[2008年2月16日(土)] 村積山(むらづみやま)

《画像をクリックすると大きな写真になります。保存は大きい方を!》
《サ-バ-容量に限度があり古い写真は抹消しなければなりません。保存は早めに!》

コ−ス=
08:03(名鉄)新安城 発−08:09東岡崎 着−08:25東岡崎 発(名鉄バス)−
-09:04北斗台口 着−スタ−ト−09:30登山口 着−09:35村積神社里宮 着-
-09:50つり池 着−10:00参道階段 着−10:15村積神社奥宮,山頂 着−
-10:30頂上 発−10:45龍溪院分岐点-10:50林道出会い−
-11:15龍溪院 着−12:00細川バス停 着-12:08北斗台バス停 着−
-12:58(名鉄)東岡崎 発−13:03新安城 着

《時刻で発着表示のないものは到着時刻です》

参考資料=コ−ス略図

連日の厳しい寒さ、風の冷たさで山歩きも億劫になりそうだけど、家でゴロゴロしているよりも頑張って何処か軽いところにでも行こう! と先週に引き続き今日も軽〜い歩き、近場でそんな所はないか? と調べたら岡崎市の北東に“村積山”(むらづみやま)と云うわずか256.9mの山が有ることが分かり早速行ってみる事にした。今日の天気はほぼ快晴、しかし朝の気温6度とかなり寒い! 自宅の“新安城”から電車で次の駅“東岡崎”まで行ってバスに乗り換える。バスに乗ること約40分、“北斗台口”と云う住宅街からスタ−ト。

未だ咲いていない桜並木が続く住宅街を東に向かって歩いて次第に山の手へ至り登山口へ。先ずは自然歩道の舗装路登り、“村積神社里宮”を経由して登り坂が続き、“つり池”を経て更に登りが続き今度は“村積神社奥宮”への参道入口まで。ここまでは舗装路だったがこれより山道の急坂、急階段登りとなるが直ぐに奥宮に登り着く。結局その奥宮が“村積山”の頂上であっけない! 頂上近くに展望台もある。また奥宮後ろの社の裏手には四等三角点もあるが、ヤブの中なので分かりにくい。

下山は奥宮正面の右手の坂から“奥殿陣屋”へ向かって下り、途中から“龍渓院”と云う神社を目指す。山道下りが終わって林道に出たら間もなく“龍渓院”。家康の父、松平広忠が再興したと云われる曹洞宗の古刹とか! その後は門前の道を下って車道へ、そして左に折れて直進したらバス道路の県道39号。スタ−ト地点の“北斗台口”まで戻って約7kmの歩きをFinish。帰宅したのは午後1時過ぎ、半日で済むホント軽〜い歩きでした。

《写真上にマウスを乗せると画像NO.が出ます。写真をクリックすると大きなサイズに!》
↓“東岡崎”始発の“奥殿陣屋”行きバスで約40分、“北斗台口”で下車【写真No.01】。09:04バス停の後ろの方に見える陸橋と信号、あそこまで戻る。そこの交差点左側に見える“村積山自然歩道”の標識【02】、標識に従って交差点を左に渡り、右側の“北斗川”に沿って直進【03】、、、桜並木が続く【04】。ここは桜の名所らしい、開花の頃また来たいな〜! な〜んて思いながらとにかく直進、、、徐々に民家も少なくなって【05】、、、又もや桜並木が続く【06】、ここまで途中、右側に川を渡る小橋が何本かあるが無視してそのまま直進、しかしこの小橋“洞橋”(ほらはし)【07】まで来たらストップ!

↓“洞橋”たもとから左折【08】、すぐ右手に曲がる。その先の三叉路角にある“村積山自然公園”の標識【09】、09:30標識の左側の坂道を登り右側へ【10】、、、そこに建つ“花園山村積神社”の石標【11】、“花園山”と云うのは即ち“村積山”の事で、その昔何とかって云う天皇が、この花の咲く美しい山を見て名付けたとか? 麓から全山桜の木が多いらしい! しかしこの辺りは桜でなく竹が多い舗装坂道を登って行く【12】、、、直ぐに右手に神社のような?【13】、、、09:35入って見たらここが“村積神社里宮”だった【14】、お賽銭をあげて一祈り!

↓里宮の境内の様子【15】、これより再度舗装路登り【16】、、、しかし直ぐに平道になって右手の桜並木の先が何やら広っぱ【17】、、、そこには駐車場とトイレが有った【18】。広場の最後、左手の土手を登るカミさん【19】、、、09:50、おッ!大きな池だッ!【20】、釣り人がノンビリ糸を垂れていた、そして右手にあった案内標識【21】。

↓池の右手を行く【22】、、、そしてまた登坂に差し掛かり【23】、、、チョット傾斜がきつくなって【24】、、、途中の水呑場【25】、ご親切にコップまで完備! 外国だったら直ぐに盗まれるだろうな〜! とか思いながら登って行く【26】、、、間もなく平道になり右手からの道と合流【27】、10:00、どうやらこの道は山頂を一周する道のようだ。その先、右手の土手にこんな標識【28】。つまりここから右へ登ると山頂までの直登ル−トらしく、わざわざ「きついル−ト」と書いてある。

↓ここまではずっと舗装路歩きだったが、ここからいよいよ山道の階段登り【29】、、、落ち葉に隠れた石段を登って行く【30】、、、石段の段差が高くなり、確かに傾斜もきつくなってきた【31、32】、しかし上の方には赤い鳥居も見えて来たぞ〜! しかしそこからが長い!(汗)【33】、、、そしてやっと鳥居に登り着く【34】、その上が“村積神社奥宮”、即ち“村積山”頂上だった。この時10:15、わずか15分間の急坂登りで汗ビッショリ! 社の右手へ【35】

↓右手へ廻ってみたら正殿の後ろにもう一つ小さな社【36】、どうやら補修中らしい? ここで余談だけど、どこの社も正殿の後ろに必ずもう一つ小さな社が有るのは何故だろう? どうでも良いけど、、、今度は正殿に向かって左側へ行ってみるとベンチの向こうに何か見える【37】、、、チョット下ってみると左側に展望台が有った【38】。北側しか展望が利かず! どうやら豊田方面らしい【39、40】、、、また元の奥宮正殿まで戻って後ろの小さな社の裏側の雑木林に上がってみたらヤブの中に四等三角点【41】と山名札、ちょうどこの時、登って来たハイカーに頼んで山名札の前で証拠写真を撮って貰う【42】

↓10:30頂上を出発、奥宮正殿右側の下山ル−ト【43】、直ぐに左側に“奥殿陣屋”方面への標識【44】、そこから左へ、、、こんな石段【45】から、、、引き続き林の中を下って【46、47】、、、途中何ヶ所か標識【48】があるが、とにかく“奥殿陣屋”へ向かう【49】

↓10:45、かなり下った所で初めて“龍溪院”への分岐点【50】、、、さらにその先、今度はこんな標識も【51】“あさひこようちえん”?、、、まだ下り道は続く【52、53】、、、そして10:50、林道との出会い口【54】まで下って来た。しばらく林道を行くと左側にこんな子供向けの様な標識【55】、“りゅうけいいん”まで15分!、、、引き続き林道の歩き【56】

↓どうやら里に出てきたような?【57】、この辺り風も無くポカポカと暖かい!、、、徐々に村落が見えてきた【58】、あの竹林の方に向かって行くと、三叉路の左手に曲がる角にこんな旗指し物【59】、その先の林の中に社が見える【60】、どうやらあそこが“龍溪院”らしい、、、右手の駐車場横を進み、11:15立派な門構え【61】の“龍溪院”に到着。入口にはこんな説明書き【62】と、社の由緒あるいわれが書かれていた【63】

↓左右に仁王様が立ちはたがっている正門【64】を潜ると直ぐ左手に“白寿観世音菩薩”の像【65】、そして正面には苔むし、良く手入れされた庭園の先に本堂【66】、「岡崎の苔寺」と呼ばれる由縁か、全体として閑静な佇まいの雰囲気! 正門の裏手には“山下 清”画伯の絵も飾られていた【67、68】。本堂側から正門を見ると【69】、そして小池には鯉が泳ぐ【70】 。この池や浄水場の水は冬暖かく夏は冷たい山水とか!

↓あまり訪れる人も居ないのか?寺の管理人らしいオジサン【71】が寺のことをいろいろ話してくれる。昔は隆盛だったが今や檀家も40、50人程で貧乏寺に成り下がってしまった、と! そのオジサンから珍しい竹の切片を頂いた【72】。なんでも竹の根っ子に岩があってこんなハ−ト型になったが、根っ子から二、三節上の方は正常に丸型になっているらしい。拝観を終えて出口へ【73】、、、参道には樹令200年を越すらしい杉の大木が何本もそびえている【74】。その下まで下ると左手の崖には16羅漢が立ち並んでいた【75】。参道を出てそのまま下り坂を行く【76】、、、その突き当りから今度は左折【77】

↓車道のなだらか登り道【78】、前方に見えた“あさひこ幼稚園”の看板、そうか!【51】で見た標識はこの幼稚園の事だったのか!と、ここで納得。つまり今日の“村積山”は幼稚園児でも登れる、ってこと?(^_^) 直進して行くと今度はなだらか下り坂が続く【79】、、、そして最後は交差点に出た【80】、この通りが県道39号線。左折して直ぐに“細川”バス停と云うのがある。この時、時刻はちょうど正午。バスの時刻表を見たらまだ20分程も待たねばならない、そこでまた歩こう! と車道をテクテク歩き【81】、、、12:08、出発点の“北斗台口”バス停に辿り着いた【82】。ここでバスを待つ間、今日登って来た山の方を見ると住宅の間にわずかにそれらしき山、デジカメのズ−ムを最大にしてみたら【83】。後日、ネットで読んだが“村積山”は一説によると山姿が富士山に似ているから三河富士とも呼ばれるらしい? そりゃ〜チョット大げさって思うけど! 間もなく来たバスに乗って“東岡崎”駅まで、12:58発の電車に乗って帰宅したのは午後1時過ぎでした。結局今日はせっかく持って行った昼弁当は自宅で食べることに!

今日も山そのものは呆気なかったが、東海の苔寺とも云われる古刹“龍渓院”を見学できたのは収穫だった。愛知県は昔、戦国時代の日本の中心、歴史の舞台であっただけに興味を引く史跡や寺、神社など数多い。特に三河、徳川家に関する史跡はその発祥の地だけあって多いようだ。今日の地名の中、“奥殿陣屋”と云うのは奥殿松平藩の陣屋跡らしい! 前回も書いたが、愛知県は何処も知らないのでやはり何処でも歩いて見るべし! 

愛知ハイキング写真集TOP 香港ハイキング写真集TOP