古  武  道


上の字は島津家の元家令で、御祐筆をされた舎生の武元氏の揮毫


自顕流、影之流




    手前左に立っておられる白い稽古着の方が薬丸自顕流
宗家14代目の御当主 薬丸康夫兼秀氏(舎生) 

 四方学舎では鹿児島古来の剣術、薬丸やくまる自顕流じげんりゅう 』、『薩摩さつま影之流かげのりゅうを日々稽古しています。
 

 『薬丸自顕流(野太刀自顕流)』


 薬丸兼陳けんちん(1607−1689)は伴姓肝付きもつき氏の一族で,薬丸家に伝わった陣太刀(野太刀)の術に,示現流の東郷重位ちょういに学んだ技を加え,薬丸自顕流の流祖となり、七代目薬丸兼武かねたけ(1775−1825)が 野太刀自顕流として完成させました。


 幕末,門下から多数の志士を輩出し,「明治維新は,薬丸どんでたたき上げた」と言われたほどです 。
 桜田門外の変に薩摩から参加した有村次左衛門じざえもん,西南戦役における西郷軍の参謀篠原國幹しのはらくにもと辺見十 郎太へんみ じゅうろうたなど主要な面々,日本海でバルチック艦隊を破った東郷平八郎などが薬丸自顕流で鍛えた人々です。

 自顕流は”一の太刀を疑わず、ニの太刀は負け”という、抜刀ばっとうとともに斬りかかり一 の太刀で相手を斬り倒す(抜即斬ぬきそくざん)剣術で、守りの型は無く攻撃のみなのです。


 舎での練習は、写真にあるように束ねた枝木を横にすえ、それに蜻蜒とんぼの構えから打ち込む”続け打ち”、 走り込みながら打つ かり”、抜刀から斬りかかる”抜き”、先生と向き合い抜きの型を演じる ”演武”などを一時間ほど稽古しています。




           『薩摩影之流』

 これにつきましては四方学舎の舎生の一人が作った秘武道の世界が詳しいので、そちらのホームページをご覧下さい。 下の写真は、左が前々舎長の三木原勝義氏。 右は薩摩影之流 師範家 第19代目の川上四郎兵衛豊弘氏(舎生)。


           




空手道&テコンドー

                          



●テコンドーとは

 テコンドーは、韓国に2000年以上前から伝えられてきた「テッキョン」や「スパック」という古武術を源流に、太平洋戦争後、韓国武術と日本の松涛館しょうとうかん空手道などを参考に、韓国独自の武道として誕生しました。
 その後、韓国国技として認められ、国外でも普及発展し、1972年、韓国ソウルに「テコンドー総本山国技院」が建設され、翌年、世界テコンドー連盟(WTF)が結成され、第一回世界選手権が開催されました。1988年ソウル五輪から、公開競技として行われ、2000年シドニー五輪で正式競技になりました。現在、世界162カ国に約5000万人のテコンドー愛好者がいます。
 テコンドーは、韓国発祥の武道であるため、儒教の精神が強く反映しており、目上の人に対する礼儀、先祖、両親を大切にする心が養われていきます。日々の修練により自分自身を鍛え、自己の完成に努めることが目的とされます。



※四方学舎で『薬丸自顕流』を学んだ幼年舎生の一人が長じて空手道を究め、さらにテコンドーを習得し、練習に励んでまいりましたが、現在の四方学舎においては主に空手道を中心に厳しい稽古に励んでいます。

 



▲始めに戻る