ファーブル・ブランドと横浜
実は写真は、多分この辺が
ファーブル・ブラント商会の跡地と目星をつけて写したもので、後から
資料で調べましたら確かにNTTビルのところがそうだと、予想とぴったり
だった訳です。写真を写した段階の時には気が付かなかった事も
あるだろうと思いまして丹念に調べましたら面白いものを見つけました。
まさにファーブル・ブラント商会の道を隔てた真ん前(斜めはす向かい?)
にシーベル・へグナー社後の礎石というか、積み石が残っていました。
シーベル・へグナー社は横浜に初めてガス灯設備を輸入した、生糸輸出入の
会社でスイス特派使節団の公使館参事官、カスパー・ブレンワルド(1839〜1899
)
とヘルマン・シーベル(1842〜1918)との出会いから出来た会社とのことです。
関東大震災で、外国人居留区のほとんどの痕跡が無くなってしまったのですが
このファーブル・ブラントと因縁の深い、シーベル・へグナー商会の跡地が残っ
て
いた事は奇跡のようです。写真の説明をしますが、シーベル商会跡の石積みは
小さなプレートと共に見つけましたが石積みの上はコンビニになっていました。
そして2枚目、道を隔てて駐車場を示すPマークの下が石積み、そしてその前が
NTTビルです(ファーブル・ブラント商会の跡地)。そして横浜公園を丹念に
調べましたら、「峠」にも出てくる「岩亀楼」の灯篭が見つかりました。その
岩亀楼のあった辺りは庭園になっていました。すぐ隣の横浜スタジアムからは
横浜ベイスターズとどこかのデイゲームが行われていました、地面の底から
響くような声援が聞こえていました。ご参考になれば幸いです。

スイス特派使節団の来浜と商館の創業(抜粋)
1863(文久3)年4月28日、日瑞修好通商条約締結の為に横浜へ上陸したスイス使節団はその6人中4人までが、のち横浜を生活の場にした事は特筆に価する。
1862年に構成された特派使節団は、
団長、エイメ・アンベール(1819〜1900)ニューシャテル出身、文学者、元参議院議員
他5名中にジェイムス・ファーブル・プラント(1841〜1923)ル・ローク出身、電気工学専門、時計業が居た。この内、官費の支給を受けたのは団長アンベールと他1名のみで他はまったくの私費で使節団に加わった。この事は条約締結後にも日本に定着をして企業の開発に従事する随員の多かった理由でもあろう。
彼らが起こした企業の概要だが
・シーベルト・へグナー社…使節団で来浜したカスパー・ブレンワルド(1839〜1899)は条約締結後に一旦帰国したものの、日本で集めた商品の見本市をチューリッヒで開き、多大な興味をよんだ為、将来への貴重な手がかりを得た。そしてヘルマン・シーベル(1842〜1918)との出会いによって商社創立を実現させた。シーベル・へグナー社は横浜で初めてガス灯設備を輸入し、初めてスイス時計オメガを輸入し、第二次大戦中も中立国スイスの企業として営業し、現在も山下町89−1に健在である。
・ ファーブル・ブランド商会…ファーブル・ブランド商会はその規模の大きさにもかかわらず、ジェイムスの個人的な企業で終わった。ジェイムズ・ファーブル・ブラントはル・ロークルに生まれ、ニューシャテルの工業学校卒、ジュネーブ大学で医学を聴講し、東洋に魅せられて22才で使節団に加わった。団長アンベールは攘夷旋風の吹きすさぶ、横浜で条約締結待機中をファーブル・ブラントと過ごしているが、彼を評してこう述べている。
「私の大切な補佐役、旅の道連れ、仕事の相棒、孤独の客人」
二人は個人的に日本人と接して友好を得、特に市販の版画や絵画から幕府が隠しおおせたと思っていた日本の内面を感じ取っていた。鋭敏なファーブルは、薩摩藩を訪れた時、既に天下の大勢を把握する事が出来た。薩摩と親しくなったファーブルは、その射撃術を見込まれて薩摩藩兵の指導を頼まれた。彼は国民皆兵のスイスで射撃隊下士官の資格を持っていた。ファーブル・ブラント商会の創立は1863年としているので、彼は条約締結以前から既に武器、機械類の輸入の準備をしていたことになる。
薩摩藩の武器購入係は大山弥助(巌)で、当時新式のシュナイダー銃、クル−ゾ銃などを大量に調達した。維新戦争前夜、武器輸入の名声にファーブル商会には、薩摩の大山、西郷隆盛の他、長州、長岡藩士達が集まった。後明治の元勲となる伊藤博文、黒田清隆、山県有朋、桂太郎、井上馨、林薫、村田新八等との交遊はこの時期に始まった。井上と林にはフランス語を教え、桂をスイスに送ったり、伊藤が商館に寄留したこともあるという。戊辰戦争中の長岡藩家老河井継之助の善戦は、彼が整えた大砲、小銃によるところが大きい。ファーブル・ブランド商会から購入したものであった。(以下略)
ファーブルは1923年8月7日、スイスを思わせる軽井沢で大勢の家族や友人に囲まれて逝った。関東大震災のわずか24日前の事であった。震災後日本政府は、復興しない居留地の永代借地権保有者からの買収政策を打ち出した。有名を馳せたファーブル・ブランド商会175番地もその1例で、174番地と併合され、現在NTTビルディングが建っている。
(写真に映っているビルがそのNTTビルです…三好註)
文章は、中西道子氏による横浜開港資料によります。横浜中央図書館蔵
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