誰かわたしを抱いて欲しい、と思った。誰でもいいから。空はまだ薄暗くて、それを窓から眺めていた。夏なのに、風がひんやりしていた。新聞配達のバイクの音が遠くから聞こえてくる他に何も聞こえない静かな朝ぼらけの頃。家族はまだ眠っているし、近所の人たちもきっとそう。世界が自分の物になったみたいだ。(他の国では今頃昼だったりして人が活動しているからそれはないけど、あえてそのことはふれない。)

新宿駅にいると未だに思い出してしまうことがあるけど、それはもうずーっと前のことだし、あの人はきっとわたしのことなんか忘れている。わたしもあの人の顔も声ももうほとんど覚えていないし。それはそれでいいような気がしてきた。彼はいつも花屋さんの前で少し下を向いて身動き一つせずわたしを待っていて、わたしがどんどん近づいて行っても気付かなかった。またはわざと気付かない振りをしていたのかもしれない。そして、肩をそっと叩いたり名前を呼んでみて初めてこっちを向いてくれた時も、笑顔は見せてくれなかった。それに毎回不安を感じたけど、それでもわたしは彼を愛していたので(愛していた?)気にしないようにしていた。今思うと、彼との日々は毎日苦しかった。でもその中に小さな幸せもあったから、苦しかったことに気付いていたのだとしてもどうでもよかった。

太陽はいつのまにかあんなに近くにあった。外はさっきより随分と明るくなってきていて、犬の散歩をしている人や、ジョギングをしている人の姿も見えた。もう世界はわたしのものではない。ゆっくりと、窓から離れた。

わたしはいつでも、愛してた人に本当の愛はもらえなかった。そして、本当の愛をくれる人には愛をあげられなかった。追われると逃げてしまいたくなる心理、というと聞こえが悪いしわたしの人間性が疑われるかもしれないけど、それでも仕方なかった。彼を愛していると無理に思い込もうとしても、気持ちを脳は連結していないのか、脳が脳内で難しい名前のよくわからない物質を分泌することによって、私の努力を妨げていた。きっと人の心は脳にあるのだと思う。

「ねえ、あいして。」
頭にあの人を浮かべて呟く。わたしはまた同じようなことを繰り返している。愛をもらってると錯覚してるだけの状態。お互い愛し合ってる演技をして、身体を重ねて、あの人はそれで満足かもしれないけど、わたしは身体だけじゃ満足できなくなってしまった。こころが欲しくなってしまったの。

鳥が、哀れな子のうたを歌っているように感じた。高く響く美しい鳴き声が、チクリ、と心に刺さる。カーテンから陽が差し込むのを感じながら、ごろんと寝転んで、大きく深呼吸をした。瞼を閉じると、あの感覚をやけにリアルに思い出す。愛しいと強く感じて、言葉になって出そうになったこと。でも結局言えなかったこと。なぜだかあの感覚は病みつきになる。