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ラ ン ク 決 定 版

 

A ランク


 歴史、知名度、根拠、その他総合的に、疑いなく一般的に人が認め、三つ揃って定着しているものを「Aランク」としました。
 1〜3の順序については、私なりの勝手な根拠とフィーリングで記載しました。

 部  門   1   2   3 
日本三景 安芸の宮島
(宮島町・広島)
陸奥の松島
(松島町・宮城)
丹後の天橋立
(宮津市・京都)
 江戸時代の寛永20(1643)年 徳川家光の時、儒学者 林春斎が「日本国事跡考」に「丹後の天橋立、陸奥の松島、安芸の宮島を日本三景」と書いたのに由来すると言われる。
 いずれも、海岸線がきれいで松などの緑が豊かです。まあ、なんと言っても、「日本三選」の代名詞のような存在ですね!
平安時代の末期、平清盛が造営した厳島神社の、海中にそそりたつ大鳥居や波にあらわれた大回廊のたたずまいは、平安絵巻を見るような華やかさです。 “扶桑第一の好風にして”とあの芭蕉を陶酔させた松島。  どうも天橋立は、知名度の割には先の二つほど観光に力が入ってないようで…
日本三名山 富士山(山梨、静岡) 立山(富山) 白山(石川)
 富士山は「不二山」とか「不尽山」と書かれ、「他に較べようもない高い山」という由来がある。奈良時代には、伊豆に流された役小角(えんのおづぬ)(役行者)が、夜な夜な富士山に登ったという伝説がある。平安時代になると末代上人が富士修験を開いて以来、修験者(山伏)が集まり始めて道者(どうしゃ)(登山者)が多くなり、道者坊も成立したという…

 立山は、文武天皇の大宝元年(701年)、第12代景行天皇の後裔、越中の国司 佐伯宿禰有若の嫡男有頼が、白鷹と黒熊に導かれて立山両権現の霊示受け、文武天皇の勅命により開山されたという『白鷹伝説』に始まる。古くは太刀山(たちやま)とも呼ばれ、天平19年(747年)、大伴家持の『立山の賦』には、「立山(たちやま)に 降り置ける雪を 常夏(とこなつ)に 見れども飽かず 神からならし」(巻17-4001)など万葉集にも歌われている。平安期の後白河法皇御撰の『梁塵秘抄』には「験仏の尊きは先づ東の立山」と全国著名の霊場の冒頭に記されている。

 白山は、養老元年(717年)、越前の僧泰澄がはじめて白山に登り、修行したのが信仰登拝の始まりと伝えられている。万葉集などに「しらやま」と歌われ、古来より山の神様、水の神様として崇められ、「越のしらね」として知られている。

※ いずれも、その崇高な姿から信仰の山としても古い歴史があり、『日本三霊山』とも呼ばれる。
日本三大名園 偕楽園(水戸市・茨城) 兼六園(金沢市・石川) 後楽園(岡山市・岡山)
 偕楽園は、天保13年(1842年)に水戸藩9代目藩主の徳川斉昭(なりあき) 公自らの造園計画によって開園される。「偕楽園」とは、藩主一人で楽しむのでなく、 「家臣や領民と(とも)に楽しむ」という意味があり、 最も深山幽谷を思わせる「吐玉泉(とぎょくせん)」の水を使って 好文亭 何陋庵(こうぶんてい かろうあん)で民と共に茶道を楽しんだという。 井筒には常陸太田の真弓石(大理石)が使われている。本園内100種3,000本と南側 「田鶴鳴(たづなき)梅林」1,000本の梅樹の他、桜、つつじ、 萩などが園内を賑わしている。藩主の休息所「好文亭」は戦災で焼失し、昭和33年に復元している。 (敷地面積 17.8ha)

 兼六園は、延宝年間(1673〜81年)に加賀5代藩主綱紀(つなのり)の時代に 最初の庭が造られる。200年の歳月を費やし、13代藩主斉泰(なりやす) の時代にほぼ現在の姿に造園され、 「兼六園」と命名される。その名は宋代の詩人・李格非が書いた「洛陽名園記」に由来し、 「宏大・幽邃(ゆうすい)・人力・蒼古(そうこ)・ 水泉・眺望」の六つを兼ね備える名園として時の老中松平定信が命名したと伝えらる。 「林泉回遊式庭園」には、徽軫燈籠(ことじとうろう)、霞ヶ池、雁行橋、 唐崎松、茶室夕顔亭、瓢池など見どころも豊富である。又、春の桜、秋の紅葉、 冬の雪吊りと四季折々の風景が楽しめる。(敷地面積 11ha)

 後楽園は、貞享3年(1686年)に岡山藩主の池田綱政の命により、家臣の津田永忠が造園する。 14年の歳月により元禄13年(1700年)に完成し、池田家の賓客接待や藩主の憩い、 儒学者の講義の場として使われる。明治17年(1884年)に岡山県の所有となり、初めて一般に公開される。 園の名称は、亭を主とすれば「茶屋屋敷」、園を主とすれば「後園」と呼ばれたが、 明治4年(1871年)に名実共にふさわしい「後楽園」と改められた。江戸時代を代表する「回遊式庭園」で、 「延養亭(えんようてい)」(戦災で焼失し、 昭和35年復元)を中心に烏城(うじょう) 操山(みさおやま)を借景として、園の諸所に祠堂園舎を配し、 歩きながら移り変わる景色を楽しむようになっている。曲水・池・滝等により上手に水を利用してあり、 茶趣味の作法も多く取り入れられている。昭和27年、文化財保護法に基づいて「特別名勝」に指定される。 (敷地面積 13ha)
日本三大夜景 函館市(函館山) 神戸市( 六甲山 摩耶山) 長崎市(稲佐山)
 函館山からの夜景の美しさは有名で、宝石を散りばめたような明かりの両側の海には漁り火がきらめき、 幻想的イルミネーションは「世界一」との評価も…(標高334m)

 神戸は、「星を(すく)う」という意味で名付けられた摩耶山 掬星台(きくせいだい)からの夜景が有名で、 小説『細雪』の舞台などにもなっている。(標高700m)

 稲佐山展望台から海と川が織りなす長崎の夜景を眺めると、夜空の「天の川」のようで、 ロマンチックな気分に…(標高333m)

 かつては、神戸などでは“100万ドルの夜景”とよく聞いたものですが、 インフレの現在は“1,000万ドルの夜景”と三者ともにうたわれているようです。 たまに、“1億ドルの夜景”というのも見かけます…でも、やっぱり“100万ドル…” のほうが響きがいいような…
駅弁御三家 (ます)のすし
(富山駅・富山)
いかめし
(森駅・北海道)
峠の釜飯
(横川駅信越本線・群馬)
 加瀬清志と畑田国男の『日本三大ブック』(講談社1993)に記載されてるそうですが、今は、汽車の窓から顔を出して急いで買うという光景もなくなり寂しいですね…
日本三大暴れ川 利根川(坂東太郎) 筑後川(筑紫次郎) 吉野川(四国三郎)
 太郎、次郎、三郎なんて愛称で呼ばれてきたって、いいですね…
日本三鳴鳥(めいちょう) ウグイス コマドリ オオルリ
 (ウグイス)は、 「春告げ鳥」として、昔の人は「法法華経(ホーホケキョ)」 と聞こえたという鳴き声は日本人ならだれでも知ってますね…

 駒鳥(コマドリ)は、「ヒンカラララ」と、 馬のいななきのようにさえずる橙色(だいだいいろ)の小鳥で、 和名もこの鳴き声からきているという。

 大瑠璃(オオルリ)は、「ピィルーリーリーリー、ジェッジェッ」 などとさえずり、光沢のある瑠璃色の美しい鳥です。

 ※ 姿のほうも、文字通りの「鶯色」「瑠璃色」に「橙色」と、みな色とりどりで美しいですね…
日本三大そば わんこそば
(花巻市・岩手)
〔信州そば〕 戸隠(とがくし)そば
(戸隠村・長野)
出雲(いずも)そば
(松江市、出雲市・島根)
  越前そば(福井) 白河割子そば(白河市・福島)もあり美味そうですが、やはり、 歴史の中で上の3つが定着していったものでしょうか…
日本三大ラーメン 博多ラーメン 札幌ラーメン 喜多方ラーメン
 平成になってからは、 東京ラーメン 和歌山ラーメンなども聞くのですが、やはり、大勢は上記3つが圧倒的なようで…
日本三大珍味 越前の 雲丹(ウニ)
肥前の 唐墨(カラスミ)
長崎のからすみ
尾張の 海鼠腸(コノワタ)
三河のこのわた
 江戸時代に 「天下の三珍」とも言って、昔から有名だったようですね…
日本三沢の池 猿澤池(猿沢池)
(奈良市橋本町)
広澤池(広沢池)
(京都市右京区)
初澤池(初沢池)
(宇佐市・大分)
 猿沢池は、周囲約360m、興福寺の放生池として造られ、昔から龍神伝説が語られている。また、 能曲の「采女(うねめ)」が帝の心変わりを恨んで入水し、 序の舞を舞ったのちに池の中に姿を消す…というような 悲恋伝説がある(初沢の池にもあるという。)。
 藤原定家や西行法師などの歌人にも詠われ、「日本三大名月鑑賞池」の一つとしても有名で、 興福寺五重塔を水面に映した風景は奈良の代表的な景観のひとつ。

 広沢池は、平安期中期(989年)に寛朝僧正が遍照寺の建立時に造られ、 芭蕉の名句「名月や池をめぐりて夜もすがら」と詠われるように、 同じ京都市右京区嵯峨の大覚寺に隣接する 「大沢池」(周囲約1kmで、 嵯峨天皇が中国の「洞庭湖」を模して造ったと言われる日本最古の人工林泉)とともに、 昔から「月見の三大名所」としても有名。
 →  『京都 温故知新』 『はんなり京都をお楽しみ下さい』 『時代劇の風景 ロケ地探訪』

 「古代蓮」が植えられている 「初沢の池」の中に浮かぶように、 宇佐神宮の宝物館と参集殿が建てられている。 『魏志倭人伝』による 邪馬台国「宇佐」にあり、 本殿のある小倉山の前方後円墳には卑弥呼 が祀られているのではないか?という説もある…
日本三大巨桜 山高神代桜(やまたかじんだいざくら)(武川村・山梨)
日本武尊(やまとたけるのみこと)が植えた?
根尾谷淡墨桜(ねおだにうすずみざくら)(根尾村・岐阜)
…彼岸桜
三春滝桜(みはるたきざくら)(三春町・福島)
紅枝垂桜(ベニシダレザクラ)
 山高の神代桜は樹齢約2,000年、根尾の淡墨桜は1,500年、三春の滝桜は800年と言われ、 いずれも見事なものです。

 また、この「日本三大桜」の子孫が、 岡山県倉敷市児島“Sophia Home Page” に植えられて勢揃いした(1999年11月)というからおもしろいですね…
日本三大美林(天然林) 天然秋田杉 木曽(ヒノキ)(桧) 天然青森ヒバ
(津軽ひば)
 この三つは、だいぶん古くから一般的に定着してるようですね…

 

B ランク


 総合的に、三つの内二つは、疑いなく一般的に人が認め、定着しているものを「Bランク」としました。
 3番目は主な候補のみをピックアップしました。

 部  門   1   2   3 
日本三名瀑(にほんさんめいばく)
(三大瀑布(さんだいばくふ))
那智(なち)の滝
(那智勝浦町・和歌山)
華厳(けごん)の滝
(日光市・栃木)
袋田(ふくろだ)の滝 (大子(だいご)町・茨城)
称名(しょうみょう)の滝(立山町・富山)
白糸(しらいと)の滝(富士宮市・静岡)
秋保(あきう)の滝(仙台市太白区・宮城)

 う〜ん、滝の見栄えや趣、歴史的な知名度はもちろん、どれだけ観光客が訪れ、 楽しませてくれるか? そのための受け入れ態勢や設備ができているか…など考えてみると、
 まず、 那智の滝は、 スパッと一直線でシンプルな迫力がある。滝自体が熊野信仰の 飛瀧(ひろう)神社のご神体で、赤い三重の塔などにも憩う人が多く、 風情を醸し出してくれる。

 華厳の滝の方は、古くからの霊地、日光という大観光地の中にあって、 エレベーターやみやげ物店など受け入れ態勢が整っており、その名のとおり、荘厳な闇の中で、 横綱の化粧まわしのような小滝の中央に華となって輝いているようだ…

 さて、問題は三番手であるが、やはり、袋田の滝が最有力で、あとのものは後に我田引水的に お国自慢で名乗ったのかもしれない。西行法師や水戸光圀も歌を残しており、「四度の滝」と 呼ばれて四季折々の景観もすばらしい歴史ある観光地だそうです。
 ただ、歴史もあり、知名度が高いのは、富士宮の『天下の名瀑』白糸の滝で、 富士山の風景とともに、大観光地となっているようです。
 実は、袋田の滝も秋保の滝も白糸の滝も行ったことないので、 あれこれ言うのもなんですが…
 そういう意味では、逆に、屋久島の大川(おおこ)の滝』なんかは実際に行ったもんだから、 普段の4〜5倍の水量だったとはいえ、すごい迫力とインパクトで…なんか、愛着が湧きます。
 しかしまあ、なんと言っても、インターネットの検索では、さすが歴史的にも首都圏にあるだけあって、 袋田の滝が圧倒的に強いですね。ちょっと前まではそんなに称名滝や秋保の滝と 差がなかったようなのですが、今は定着したという感もありますね…
  称名滝の方も、昔はちゃんと「日本三名瀑」という看板が立ってたのを覚えてるんですが、 控えめな県民性もあって、撤去したのでしょうね…
 ただ、ちょっと地元贔屓で言わせてもらうなら、 滝壷に向う遊歩道の右手には雄大な「悪城の壁」の岩盤が垂直に切り立っており、 霊峰立山からの雪解け水が350mの落差でゴーッと落ちる姿は、岩をこすって 落ちるのと違って、まさに壮観です!

※ 『五名瀑』を選ぶとすれば、当選確実なのが 「養老の滝」(養老町・岐阜)だそうです♪
 滝の水が酒に変わったという伝説があり、霊亀3年(717)、奈良の元正女帝が行幸し、 「老いを養う霊泉」として、元号を「養老」と改めたと言う。古来、文人墨客に親しまれてきた名爆。
 〔参照:井沢元彦『日本人の心をとらえる3の霊力に迫る』旅行読売出版社〕
日本三大仏 奈良大仏(奈良市雑司町)  鎌倉大仏(鎌倉市・神奈川) 高岡大仏(高岡市・富山)
飛鳥大仏(明日香村・奈良)
岐阜大仏(岐阜市大仏町)
兵庫大仏(神戸市・兵庫)
東京大仏(東京都板橋区)
 まあ、 奈良の大仏さん(座高14.98m)、〔華厳宗〕東大寺・金銅 「毘盧舎那仏(びるしゃなぶつ)」 座像
 これはもう名実ともにすごいですね! 世界最大の木造建築(東西57m、南北50m、高さ48m) 「東大寺大仏殿(金堂)」 にいらっしゃいます。
 743(天平15)年、聖武天皇が 大仏建立の詔を発し、745(天平17)年に鋳造が始まる。当時の国民の半数が参加する大事業で 2年後に完成。 大仏を安置する金堂は752(天平勝宝4)年に完成し、インド僧を招いて開眼供養が行われる。 〔施無畏印+与願印〕

  鎌倉の大仏さん(座高11.35m)、〔浄土宗〕 大異山 高徳院 清浄泉寺(だいいざん こうとくいん しょうじょうせんじ)・ 青銅 「 阿弥陀如来(あみだにょらい)」座像
 「吾妻鏡」によれば、北条泰時の時に僧の沙門淨光が全国から寄付金を募り、 暦仁元(1238)年に着工し木造仏が造られ、 寛元元(1243)年に大仏開眼が行われる。
 宝治元(1247)年に暴風雨により倒壊したので、 金銅仏は建長4(1252)年に製造が開始される。大仏殿に収まっていたが、建武2(1335)年、 応安2(1369)年、 明応4(1495)年の水害で殿舎が流される。もともとは金箔で覆われていたという…  →  CG1CG2
 与謝野晶子の 「かまくらや みほとけなれど 釈迦牟尼は 美男におはす 夏木立かな」の歌碑がある。 〔阿弥陀定印(じょういん)(←人差し指だけ曲げ、 他の指を全て伸ばした状態で腹の前で組む)

 ※ 鎌倉、奈良の大仏はあまり「三大仏」と名乗ってないのが 切ない(・・・)ですね…

  高岡の大仏さん(座高7・43m)、〔浄土宗〕鳳徳山 大佛寺(大仏寺(だいぶつじ)) ・青銅「阿弥陀如来」座像
 承久3(1221)年頃に1丈6尺の木造仏の体内に金銅仏を納め建立される。延亨2(1745)年、 等誉上人が木造の大仏と大仏寺を再建する。文政4(1821)年の大火で焼失、体内の金銅仏のみが残り、 再び木造座仏を再建し、宝塔や諸仏を配して天保12(1841)年に完成するが、 明治33(1900)年の大火で焼失する。
 昭和7(1932)年、世良禅上人が、悲願の大円輪の光背をもつ不燃の大仏の建立をはたす。 〔上品上生の阿弥陀定印〕  加瀬清志+畑田国男『日本三大ブック』(講談社1993)に「日本三大仏」として記載されている。

  飛鳥の大仏さん(座高2.8m)日本最古、〔真言宗〕 鳥形山 安居院(飛鳥寺)(ちょうけいざん あんごいん(あすかでら))・ 金銅「釈迦如来(しゃかにょらい)」座像
 推古天皇が 止利仏師(とりぶっし) (鞍作鳥(くらつくりのとり)/鞍作止利)に造らせ、 推古天皇17(609)年に完成する。 887年と建久7(1196)年の 雷火で損傷し、 頭や指、台座などの一部が残る。平城京遷都で元興寺と名を変え移転するが、 大仏は本元興寺と名を変えた飛鳥寺に残り、安居院が1828年に建てられ安置される。
 手指の間は水鳥の足のように繋がっており、 「何人たりとももらさず救い上げる」という仏の教えを表しているそうです。 〔施無畏印+与願印〕

  岐阜の大仏さん(座高13.6m)、〔黄檗宗〕金鳳山 正法寺 大仏殿・竹籠乾漆「大釈迦如来」座像
 11代惟中(いちゅう)和尚(文化12(1815)年没)が 発願(ほつがん)し、12代肯宗(こうそう) 和尚により天保3(1832)年に金色の座像が、庶民の喜捨のみで完成する。 お経を巻き漆で固めてある。 〔来迎印〕(←両手とも親指と人差し指をつける印相)

  兵庫の大仏さん(座高11m)、〔天台宗〕宝積山 能福寺(ほうしゃくざん のうふくじ) ・青銅「毘盧舎那仏(びるしゃなぶつ)」座像
 明治初年の神仏分離令により仏教界は壊滅状態だったが、豪商 南条荘兵衛の発願により、 民衆から仏教界全宗派を挙げて明治24(1891)年に 盧遮那大仏が建立される。 しかし、大戦中の昭和19(1944)年に金属回収され、翌年の神戸大空襲で 伽藍も全焼する。 平成3(1991)年に再建される。戦前に奈良・鎌倉の両大仏から、日本三大仏としての承認を得ているとか… 〔禅定印(法界定印)〕(←両手をへその前で重ね、親指をつける形)

  東京の大仏さん(座高8.2m)、 〔浄土宗〕 赤塚山 乗蓮寺(せきちょうざん じょうれんじ)・青銅 「阿弥陀如来(あみだにょらい)」座像
 23世住職 正譽隆道(しょうよりゅうどう)が、昭和49(1974)年に発願し、 昭和52(1977)年に完成する。 〔阿弥陀定印〕
日本三大酒(どころ)
(銘醸地 酒蔵)
三大酒都
(なだ)(神戸市・兵庫) 伏見(ふしみ)(京都市伏見区) 城島(じょうじま)の酒(城島町 三潴町(みづままち)、大川市・福岡)
安芸西条(さいじょう)(東広島市・広島)
  「清酒」の原型は17世紀に 伊丹(いたみ)(伊丹市・大阪)のある酒蔵の使用人が、 主人に叱られた腹いせに濁り酒の桶に灰を投げ入れたところ、 一夜明けると上澄みの部分が清酒になったという…

  灘の酒造りは、寛永年間(1624〜43)に伊丹の雑喉屋文右衛門が西宮で酒造りを始めたのが始まり と言われる。江戸中期までは、池田(大阪府)や伊丹が中心地であったが、18世紀後半から 灘の酒が台頭し始める。  六甲山系の水流を生かした 「水車精米」や天保18(1840)年に発見された「宮水(みやみず)」の存在、 兵庫県が酒米 「山田錦」の最大生産地であること、 「樽廻船」による大量水運輸送が可能な点などにより、 「日本一の酒どころ」として発展させた。
 「灘五郷」として、 西郷(神戸市灘区)、御影郷(神戸市東灘区)、魚崎郷(神戸市東灘区と芦屋市)、西宮郷(西宮市)、 今津郷(西宮市)の5つの地域で構成されており、赤穂の四十七士が峠の茶屋で飲んだと言われる 剣菱(けんびし)など多くの有名酒造がある。

 まあ、 「東北の灘」(湯沢市・秋田)、 「東北の小灘」(鶴岡市大山地区・山形)、 「関東の灘」(石岡市・茨城)とか、 「九州の灘」 「東の灘、西の城島」といったように、代名詞代わりに使われるんですからすごいもんです。

 豊臣秀吉が開いた城下町 伏見は、8世紀に酒造りが始められる。  春には菜の花が咲き乱れる高瀬川のほとり桃山の里、「松本酒造」の蔵は寛政3(1791)年にて創業。 代表銘柄「桃の滴」はこの地で芭蕉が詠んだ 「我衣にふしみの桃の雫せよ」に由来するという。
 伏見で屈指の造り酒屋 「玉乃光」は創業330年の老舗で、「よい酒作りはよい酒米作りから」との姿勢を貫く。 岡山備前の米を半分近くまで磨く純米大吟醸は一度呑んでみたい…伏見の酒造りとその歴史を現した酒の 博物館 「月桂冠大倉記念館」

 三潴町・城島町・大川市で造る酒を 「城島の酒」を呼び、酒米の最大の生産地・福岡県の 筑後平野で取れる良質の米と筑後川の柔らかな味の軟水を生かして造り上げられている。

 「酒都(しゅと)西条」と書かれた街道には、 西日本最大手で創業3百年の歴史をもつ「白牡丹」などの 「なまこ壁」の酒蔵が両側に建ち並び、裏通りでは酒の香りが漂い風情がある。
日本三大渓谷 奥入瀬(おいらせ)渓谷(十和田湖町、十和田市・青森) 黒部峡谷(宇奈月町・富山) 大杉峡谷(宮川村・三重)
清津渓谷(中里村・新潟)
大歩危(おおぼけ)(徳島、高知)
 蔦川と合流する「焼山」から十和田湖畔「子ノ口」までの14.2kmを 「奥入瀬渓流」と言う。渓流沿いの道は、三乱(さみだれ)、馬門岩、 阿修羅、九十九島、白銀などの流れや、左右には、雲井の滝、 白布の滝や本流の銚子大滝など14の滝がある。ほぼ中央に、渓流中の箱庭と言われ、 流れが岩に当ってとび散る「石ヶ戸(いしげど)の瀬」がある。 <国の特別名勝・天然記念物に指定>

 北アルプスが刻み込んだ日本最深のV字峡 「黒部峡谷」の軌道は、大正14(1925)年に東洋アルミナムの子会社 「黒部鉄道」として開通する。昭和12(1937)年に宇奈月から現在の終点 「欅平(けやきだいら)」まで(全長20.1km)全線開通するが、 経営不振で「日本電力」に吸収合併される。昭和26(1951)年に「関西電力」の専用軌道となる。 この頃から自然峡谷美が隠れた秘境として知られ始め、一般乗客の便乗扱いが行われ、 切符には「命の保証はしません」と書かれていた。昭和28(1953)年に地方鉄道法による営業免許を受け、 昭和46(1971)年に「黒部峡谷鉄道 (通称「トロッコ列車」)」となる。
 「猫又(別名:(ねずみ)返し)」の岸壁、 鐘釣(かねつり)の露天風呂、人喰岩、 猿飛峡など断崖絶壁の景観が窓なしの普通車から楽しめる。 <昭和9(1934)年 中部山岳国立公園に指定>

  大杉峡谷 「日本最後の秘境」とされ、日本一の清流に認定されたこともある宮川源流の渓谷や絶壁が連なり、 伊勢湾に注ぐ「水の聖地」でもあり、壮大な自然美に人気がある。<吉野熊野国立公園に指定>

 湯沢町八木沢(やぎさわ)から 中里村小出(こいで)の約12km間は切り立った岸壁が続き、 清津峡(きよつきょう)と言う。 渓谷美と閃緑ひん岩や屏風岩など柱状節理の地形が見事である。<昭和16(1941)年 国の名勝天然記念物、 昭和24(1949)年 上信越高原国立公園の一部に指定>

 吉野川中流部の高知県大豊町豊永駅あたりから、徳島県山城町の歩危茶屋あたりまでを 「大歩危」と呼ぶ。結晶片岩が水蝕されてできた溪谷は、大理石の彫刻がそそりたつようで、 春の桜や秋の紅葉が清流に色をそえ、スリル満点の舟下りも楽しめる。
日本三松原
日本三大松原
三保の松原〔天の羽衣〕(清水市・静岡) 虹の松原(唐津市・佐賀) 気比の松原(敦賀市・福井)
天の橋立(あまのはしだて)(宮津市・京都)
舞子の浜(神戸市・兵庫)
 江戸時代、「三保」は駿河湾に突き出た「夢の浮島」で、 対岸の清水湊や江尻の宿場からこの美しい松の洲浜と富士山の風景を楽しんだ。
  「羽衣伝説」
――漁師の白龍(伯梁(はくりょう))が歩いていると、 一本の大きな松の枝にこの世のものと思えない美しい着物が掛かって風にゆれている。 家に持ち帰ろうとすると天女が現われ、羽衣がないと天国へ帰れないので返してほしいと哀願する。 お礼に天人の舞いを舞って、天女は、 いつのまにか春の霞にまぎれて富士山のかなたへ消えていく――
 今も三保の松原には、「羽衣の松」が 御穂神社(みほじんじゃ)の御神体として残っており、 舞は東遊びの「駿河舞」として今に伝えられる。謡曲の能『羽衣』が成功して全国に伝わって有名になり、 永遠に語り伝えられることとなる。

 虹の松原は、 長さ約5km、幅500〜600m、約100万本の黒松が群生。 17世紀初めに初代唐津藩主 寺沢広高が植林したのが始まりで、藩政時代は 「二里の松原」と呼ばれた。 。「蝉が鳴かない」など 「七不思議伝説」がある場所でも有名。<国の特別名勝>

  気比(けひ)の松原は、約3km、幅500〜800m、 赤松や黒松など約1万7千本が群生。
  「一夜の松原」伝説
――聖武天皇の御代に異賊が来襲し、一帯は突然震動し、一夜にして数千の松が浜辺に出現する。 敵は、樹上無数のシラサギを風にひるがえる数万の軍旗と見まちがい、逃げ去ったと言う――
<昭和3(1928)年 国の名勝地に指定>

  天の橋立は、長さ3.3km、幅40〜100m、約7000本の松林の砂嘴(さし)で、 「神の国に通じる橋」「天の釣り船」「天にかける橋」とも言われいる。
 傘松公園からの 「股のぞき」は有名で、百人一首にも 「大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天橋立」と詠まれいる。<国の特別名勝>

  「舞子」の由来は、松の形が舞妓の姿に似てるからとか、潮の舞い込む浜であったからと言われ、 古くから海辺を中心に行楽地として栄え、明治以前から多くの腰掛け茶屋が建ち並んでいた。 皇族や一流客なども多く訪れ、豪華な料理旅館が軒を連ねて繁盛した。
 江戸の洋風画家 司馬江漢(1747-1818)は舞子浜をよほど気に入り、 「道中第一の佳景」と評している。
日本三大八幡 宇佐神宮(うさじんぐう)(宇佐八幡宮)(宇佐市・大分) 石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)(八幡市・京都) 筥崎宮(はこざきぐう)(福岡市東区)
鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)(鎌倉市・神奈川)
 宇佐神宮は、全国の八幡神社の総本社である。
 中央の神殿には「比売(ひめ)大神」(卑弥呼→後の天照大神との説あり)が 祀られており、 その両側の神殿には神功皇后と応神天皇(=八幡神とされる)母子が祀られている。

 石清水八幡宮は、宇佐から勧請(かんじょう)され、 平安京の天皇家にとっては伊勢より身近で、 名所として栄えた。

 筥崎宮は、宇佐の「福岡支店」で、元寇により炎上するが、 当時の亀山上皇筆の「敵国降伏」の額が今も楼門に掲げられているという。

 応神天皇が武神であることから、嵯峨天皇の子孫である源氏が八幡神を氏神とし、鶴岡八幡宮は、 頼朝が西の都に対抗して造る。公家と武家の融和の象徴となる。

※ まあ、実力者は、あまり自分から「日本三大」とは宣伝しないようですね!  当然、「日本一」という自負があって悠泰然としてる感じですね…
 「灘」のように、「代名詞」代わりに使われたらもう立派なものです!

 

C ランク


 異説があったり、やや知名度が低かったり、新しくつくられたと思われるが、 ほぼ三つ揃って定着しているものを「Cランク」としました。

 部  門   1   2   3 
日本三大歌垣 歌垣山553m(能勢町・大阪) 筑波山877m(つくば市・茨城) 杵島山(きしまやま)340m (白石町(しろいしちょう)・佐賀)
 「歌垣」は、大地が生命力あふれる春、そして作物が実る秋に村里の男女が神々のすむ山に集まり、 人垣をつくり歌を詠み唄う行事であったが、次第に若者が自分の思いを歌に託して、 結婚の申し込みをする場へと変化していったそうである。
 和歌の上の句を詠み、これに他の者が下の句を詠む「歌合わせ」と、歌を詠みあう「友垣」とをあわせてそう呼ぶようになったと言う。
 『万葉集』などから「歌垣」が行われた場所は全国に多いそうだが、 文献に 「日本三大歌垣」と称されているのは、上記の摂津、常陸、肥前の三つだそうです。
日本三大雪渓 白馬大雪渓(長野) 剱沢大雪渓(富山) 針の木大雪渓(大町市・長野)
 「白馬大雪渓」は全長3.5km、幅100m、標高差600mの大スケール!
 「針の木大雪渓」は、 見た目は剱沢、白馬大雪渓と比べると遙かに小さいが、 登ってこそ『三大雪渓』と実感すると言う…

 でも、これって、わりと一般ルートの中での話に思えるんですが…
 たとえば、 剱岳周辺の雪渓では、 「池ノ谷」 「大窓雪渓」 「三ノ窓雪渓」などもあり、 毛勝山(2,414m)」 「毛勝大雪渓」もワイルドでなかなかのもの…
日本三彦山 英彦山(ひこさん)〔1,200m・修験道の山〕(福岡、大分) 弥彦(やひこ)山〔638m・日本一の大鳥居〕(新潟) 雪彦山(せっぴこさん)〔884m・修験者の道場〕(夢前町・兵庫)
日本三大ダム 黒部ダム(立山町・富山) 奥只見(おくただみ)ダム(桧枝岐村・福島) 御母衣(みぼろ)ダム(荘川村・岐阜)
 「黒部ダム」は、「アーチ式ドーム越流型」ダム 〔黒部川、高さ186m、長さ492m、昭和38年(1963)〕
 「奥只見ダム」は、「重力式コンクリート」ダム 〔阿賀野川水系只見川、高さ157m、長さ480m、昭和35年(1960)〕
 「御母衣ダム」は、石と粘土だけで造った「ロックフィル式」ダム 〔庄川、高さ131m、長さ405m、昭和35年(1960)〕
日本三大霊場 恐山(青森) 比叡山(大津市・滋賀) 高野山(高野町・和歌山)

 恐山は、仏教以前から死者の霊魂の集まる山とされ、貞観4年(862)に円仁が地蔵菩薩を安置してから 仏教の霊場になったという。イタコという霊媒により死者に会えるという信仰はここだけである。
 比叡山は、元々、山岳信仰の神が鎮座していた。平安京となり、比叡山延暦寺を開山した最澄が、 戒律を守らなくても多くの人が救われるという大乗仏教の教えを説き、 その後の日本仏教の土台となる。

 高野山は、空海が金剛峰寺を開山し、仏の本当の言葉(真言)を師から直接学ぶという密教を 説いた地であり、山深い聖地である。

 「日本三大霊山」を、恐山、高野山、比叡山
 「日本三大霊場」を、恐山、白山、立山
 「日本三大霊地」を、恐山、立山、川原毛
 とするものも多く、
  熊野三山、高野山、吉野・大峯を「三大霊場」とするものもあります。
日本三清流 四万十川(しまんとがわ)(高知) 長良川(岐阜、三重) 柿田川(静岡)
日本三大太郎
(昔話界)
『桃太郎』 『浦島太郎』 『金太郎』
 これは、日本人としてはおもしろいですね…
新日本三景 三保の松原
(清水市・静岡)
耶馬溪
(耶馬渓町・大分)
大沼公園
(七飯町・北海道)
 日本三景に代わる新名所として、女性月刊誌「婦人世界」が読者投票で決めたらしい。
日本三大崩れ 鳶山崩れ(富山) 大谷崩れ(梅ケ島・静岡) 稗田山崩れ(長野)
 
日本三大散居集落 砺波平野(富山) 出雲平野(島根) 胆沢(いさわ)平野「扇状地」(岩手)
 
日本三大長鳴鶏 東天紅(とうてんこう)鶏〔土佐〕(高知) 声良鶏(こえよしどり)〔大館〕(鹿角市・秋田) 蜀鶏(しょくけい)〔越後唐丸(とうまる)鶏〕(新潟)
 
日本三大カルスト 秋吉台(山口) 平尾台(北九州市・福岡) 四国カルスト(愛媛、高知)
 
日本三奇 天の逆鉾(あめのさかほこ)(宮崎と鹿児島の県境・霧島山山頂付近) 「石の宝殿(ほうでん)(兵庫県高砂市生石(おうしこ)神社にある。) 「塩釜(塩竃)神社の塩釜(しおがま)(宮城県松島湾千賀の浦の一森山の頂上)1000年前の巨大な大釜。
 



※ 私の狭い経験の中で判断し、取り上げておりますので、驚かれたり、あるいは憤慨される方もおられるかもしれないと思いますが、そのような場合はぜひご一報いただければ幸いです。 (平成13年7月7日 ゆうワン)

※ 資料に基づく根拠や言い伝え、うわさなど何か知っておられましたら、ぜひ教えてください! (平成13年10月15日)

※ 有名であっても、「三筆」とか「日本三大和歌集」などのように、教科書に載っていそうな事実的なものは、おもしろくないので除外しました。 (平成15年10月24日)


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