もう既に古い話になってしまったが、ポケモンのテレビ番組で光過敏による失 神が起きたのだそうだ。そのワリを食って件の番組は休止中ということらしい。
まぁ内容については色々報道されている通りであるので、ここで繰り返す必要 はないだろう。そして番組を休止してしまうという、
な展開になっている。まぁ色々と圧力かけたい人とかいるわけで、そーゆー人々 にしてみれば、
だったのだろうと思う。正直な話、子供達がそこらじゅうで呪文のようにポケ モンの名前を言っているのは閉口していたので、
と思う気持ちがないわけではない。
しかし、よく考えてみれば、この騒動は早い話が、
が原因だったのである。薄暗い部屋で目の前全体がTV画面になってしまうくら いの近さでテレビを見ているという、ある種
に子供があることについて、親は何も手を打っていなかったのだ。しかも、こ のような光過敏による失神の事例は、以前テレビゲームでも報告されていて、 結構話題にもなっていた。その対策は供給側がすることは当然のこととして、 需要側が自衛するということも、ある意味当然であるはずである。
ところが、今回の騒動はその消費者としての当然の自衛をするべき親が、何も しなかったということを、供給側の不手際をネタに
を行って騒動にしてしまったのである。無責任もここまで来れば立派なもので ある。馬鹿な奴らだ。
ちょっと時期はずれのネタになってしまったが、テレビ改編期、特に年末あた りの番組ネタとして「NG大賞」というのがある。つまり、番組収録中に出し たNGを集めて番組を作るわけである。これが結構お手軽に視聴率も稼げるとい うことで、時期によってはそこらじゅうの局でやっている。
他人のNGは面白い。特に普段シリアスにやっている人のNGなぞは、現物を見な くても、それが存在すると思うだけでも痛快である。時にはそーゆーものをま とめて見たい気持ちにもなる。
しかし、ちょっと待って欲しい。テレビと言うのは本質的に
なのである。つまり、全ては虚構である。ところが、NGなどというものは、仮 想空間構築上の失敗であり、その公開は仮想空間を
させる行為である。ひらたく言えば、「ドラマ」という仮想空間での出来事が NGなどというもので崩壊させられてしまえば、それ自体で
なのである。確かに面白いのではあるが、その代償で仮想空間の楽しみを捨て てしまっているのである。しかも、それがごくたまであるなら、
と思うのであるが、あまり度重なると、
になるのではないか。「タレントの素顔が見えるのも良いよ」という声もある だろうが、それは突き詰めれば、
的な安直な視聴率稼ぎと表裏でしかない。
ついでに言えば、
というやり方もどうかと思う。素直にNGだけを集めて笑うのなら、それはそれ でまだ許せるのだが、それに「大賞」などということで順位をつけたり、賞を 与えたりするのは、どう考えても
である。NGとはあくまでも失敗であるからだ。
例によって少年犯罪の関係で様々な新しい規制が出来て来た。どうも日本とい う国は
が好きな国らしく、「ナイフを少年が持つからナイフを使った少年犯罪が起き る。だったらナイフを持たせなければいい」という発想でナイフの所持を禁止 しようとしている。まぁ確かにナイフを奪えばナイフによる犯罪は発生しない だろう。
さて、同じような「ナイフ規制」は実はもっと大昔からあった。当時社会党の 浅沼委員長が右翼(?)少年のナイフによって刺された事件の時、「とにかくナ イフ廃止」ということで少年達からナイフを取り上げた。結果どうなったか。
その当時、子供が鉛筆を削るのはナイフであった。これは慣れてしまえば別に 難しくもなく綺麗に削れるのであるが、ナイフの所持を一律禁止されてしまっ たので、ナイフで鉛筆を削ることは出来なくなってしまった。その結果、鉛筆 削りなる道具が普及し、
ということになった。そして子供達はナイフで鉛筆を削るという技術を失なっ てしまった。
まぁ普通の人は鉛筆削りで鉛筆を削っていれば、それで十分であることが多い。 何も時間のかかるナイフで鉛筆を削る必要もないだろう。ところが私が中学生 の頃には技術の時間に「製図」という科目があった。また私は一応高専で必修 科目としてやはり「製図」があった。この時の鉛筆の削り方は特殊で、長く使っ ていても線の太さが一定になるように
のように鉛筆を削る必要があるのだ。このため一度鉛筆の芯を削らずに木だけ を削って芯を長く出し、それをサンドペーパにかけて鋭らせる必要がある。こ のような削り方の出来る鉛筆削りも売ってはいたが、あまり一般的なものでも ないので、高価な上入手難であった。そのため普通の学生はナイフで鉛筆を削っ たものである。
実は私は鉛筆削りやちょっとした工作のために、普段からナイフを使っていた。 そのため鉛筆はいつもナイフで削っていたのである。だから製図の時間でも特 別苦労をすることはなかったのであるが、他の連中はそうは行かない。結果、 ド下手な削られ方をした鉛筆になるのである。技術者の卵としては、ちょっと 悲しい。
このように子供をナイフから遠ざけるということは、
ことになるのである。
さらに言えば、工作をする時にしろ、鉛筆を削る時にしろ、注意していないと
ことになる。もちろん慣れるまでは注意していても手を切る。手を切れば、当 然のことながら、
のである。つまり、「ナイフで切るとどうなるか」ということが実感として理 解出来るのである。しかも、その「実感」はほとんど力を入れることなく味わ うことが出来る。
件の事件の時、少年は「教師にナイフを見せて脅そうとしたが怖がらなかった」 と言っている。つまり、この教師はそのナイフは恐いとは思わなかったのであ る。
しかし考えて欲しい。ナイフというのは、「ほとんど力を入れることなく切れ る」ものである。つまり、その気さえあれば、
ものであるし、「切れば痛いし血が出る」ものである。つまり、
のものなのだ。それを怖がらなかったと言うのだから、この教師もナイフとい うものを実感として理解していなかったのだろう。
というパラドックスがある。たとえば国際紛争を解決するための最終兵器であ る「核兵器」は文字通り
であって、そうそう使えるものではない。ナイフのような刃物も、個人間の紛 争を解決する道具としては、あまりに強力であるから、まず使えるものではな い。だから「ナイフがどのようなものであるか」ということを知っている人は、 ナイフを凶器として使うことは出来ないはずである。昔の子供はナイフを持っ ていても、「ナイフがどのようなものであるか」ということを実感として知っ ていたので、凶器として使うということはなかったのである。「浅沼事件」の 時もそれは「最終兵器としてのナイフ」として使われたのであって、「ちょっ とした脅し感覚」で使われたものではないのである。
しかし、今回また少年からナイフを取り上げようとしている。そうすれば、ま すます
や
を知る機会がなくなる。さらに
も知る機会がなくなるのである。これは現状よりもさらに危険なことである。
どうやらあちらこちらの自治体で、ナイフは
というものに認定されるらしい。「ナイフは犯罪に使われる危険性の高い玩具 であるから有害」という論理らしい。そうなると仮に、
がそこらじゅうで流行ったとしたらどうなるのだろう? まさか、
にするのだろうか? 日本の行政は馬鹿だから、案外するかも知れないが、お よそそんなことはないだろう。
しかし、「教科書」と「ナイフ」の間に何の違いがあるのだろうか?
ということにおいても、
ということにおいても同じはずである。
人によっては、
と言うかも知れない。しかし、それは現在の学校教育がナイフを使うような 「手作業」に教育の重点を置いていないということの肯定に過ぎない。この考 えは延長すると、
につながるものである。つまり、
的な考えになるのである。つまり、
ということになり、
である。これは「職人」のはしくれ(プログラマは「職人」である)としては由々 しいことである。
別の側面で見れば、この見方は「ナイフという必要度の低いものは、切り捨て ても良い」という発想である。しかし、この「必要度」というもので物事を順 序つけするということ自体が、「受験最優先」的な発想につながっているとい うことは、「関係者」ならわかるはずだ。そしてこの、
のという発想は、
の発想と同じものなのである。結局子供が弱い子供をいじめているのと同じよ うに、ナイフを「いじめて」いるのである。発想の根底は同じである。つまり、 子供からナイフを取り上げるということは、
と同じなのだ。ナイフを取り上げようと考える奴らに「いじめ問題」を論じる 資格なぞない。
結論を言おう。断じて子供からナイフを取り上げるべきではない。むしろ子供 にはナイフを持たせて、「ナイフとはどのようなものか」ということを教える べきである。その方が問題解決への近道のはずである。
今はTVの改編期である。この時期は放送回数の調整の必要から、レギュラー番 組は少なくなり、特番が増える。この特番を
などと呼ぶというのは、まぁ一般人にはどうでも良いことである。
この改編特番でよくあるのが、前にも挙げたNG大賞だった りするわけであるが、同じように多いのが、今回挙げる
である。
これらの番組はいずれも見てなつかしい。それ故に
などと楽しむのは悪くないし、子供を前に
の話をするのも悪くない。そういった意味では
ということで、非常に良いものである。
しかし、そう言えるのも、これらの番組がごくたまに行われる場合である。と ころが、この時期になると、いきなりそういった番組が増える。また、改編特 番としてこのような番組をやるというのは、近年やたらに増えたような気がす る。こうまで増えてしまうと、この手の番組を見る時の
が減ってしまうのである。
また、この手の一見非常に良い番組と言うのは視聴率が簡単に稼げる。それは そうだ。なつかしさを味わいたい人は多少わくわく感が減っても当然見るだろ うし、リバイバル流行りだったりするので、子供も見る。さらに良いことは、 このような番組は一々制作する必要がない(ほとんどない)から、制作費が安く つく。つまり、局にとっては、
ということで、とてもオイシイ番組である。となると、視聴率を稼ぎたい連中 (営業や編成)にとっては、どんどんやりたい番組である。それゆえ最近やたら に増えたのだろうと思う。
とは言え、このような素材と言うのは、いわゆる
と同じで、いくらでも後から生産させるというものではない。また、テレビが 本来的に持っているべき
というものはまるでない。つまり、このような番組で視聴率を稼ぐということ は、言うなれば
ようなものである。だから、このようなことで視聴率を安易に稼ぐということ は、
しているのも同然である。テレビマンはその辺は心して欲しい。
また、このような「なつかしの××」は、CSでは結構レギュラー番組としてやっ ている。現時点でざっと挙げるなら、「宇宙戦艦ヤマト」やら「仮面ライダー」 やらのアニメ系番組や、「太陽に吠えろ」のような人気のあったドラマは、た いていやっている。このような零細のCS放送局がやっているのと同じようなこ とを、大企業たる地上波放送局がやるというのは、何ともなさけない。
また、CS放送がより普及すると、このような番組で視聴率を稼ぐということは、 何も地上波放送局でその断片をやったくらいでは出来なくなってしまうだろう。 何しろCSだと特番ではなくレギュラーだから、その気になれば全部見れるのだ。
ところが、このような安易な方法で視聴率を稼げば、その分番組制作力は落ち る。CS放送に押されてからあわてては遅いのだ。
ある日急に博士号が欲しくなり(と言っても昔から欲しかったのだが)、思い立って 某大学院大学 を受けることにした。生活費やら仕事の関係やら整理し、何とか行けそうなメ ドを立てた。受験資料も取り寄せた。私の最終学歴は 高専であるから、「本学が大学 卒業相当と認めるもの」とゆー区分で申し込むことした。私だってぼんやり業 界にいたわけじゃないし、それなりに実績もあ るんだから大丈夫だろう。非常勤をやってる学校の先生も、「多分大丈夫でしょ う」とのことだったので、
と問い合わせた。そうすると、
との答えだった。まーこのページを読みに来るような人なら、私が何をやって 来て、今何をやっているかは知っていると思うが、そのようなものは文部事務 官の前では、
に等しいのである。つまり大学院受験ということを考えれば、私は
ということなのである。
ところが、その大学院大学 は基本的に理工系の大学院ではあるが、文系からの転身者にも門戸を開いてお り、理工系単位が0の人でも入学出来ることになっているし、実際そのような カリキュラムにもなっている。つまり理工系教養で言えば、
であっても良いのである。
ところが高専卒では、卒業後どんなに実績を作ろうと、また文部省に奉仕する 仕事をしていようと、ダメなのである。別に「俺は偉いんだから、特別扱いし ろ」と言う気もないが、それにしてもあまりに杓子定規である。こっちは別に 学士なんか用はないんだから、それを必須条件にすることもあるまいに。
と言うようなことでクサっていたのですが、何と 京大が 学士なしで試験に通れば院に入れる といういうことを始めたそうである。まぁ今回は私の希望する専門の講座では ないのだが、希望を与えてくれたのは嬉しい。
ところが文部省はこれが不満らしい。 現在文部省の博士号授与は、博士過程修了してかつ論文○遍といういわゆる 「過程博士」というものを主体にするという方針であり、博士過程修了をして いない者に対しては、積極的に博士号授与をしていない上に認定基準も厳しく、 また論文数を多く要求する(なんで研究者の実績である論文の評価に学歴が関 係あるのだろうか?)。また、私のように大学を全く出ていないものにとって はそもそも学位請求機関が存在しないので(本来機能するべき 学位授与機構は現時点ではこの目的では 役に立たない)、現時点では絶望的ですらある。つまり、文部省的には
と言っているに等しい。
私はその文部省が直接管轄する学校で、安い講師料で非常勤講師をやっている のだ。「だから特別扱いの便宜をはかれ」とは言わない。だがせめて「道」を 用意してくれたってバチは当たらないだろう。それが出来ないのなら、京大の ような
にクレームをつけるのだけはやめて欲しい。
まぁ日本の教育機関が博士号を出してくれないのなら、外国の機関でPh.Dをも らうって手もあるわけなのだが、産業だけじゃなくてこんなものまでも空胴化 させるつもりなのだろうか?