迷彩
季節は春。蝶が舞い花が喜ぶ日々。 つい最近まで続いていた長い冬が、嘘のように花々に生気が宿っている。 …こうも毎日、暖かい日和だとあの男を思い出してならない。 …桜と杯。弓と笛が似合う…我が友。 ───…源博雅。 彼は毎晩のように、俺の屋敷を訪れては酒を飲み他愛のない会話をして帰っていく。 全く変わった男よな。 ……博雅の奏でる笛の音。俺はたまらなく、好きだ 。全てを優しく包み込むような…あの音色。 否、魅了というべきか?早く会いたい…。 何時、聞かせてくれるのだろうか…。 「博雅…。」 広大な屋敷内に一人。今、俺は濡れ縁にいる。 式を払い静まり返る此の場で、友の名を呟いた。時は夕暮れ。 博雅は今晩は来ない…。本日、彼は宿直の日。 俺にしてみれば、退屈極まりない夜が、刻々と近づく。 「博雅…。」 またもや、彼の名を口にする。 ─────…その時だ。 酷く『淋しい』と感じたのは。 ……博雅、博雅、博雅…博…雅。 彼にどうしょうもなく、会いたくて…会いたくて仕方ない。 何故、このような情を俺が抱くのだ? 「益々、分からぬ。源博雅…。……不思議な男だ。」 俺の噂を知らぬ訳でもないのに、何かと話をしたがる。 殿上人らしからぬ彼。たいした用もなく来て…俺との一時を楽しいなどと言う。 俺の誹謗中傷など、まるで知らぬかのような彼の態度。 …今まで顔を合わせた人間の中で、一番…興味深い素材だ。 人など所詮は肉の塊。否、器というべきか? ただ、感情を入れて動かすだけの玩具。 名前という短い呪がなければ、個人の判別も難しい脆い生き物。 …仮に俺が晴明という名を捨てれば、博雅はどう出るのであろう、な。 「くだらぬ、あやつも同じだ。同じ…だ…。信じてはならぬ…。」 …そうは言うてみた物の、博雅は身分に関係なく俺に笑いかけてくれる。 此は紛れもない事実で。嫌なことに今、気づかされた。 今日、博雅が来ぬと言うだけで、俺があやつのことばかり考えて…いるという事に。 「俺は…。何を考えているのだ。」 いくら考えても、自分が納得できるような…答えは見つからない。 そこで俺は自分にとっての博雅とは如何なる存在なのかを、考えてみる事にした。 初めて出会った時…、 彼が持つ純粋さに心が暖かくなったこと。 彼が一度、絶命した事で、 俺が生きる意欲を失いかけた…こと。 今となれば過去でしかない…出来事の数々。 思い返して、小さく笑った。 あの後、まさか年数を重ねる程に付き合いが長くなるとは。 俺自身意外だった。 いつからか博雅が傍にいて俺がいる。 此が当たり前なのだと…思い違いをしていた。 ────……俺と博雅。 ただの友人でしかない。 そう、友でしかないのだ。 まるで再確認するように、 言い聞かせた。そこで… 高ぶる感情につられて滴る雫。 何故、こんな物が…。 博雅と出会う前までは流した事もないのに…。 ――――随分、心の中に居座られたものだ。 「晴明。」 俺は疲れているのか?幻聴が聞こえ…。 ………? 人気を感じる。まさか…? 俺が顔をあげると、そこには待ち焦がれていた男が居た。 俺としたことが、…気配を感じなかったというのか? それも…今、欲している 「……ッ!?博雅!?な、何故…お前が此処にいるのだ!今日は宿直であろう!?」 俺は彼を見るなり、まくし立てるように告げる。 そもそも、いつ…入ってきたのだ? 気配を今の今まで、気付かなかった。それなのに。 一人、考えていると密虫が舞う。…なるほど。そういう事、か。 博雅は俺が黙りこんだ事に訝しみ、俺を抱き締めて耳元で甘く囁いた。 「すまぬ、晴明。急にお前に会いたくなって…三日ほど…ずらしていただいたのだ。」 何という愚かな男なのだ。 自分の職務をおそろかにしてまで、俺に会いに来るとは…。 否、俺も人のことは言えぬ…。博雅の腕に包まれて、歓喜し 挙句の果てには心の蔵を早めているのだからな。 「晴明。俺は可笑しいのやもしれぬ。 お前と出会って以来…毎日の如く朝起きて晩になる その刻までお前の事だけを考えているのだ。晴明。 俺は…今、お前に呪をかけたくて仕方ない。 俺以外の者を好かない為の呪…。…それとも…この博雅の呪は… お前にはかからぬか?どうあっても…かからぬのか?」 一気に告げられ、俺は面食らっていた。 次から次へと、少しは俺の気持ちを汲んだらどうなのだ。 それに語尾だけ極端に声を震わせて…。 全く……。 俺の理解せんとする領域を遥かに超えておる。 己の抱える予想を後と如く覆す博雅に自然と笑みが零れる。 それと同時に離れたくないと強く願った。 この情は…もしや…。 ────……なるほど。俺は此の男を…。そういう…事、か。 「博雅、お前の呪ならもう、かかっておる。」 一瞬、博雅は瞬きを…繰り返す。 俺はそんな可愛い男に笑み、言葉を続けた。 「博雅、俺はお前を好いておるぞ」 ────二人の時は今…動き出す。 ENDE |