余は如何にして宝塚信徒となりし乎
映像作家宝塚にハマるの巻

第9回 永遠のスター(2000.3)

横尾忠則が宝塚に新たにハマった話は前回しましたね。その時に「ポスターデザインで登場する」予定だと伝えましたが、年明け早々に2月の月組公演のチラシで横尾デザインが登場し、横尾は1月の「歌劇」(宝塚の公式機関月刊誌)にその経緯を述べた連載を始めました。

横尾といいますと、ポスターデザインの巨匠であり、なおかつポスターというメディアが最高に横尾らしいメディアであるとさえいいうる作家です。そのなかでも演劇のポスターで有名なのは60年代の状況劇場や天井桟敷のポスターですが、そんな中で横尾は宝塚のポスターを自主制作したことを連載の中で語っています。当時の宝塚は昨年死去した上月晃の全盛期の頃で、参考資料として掲載している写真ではつぶれてわかりませんが、名前も載っています。「腰巻お仙」の時代、「毛皮のマリー」の時代、そして東映やくざ映画の時代を呼吸する横尾の中で、同様に宝塚という夢の世界がデザインに値するものとして捉えられていたことは非常に興味深いことです。

演劇という体験をポスターというメディアで定着する作業を得意とする横尾は、現状の宝塚ポスターに苦言を呈してもいます。

従来の宝塚ポスターはトップの男役と娘役のトップに男役の準トップの顔写真が並んでいるだけで、それ以上の表現はない。デザイン的にも美学的には何も新しいものは感じられない。(中略) 新しく加わったぼくのような宝塚ファンには不満である。あの舞台の生き生きとした生命感が伝わってこない。スターのポートレイトだけのポスターには、スターの身体性も物語の想像力も、わくわく心躍らす愛の表現も残念ながら伝わってこない。これが宝塚のポスターのイメージだとは決して思いたくない。宝塚ファンの生活意識の中や人生と深くかみ合った豊かな宝塚体験をどうしてポスターが表現しようとしないのか不思議に感じるほどである。

横尾の60年代のポスターデザインは時代の雰囲気を伝えているのと同時に、今見ても非常に新鮮です。それはおそらく「スターの身体性」という横尾の言葉に集約されるような独特の生々しさがいまだに色褪せていないからでしょう。横尾のポスターに登場するキャラクターたちは演劇的にデフォルメされているとさえいっていいでしょう。キャラクターたちが取るポーズは日常的な仕草ではなく、圧倒的な瞬間に捧げられたポーズであり、それはそのまま演劇的な瞬間として舞台の上で結実するだけではなく、横尾はそれをポスターに定着します。 それは一瞬のポーズであり、瞬間的な感動であるにもかかわらず、記憶に傷跡めいた痕跡を残して我々がそれに因われずにはいられない瞬間であり、繰り返し繰り返し反芻せざるをえない、 「永遠」に捧げられた瞬間なのです。

そして、そのように記憶されるキャラクター(性格/人物)だけが「スター」と呼ばれます。 「特権的肉体」という暗黒舞踏のスローガンは、当時のアングラ小劇場の凶々しいスターたちのものであったのと同時に、今に到るまで宝塚のトップスターのものでもあり続けているといってもいいでしょう。最近の横尾が執着していた「」のイメージがそれに重なります。それはマスの圧倒的な瞬間でありながら、それぞれ同じ瞬間ではなく、常に変化しているにも関わらず永遠であるような両義的な瞬間、それを演劇的といわずになんと呼ぶべきでしょうか。 そのような瞬間に心惹かれる横尾が常に演劇に関心を持ち、宝塚ファンとなることはおそらく必然とまでいっていいことなのかもしれません。 瀧のイメージにはまた宝塚のフィナーレの印象でもあります。有名な大階段からスターが順に歌いながら降りて来るフィナーレは、スターがスターを魅せる瞬間であり、それは天から流れ落ちてくる永遠なのです。

しかし、逆にこうも言えるのかも知れません。このような圧倒的瞬間を追求するような芸術はバロック的な芸術であり、それは芸術全体の中では部分に過ぎず、最近のライトでカジュアルな感覚の強い芸術傾向の中では敬遠されやすい傾向であるとも。過剰であり、過度であり、特権的な肉体の特権的な瞬間に捧げられる芸術、それはタレントは腐る程いても特権的スターはいない現在では、死滅した芸術であるというべきなのかもしれません。おそらく横尾が宝塚にハマった心情というものの中には、このような現在に対する深い不満があるに違いありません。「スター」とは時代錯誤であるとするなら、スターを生み得ない私たちは白けた不能感を負い続けなくてはならないのでしょうか。 この事情を現代美術に託していうのなら、シンディ・シャーマンがハリウッド映画をサンプリングして作り上げる写真表現がかかえている問題が、「私たちはもはやスター(生の主人公)ではありえない」であるとするなら、「それでも私はスターになりたい」というのが森村泰昌であるといえるでしょう。

周知のように最近の森村映画スターに扮して写真を撮影するシリーズ「女優になった私」を制作しています。おそらくそれを通じて森村は「自分が(現代美術の)スターなのだ」ということを強烈にアピールしたいようにも感じられます。しかし、スターはいかがわしさと常に隣合わせです。なぜならスターは共同幻想の中にしか生きられない観念的存在であると同時に、「輝かしい肉体」を維持しなくてはならないからです。 宝塚のスターシステムが続いている理由はおそらく、強烈なピンスポットを浴びて過剰な羽根を背負って大階段を降りる特権を持つトップスターという役割が「期間限定」であることにあるのかもしれません。トップスターは通例30才程度で就任し、最近では長くて4年程度しかトップであることはできません。それゆえ宝塚のトップスターは「人気絶頂」で「サヨナラ公演」を行い退団するのです。それは一種の「公開切腹」であると言った人がいますが、華を盛りに散っていくからこそ、トップスターたちは「特権的」なスターであるのかもしれないのです。それを越えて生き延びるスターとはある意味でいかがわしいメディアの怪物、情報操作によって虚像を保つことが生命維持装置となるような、グロテスクな存在なのです。

森村の「女優になった私」はスターシステムのグロテスクな側面を拡大して提示しているように感じられるのですが、このようにスターにこだわる芸術(家)が関西出身であることは別な意味で興味深いことです。横尾は兵庫県西脇市出身ですし、森村は現在も関西を根拠地にして制作しているわけです。東京という街は映画的なニュアンスがありますが、大阪の方が演劇的であるともいえるかも知れません。道頓堀を歩けばキッチュな看板は至る所にあり、街行く人々も東京よりも身なりが派手である、というのは大阪に対する一般的なイメージですが、大阪の方が日常生活がより演劇的であると言い換えてもいいのかもしれないのです。つまり誰もが心の底に持つ「変身願望」に対して関西はより寛容であり、日常的な生活のなかにさえ、演劇的にデフォルメされて「永遠」をそれとなく指さすような生活が、出現する 可能性を秘めていると言ってもいいのかもしれません。そのような心情が実は宝塚によって育まれているとしたら、などと想像するのは非常に楽しいことなのですが。

(続報:宙組新トップの公式発表がずっとなかったので、事情のよくわかっていない中日スポーツが和央ようかを「代理トップ」と呼んでしまい、ファンの逆鱗に触れた今日この頃、筆者は横浜在住の女性を麻路さきにハメてしまう。どんどんコワレていく(宝塚ファン用語では、日常生活に支障を来すほどスターに熱中する)ので、まるで麻薬の密売人にでもなったような気分。2/8に新トップは和央ようかと発表。)



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