1200&1300きり番「ひみつ日記」

由里 


 早々にお茶とお菓子を胃に収め終わったフェイが、ファティマ商会の店先で若くんと遊んで……いや、若くんに遊ばれている。
 「うわあああ、バルトっ! やめろよあつくるしい!!」
 抱き上げられて、ぐりぐりと音がしそうな程手荒に撫でまわされ、フェイが悲鳴を上げる。
 「いーじゃんかよー。お前、毛並み良くて気持ちいいんだもん」
 だが、若くんは抵抗をものともせずに、フェイを構い続けている。
 「若くん、適当なところでやめておいてあげてください。あなたと違って、フェイはその毛皮を脱ぐわけにはいかないんですから」
 そろそろ、初夏というより夏に近い。若くんは半袖シャツの袖をさらにまくりあげているが、毛皮をまとったフェイは本当に暑苦しそうに辟易している様子だったので、私はまだゆっくりとメイソン氏のお茶を楽しみながら、苦笑して若くんに釘をさした。
 ……と。差し向かいで、ごってりと蜂蜜を落したお茶をすすっていたシグルドがぼそりと言った。
 「おまえ変わったな、ヒュウガ」
 「……そうですか?」
 私は、カップを持ち上げながらにっこりと笑ってやった。
 「ああ。ここへ来た頃は、何と言うか……人当たりは良くても、笑っていても、全部人生投げたような、捨て鉢な雰囲気があった。今お前がしている、取ってつけたような笑い顔とはまた違うがな」それが癇に障ったのか、むっつりとシグルドはうなずく。
 「それはそうでしょう。何もかも……名前さえ捨てて、私はここへ来たんですから」
 私はさらににこにこと答える。
名前を変えたのは、自分を探す人間の目をくらますためもあった。だが、それ以上に、私はソラリスでのすべてを捨ててしまいたかった。自棄になっていたつもりはないが、ソラリスでの私を知っているシグルドがそう感じたのなら、自分でも意識しないうちに少々荒んでいたのかも知れない。
 「で、どう変わったと思うんです?」
人を見る目はある友人の意見には興味があったので、私はたずねてみた。すると、報復のつもりだろうか、シグルドはニツと人の悪い笑いを浮かべて答えた。
 「笑顔が、板についた」
 「取ってつけたような、と今自分で言ったばかりじゃありませんか」
 私はあきれて息をついたが、シグルドはその笑いを崩さないまま言った。
 「それは、お前がそう見えるように意識してやってるからだ。そうじゃなく、
さっき若やフェイ君を見ていた顔は、『本物』だったと私は思うが?」
 「だとしたら、きっと、このラハン村の空気に毒されたんでしょう」
 シグルドに負けないくらいの笑みを浮かべて、私は言い返してやった。
 「……なに男二人で見つめあってにやにやしてんだよ、気味悪ぃなー」
 唐突に、私とシグルドの間で声がした。いつのまにかこちらへ来た若くんが、腰に手を当てて私たちを見比べている。その隣で、フェイも困ったような怯えたような態度で、私たちを見ていた。
 「せんせいもシグルドさんも、へん……」
 「見つめあって……」
 「……にやにや……?」
 私とシグルドが同時に鳥肌を立てたのは、言うまでもない。あっけに取られて絶句していると、
 「それとも何か? ダジルとかへ遊びに行く相談してんだったら、俺も混ぜてくれよ。そっかー、そうだよなー、シグも先生もいい年齢して、独り身だもんなー。たまにはそういうこともあるよなー」
 若くんは、にやりと笑って下品な仕草をした。
 「おれも、おれも行くっ!」
 と、こちらはその仕草の意味がわかっていないフェイ。
 「若っ!! なんですか、その……」
 シグルドが立ち上がって怒鳴る。若くんはあかんべえをして、店の外へと逃げて行く。シグルドは椅子を蹴って、それを追いかけて行ってしまった。
 「なあなあ、せんせい、遊びに行くんだったらおれもつれてってくれよな?ぜったいだぞ?」
 膝にすがったフェイにゆさゆさと揺さぶられながら、私は目のあたりを掌で覆って、くすくすと笑った。
 「まったく、こんな毎日を過ごしていて、毒されないわけがないじゃありませんか」


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「せ、先生っ! 大変だ!」
今日は天気もいいのに、珍しくフェイが来ない……と思っていたら。昼食も終わってしばらく経った頃、若くんが血相を変えてうちに飛び込んできた。
両手に、かなり大きな籠を抱えている。
「どうしました? マルーじゃなく、若くんが直接うちへ来るなんて珍しいですね」
首を傾げて訊ねると、若くんはその籠を私に向かって突き出した。
「だって、マルーじゃこれ持って来られないから……じゃなくて! 先生、フェイが大変なんだ。ちょっと診てやってくれよ!」
 そう言われて籠をのぞきこむと、中にはフェイがうずくまっていた。
「フェイ? どうしたんです、具合が悪いんですか?」
「はれぇ……せんせいだぁ♪」
私の質問に、フェイはろれつの回らない口調で答える。どこかが痛い、とか、苦しいといった印象はなかったので、私は一安心して、若くんから籠を受け取って、食堂のテーブルの上へ置いた。
「何があったのか説明してくれますか、若くん?」
「あー、その……酒飲ませたら、足腰立たなくなっちまったんだよ」
若くんは、きまり悪そうに頭をかきながら答える。
「イチゴのおさけ、あまーくて、おいしかったんだぁ♪ せんせいも、のも?」
フェイは、それこそへらへらとかへろへろとか擬音のつきそうな雰囲気で笑っている。私は大きく息をつくと、若くんを睨んだ。
「ダジルのイチゴ酒ですか……あれは、口当たりはいいですが度数は高いでしょう? そんなものを、ペットに出すんですか?」
「時々、ちょっとだけ、な。地主さんちのカールなんか、結構いけるくちなんだぜ」
へへ、と、若くんはごまかし笑いを浮かべた。
「カールとフェイでは、体の大きさが違いますし、年もフェイの方がずっと子供です。カールと同じに飲ませたら、足腰立たなくもなるでしょう」
厳しい顔を作って、私は彼をたしなめた。
「フェイがおかわりおかわりっていうから、ついさあ……。悪かったって」
「謝るなら、私ではなくフェイと村長さんに、でしょう」
だからここまで連れて来たんだぞ、と言い訳をする若くんをひと睨みしてきっぱりと言い渡すと、私はフェイを籠から抱き上げた。確かに、イチゴ酒の甘い匂いがぷんぷんする。
「大丈夫ですか、フェイ。気分は悪くありませんか?」
「わるくないよ〜、とぉっても、いいきぶん♪ ただちょっと、ふらふらして、歩けないけど〜」
訊ねると、フェイは相変わらず上機嫌で言った。
「……案外大物ですかね、この子は……」
こっそりとつぶやくと、私はフェイをおろし、奥へ行って薬を見つくろって来た。人間用の薬はたいていペットたちにも効くということは、経験でわかっている。
「ただ飲み過ぎただけなら、この様子ならたいしたことにはならないでしょう。村へ戻ったら、村長さんにちゃんと事情を話して、この薬を渡してください。胃薬と鎮痛剤です」
「……わかった……」
若くんはすっかりしょげた様子でうなずいた。
「それから、できるだけ水やお茶を飲ませるようにしてください、と。……フェイ」
私は、籠の中ですっかり出来上がって、へべれけになっているフェイに言った。
「おいしいからと言って、あまり食べすぎたり飲みすぎたりすると、後でひどい
目にあうんですよ? あなたも、今度から自分で気をつけてくださいね?」
「ええ〜? おれ、べつにひどい目にあってないよ〜? ふわふわして、とっても、いいきもちだけど♪」
籠の中でごろごろと転がりながら、フェイは言う。
「これから、あうんです。……じゃ、若くん、頼みましたよ」
 断言して、私は若くんに籠を渡した。
「ああ。……その、ありがとな、先生」
籠を受け取って、若くんはうなずき、村へ戻って行った。翌日、フェイがうちへは来られないだろうと見越して、私が村へ降りてみると。案の定、フェイは村長宅でぐったりしていた。
「うええ……あたまいたい……きもち、わるいぃ……」
 頭を抱えて寝床でうずくまっているフェイの背中を撫でながら、私は言った。
「だから言ったでしょう? これに懲りて、お酒は程々にするんですよ?あなたの具合が悪くなったら、みんなが心配するんですから」
と、フェイが顔を上げて、こちらを見た。
「……せんせいも?」
「……ええ、もちろんですとも」
私がうなずくと、フェイは心底反省したような顔になった。耳が垂れているのも、具合が悪いせいだけではないようだ。
「う……わかった。先生に心配かけるんだったら、こんどから、気をつける……」 
 それを聞いて、私は返事のかわりに、よしよし、とフェイの頭を撫でた。


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由里さん、有難う御座いました。ああ。フェイと先生そして、バルトとシグルド…
このペアはやっぱり、甘いですな〜うわぁっ!鼻血が!!ゲフゲフ。