お国自慢 メモ帳(3) H17.4.28〜 |
⇒ 大林憲司 さんより 2006/03/04(Sat) |
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「神社、寺院、宗教」のページを見直していて気づきましたが、
「日本三大えびす」の所に「美保神社」(島根県)を候補に加えていただけませんか。 参考リンク http://www.genbu.net/data/izumo/miho_title.htm http://www.d3.dion.ne.jp/~stan/txt0/sm1mh1.htm 私としては「西宮恵比須神社は蛭子三郎系えびすの総本社」「美保神社は事代主命系えびすの総本社」 「京都恵比須神社は寺院守護系えびすで一番著名な神社」って感じがします。 |
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う〜ん、美保神社というのは、なかなかの神社なんですね… えびす神社の全国3,385社の総本社で、出雲国風土記に登場する古社とありましたね… 「出雲御三社」の一つともありましたが、もう一つは 「出雲大社」だと想像できますが、 残る一つはどこなんでしょうかね? いずれにしても、さすが神の国出雲ですね… ところで、「蛭子三郎系」というのはどのくらいあるんでしょうかね… 「えびす」と言えば、なんか大阪ってイメージが強いんですが、 浪速の今宮戎神社の方はどないしはりまんがな… |
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>出雲御三社 昔、島根県にいた私ですら初めて聞きました。 でも、おそらく残りの一社は出雲大社より位が上だという「熊野大社」か、出雲国二宮を 称する「佐太神社」のどちらかだと思われます。 参照リンク http://www.kumanotaisha.or.jp/ http://www.san-in-tabi.net/kankou/map/kashima/sata-jinja/ >蛭子三郎系というのはどのくらいあるんでしょうか たぶん、蛭子三郎系の方がはるかに多いと思いますが、「えびす様」は小さい祠が無数にあるので、調べて 統計取るのはほぼ不可能でしょう。 とりあえず七福神の恵比須は「蛭子三郎」系だったような気がします。 私のイメージとしては、事代主命が神社の「神様」として、蛭子三郎は庶民に密着した商売繁盛の 神様って感じでしょうか? >難波の今宮戎神社の方はどないしはりまんがな… たぶん「十日えびす」のために、今宮戎が日本で一番有名な恵比須神社だと思いますが、 「十日えびす」の時以外に行くと意外と小さな神社なので驚きます。 知名度という点を考えれば、「西宮戎神社」「美保神社」「今宮戎神社」が 「日本三大えびす」なんでしょうか? |
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う〜ん、『出雲御三社』というのは、確かに「美保神社」関係のサイトにしか出てきませんね… 三っつめは、「熊野大社」か「佐太神社」のどちらかなんでしょうが、 これまた、見れば見るほど甲乙つけがたいですね… 「熊野大社」はなんと言っても『出雲國一之宮』の大社で、出雲大社より位が上だというから、 これに決まりだ…と思いきや、「佐太神社」の方は『出雲国二宮』ということで、 「出雲大社に次いで、出雲ニの社と呼ばれています…」とありますから、これもはずせないですね… ということで、『出雲御三社』の方は、 出雲大社、美保神社、熊野大社、佐太神社 の四つを挙げざるをえないですね… ところで、話を「えびす様」に戻すとして、イメージ的には確かに大阪商人と密着した感じで、 庶民的な「えべっさん」としての人気は大きいですね… でも、 「西宮えびす神社」は全国3500あるえびす神社の総社で、 「今宮戎」は昔は「今西宮戎神社」と呼んでいたそうで、(今=新しい)西宮戎神社ということで後に作られ、 短縮され「今宮戎」になったそうです… やはり、江戸に対抗する二大都市、上方大阪の多くの人が商売繁盛の願いと共に「十日えびす」で 賑わっていくうちに、全国的にも有名になっていったのではないでしょうか… これに対して、「美保神社」の方は由緒正しい正統派ということでしょうね… 以前、『三大八幡宮』のところで、 「鶴岡八幡宮」と「筥崎宮」を話題にして取り上げましたが、それと似たような感じじゃないでしょうかね… |
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えびす様について、うまくまとめられたページがありましたので紹介しておきます。 http://www.citydo.com/newyear/goriyaku_7.html そのページにも書いてませんでしたが、関東ではえびす様のお祭りは10月20日に 行う所が多いようです。 東京・日本橋では10月20日に「べったら市」というべったら漬けを売る市が立ちますが、 基本的には日本橋の2つの恵比須神社のお祭りとなってます。 |
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⇒ WY さんより 2006/02/27(Mon) |
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とても興味深いホームページを拝見させていただいています。 その中で特に興味を引いたのが、ジャンル2の 「神社、寺院、宗教」 のコーナーにある 日本三大龍穴の一つとされている 「備前の龍穴(瀬戸内市)」についてであります。 私の住んでいるところは岡山県瀬戸内市長船町磯上と言うところであります。 私の地域に、こんなに有名な龍穴が存在する事を知りませんでした。 ただ、この記載を拝見してハット気づく場所がありました。 「龍穴」とは、風水で言うところの山頂から峰をつたって地上に気が集中したところで、 「水が湧く場所」と言われていますが、 正に私の住んでいる場所がその地域に該当すると思えてならないのです。 「リュウゴンサマ」という雨を降らす伝説の祠や近くの湯次神社が祭事を行う際、 湧き水が出る堀から水を取っていたという神聖な場所が有ります。 今も神聖な場所としてとして祭られています。 しかし、この地域の人は龍穴が存在する事すら知らないのです。 大昔に忘れ去られてしまったのかもしれません。 つきましては、この「備前の龍穴」の情報がどういったところから得られたのか、 またそれを記載した書物などがあれば教えていただきたいです。 まことに勝手なお願いですが、よろしくお願いいたします。 |
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驚きました! 実は、今日ふとしたことから、この龍穴の項目を見直していたところなのです… こちらのサイト→ http://kyoto.kibune.or.jp/jinja/hiwa/hiwa_01.html では、 「…貴船神社…奥宮の本殿の下には、今も龍穴がある。 大和の室生龍穴や備前のそれと共に日本三大龍穴の一つとされている…」 とあります。 大和の室生龍穴の方も、長船町同様、市町村合併で室生村が宇陀市に変わっておりましたが、 龍穴神社というのもあってはっきりしております。 そして、一番高所で水の神が宿る場所として流滝が流れ出ている 「妙吉祥龍穴」をはじめ、 室生寺の奥の「持宝吉祥龍穴」、西谷の「沙羅吉祥龍穴」という 『室生三龍穴』があるそうです。 ところが、この備前のものについてははっきりせず、以前は、長船町にあるといったような情報が 長船博物館か何かのホームページに載っていたような気がするのですが、やはりすでにリンク切れとなっており、 今日探してみていても見つかりませんでした。 苦し紛れに刀剣の里のホームページを載せたような次第で、明確なところは特定できないままでおりました。 そういった次第で、WYさんのお便りをいただいて運命的なものを感じ、 「これだー!」と飛び上がってしまいました… |
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…こんな情報が瞬時に取り合えるのもインターネットの凄さですね。 私はここ3カ月間ほど、近所の雨を降らすと言い伝えられている「リュウゴンサマ」という祠までの参道を 個人的に整備していました。 貴船神社の紹介ぺージの中に日本の龍穴の一つに「備前のそれ」との記載がありますが、 岡山県は江戸時代に3つの国に分かれていて、その南東部が「備前の国」でした。 その備前国の中に現在の瀬戸内市長船町があります。 龍穴が長船町に存在したかどうかは別として、備前に在ったという情報の出所を知りたいと 真に思っています。その発信源をたどって、過去においてそう言われていたことが確認できれば 本当に嬉しいのですが… |
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リンク切れで削除してしまった前のURLを探すため、もう一度「備前 龍穴」でgoogleの検索をかけると、
なんとかこちらの旧ページが出てきて、リンク先URLもまた分かりました。↓ http://www.optic.or.jp/HarenokuniOkayama/main/points/okayama/osafunemuseum/ ただ、ひょっとしたら、ここにも直接「備前 龍穴」のことは出てなかったかもしれません… そんなこともあって、最近ではリンク切れも多いため、根拠となった文も内々に極力残すようにしております。 すでにWYさんに連絡したサイト以外では、なかなか有力なものは見つかりません。 まったくお門違いかもしれませんが、 “Final Fantasy Tactics ”呪文詠唱リスト↓というサイト中の同じページ内で、 忘却の言霊(備前長船) 「虚無なる空に記憶の糸を斬る忘れ去らん… 備前長船!」 水磨龍穴 「悪鬼羅刹、天水をゆるがしその爪で引き裂かん… 水磨龍穴!」 というものがありました。 「八岐大蛇 あと、「リュウゴンサマ」というのは漢字で書くとどんな字になるんでしょうかね… ちょっと調べてみると、 “日本列島における聖石の実例”というサイトで、 「リュウゴンサマ(静岡県下田市一色):岬に浮かぶ小島で、神体島として信仰されています。 島の根元に露出する岩壁は、汚す事なかれと神聖視されています。」 というものと、 “沖家室調査報告”というサイトで、 「昭和57年に、山口県大島郡東和町教育委員会から、『東和町誌』が発行されたが… …それから皆でお宮参りへ行った。沖家室では本浦の蛭子神社に参った。 二日は、漁師たちはノリソメ(乗り初め)を行なった。 朝の八時頃、船頭をはじめ、船子が船に出そろって、魚、お神酒、それに家の床の間に飾っていたおそなえもちを、 船の船玉様へ供える。船玉様は、帆柱を立てるための柱筒にほぞ穴を開けて、その中へ封じ込んでまつってある。 また、リュウゴンサマへ供えると言って、海へそなえ物を投げこんだ。…」 というのが見つかりました。 このへんが、現時点でのインターネットで得られる情報の限界でしょうか… かなり状況証拠は出揃ったようにも見えるんですが、やはり決定打に欠けるんでしょうか…? 永田議員のホリエモンメールよりは信憑性はあると思うんですが、 図書館とかの文献に当たってみるべきでしょうかね… 何かご存知の方、ぜひ教えてください… |
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「リュウゴンサマ」は長船町史では「竜権様」と記載されています。小さな祠(写真→)とそこから30メートル下に古い石積みの城壁があります。 日照りで雨が降らない時、このリュウゴンサマの上に竹と和紙で作った大きな傘(直径約3メートル) を立てると、リュウゴンサマは傘が嫌いなので傘をやぶる為に大雨を降らすという言い伝えがあり、 昭和初期になっても6回ほど傘鉾を揚げたことがあり、不思議と雨が降ったそうです。 「備前の龍穴」の記載は貴船神社関係の サイトにありますので貴船神社関係者に連絡をとってみたいと思います。 もしかしたら文献があるかもしれません。 また、風水師の方に現地を見ていただき、本当に龍穴が存在したのかなども調査していただければ と考えています。(単なる思いですが・・・・) ただ、岡山県は年間を通して雨が少ないので、県南には「龍王山」と言う水にまつわるような名前の山が 18箇所ほどありますので他の伝説なども少しずつ調べてみたいとも思います。… |
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おー、なんか楽しみですね… このサイトを開設して以来、こんなにワクワクするのは初めてです。 「竜権様」の写真もありがとうございます(*^_^*) 貴船神社関係の サイトにもあるように、 「龍穴は見てはいけないものであることから、本殿の修繕の時は附曳神事が行われる。 附曳神事とは、龍穴が人目に触れてはいけないことから、本殿修繕の時に本殿を隣接の権地に移動させる時に、 しめ縄にて菰をくくりつけ自然に覆われるようにすることをいう。」 と書いてあるとおり、一般的には人目に触れないようにされていたようなので、 龍穴が存在する事すら知らずに、大昔に忘れ去られてしまったのかもしれませんね… さらに、謎が解明されてくるといいですね… |
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⇒ とおりすがり さんより 2006/02/25(Sat) |
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「スポーツ、文化、その他」を拝見させていただきましたが、
気になる点がありましたので書かせていただきます。 通常、『江戸四大剣法』といわれるものは、「北辰一刀流・神道無念流・鏡新明智流」以外には、 「心形刀流」か「直心影流」です。 また、『日本剣術の三大源流』のひとつに「香取神道流」をあげておられますが、 三大源流のひとつである「神道流」は香取神道流に限定されない、当時、香取・鹿島地域に伝わっていた剣技を指すもの です。 余計かと思われましたが、書かせていただきました。 雑文ですみません。 |
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余計なことなどとは、とんでもありません… 実は、剣法のことに関してはまったくの素人で、読み方すらよく分からないので冷や汗もんなのです… まず、幕末の『江戸四大剣法』に関しては、 「幕末維新新選組」というサイトで、「天然理心流」のことについて、 「…無名で多摩の百姓が多く集まっていたこともあり、三大道場からは"芋道場"と呼ばれていた。 この時代は、剣術が茶道や華道に似たたしなみ程度になり下がっており、三大道場は既に政治サロン化し、 毎日、剣術よりも政治論をぶつけ合っていた。 一方、天然理心流試衛館は実践に基づいた"必殺剣"を追求していた…」 といった主旨のことが書いてありました。 私もなるほどと思い、当時の実践剣の強さとしてはトップクラスであったこと、 新選組という時代の中での知名度の高さとインパクトの強さによって賛同し、掲載させていただきました。 まあ、私のような剣術に暗い人間でも聞いたような名前なので、やっぱり有名なんじゃないかと… ただ、剣の専門家にとっては、邪道でなく正統な流派として次にくるものが「心形刀流」か「直心影流」 であると指摘されれば、やはり、それを掲載しておくというのも筋道であると思います。 それから、『日本剣術の三大源流』に関しては、 一応、「上泉伊勢守信綱が、日本剣術の三大源流と呼ばれる念流・香取神道流・陰流を 学んで新陰流を大成した」 といった主旨の サイトがありましたので、そのまま深く考えずに鵜呑みにしたものですが、 まったくもってこちらの無知によるもので、直ちに「神道流」と 修正させていただきます…m(__)m |
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⇒ T さんより 2003年11月21日(金) |
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「世界三大英雄」は
ユリウス・カエサル、
織田
信長、
ナポレオン・ボナパルト
と聞いたことがあります。 |
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ほんと、
織田
信長はすごいですね! 天才的・独創的な知恵と創造力で軍隊の形式や社会の組織を変え、
現代の私たちがあたりまえのように思っている「政教分離」などでも、
お陰さまで成し遂げてくださいましたね! アラブやイスラエル、欧米など、世界中はまったくゴタゴタから抜け出せないでいますね… しかも、信長の軍隊は、 当時の全世界の中でも最強の軍隊ではないかと言われているし、 安土城 (安土町・滋賀)なんかが今も残っていたら、 もう世界のトップ級の遺産だったでしょうね… ほんとに残念です。 これは、日本から世界にもっとPRしてもいい部分じゃないでしょうか…? |
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⇒ Kohさんより 2006/02/15(Wed) |
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初めまして。 世界三大英雄についてちょっと「?」なところがあると思いましたので。 ・アレクサンドロス大王 ・ 成吉思汗 ・ナポレオン・ボナパルト の三人が三大英雄と思われますが、いかがでしょうか? 勢力の規模から言っても、その能力から言っても、間違いなくこの三人にかなう人はいないと思うのですが。。。 それから、余談になりますが、中国での英雄という話では、 ・岳飛 と言う宋の時代に生きた人物がおりまして、中国では諸葛孔明よりも圧倒的に人気があるそうです。 中国で「歴史上一番好きな人は?」と聞くと90%以上の人がこの岳飛の名前を挙げるという話です。 日本において、中国史の中では三国志が一番有名で、しかも人気が有ると言うこともあり、 宋の時代について知らない方も多いと思います。 ちなみに、岳飛は当時、宋の北に位置していた「金」という国からの侵略を防ぎながらも 自国の奸臣によって殺されてしまった悲劇の武将です。 |
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う〜ん、確かに、日本人としての希望的観点から言えば、織田信長とか聖徳太子とかに入ってもらいたいところですが、
やはり、客観的な歴史的世界的な知名度を考えた場合には、チンギス・ハーンあたりが妥当なんでしょうね… 中国を見た場合には、諸葛孔明が入ると私も思っていたんですが、岳飛が一番人気だったんですか… やっぱり、『日本人の見た世界三大英雄』ってことであれば信長なんでしょうね… これをきっかけに、私の方も独断オリジナルが一つ浮かびました… 『日本三大英雄』ってことで、 ・聖徳太子 ・織田信長 ・坂本竜馬 なんていうのは、どんなもんでしょうか? |
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⇒ やませみさんより 2005/10/12(Wed) |
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8月に京都の下賀茂神社に行った時にちょうど『みたらし祭り』をやっておりましたが、 そのあと境内をブラブラ歩いていると、「君が代」の“さざれ石”を見つけました… ところがなんと、その後、 やませみさんのHPを見ると、千葉県一宮町「玉前神社」の「君が代」に出てくるさざれ石が載って いるじゃありませんか… んんっ…(?_?) |
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画像をひっくり返していたら、説明文が刻まれた石板の画像が出てきました。 さざれ石は奉納された物なんでしょうね。産地は伊吹山山麓の岐阜県春日村で天然記念物に指定とありました… |
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今朝(10/17)、小泉首相が靖国神社を参拝するって言うんで、マスコミはこぞって騒いでおりました。 中国がチベットや台湾を虐殺するのは全然騒がずに、なんで自国の首相のこんな些細なことばかり 大騒ぎするんでしょうかね… マスコミって、日本の敵国スパイなんでしょうかね…(-_-;) とまあテレビで靖国神社を写して騒いでいたときに、なんと、「君が代」のさざれ石があると言ってましたね… これで、いよいよ「日本三大」が揃ったことにはなるんですが、真実は一つじゃないのだろうか… それに、この調子だと、まだまだどこかから出てきそうですね… |
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日本三大○○の法則(そんなものはないか?)にあるように、
先に名乗りをあげてしまえば良いのではないかと… でも、どこも手を挙げてないですね。 |
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一応まあ、どこも手を挙げてないんですが、これもまあ何かの因縁、ここは独断と偏見で「日本三大さざれ石」って ことで… 下鴨神社(京都市左京区) 玉前 國神社(東京都千代田区) と、自分がたまたま見聞きした情報だけで決め付けてしまおうとしたところ、ちょっと調べてみると、 どうもそんな感じじゃないみたいですね… まず、「細 そして、岐阜県揖斐郡春日村(現在の小宮地区)では「さざれ石」がたくさん産出し、 今では 天然記念物となっているそうだが、 その春日村江川君ヶ畑の藤原石位左衛門が京都へ往復した道すがら古屋・笹又という集落の谷間・渓谷に露出する さざれ石を見て、珍らしい石である、これはめでたい石であると、見たまま・感じたままを詠んだ歌が、 わが君は 千代に八千代にさざれ石の 巌となりて苔のむすまで で、 「古今集」に採録されたが、身分が低いため「読み人知らず」として発表されたのではないかと 故小林宗一氏(郷土史研究家・岐阜県揖斐郡春日村香6)が国史観で推論しているそうである。 明治2年(1869年)、薩摩藩の軍楽隊を指導していた英国人フェントンが、「日本に国歌はないのか」と 言うのを伝え聞いた大山巌が、薩摩琵琶曲の一つ「蓬莱山」から縁起のいい祝賀の曲「君が代」の一節を 歌詞に選んだと言う。 個々の小石が、一家→市町村→国家へと集結して大きく栄え、 幾世代までも続くめでたい石で、国家「君が代」の精神と同じだと気づいたという… この歌詞は、「わが君は」の歌を原歌として、その上一句だけを替えて「君が代は」としたものである。 岐阜県春日村産の「さざれ石」は岐阜県の天然記念物 古今集の藤原石位左右衛門の作を削り、上一句を替えて、歌「君が代」の原歌となりました。 |
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