ーもし食物、わが兄弟を躓かすならば、われは兄弟を躓かせざらんために、いつまでも肉を食せじ(コリント書)ー



牛丼。

どう考えても重いテーマです。
手にあまる主題です。

それがうそだとおもうのでしたら、一度「ぎゅうどん」と声にだしてみてください。
(まちがっても「うしどんぶり」といわないでね)
その音色を、詩に親しむもののやわらかな感受性で受け止め、吟味してください。
ぎゅうと絞られてどんと放り出されるでしょう? その響きの重さ。腹にくる衝撃。
これだけでも正直、さきゆきが危ぶまれますが、それにも増して、
最初からそこには日米対立の構造がほとんど露骨なほどあらわになっていることに気づかされるのです。
牛丼の下部構造と上部構造のそのあきらかな矛盾を観察してみてください。
日本人が古代から親しんできた米飯の上に、アメリカ人の常食たる牛肉がべったりとのっかっているではないですか。
この構造はペリー来航以来の日米関係の桎梏を物語っているのです。
牛丼は重い宿命のもとにある矛盾と抑圧の歴史的産物なのです。
「牛鍋食はぬわ開化不進奴(ひらけぬやつ)」(仮名垣魯文)。牛丼は牛鍋の汁をごはんにかけたのがはじまりといわれています。
とはいえニーチェがいうように現代の牛丼には思想も宗教もありません。あるのは物語のみであります。
そこでは日夜さまざまなドラマが演じられております。
玉ねぎをひとつひとつ丁寧につまんで食べてから、作業終了後、安心したように肉とご飯をほおばる野菜嫌いの客。
「つゆだく」という専門用語を駆使して、他者との差異化を図るマニア。
「あたまの大盛り」というのもあります。ごはんよりも肉盛りを厚くして民族的隷属を自ら受け入れる剛の者です。
そうかとおもうと、重くのしかかる肉片を食べつくしてから、にったり笑って周囲を見回し、どうするかと見守るひとたちを出し抜いて生卵を注文、つゆのしみたご飯にかけて食べるフェチなかたもいらっしゃいます。
無料のショウガをおかずに、大盛りを黙々と食べる瞑想学生風もいる。
ケーシー高峰医学博士によりますとこういうかたを称してガリ勉といふらしいです。

不思議に女性の姿はあまりみかけません。
女性は、食欲をストイックなまでにストレートに満たす、そのあまりにも男性的な営みの姿に圧倒されてノレンをくぐるのがはばかれるのでしょう。
ハチマキまいて鼻息荒くどんぶりと格闘するフンドシ姿の男のイメージに気押されるのであります。
あまりにもリアルであり、あまりにも直裁であり、あまりにも庶民的であります。
ぶっちゃけていうと一片のロマンもないのです。
女性には夢が不可欠です。また、恥じらいもあるのです。
ゆくゆくは牛丼屋も銭湯と同じく男女別席にしなければならないのではないかとおもいます。男どもの只中にあって、花も恥らう乙女が割り箸を武器に、髪振り乱してどんぶりにかぶりつくあらわな姿は、馴れ合った彼氏ならともかく、あまり世間にみせられたものではないでしょう。
飢えた高村光太郎と智恵子が、やっと手にした小銭で材料を仕入れ、野獣のように、格闘するように牛鍋と飯を作り、人里離れた山小屋で二人だけで汗だくになってむしゃぶり食う詩がありますが、女性がどんぶりを食べたければラブホテルにて彼氏とあぐらをかいてガツガツむさぼり食うことをお勧めします。
いずれ牛丼屋は「混浴」のもつ猥雑さを改め、入り口をふたつもうけることになるのではないでしょうか。
その不手際がちかぢか国会で追求される日がくることになるでしょう。
牛丼屋は、庶民の生活を浮き彫りにする現代の銭湯なのです。
むかしは、銭湯にゆくにもそれなりの作法がありました。
それと同じように牛丼屋のノレンをくぐるにもそれなりのスタイルが要求されてしかるべきでしょう。
牛丼屋にもそれなりの風格というものが求められてしかるべきであろうかと存じます。

食券の自動販売機などはもってのほかです。
アメリカ式利便主義のあしき産物です。券を買ってしまった直後に大地震がおきたらだれが責任をとってくれるのですか。やはり物々交換が牛丼のもつ野性にはふさわしいでしょう。
さて、あなたが悲しき単身赴任のサラリーマンだとします。日曜日。お昼は当然サンダルをひっかけて牛丼屋に向かいます。どうせワンルームマンションに仮宿を定めているのでしょうから、付近にはなぜか、かならず牛丼屋があるはずです。
朝食は抜いて斎戒沐浴してゆくのがよいでしょう。戦場に赴く武士の心境でいてください。
店に入ったらまずその日の客筋を瞬時に見極め、席を確保します。酒を五、六本並べて呑んでいるニッカポッカの日焼けしたおじさんがいたら背にして座るのが無難でしょう。
二日酔いのホステスさんがあごをテーブルにつけて睨んでいたら斜め45度以上の角度をあけて座りましょう。正面に位置するのはトラブルのもとです。
ぎゃぎゃー騒ぐガキがいたらさっさと出直すことをお勧めします。ガキとオカマさんには勝てません。
たまたまその日が、無心かつ捨て身で牛丼に挑んでいるような貪欲かつ貪婪な食いけ魂の客ばかりだったなら、あなたはラッキーです。
しずかにその雰囲気の中に身をおきましょう。
固定椅子に腰を下ろすわずか数秒間に天文学的な数理計算をします。大盛りを頼むか、それとも並をふたつ頼んだほうがいいか。それとも並皿をふたつ頼んで並丼ひとつにするか。それとも並皿ひとつに大盛か。それとも....無限のバリエーションがあります。金額と肉量の微妙なバランス、せめぎあいを瞬時に見極めなければならない。それはあなたのセンス次第です。(つづく)

         ー最高の快楽は、崖淵の危険と紙一重であるー
                       (ある牛丼愛好家の弁)
 




悦楽的牛丼学入門 2005/11/16

Iwaki Haluo