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鳩だらけの駅だった。 釜ヶ崎を歩くように、わたしは1人歩いた。 屋台の椅子に座っていると少年が注文をとりきた。 チャイを頼み、柿ピーを1袋あげた。少年は店の奥に消えていった。 チャイを啜っているとタバコをせがむ子どもに取り囲まれた。 屋台の少年が身ぶり手ぶりをつかって助けてくれた。 わたしはなるだけ自然に立ち去った。 ずっと車で移動だったので、インドを自分の足で歩けたのはこの鳩だらけの駅だった。 タバコを買ったり、トイレに行ったり、なんてことはないのだけど、荷物に注意したり、小銭をポケットに入れたり、お金の計算ばかりしていたり、リュックの鍵を開けたり閉めたりの繰り返しに、「日本でもそうなんか!?」という疑問がわいてきた。 赤い服を着たポーターがやってきて、待合室のようなところに 案内してくれた。インド人らしき女性数人と、女の子が2人いた。日本人に見えなかったが大阪の女の子だった。 インドは2週間目で、彼女たちも人間不信インドを体験していた。 1時間くらい話をし、いよいよ出発時刻(24日0時頃)になった。彼女たちの列車はエアコンクラスで、わたしたちの列車はエアコンなしの列車ということがわかった。 ポーターに高額な(?)チップを請求されたとかで、ひと悶着があったが(警察官が入ってきて解決した)、やっとの列車にほっとした。 |
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大阪の彼女たちはインド人に怯むことなく交渉が上手かった。
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紙をつかわないというか、リュックから取り出すのが邪魔くさくなった。
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