで、かつてどういう因縁があったのか−記憶しているメンバーもすでに数少ないのかもしれないが−、その歴史的事実の一端ぐらいは明らかにしておくべきだろう。我々が機関紙上で彼らに言及したのは恐らく82年以来だ。
 それは、「破防法裁判闘争を支える会」事務局員であり、我が「破防法弾圧と闘う会」の責任者であった倉田豊寛氏への71年12月2日の日向(戦旗)派によるテロ襲撃−倉田氏は頭蓋骨等に重傷を負わされた−について、「重大な誤りであり…『破防法裁判闘争を支える会』の活動に、実際上、敵対を結果せしめた」という「自己批判書」が、当時の「戦旗・共産同」から実に11年目の82年2月8日に提出されたことについてであった(『蜂起』82年3月号掲載)。
 どうやら彼らが標榜している「パラ・チェン」も表層だけで、マヌーバやデマゴギー政治に陥る思想の中身や組織体質までは変えることができなかったようである。しかも、彼らは重大な勘違いをしている。
 それは、ブントとは、58年12月に結成された共産主義者同盟(独語でDER BUND DER KOMMUNISTEN)のことであり、その独語の同盟の意であるBUND(ブント)を略称にしているのであって、あくまでも−1次−2次ブント、あるいは今日のブント系諸党派それぞれの政治的色合いの違いはあっても−、共産主義社会の建設を成し遂げることを目的としてプロレタリア革命の実現・勝利のために結成された政治組織のことなのである。
 共産主義者(たること)を組織名としてもまた思想的内実としても投げ捨てた−彼らからすると揚棄したのかも知れないが−日向派が、いくら2次ブントの系譜を引いた組織であったとしても、もはや共産同(ブント)の一分派と見なすのは困難であり無縁の存在と言わねばなるまい。ブント系諸党派の名を列挙し(塩見まで挙げて)、自分たちも「もちろんブント」だと言うような態度は、余りにも未練がましいのではないか。少なくとも、誰も(どの党派も)日向派を共産同の一派とは、見なしてはいない、ということぐらい自覚すべきであろう。「どうしてアソシエ21は延々とマルクスにこだわり続け」ているのだと毒づき、共産主義・マルクス主義を捨て去った者に共産同=ブントを名乗る資格も論拠もないのだ。
 マヌーバーやデマゴギーを旨とする左翼思想に未だ呪縛されている自分たちの歪みを相手に投影してしたり顔をするようでは、「善名」に傷が付くのではないか。中途半端な「パラダイム・チェンジ」はやめて、思い切ってブントなどという名称も−紛らわしくて迷惑なのは我々も同じだ。そもそも共産主義者同盟と「間違われて」困るのではないか−早いところ捨てて抜本的に改称した方がいいのではないか。ついでにもっと根底的(ラディカル)に組織の体質改善を図ることを薦めたい。

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