アニメーション80の歴史

トーク(2004.9.17)

これは2004年9月17日〜19日にかけて、京都造形芸術大学の映像ホールで開催された、「CINEMA ENCOUNTER SPACE」という上映グループによる、自主アニメの企画の中で、筆者が企画に1枚噛んで「アニメーション80の軌跡」というプログラムのプログラミングを行い、更に現アニメーション80の会員として活躍中の倉重哲二氏(「兎が怕イ」「スクリプティング・ゴースト」)とトークまでしてしまったののテープ起こしである。かなり貴重な記録の部類になるので公開する。司会はCINEMA ENCOUNTER SPACEの代表者である田中一誠氏である。大体40分くらい話をした。あとで会場に来ていた山元るり子さんに内容についてお褒めを頂いた。

目次


開始のごあいさつ

司会:
それではお待たせしました。今から「お話」に入りたいと思います。まずご紹介します。元アニメーション80の会員で映像作家の杉浦さん。
杉浦:
杉浦です。
司会:
どうぞよろしくお願いします。こちらの方にお座りください。現アニメーション80の会員で、今見て頂いた「兎が怕イ」を製作されました倉重哲二さんです。どうぞよろしくおねがいします。
倉重:
どうも。
司会:
お二人のお話を中心に、基本的には「アニメーション80」という80年代から始まった日本の自主的なアニメーションの流れがどういう風に展開していったのか、ということから初めて、いろいろと話が展開していけば、とは思います。また皆さんのほうから何かご質問等ありましたら、それものちのち2人にもお答えいただければと思っていますので、どうぞお話の中で考えていただければと思います。ではお二人ともどうぞお座りください。

アニメーション80らしさ

杉浦:
このアニメーション80という団体は、名前の通り1980年に結成されたアニメーションの上映団体ということで活動しているわけです。今まで続いている、ということはもう25年という、ほとんどこういう自主制作映像グループとしては稀なくらいの長さで続いてるわけです。私が比較的初期のことはよく知っているということで、今回お話をすることになったわけですが、今の状況はこの倉重さんが非常によくご存知なので、そこら辺でうまく補い合っていけるのではないかと思います。ちょっと今の活動のほうを倉重さん、よろしくお願いします。
倉重:
こんにちは。今日はアニメーション80の作品を見ていただいてどうもありがとうございます。現状のアニメーション80はですね、一年に一回だけ上映会は必ずやろうとやっているんですが、会員の皆さまがだんだんベテランの方が多くなりまして、私なんかはまだ入って3・4年しかたっていないのですが、なかなかアニメーションをやっている方が口が軽い方が少なくて、昔のことをあまり僕は知らないので、今日は自分も観客のつもりで「昔のプログラムも出る」ということで、今日はお邪魔させていただきました。

現状はですね、会員の作品がだいぶ少なくなってきちゃいまして、ゲストの方でいくつか作品を寄せてもらったりとか、公募みたいなことも始めています。昔のまだエネルギーがあったころの話をちょっと聞きたいなと思いました。よろしくお願いします。
杉浦:
よろしくお願いします。今のプログラムを見た中でも、「え、これがアニメーションかな?」というような感じで、皆さんが感じられたんじゃないかなと思う作品もいくつかあったりもしますけども、こういった作品があるというのが、アニメーション80の一番大きな特徴といいますか....そういった形でずっと続いていますから、先ほど見た作品の中だと「光行差」の水上さんあたりですと、フツーのアニメーションの団体に出したりしたら、きっと反発を買うんじゃないかと思いながら出されたかもしれませんけどもね。実際にはアニメーション80という団体はそういう作品がずっとあって、そういう伝統があったりもするわけなんですけど、そこらへんがなぜそうだったのか、ということもこのお話の中で出てくると思います。

どうです、そこらへん他のアニメーション団体、アニメーション・グループと違う部分を何か感じます?
倉重:
他のアニメーション団体というのは、だいぶ今少なくなってきていて、アニメーション80以外の団体というと、こっちではまだいろいろな団体があるみたいですが、見てないんですけども....ちょうど僕が入った頃がまだ過渡期だったのかもしれないんですけど、CGの作品が大量にはいってきたころで、アニメーション80っぽくなくなってきたということを言われて...
杉浦:
「アニメーション80っぽさ」というのが面白いところなんだけど。
倉重:
今回ちょっと公募とかやったときに、「これがアニメーションなのか?」という作品も結構ありまして、「あ、こういうのが昔の感じ」と言われたときに、「そうなんだ!」って今日来て昔の作品を見て「納得したなあ」という感じで...
杉浦:
多少名の知れた人だと石田尚志くん、彼あたりだと昔の雰囲気をもっていたから、やっぱり最初にグループに入るっていうと、「アニメーション80にしようか」というところがあったみたいだから、それなりに「アニメーション80というのはこんな団体」というのがあるのかもね。
倉重:
石田さんってどのくらいいらしたのですか?
杉浦:
一瞬だね。いたのは。
倉重:
多分同い年なんすよね。僕は。「部屋=形態」とかやられた時に、僕はまだ入ってなくて見に行ったことがありまして...
杉浦:
アニメーション80の出身者というと、出身者というのも変なんだけど、要するに作品を上映会でやったことのある人、という話で言うと、黒坂圭太さんとか山村浩二さんとか、そういった人たちというのがOBとしている、という「とんでもないグループ」と思わなくもないのだけども....特に黒坂さんだと、作品の傾向が変わっていたというのがあって、ホント言うとイメージフォーラムでイジメられたというようなことがあって、アニメーション80に参加したという経緯があったりもするわけですね。というわけでアニメーション80という団体は「これがアニメーションか?」と作っている人も悩むような作品をずっと受け入れてきた、何でもありの団体だったというのもあるんですね。こういった「何でもあり」状況というものが、1980年代のはじめにアニメーション80に限らず、アニメーション団体全体にそういう雰囲気があったんです。まあ、そこらへんの話に移っていこうか。

80年代当初の状況〜相原信洋・マクラレン

倉重:
80年代の当初というのは、そういういろんな技法が一番最初の作品からそういうのをやっていくという風潮だったのですか?
杉浦:
それはこの学校でも教えておられる相原信洋先生、この方が非常に頻繁にワークショップを開いていたんですね。つまり一種の実験的なアニメーションの布教活動を相原先生が熱心にしていたという状況があったんです。当時はノーマン・マクラレンって皆さんもご存知の方が結構いられると思いますけど、カナダのアニメーション作家なんですね。アニメーション作家といってもディズニーみたいな作品を作っていたんじゃなくって、非常に実験的な作品、これを作っていた作家でノーマン・マクラレンという人がいたんです。作品、見てる?
倉重:
多分見てます(苦笑)。
杉浦:
マクラレンという人はどういうことをしたのか、というと、たとえば真っ黒なフィルムに針で直接絵を描いて作品を作る。あるいは感光しちゃったいわゆる「スヌケ」ね、光が完全に通っちゃう透明なフィルムに、直接ペンやなんかで色を塗ってアニメーションを作っちゃう、なんていうものすごく実験的なことを始めた人なんですね。ですから、「アニメーションって何でもありなんだ!」というのをこの時期の私たちの世代というのは、マクラレンと相原先生というこの2つからよく教えてもらったということがあるわけです。当時マクラレンという人はカナダのナショナル・フィルム・ボードという、政府機関、郵政省の管轄みたいな政府機関に属していまして、その作品も国有のかたちになるのかな? ま、ここらへんは私も細かい話までは知りませんけども、そういうことだったんでカナダ大使館で積極的にフィルムを貸してくれていたんです。そういったカナダ大使館から貸してくれるフィルムを元にして、上映会がよくあって、ちょっと面白いことが好きな人はよく行っていたんですね。で、そういった活動というものが前提としてあって、アニメーション80という団体が出来てくる、そういうことになってくるんです。

ちょっと具体的な話をしちゃうと、1980年にこのアニメーション80ができたきっかけというのも、東京造形大学という大学で相原先生がワークショップをした、その影響及びそういったマクラレン上映会で、後の主要メンバーである飯面雅子さんとIKIFの片割れといいますか、石田園子さん、この2人が会って、こういった団体を作ろうということで始まったわけで、最初から一種のインターカレッジ団体というか、そういう団体でしたし、なおかつ大学を卒業しても個人ベースでの製作を続けれるような団体を作りたい、という考え方があったわけですね。
倉重:
元々当初に集まってきたメンバーというのは、映像製作をやられていた人たちがいて、集まったというわけでもないんですか?
杉浦:
そういうわけでもないんですね。実際アニメーション製作歴の長かった人、何作品も作っていて慣れていた人というのは、砂アニメの飯面雅子さんだけだったんです。他の人やなんかは相原先生のワークショップなんかでボチボチ作品を作っていた人というのはいましたけども、そういった作品を発表する場、自分が初めて作ったアニメーション作品を発表する場が欲しいということで出来たという感じですから、最初の頃なんかは「全然未経験」という状態で始まったも同然、というくらいなんですね。
倉重:
映像作品を作っておられなかった方というのは、その他に何か平面作品とかを作られていた、ということなんですか?
杉浦:
そうそう。アニメーション80の主力になった大学というのは、東京造形大学と武蔵野美術大学という、この2つの学校だったわけですけど、この2つともいわゆる美術系大学で、大概の人はたとえば油絵出身だとか、デザイン出身だとか、という人が多いわけですね。
倉重:
皆さん絵の描ける人ばっかりだったのですか?
杉浦:
でもないよ(苦笑)。このアニメーション80という団体の面白いところは、絵が描けなくてもOKだったのね。これは要するにアニメーションというのは絵がかけなきゃダメだということとは違うんだ、それは動きを作り出すことがアニメーションなんだから、絵がかけないなら写真で写真アニメを作ればいい。あるいはもっと変なやり方を自分で見つけ出して、で「これはアニメーションだ」と、いう具合に考えればいい。非常に広いアニメーションに関する考え方を持っていたわけですね。
倉重:
僕も絵が描けないんですよ。
杉浦:
嘘つかないで(笑)。
司会:
あの作品の絵はどなたが?
倉重:
僕が描いているんですけど...ハナから描いているわけじゃないんですよ。元々CGで立体を作ったのを手であれしている...
杉浦:
なるほどね。3DCGなんだ。
倉重:
そうなんですよ。絵を描けないからいろいろ工夫するというところがあって、だからアニメーションを選んだろうな、というのがあって、多分絵が描けていたら別なことをやっていたんだろうな、というのがあるんです。
杉浦:
ですから、絵が描けなくてもいいんだ、そうじゃなくて見方がアニメならいいんだ、というのが一番ノーマン・マクラレンと相原さんが教えてくれたことじゃないのかな、という具合に思うわけなんですね。つまり、アニメーションというのが「ものの見方」だと。
倉重:
IKIFさんのアニメーション百科なんてなかなかいい見本だと思いますね。
杉浦:
そうそう。たとえば当時相原さんでも「stone」という作品があって、石に一日かけて絵を描いていくというのを、それを描いてく行為自体を見せると、勿論コマ撮りだけどね。そういう作品もあったわけだし。
倉重:
「stone」は海外で撮られたんでしたっけ。すごい壮大なスケールで...
杉浦:
だから「壮大なスケール感」で言うと、描いていくうちに陽が昇り陽が暮れていく....
倉重:
アニメーションを撮りに海外に行くんですね(苦笑)
杉浦:
そうそう。そういう効果というのは紙の上で描いていただけじゃ、得られない効果です。そういうことやることによって、アニメーションというもの自体のスケールが、大きく広がっていたという風にも思います。

80年代当初の背景〜トルンカ・岡本忠成・ハラス

司会:
たとえばその前、それ以前のアニメーションというのはどういう捉え方をされていて、「どういうのがアニメーション」という風に捉えていたのか、というのを...
杉浦:
当時?
司会:
相原先生やノーマン・マクラレンが出る以前、意識される以前というか...
杉浦:
なるほど。勿論私なんかでも「ヤマト世代」というか、「宇宙戦艦ヤマト」とか、ああいったところで正確には2番目のアニメブームの、第1回は「鉄腕アトム」か、そういう世代ではあるわけです。そういったTVアニメ・商業アニメの世界とは違う考え方というと、やっぱり岡本忠成・川本喜八郎といった人たちの活動があったわけですね。特にそういったなかでの私なんかが印象深いのは岡本忠成の、あの人は「みんなのうた」なんかでNHKの子供番組に登場できる作風だったのですけど、すごく「暴れて」いたわけですね。たとえば毛糸でアニメをするとか、いろいろな素材的な工夫をしていた人ですから。そういう意味でアヴァンギャルド的な性格というのは、子供番組という「殻」をかぶって、影響を与えていたんで、私らの間でも岡本忠成は押さえとかなきゃね、という感覚はありました。
司会:
そのころは海外のチェコアニメとかは、見られたりはしなかったのですか?
杉浦:
チェコはですね、アニドウという団体があって、そこがわりとよく紹介をしてくれてはいたけど、それほどには強くはなかったな。トルンカとかそういった人たちの作品はアニドウが紹介していてくれましたから見ましたけども、やっぱりトルンカの作品を見て、「あ、俺もこんな作品を作りたい」と思う人というのは、稀じゃないかな、と思いますよね。何ていうんだろ、何かやる気のある学生が「これだったら俺もできるじゃん」と思うきっかけになりうる作品というのも必要なのかな、と思うんですね。
司会:
たとえばトルンカの作品なんかが真似できないような感じというのは、もちろん技法的なところですよね。人形を使ったものが多かったとして、その人形を単に動かしているだけじゃなくて、どういう風にやっているか判らんみたいな...
杉浦:
だって造形的にも完璧で、別に表情を変えているわけじゃないのに、ポーズとか照明とかで表情を出しちゃうでしょ。そういった個人の名人芸的作品というのは、その時代にもう完成していたのですね。だけど、いわゆる名人芸的作品の作り方じゃなくって、もっと素直に自分たちの日常思っていること、感じている動きの面白さ、そういったものをよりストレートに出していこう、というようにやっても、「これはアニメなんだ」と。完成度が低くても、視点が面白ければOKなんだと、というようなかたちで作ってくれていた人として、やはり「影響を受けたのは相原先生」という感じがしますね。
司会:
アニメーション80の創設メンバーの一人なんですけど、小出さんという方がおっしゃられたという言葉で、アニメーションが映画の中に含まれるんではなくって、映画の...
杉浦:
いえいえ、「アニメーションが映画を含む」のであると。これね、元々ハラスというイギリスのアニメーション作家が言ったことを、小出さんが布教しているわけだけど、この考え方がアニメーション80でも「共通の哲学」という形になったわけですね。これはどういうことか、と言うと「アニメーションの方が映画よりもずっと概念が広いんだ」。つまり、我々は動きを記録し、作り出す手段として映画というものを、「手段」として使ってはいるのだけど、そうじゃなくて他に動きを作り出し、および動きを記録する手段があれば、それはそれでもアニメなんだと、作品なんだという考え方があったわけです。
司会:
たとえばそれは具体的にいうと、パラパラ漫画であったり、驚き盤であったりとかいうことにも..
杉浦:
なってくるわけですね。これは明日登場する山元るり子さんなんていうと、やはり相原先生の影響を強く受けた人なんですけど、今もワークショップで驚き盤とかパラパラ漫画をよく取り上げてやってますよね。これやっぱり驚き盤とかパラパラ漫画っていうものも、アニメーションの重要な表現手段のひとつであって、フィルムに並ぶ手段なんだと、この80年代に出発した人たちは考えているわけです。
司会:
倉重さんはそういうあたりって、アニメーション80の今の中にいて、意識されたりということは...
倉重:
特に意識していなかったけど、多分自分が、僕は最初からアニメーションを始めようと思ったわけじゃなくって、最初はイメージフォーラムに通っていたわけなんですけど、そこで最初にコマ撮りを始めたんです。すごい「これは映画的なんだ」とそこからアニメーションに行っちゃったので、自分の中にもそれはあった。後でそれは他の人の、先人の言葉を見てもそうだと思ったし、いわゆる映画前史を見ても「アニメが先」というのはありますよね。
杉浦:
映画前史っていうと、驚き盤とかそこらへんから始まっちゃうものだからね。

作品傾向について

司会:
やっぱりアニメーションというと、動きの面白さというのを見せたい、という意思がアニメーション80の中にあったということが、作品の尺とか内容とかにも色濃く出ている...
杉浦:
「お話」を表現するんじゃないんだと。どちらかいうと初期のアニメーション80は、特にお話物はなるべく避ける、という考え方があったと言ってもいいくらいですね。
司会:
1本1本が2分とか3分とか、ものすごい短い...
杉浦:
上映会するのが大変でね..
司会:
でフォーマットが8ミリもあって16ミリもあってビデオもあってで、それでこの前杉浦さんからもこぼれ話みたいに聞いたんだけど、スクリーンに投影しない作品があったということを聞いたんですけど...
杉浦:
(苦笑)ああ、あの話はね、実際に昔私がやった奴で、紙に連続したつながりになった絵を、5・6種類1枚の紙に印刷して、その順番がけっこうぐちゃぐちゃになっているんだけど、それを音楽に合わせて見ていくと「頭の中でアニメになる」。ちょっと馬鹿みたいな話なんだけど、やったことがありまして、ちょっとジョークみたいなもんだね。
司会:
さっきのIKIF作品みたいに、たとえばカップラーメンでひとつのネタで作品を作っちゃうみたいなノリというのも、上映会で容認されているというか、認められていると...
杉浦:
というか、初期は大体そうだね。構成というのも初期はほとんどなくて、ひとつのネタで押し切れる長さとなると、大体2・3分くらいにどうしてもなっちゃうというのがあったわけです。で、今見たようにその位の長さの作品が多いということになってきます。構成が入ってくるのは黒坂さんが加入してから..私はそういった印象がありますね。
倉重:
黒坂さんって何年くらいから入られたんですか?
杉浦:
84年。
倉重:
わりと初期なんですね。
杉浦:
うん、もう10回上映の時には人気作家だったからね。
倉重:
今会員じゃないんですか?
杉浦:
そう。というかアニメーション80というのは出入りが自由というのか、割と曖昧だからね。だから黒坂さんが「新作を出す」と言ったら、みんな「You are Welcome」なんだけど。
倉重:
昼間さんもこの間久しぶりの新作を出されて...
杉浦:
まあ、昼間さんは会合に出れなくても、いろいろな別なところで貢献する人だから...
倉重:
まだ顔を一回も見たことがなくって..
杉浦:
(笑)昼間行雄さんという会員で、「こどもの城」という東京の青山に施設があるんですけど、そこで子供のためにアニメーションを普及させるという志のもとに、活動をしている、そういう会員なんですけど。
司会:
雑誌の編集なんかもされてますよね。
杉浦:
「Fs」は水由さんと一緒にやってるものなんだけど。

IKIFの作風

司会:
で、話が別の方向に行くんですけど、当時から上映会に参加していて、作品を1つのネタで勝負!というのもあったりするんですけど、見ていてハッとするような作品というのは、やっぱりいくつかあったと思うんですけど、一番というか、見ていて「これは凄いぞ」という風に思ったものというは、たとえばどういうものがあったわけですか?
杉浦:
当時はIKIFと飯面雅子さん、この2人が双璧の人気作家という感じではありましたね。ですから私なんかはやっぱりIKIFかな。IKIFはこういった実験的な作品もありましたけど、もっとパフォーマンスと絡めた実験的な作品がけっこうありました。たとえば「after image 蛍火」という作品があったんですけど、これなんかだとスクリーンを変えちゃうんですね。
司会:
違うかたちのスクリーンを作っちゃう?
杉浦:
いや、じゃなくて、四角のスクリーンなんだけど、そのスクリーンに夜光塗料を塗るんです。いわゆる「蓄光性夜光塗料」という奴ですね、光を貯めてボオと光るという。そういうのを塗ったスクリーンを作って、そしてアニメでやっていくと、そのアニメのイメージがスクリーンに残ってモアっと光って見える。それにパフォーマンスを絡めて、最後は石田園子さんが走ってきて、こういう具合に手を上げて、後ろから光がぱっと光って消えると、園子さんの姿がスクリーンに映りっぱなしで残る、という...そういうような面白い工夫を考えていたりもしましたよね。
司会:
大変ですよね。そのスクリーンって後でも使えるんですか?
杉浦:
いえいえ、木枠かなんかに塗って小さいのを作っていました。というか、蓄光性蛍光塗料は結構高いんでね、結構お金かかったと思うんですけど。
倉重:
それは上映会でやられたんですか?
杉浦:
そうそう。パフォーマンスやったの。
倉重:
今日やった「CIRCLE」という作品はわりとちょっと気持ち良かったんですけど...
杉浦:
あれはデザイン的な心地よさがあるよね。
倉重:
技法的にちょっと教えていただけると...
杉浦:
あれはね、いろいろ聞いた話によると、真ん中のイメージはアクリル球、ハンズや何かに行くと売っている、透明な水晶球のパチモンみたいな奴。あれをカメラの前に置いて撮影して、その8ミリのフィルムのコマをリスフィルムって判る?簡単にいうと写真乳剤の塗られた印刷に使うフィルムですね、写植なんかを打つのに使う奴ですね...
倉重:
すごくコントラストの出る...
杉浦:
そう、すごくコントラストの強い奴。あれに1コマづつ焼いたイメージを、また色やなんかをつけながら合成していって、あと当然中心からポーンと来るサークルのイメージも、そのリスフィルムで作ったのを重ねている、という話です。
倉重:
ソナーみたいな感じでなかなか気持ち良かったですね。
杉浦:
そうだね。やっぱりあの繰り返しのパターンが非常によく効いているもので、なおかつ中のアクリル球に映ったイメージがすごく懐かしい感じがしてイイんだよね。あれは。

飯面雅子と浅野優子の作風

倉重:
飯面さんとかって、実は上映会とかよく来てくださるんですが、作品見たのは初めてなんです。
杉浦:
そうなんだ。
倉重:
アニメーション80のいつも使っている8ミリの映写機が、いい面さんので、箱にちゃんと名前が書いてあって、それでしか知らなかったです。しかもその映写機が今僕の家にあって...なかなか映写機を使うこともなくなってきたんですが(笑)。
杉浦:
あれGSだから結構高い奴だよ(苦笑)。
倉重:
そうなんですよ。
杉浦:
飯面さんはね、砂アニメ。ホントは砂アニメというと、マクラレンが教えていたナショナル・フィルム・ボードというカナダの機関で学んだ人で、キャロライン・リーフという人がいるんですね。この人の「ザムザ氏の変身」という有名な砂アニメがあって、飯面さんはこの砂アニメに非常に興味をもって自分も「これをやろう」ということで、砂アニメをし始めたのです。

飯面さんはリーフと少しやり方を変えて、透過光で撮影しているんですね。デザインしている人はご存知だと思いますけど、ライトボックス、下に蛍光灯があって、上に乳白色のプラスチックなりガラス板みたいなのがあって、下から光を当ててトレース作業を楽にする道具があるわけです。それの上に「新島産の砂だ」と、結構細かいんですよね、やっぱり自分の道具ですから。新島の砂じゃないとダメだそうで、その新島の砂を乗っけてやると、要するに砂が沢山あるところは黒く、砂がなかったり薄かったりするところは光が通って白く見えるわけです。それで一生懸命1コマ1コマ砂の上に指で絵を描いて、で撮影していくという技法ですね。

今回見た「Blue Camisole」という作品、色が変わっちゃうということをしていますが、あれは多重露光で色をつけてやってますね。
司会:
あの、言われてみないと全然「砂」ってのが判らないですね。
杉浦:
(笑)まあ、そうですよね。いろいろな素材の工夫、もしくはありふれた素材でも「使い方の工夫」というのをみんなしてましたね。たとえば、浅野優子さんの「紙の家」ね、あれトレーシングペーパーです。トレーシングペーパーの上に動画を描いていって、トレーシングペーパーって透けますよね。透けるから、まず最初の絵があって、普通はそれを交換して撮影するんだけど、その上にまた次の絵を乗っけちゃう、次の乗っけちゃうとやると、ちょっと透けて前の絵が見えてくる。
倉重:
二重露光とかそういうことかと思ったんですけどね。
杉浦:
いや違う。そういうことなの。という具合にみんな非常によく、自分で技法を開発してやっていたわけです。
司会:
作品が出来るまではどういう風にやっているかというのは、話したりしなかったりするんですか?
杉浦:
割とね、みんな教えたがりですね。
司会:
あ、そうなんですか?
杉浦:
そうだよ、逆だよ。よく「プロはノウハウをあまり細かく言わないものだ」というかもしれないけど、みんな結構喋りたがりです。
倉重:
浅野さんって僕はもう立体のアニメーションになってからしか知らないんだけど、割と初期は平面の作品が多かったんですか?
杉浦:
立体もあるけどね。浅野さんの場合には工芸的なセンスが非常に良い人だよね。立体のオブジェを作るとか、個人的にも好きな人だから、そこらへんで「活動の場を広げた」というのかな、という感じじゃないかと思っている。

アニメーションの世界・現実の日常世界

司会:
大体時間もそろそろという感じなんですけど、先ほども杉浦さんからもお話がありましたけども、普段の生活から切り離されたところではなくて、生活の中でそういう作品のネタを見つけていったりというところが、実は僕なんかだと意外なところがありまして.....それを気づかされたというのが、今回こういうパンフというのを作っているんですけど、そこでアンケートというのを取らせて頂いているんですね。今回出品されている作家の方々にですね。その中で僕が質問の方で、「アニメーションの作品の世界と現実の世界というのは別次元で」というのを前提に話をもっていっているんですけど、戻ってくる回答で「いや、そうは思ってなくて」「いや、アニメの世界とこの世界とは私は繋がっていると思うんだよね」という答がわりとけっこう多かったというのが、僕には「ああそうなのか」という、それは製作を実際にしている人たちにしか判らない感覚なんじゃないかな、という風に思って。やっぱり実際の生活の中から「はっ」と思う瞬間があって、それが作品に結びついていくというようなことを皆さん多く答えておられたのがものすごく印象に残っているというのがありましてですね、そういったところが、「ものの見方」としてアニメーション的な目というんですかね、それが製作をされている方にはあるんじゃないか...
杉浦:
うーん、そういうことはやはりそういうことじゃないかと思いますね。倉重くんなんてどう?
倉重:
いきなり振られた(苦笑)。そうですね。(二人爆笑)
杉浦:
要するに「何でアニメをするのか」ということだよね。そりゃ中には自分の考えている世界を非妥協的に作りたいから、そうするという人はいると思う。しかし、そういう人は違うのね。もっと日常的な自分たちの生活、自分たちがしていること、自分たちが日常出あうこと、これがやっぱりどんな人でも作品の一番のモチベーションになるんじゃないかと、私なんかは思います。
司会:
倉重さんは?たとえば今回上映した「兎が怕イ」という作品について、このパンフにも載っている作品の解説の方にも書いて頂いているんですけども、やっぱり子供の頃の「ご飯を食べながら寝ちゃう」というのが、それがすごく気持ちの良い記憶というのが、作品の一番のモチーフになっているみたいなという話が...
倉重:
多分解説って結構後づけだったりするんです(皆爆笑)。何か質問されて思っていたのは、多分僕も何かある一つの世界観を作りたいというのはあるんですよ。で「どうやって考えているのか?」というと、いろんな昔の記憶とかを、つなぎ合わせてやっているような気がして....質問されてずっと考えてて、「そうなのかな?」というのがさっき思いました。
杉浦:
やっぱりどんな世界を作るんでも、その根底にあるのは自分なんだよね。
倉重:
そうですね。

質疑応答

司会:
それで「もしあれば」ということでご来場の方々で「こういうのを聞いてみたい」というのがあれば、最後に出していただければと思うんですけど...
質問者:
「兎が怕イ」ですけど、漢字が難しいですね。何であんな読めそうもないような、特に数字?数字が何かこんな読み方をするんだなあ、最後の方も数字ですよね。驚きました。
倉重:
中国語なんですよ。普通の漢数字を書くと、読み間違えると、違う文字と間違えるから、読み間違えないように漢字を当てるというのがありまして、元々の雰囲気にちょっと中国的な雰囲気を持ってきているんで...
質問者:
タイトルも「怕イ」が難しい字で...
倉重:
なかなか「こわい」と読んでもらえなくて...
杉浦:
その次の「スクリプティング・ゴースト」がやっぱり中国語学習がネタじゃない?
倉重:
そうですよ。今ちょっとハマっちゃって勉強しちゃっているんです。
質問者:
すごく長いのに驚きました。
倉重:
あ、スミマセン(苦笑)。
質問者:
すごい長いというか、普通もっと短くて終わっちゃうのに、結構「行く行く行く」という感じだったんで...力作だったと思います。
倉重:
途中まで1回作って、1回発表しちゃって、それから...
質問者:
何番まで行ったんです?
倉重:
お葬式の前まで作っちゃって、その後違う構成のが入っていて、で1回そういう作品を作ったんですけど。だから前半と後半とでは大分雰囲気が違う。最初の時は同じ「兎が怕イ」でもひらがなだったんです。その後1年かけて作り直したんで...ちょっと長い作品になってしまいました。
質問者:
どうもありがとうございました。

終わりのあいさつ

司会:
あと1つくらいあれば伺いますが...まあ、そうですね。今日もまだお二人も残っていらっしゃると思いますし、明日も今度は地球クラブの..
杉浦:
地球クラブというのは、やっぱり相原先生がワークショップをしたところから生まれてきたグループで、よきライバル団体だったというそういうところですね。
司会:
そういう地球クラブの特集を上映しつつ、こちらの京都造形芸術大学の講師をされている山元るり子さんと、地球クラブの小谷佳津志さんをお呼びしてお二人にまたいろいろお話をお伺いするという予定になっておりますので、引き続きご来場いただければと思います。まだお二人も残っていらっしゃると思いますので、ロビーのほうででも声をかけてお話していただければ、と思います。それでは、トークの方はこれで終了させていただきます。どうもありがとうございました。
一同:
ありがとうございました。



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