『 逆 転 』 夕水様
先生が、倒れた。
原因は、きっと俺だ。
先生に、無理させたから。
◇ ◆ ◇
後から落ち着いて考えてみれば、別に、なんのたわいもないことが発端だった。
「先生なんか、どうせ俺のこと、何にも分かんない子供だって思ってんだろ!!」
ユグドラシルの一室。シタンとフェイに割り当てられた部屋で、延々30分以上押し問答が続いていた。いくら躍起になって食って掛かっても、のらりくらりと躱すシタンに、ついに癇癪を起こしそっぽを向く。
「フェイ、そんな事はありませんよ」
後ろから抱き竦めてこめかみにキスしようとしたシタンの手を振り切る。
「いつもこうやって誤魔化すんだ。こうすれば俺が引き下がるからって……」
「もう俺に触らないでくれよ!!」
そのまま派手な音を立てて部屋を飛び出し、階段を駆け上がってガンルームを走り抜けるとブリッジへ続くエレベーターに乗る。後ろからシタンの声が聞こえてくるのを無視し、叩き付けるように「閉」ボタンを押す。シュン、と扉が閉まると、途端に悔し涙が溢れてきた。
(何で、先生は分かってくれないんだ)
(俺だって、先生と喧嘩したい訳じゃないのに)
(先生が俺の話をちゃんと聞いてくれないから)
(俺は悪くない)
がたん、と上下の振動とともにエレベーターが停止する。ガンルーム、ブリッジに続くフロアに人影はない。キスレブの平野に停泊中のため、開放されたままのハッチから青く澄んだ空が見える。ぐいっ、と涙を袖で拭い、梯子に手を掛けた。
「フェイ、待ちなさい!」
小走りに追いかけてくるシタンを後目に、どんどん森の奥深くに入っていく。
(先生なんて、先生なんて・・・っ)
むしゃくしゃする。どれだけ背伸びをしても、先生には届かない。分かっている。先生にとって自分は単なる小さな子供にしか過ぎないということは。
(だからって・・・!)
(ああやってやれば、いつも俺がおとなしくなるなんて思うなよっ)
(もうその手には乗らないからな!)
寄ってくるつちのこを蹴りとばしながら、森を走り抜ける。
(ず〜っと口なんかきいてやらないんだからなっ)
がむしゃらに突き進んでいて、足元に注意を払う余裕などなかった。シタンの手がフェイの袖を捉えた瞬間、木の根に足を取られ、前につんのめる。
「フェイ、危ないっ」
ばしゃん。
縺れ合って二人同時に倒れ込む。濡れたのは、シタンの方だった。フェイを庇って自分が下になった為、泥水を飲み込んで激しく咳き込む。
「せ、先生っ」
さすがに心配になり、慌てて背中をさする。
「だ…大丈夫ですよ。ちょっと気管に入っただけですから。」
「・・・・・・(しまった…さっきもう話さないって決めたばっかなのに…)」
「貴方の方こそ、怪我はしてませんか?」
「あ・・・、その・・だ、大丈夫みたい・・・」
「そうですか、それは良かった。日も暮れるから、帰りますよ」
「・・・うん・・・・・・」
これだ。先生の笑顔を見ると、逆らえない。
(なんか・・・まだ騙されたような気もするけど・・・)
ま、先生だし、いいか、とシタンの後を追った。
◇ ◆ ◇
2日後。ユグドラの医務室に、意識不明で倒れたシタンがかつぎ込まれた。この艦にシタン以外に医者はおらず、必然的に唯一人の看護婦が診ることになる。
「沼に入ったの?それで頭痛と発熱、嘔吐、昏睡・・・
この症状からしたら、可能性の高いのはゼボイムアメーバ性髄膜脳炎よね…
「そ、それって大丈夫なんですか?」
「そうねえ、発病後だいだい1週間で死亡、ってとこかしら?」
「・・・・・・!!」
青ざめて声も出ないフェイを気にも留めずに、喋り続ける。
「でもここら辺の湖沼には原因になるフォーラーネグレリアってゆーアメーバーは存在しないはずだから、違うわね…。レインコールで全身水膨れになるレインフロッグならいるけどね♪」
ひとりで呟きながら、楽しげに薬棚を探る。
「ノアトゥンマラリアかしら、それともイグニス鞭毛虫かしら?
感染症には私の特製スペシャルゲ族の炊き込み汁がいいわよね、うふふ……なんなら、この前サンドマンから聞いた砂漠の民間療法を試してあげるけど?」
「い、いえ…いいです……。部屋に連れて帰ります…」
ひとまず命に別状が無いらしいことは分かり、ほっとする。
「そう?残念ね。なら、これを飲ませておいてね。」
と引き出しから緑色の液体が入った小瓶を取りだし、フェイに手渡す。
「そんな疑いの目で見なくたって、大丈夫よ。ただの解熱薬だから。私、地道に薬で治していく内科よりも、ばば〜んと流血してざくざくっと大胆に縫えちゃう外科の方が好きなのよね。だ・か・ら、心配しなくても大丈夫よ♪」
陽気にウインクする看護婦が見送りに一言付け足す。
「ちゃんと1日3回食後30分以内に飲ませるのよ〜〜。お酒やコーラと一緒に飲んじゃ駄目だからね〜〜」
食事どころか起きあがることすら出来ないのに、どうしろというのだ。医務室から先生の片腕を肩に担ぎ、自分たちの部屋まで連れていく。フェイの方がシタンより5cm程低いので、腰に手を回しても、ひきずっていく風にしかならない。あんまり動かすのは良くないんだろうけど、あそこに置いておくのは何だか不安だ。
ようやく自室にたどり着き、シタンをベットに横たえる。少し、うなされている。息が荒い。先生、と小さく呼んで頬を叩いても、反応は返ってこない。こんな先生を見るのは初めてだ。
(もし先生に何かあったらどうしよう・・・)
自分より一回り大きな、刀使い独特のがっしりした、それでいてほっそりと見え
るシタンの手を握りしめて、ひたすら自責の念に駆られる。
(俺が一人で怒って飛び出していったりしたから・・・)
(先生は心配して追いかけてきてくれたのに・・・)
毛布を肩までしっかり掛け直そうとして腰がベッドの側面にあたり、ズボンのポケットの薬瓶がかちゃん、と音を立てた。
(薬、飲ませなきゃ・・・でもどうしよう・・・)
この様子では、当分目を覚ましそうにはない。しばらく薬と先生を交互に見比べて、やがてひとり頷く。
(それしか、方法はないよな・・・)
枕を下へずらして、首を少し仰け反らせると、喉仏と、しなやかな筋肉の流れが浮かび上がる。汗で額に張り付く黒髪を払い、手拭いで丁寧に拭き取る。普段はその落ち着いた物腰のせいか、実年齢よりも年上に見られるシタンも、眼鏡を外して瞳を閉じていると、幾分か若く、年相応に見える。熱のために上気し赤く染まった頬が更に色気を誘う。今まで、先生の寝顔をじっくり眺める機会なんてなかった。ふたりっきりの夜は、いつも自分が先に寝付いてしまうか気絶させられてしまう。目を覚ませば、フェイの髪を撫でながら隣で微笑むシタンに赤面するのが常だった。しばし見惚れて、シタンの苦しげな呻き声にはっと我に返る。
(な、何考えてんだ、俺はっ)
ぶるんぶるん、と首を振ると、薬瓶のコルク栓を抜き、ぐいっ、と傾けて半量ほどを口に含む。片手をおとがいに添え、薬液をこぼさないよう、慎重にそろりと顔を近づける。もう一方の手でシタンの鼻を軽くつまみ、唇を合わせた。舌をシタンの口腔まで這わせ、徐々に流し込む。
「ん……」
空気の出入口を塞がれ、シタンが眉を寄せる。こくん、と喉が上下し、口の端から飲み込みきれなかった唾液を含んだ液体が一筋伝う。
(良かった、飲めたみたいだ・・・)
詰めていた息を吐くと、残っていた薬の苦みが舌を刺激した。
(うえっ、まずっ・・・)
(これ、あと何回かしなきゃいけないんだよな・・・)
でも。先生のこんな顔、見れるんなら、結構いいかも。シタンの口元を舐め取りながら、暢気に考えるフェイだった。
◇ ◆ ◇
フェイの献身的な看病の甲斐があってか、シタンの意識も程なく戻り熱も下がった。一応、薬も貰っていたことだし、回復の旨を看護婦さんに報告に行く。
「あら、治っちゃったのね」
「……ええ。もともと風邪気味だった時に、件の濡れ鼠でしたから。肺炎になりかけていたみたいですね」
まるで他人事のように話すシタンに、看護婦がぶつぶつと呟く。
「折角新しい薬作ったのに・・・残念だわぁ」
「お世話になりましたね。……フェイには試さないで下さいよ」
2人の間でおろおろしているフェイの肩を引き寄せて、くるり、と踵を返す。
「無理しちゃ駄目ですよ。もう若くはないんですからね〜〜」
瞬間、(先生の体から殺気が走ったような気がしたけど・・・)
シタンは笑顔のまま振り向き、一言だけ。
「……貴女もくれぐれも体にはご留意なさるよう」
部屋に戻ると、フェイの拗ねた愚痴が待っていた。
「体調悪いんなら、俺にくらい言ってくれたっていいのに・・・」
「無用な心配を掛けさせたくなかったからですよ」
「でも・・・」
「ちゃんと看病してくれたじゃないですか。それで十分です」
「だって、俺のせいだから・・・。ごめん・・」
「あなたが謝る必要はありませんよ。…それにしても、ちゃんと覚えていてくれたんですねぇ」
「・・・え?」
「薬の飲ませ方ですよ。ラハン村にいた頃、ちゃんと私が口移しで飲ませていたでしょう?」
「お、俺、知らないんだけど、それ・・・」
確かに怪我したり熱出したりした時は先生に診てもらったことはあるけど・・・
「ああ、あそこに運ばれて来たとき、あなた意識不明の重体でしたからねぇ。仕方がないと言えば仕方がないですけど・・・。寂しいなぁ」
「ご、ごめん・・・」
「いいんですよ、もう一回ちゃんと教えてさしあげますから(^-^)」
「あ・・うん・・・って、ええ!?」
シタンの台詞の意味がよく掴めていないうちに、首と腰に腕が回され、口を塞がれる。
(ん・・・っ・・・)
そのまま縺れあいながら、脇のベットへ沈められた。
◇ ◆ ◇
翌朝。
「・・・・・・っくしょん」
ベットの中で盛大なくしゃみをしたのはシタンでなく、フェイ。
「おや、風邪ですか?いけませんねぇ」
(先生がうつしたんだろ・・・っ)
鼻水を啜りながら、睨み上げる。
「大丈夫ですよ、私がつきっきりで看病してさしあげますからね(^-^)」
FIN
夕水様からOP記念として、頂きました。ああ。素敵な表現小説…私とは、正反対…くすん。
フェイ、やっぱり!貴方は、受けその物!(何を今更!(^_^;))先生、少し…鬼畜!素敵ですわ!
夕水様、本当に有難うございました。