カマやんをめぐって展示会での意見
 漫画「カマやん」をめぐって

 1993年10月20日から三日間、みんなの広場主催の展示会が大阪西成の西成市民館であり、絵画や詩歌の展示が行われた。当日になってから会場設定等していた人から「ありむら潜の漫画をなぜ展示するんだ!」という声があり、「じゃ皆の意見を聞こう」と、有志が主催者と相談もなくかってに「意見表明のコーナー」を設け、まず自分たちの意見を模造紙にマジック等で書き、入場者にも意見や、感想を自由に書いてもらうことになった。ありむら潜の漫画に対しての意見以外にも、外国人労働者に関してや、展示作品に対しての感想が書き入れられた。
 展示された「ありむら潜の漫画」とは93年6月に発行された。釜ヶ崎歴史と現在に掲載された作品の原画で、釜ヶ崎の昔を再現したイラストにコメントをそえたもので、当人が資料を当たりコメントを書いたそうである。なお出展は主催の呼びかけにありむら氏が答えたものである。


 福沢諭吉は体制管理側の立場から十戒を表して“人間にとって一番悲しいことは人をうらやむことです”等々と“ねたみ”や“そねみ”を庶民に向っていさめている。残念ながらオレは最下層民の唯一真実の武器は“ひがみ”“ねたみ”“そねみ”と思っている。
 以下の文章は一日雇の“ねたみ”“そねみ”“ひがみ”に立ったものであることを一言申し上げておきます。
 俺はこのマンガをナンバで数冊買い求めて読んだ。3年位前のことだ。それで非常に腹が立った。この「カマやん」には悩みということがない。落ち込むということがない。いつもニコニコと雑草の強さを見せて生きている。それはそれで救いであり、読むものをホッとさせるのかもしれない。が、冗談では無いのだ。現実の日雇には救いもないしホッとするところもない。こんな日雇(カマやん)が現実の日雇を反映しているとはとても思えない。否、それでいいのだ。日常のテレビの陳腐な恋愛ドラマのように、現実にないものを虚構のなかで疑似体験していれば、代替作用があるのだと。こんな、管理国家の喜ぶような考え方を、見方をする人がいるかもしれないが俺はとても賛成できない。
 思うに作者のありむら潜はとんでもない誤解をしているのではないか? この釜ヶ崎をありむらのような連中は「貧の遊園地」としてとらえ、面白おかしく、一般社会とは異質な部分について、はるかな高見から見物を決めこんでいる。ありむらありむらの働いている労働センターの窓口カウンターをのり越えて日雇と直に交流したことなど一度もないのだ!! コーヒー一杯でも日雇とのんでいることなど見たこともない。それどころか“外部”から釜ヶ崎を“見物”に来た連中を、あたかも「釜のエキスパート」のような態度で“案内”をすることにかけては積極的なのだ。
 先日も、ありむらは釜のフツーの日雇にはとても入れない「宝」レストランで外人とステーキをつついていた。英語を交わしながら釜を説明している。それで俺が「いいもの喰ってんですね」と声をかけると完全に無視なのだ。ありむらのマンガよりもありむらの行動自体がパロディなのだ。一膳めし屋で労働者に混じって話してみろ。といいたい。
 日雇とは交流できないが、釜を見物に来た連中とは釜の高級レストランでつき合い、釜のエキスパートのように振舞う。こんな男の描くマンガ『カマやん』が日雇の何かを救いとるわけではないのだ! 
 事実、3年前の西成警察署に対する抗議・暴動をありむらは『カマやん』でとり上げているが、『カマやん』はどこかのドヤのはるか高みから暴動を見下して「ああ、やってるやってる」と楽しんでいるのだ。絶対に己には害が及ばない立場から、不可触的に釜を見物している男、それが『カマやん』なのだ。又、それは同時にありむらでもある。『カマやん』が呑気で気楽でいられるわけなのだ。こんなマンガが全国的に販売され、あたかも釜の日雇の一面のようにとらえられることには非常に不満がある。こんな日雇はどこにもいない。いないから描くのだといわれれば、とても腹が立つ。
 要するにありむらは釜の日雇を喰いものにしているのだ!! 
 悲しいかなありむらはそのことすら気がついていない。今回の展示会にも(何一つ釜の日雇の心情など理解できないくせに)教訓的な解説をのせている。オレはありむらのような人たちが多すぎることにヘキエキしている。

 以上、この文章は“ありむら”個人攻撃のようになった。しかしオレは“ありむら”個人を批難しているのではない。“ありむら”はあくまでも、「釜の文化人」の象徴である。「釜の文化人」を気取っている人たちに自戒を求めたい。

 (「寄場詩人41」1994年1号 3月30日より)


haruo iwaki