薬 病院


 5/13に睡眠薬は2週間分までしか処方してもらえないと書いたが、どうかして(睡眠薬+眠れない時で処方するらしい)最大4週間分まで処方してもらえるということだった。「しんどくなったらいつでもきていいんだよ」と言ってくれているが、できるだけ行かないようにしたい。こうして病院離れ医者離れしていくんだろう。
 「あなたは自覚ができているからいい」と先生はよく言う。確かに、妄想がでてきても自覚できるようになってラクになった。「本当なのか? 本当だとしたら根拠があるのか? 本当に本当だったらどうするのか? その前に本当はどうしたいのか?」を数回繰り返すことで解消する。以前(入院する前まで)は妄想で数日寝込んだりしていたのだからずいぶんと変わった。
 処方されている薬からも、精神分裂病ではないというのはわかるのだけど、思い切って「分裂病じゃないかと思うことがあるんです」と聞いてみた。「それは絶対にないです。分裂病の妄想ってのは医者でも理解できなくて思い当たる原因もないんです」と先生は即答した。
 しかし、病名なんていい加減なものなのか、わからないのか、○○性人格障害だともハッキリと言われたこともない。知らなくてもいいってことなんだろうか。「人格障害っていうと、性格が悪いってなりそうだけど、人間くさいというか、他人よりも敏感なんですよ。それが個性でもあるわけだし。わたしは、あなたの人格を変えてしまおうなんて思ってなくて、どう適応していくかってことをお手伝いしているのです」ということらしいのだが。

朝:デプロメール25mg×2
夕:デプロメール25mg×2
眠れない時:ロヒプノール2mg

(2002/06/03)
次回より3週間に1回の通院となる。
抗うつ剤は1ヶ月分処方してもらえるのだが、睡眠薬は2週間分までしか処方してもらえないので、先生と相談して3週間にする。薬を減らす場合、まず睡眠薬を減らしてから、抗うつ剤を減らしていくらしい。
病院に行く途中、転んで左足首を捻挫してしまった。精神病院では、胃薬、うがい薬、トローチ、湿布なども処方してもらえる。それにしてもよく転ぶ……。

朝:デプロメール25mg×2
夕:デプロメール25mg×2
眠れない時:ロヒプノール2mg
不安な時、イライラする時:コンスタン0.4mg
頭が痛い時:ロキソニン
湿布

(2002/05/13)
デプロメールを服用して1年。自己判断でやめたり増やしたりしないで医師の指示通りにしてきた。
副作用もなくよくなっていると思う。

朝:デプロメール25mg×2
夕:デプロメール25mg×2
眠れない時:ロヒプノール2mg
不安な時:コンスタン0.4mg

(2002/03/25)
朝:デプロメール25mg×2
夕:デプロメール25mg×2
眠れない時(弱):ロヒプノール2mg
眠れない時(強):ベゲタミンB

(2001/11/26)
朝:デプロメール25mg×2
夕:デプロメール25mg×2
眠れない時(弱):ヒルナミン25mg
眠れない時(強):ベゲタミンB
不安な時: コンスタン0.4mg

(2001/11/12)
わたしの中でクスリは終わりました。
溜めてもいません、処方通りに飲むだけです。
起きていたいときは眠剤は飲みません。

朝:デプロメール25mg1T
昼:デプロメール25mg1T
夕:デプロメール25mg1T
夜:デプロメール25mg1T・ペゲタミン1T

(2001/06/23)
「効かない、効かない」と云って飲むな!考えるな!

(2001/06/05)
ペゲタミンに戻してもらう。

ペゲタミンA
デプロメール
ロキソニン(鎮痛剤)
胃薬

(2001/04/23)
ロヒプノールだけでは眠りが浅いのでレンドルミンを追加。

レンドルミン
ロヒプノール
デプロメール
ロキソニン(鎮痛剤)
胃薬

(2001/04/16)
ペゲタミンはよく効いて眠れるのだが、日中怠くなるのでロヒプノールに替えてもらう。

ロヒプノール
デプロメール
ロキソニン(鎮痛剤)
胃薬

(2001/04/09)
「やはり死にたくなる」と主治医に云ったらデプロメールが処方された。

ペゲタミンA
デプロメール
ロキソニン(鎮痛剤)
胃薬

(2001/03/21)
2月10日夕方、ラボナ30錠+アルコールを飲む。
救急車で運ばれ胃洗浄。保護室、ICUで6日間入院。

・N病院で処方されていた薬(破棄)
×ラボナ
×マイスリー
×リタリン
×ルジオミール
×デプロメール

・T病院で処方されている薬
○ペゲタミンA

現在、薬は1週間分を親の管理下で処方されている。
薬で鬱が治るわけではないので抗鬱剤は処方されていない。

(2001/02/19)
この「典子の処方」に書かれている症状・効果はいい加減です。当時のわたしは手当たり次第に睡眠薬や抗鬱剤を20錠くらい飲んでいたのですから。「効かない、頭が痛い」と不満を漏らして、ろくに調べもせずにいかにしてきつい薬を処方してもらえるか、という言い訳を考えていました。

テープレコーダーを早送りしているように一日が過ぎ去っていきました。外出をしたのか、電話をしたのか、何を読んで書いたのか、何を食べたのかすっかり忘れ、基本的な生活が何一つできなくなっていたのです。「記憶がない、眠れない、死ぬ」と周囲の人たちに当たり散らして、毎日泣いていました。

一日の大半の時間を薬のことで消費して、散乱した部屋がいつまでも片付かず、死ぬにしても、死ぬために生きるにしても、あまりにも情けないんじゃないかと思いました。断薬、断酒会の人が紹介してくれた病院で「あなたはこれからどうしたいのですか?解毒したいのか、薬を飲みたいのか?基本的に病院では薬が欲しいと要求されれば出しますよ」と云われました。逃げて回り道をしても、「自分がやらなければならないんだ」と認めざるを得ません。でも、幅広く考える力がなかった。手元にある薬を知り合いに全部送って物理的に飲めないようにしました。捨ててもよかったのですが、「薬を断つ」という強い意志をその人から奪いたかったのでしょう。

2ヶ月間は完全に薬を断ちました。しんどくて薬が欲しいときもありましたが、「飲んでしまうと元の木阿弥になる」と恐怖心が先に立って拒絶していました。とにかくやめるんだ、ということだけで精一杯だったのです。

今は、軽い眠剤と抗鬱剤は自分が納得して飲むことができます。辛いときはリタリンを飲めばいいと医者はさらりといいますが、リタリンの一粒はまだわたしには重くて、納得させられる自信がないので飲んでいません。眠剤を飲んだ後は眠気がこなくてもベッドに入り、部屋を暗くして、目を閉じています。こんなのは当たり前にできることなんだろうけど、当たり前でも心がけていなければ忘れてしまうんですね。

なぜ薬を飲むのか?なぜ薬を断っているのか?なぜきつい薬が欲しいのか?なぜ効かないと思い込むのか?なぜ薬を大量に飲むのか?なぜ薬のことが頭から離れないのか?「自分の身体に嘘をついてどうするんだ」とじっくり考えられるようになりました。

素人判断なんですが、薬が効かない、薬を飲んでも治らない、と薬に振り回されて自分を見失っているようであれば、一旦全ての薬を捨ててみてください。また同じ薬を飲むことになるかもしれません。でも、今度は飲み方が違っていると思います。

(2001/02/02)
リタリン中毒になり、現在は一切の薬を断っています。
薬をやめたければ薬をトイレに流しましょう。

(2000/11/27)
典子の処方 2000
薬物中毒記 2000
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