■左腕
母と二人で車に乗るとき、母が急ブレーキをかけるたびに母の左腕はかならず助手席のわたしの前へ守るように広げられる。
それは今年21歳になる体の大きくなった今でも変わらない。
母の運転は必ずしも穏やかだとは言いにくい。
決して荒くもないが、急ブレーキはしょっちゅうだ。
日頃シートベルトをしないわたしでさえ、母の運転にはかならずシートベルトを着用する。
はっきり言って怖い。
急ブレーキの度に母の左腕がわたしを守ろうとするのは、小さい頃からずっと続いていて、それは当たり前のことでなんの疑問も持たなかった。
しかし母以外の車に乗るようになって、やっと母の腕がなぜわたしを守っているかという疑問を持つようになった。
急ブレーキの度に守ってきた腕を見て、わたしは思い出したように母に問いかけてみた。
母が守ろうとしているのは、どうやら無意識のうちらしい。
母は自分の無意識のうちにやってしまう行為を笑いながら、わたしに守る理由を話してくれた。
わたしがまだ幼い頃、母の急ブレーキでちょっとした惨事を起こしてしまったのだ。
おかげで幼い私は助手席から転げ落ち、頭を強打して病院に運ばれたことがある。
まだ幼すぎてわたしはなにも覚えていないが、当時転げ落ちたわたしの泣き方は、すさまじいものだったらしい。
母はそれからわたしを守るように、急ブレーキの度に左腕を出すようになったらしい。
21にもなったわたしの体は、急ブレーキでもし大事故になっても、母の左腕一本で守りきれるものでもない。
何度も母にそのことは言い続けてきたし、シートベルトを着用しているのだから大丈夫とも言った。
それでも母は無意識のうちにわたしを守ろうとする。
現実、事故が起こったときにシートベルトよりも役に立たないはずの母の左腕はシートベルトよりもわたしの命を守ってくれそうな気がする。
大丈夫、必要ないと言いつつも、母の左腕がいつまでも出てくれることを願っているのは20年、30年たっても変わらないと思う。
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