雪 原

ちさと様作

 

ゆっくりと振り返ると、いつもそこにあったのは穏やかな瞳。どうしてだか、嬉しいのに胸が苦しくなる。何時だっただろうか。そんな想いが、単なる好意以上のものであると気付いたのは―――。
そして、あの人も、同じ想いでいてくれたと、分かったのは――――。
「くそっ!」
雪に、拳を叩き付ける。
どうして。
(幸せだったんだ、本当は、ただ、側にいられて。ずっと、ずっと)
なのに、ここにきてすべてがあやふやになってしまった。
運命なんて言葉は、今まで信じてなかったのに。
どうして…。
「接触者なんて、望んだわけじゃないんだ…」
エリィ。彼女の存在。プログラミングされた必然の相手。
大切に思わないはずはない。
だけど、俺は――――。

変えたい。はじめて心からそう思った。

雪の中、俯いたまま身じろぎさえしないで数刻もの間、その中に立ち尽くしていた。降りしきる雪が、徐々に身体を覆い隠していく。冷えていく体温は、頭の芯までを冷やしてくれそうで、フェイはゆっくりと瞳を開いた。考えて、考えて、他に道はないところまで決意して。
シェバト内部へと、フェイは一歩を踏み出した。

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「おい!フェイ?どうしたんだよ、お前」
かなり急いでいる様子のフェイを見つけて、バルトは思わず呼び止めていた。どこかギクリとした表情で固まってしまったフェイに内心首を捻りながらも、そう言えば、とシタンからフェイを見つけたら自分の所まで来るように言って欲しい。と言付けられていた事を思い出し、バルトは呑気に手を挙げる。
「さっき先生がお前の事探してたぜ?また何かやったのかよ。早く行った方がいーんじゃねーの?あの先生、怒ると怖そうだもんな」
そうからかうように告げる。それはいつものこの少年とのコミュニケーションの一端のようなものだった。いつもなら、ここで、照れたような反応か、ムキになるかのどちらかが見られた後、結局は嬉しそうにシタンの元に向かうのがいつものパターンだった。だけど、今日のフェイはいつもと違う。
「……先生が……?いや、いい。今は…会えない」
先生。その単語に触発されたように、微かに黒い瞳が揺れる。だが、一瞬後にはそれを消し、フェイはバルトに向かっていつもと同じ笑顔を浮かべてみせていた。
「はあ?フェイ?どーしたんだ、お前!?」
だが、フェイがシタンの事よりも、他を優先すること。それを今まで見た事がなかったバルトは思わず驚愕の声を上げていた。
(何かあったのかよ?あったんだろうな、そりゃ?ああもう、何なんだよ、くそっ!)
内心焦りまくっていたバルトだが、意外と同じ年頃の友人と言う者が少なかったため、こういう時にどういう対処をしていいのか分からない。あまり多くを語る事のないフェイ相手だと尚更だ。そんなバルトにフェイは困ったような表情を浮かべて、それでも笑顔を続けて言葉を紡ぐ。
「ちょっと…俺、出掛けなきゃならない用事があってさ。」
「あぁ?」
出掛けるって何処に!?そう質問しようとしたバルトを遮るように、フェイは口を開いた。
笑顔が僅かに揺れて…伏せられる。
「その、まあ…すぐ帰ってくるから。………バルト…皆にそう言っといてくれないか?」
「ああ、別に、そりゃいいけどよ」
思いつめたようなフェイの様子に呑まれたように、(畜生!こうなりゃ、本人に直接悩みって奴を聞いてみっか)とまで考えていたバルトだったが、自分の言葉を飲みこんでいた。
(こいつもいろいろあるからな。一人になりたい時くらい、あんだろうな)
波動存在と接触した時のことも、必要な事以外フェイは語ろうとはしなかった。
エリィについても…。
対存在。それは、開放される運命なんだろうか?
だったら、先生とこいつは?
「じゃ、後は頼む」
唯一フェイとシタンの関係を知る者として、思わず考え込んでしまっていたバルトだったが。声を掛けられ我に返った時、もう既にフェイは駆け出していた。後ろも見ずに、長い髪をなびかせるようにしてそのまま廊下の向こうに消える。その先にあるのは、ギアドック。
この時ここにいたのがシタンであったなら、或いはフェイの意図に気付いたかもしれない。だが、今現在ここにいたのは、シタンではなく。また、フェイもその事を見越してシタンを避けていたのだから…。
「やっぱ……先生と喧嘩でもしたんかな?」
一度も振り返りもしない、その後ろ姿。どことなくいつもと違う様子を嗅ぎ取りながらも、バルトは僅かに首を傾げただけだった。呟きがどこか空しい。
今までを生き抜いてきた者としての直感で、バルトは嫌な空気を感じていた。何かが起こりそうな、そんな胸騒ぎを。

それから数時間後、バルトの予感は本物になる。

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先生とずっと一緒にいたいんだ。
そうですね。私もフェイと一緒にいたいですよ。

そんな約束を何度も交わした。心の奥底でずっと、拭い切れない不安が息づいていて。側に居るのに安心できない。そんな気持ちから、フェイは何度もシタンに約束を求めた。
そしてその度にシタンはフェイの求めるまま、約束を口にした。だが、思い返してみるとシタンの瞳は―――。いつもいつも、どこか芯のほうでは、悲しげな色をたたえていた。
「先生。先生は知ってたのか?」
(エリィのことを)
今、一人ゼノギアスを駆りながらフェイは呟く。
「先生は、俺を、どう思ってたんだ?」
(いつかは……別れるつもりだったのか?それでも、良かったのか?)
なんとなく、そんな気がしていた。あの、瞳…。
「先生は、どの位…俺が必要だったんだ?」
フェイは自嘲する。片翼の存在を知っていて、先生は自分の我が侭に付き合ってくれていただけなのではないのか?本当の愛情に気付かない子供の戯言だと同情して…。
(違う!先生は)
打ち消したいと思う端から様々な疑いが頭をもたげる。それが嫌で、フェイは頭を振った。肝心な処でなんて弱いのか、自分は。
「確かに、エリィを心の何処かで、大事に、大切に思っていたさ…、俺は」
そんな揺れる感情も、先生ならお見通しだっただろう。そう考えて、フェイは苦痛に眉を寄せた。だけど、それは先生への想いとは違うんだ。
……違ったんだ…。だから、今自分はここにいる。どうしても自分の手で運命を断ち切りたかった。
(きっと、今ごろ先生は怒ってるだろうけれど―――)
怒っていて欲しい、と思う。もっと自分の事を気にかけてほしかった。勝手な言い分だと、十分分かっていたけれど。
(確信したいんだ)
自分の想いと、そして、先生の想いを。あの、泣きたい程嬉しかった瞬間が、本当のことだということを。これからも、ずっと、ずっと、一緒にいられるということを―――。
「だから、決着は、俺の手で掴ませて欲しいんだ」
呟くと、フェイは決意の表情で、前を見やった。
すぐ側に、ゼウスがいる。この道を進んだならば、すぐそこに。身を切られるような、恐怖。だが、フェイは引き返そうとはしなかった。
それは、ひょっとしたら、ゼウスのシステムがフェイに干渉していたのかもしれない。惹かれるように、フェイは、その奥深くへ、より中枢へと、ゆっくりと足を踏み入れた。

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一方、雪原では。
「若くん!フェイは!?フェイを見ませんでしたか?」
乱暴に開け放たれたドアと、シタンの今までに見た事がないほどの剣幕にバルトは思わず飲んでいた水を噴き出すところだった。
「先生?え、あぁ?フェイ?」
「質問に答えて下さい!」
フェイがどうかしたのか、と問い掛ける暇もなかった。詰め寄ったシタンの迫力にバルトはとにかく事実をありのままに告げる。正直言って、今のシタンはかなり敵に回したくないオーラをそこら中に振りまいていた。触れたら切れそうな、そんな物騒な状態だ。
「その…まあ、なんだ…2・3時間前に、一回見た……けどよ?」
ほんとにフェイと喧嘩でもしてんのか?とにかく、触わらぬ神に祟りなし…だよな。なんて思いから、バルトは愛想混じり笑ってみせる。かなり引きつってはいたものの、だ。
「どうしてその時私に知らせなかったんですか!」
だが、シタンはその返答を聞いて憤りを隠さずバルトに向かっていた。
ゼノギアスがない。そう聞かされたのはついさっきの事だ。それから、フェイを捜して内部中を走り回って、そうしてたどり着いた唯一の手がかりだった。
そして、おそらく最後にフェイを見たであろう人物。しかも、伝言を伝えていた相手だ。
(せめて、フェイを見つけた時私を呼んでくれてれば…)
そんな思いから、ついついきつい態度になってしまっていた。いや、それだけ余裕がなくなっていたのか…。
(フェイはどうも様子がおかしかった。それに気付いていながら、私は)
シタンは苦いものを噛み砕く思いで、視線を前に向けた。本当に悔やむべきは自分の無力さだ。
だが、バルトにとっては、事情も分からないまま訳の分からない因縁を付けられているに等しい状況だった。親友フェイの為、と思っていても、シタンのあまりの態度にさすがにむっとなる。
「そんな事言われたって、フェイが会いたくないって言うもんを俺がどうこうできる訳ねえっつーの!?大体先生の方こそ、なんかフェイにしたんじゃねぇの!?会いたくなくなるような事。」
思わず、苛立ち半分に、シタンにくってかかっていた。事情を知らないままなのだから、しょうがないといえばしょうがないのだが、そのバルトの言葉にシタンは更に衝撃を覚えていた。
「フェイが……私を避けてた?そう言うんですか?若くん。」
唸るようにして、シタンは声を絞り出す。
心当たりは、あるようで、ない。そして、ないようで、ある。
(最近、避けられているような気はしたものの…)
恋人というものになった関係の変化に戸惑っているのか。と思っていた。
(それとも、…)
もう一つ、あまり考えたくはない想像もあるにはあるのだが…。
エリィの存在。絶対の存在。波動存在との接触でフェイはエリィを運命として認知し、自分との事を過ちと思い始めているのではないだろうか…、と言う考え。
そんな思いを打ち払うように、シタンは思わず一歩を踏み出していた。バルトとの間に一触即発の空気が流れる。だが、
「その位にしておけ、ヒュウガ。フェイくんがいなくなって、動揺しているのも分かるが…若に責任がないことは、お前も分かってる筈だ」
おそらくこの場では一番冷静な声が、二人の間に割って入っていた。その声に、自分がバルトに詰め寄っていた事を自覚して、シタンは我に返る。ようやく周囲の状況を見やると、シタンを追ってきたらしいシグルドの蒼い瞳が、呆れたようにシタンを見ていた。
「…シグルド。ええ、すみません。少し、取り乱したようです」
シタンはゆっくりと息を整えた。バルト相手に感情的になってしまった自分を恥じるように。だが、一瞬後にはシタンは再び動揺の渦中にあった。
「ヒュウガ。フェイくんの足取りがつかめた。彼はどうやら一人でゼウスを倒しに向かったらしい」
「なんですって?一人で?そんな無茶な…!」
シグルドの言葉に思わず声が上がる。
「だが、確かだ。確かにフェイくんは、今、デウスの所にいる。そして……切っている可能性も高いが、こちらの呼びかけに応答はない」
シグルドの言葉に思わず身体が震えた。
(まさか、最悪の結果を覚悟しろというのか?それは)
そんな事は、あってはならない。そんな、そんな事は…。
あまりの恐怖に何も考えられなくなりそうで、シタンはその思考を意志の力で凍結させた。まだ、何の可能性も見えていないのだ。
(他にするべきことがあるだろう!)
自分を叱責しつつ、シグルドの言葉を待つ。だが、シグルドもそれ以外にはめぼしい情報はないと言い、首を振った。
「今、他の皆も広場に集まって、どうするかを検討中だ。お前もすぐ向かってくれ」
「ええ、はい、分かりました」
それを聞いて、何処か上の空で答えながら、シタンはゆっくりと後退った。二人のやり取りに呆然としていたバルトが、我に返ったようにシグルドに食って掛かるのが視界をかすめた。
「おい、シグ!?フェイがいなくなったって、デウスに一人でって、どういう事だよ!それ!」
そんなバルトの焦った声を後目に、出来るだけ自然に見えるように部屋を後にする。
(あんな事を聞かされて、誰がのんびりと待てるというのか)
部屋を出て廊下をもの凄い勢いで走りながら、きっと常の自分を知る者ならば眼の錯覚かと思うほどの様子で、シタンは目指す処へ向かっていた。
「どうしてです?フェイ…どうして、一人でなんか」
フェイの真意はシタンには伝わらない。シタンは一度苦痛に耐えるように眼を閉じた。が、すぐに腹を決める。今は悠長なことはしてられない。悩んでなどいられない。
(私が行くまで、どうか、無事で…)
そう胸中で呟いて、シタンは広場ではなく、ギアドックへ続くドアを開け放っていた。

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死に面した時には、一体誰の顔が浮かぶのだろうか。
ずっと前、ラハンにいた頃には、まだ見ぬ記憶を求めて両親のことに思いを馳せていた。
でも今は多分、先生の顔が浮かぶんだろうな。きっと、そう、こんな時にも―――。

「くそ…やっぱり、無理なのか?」
傷ついて、ぼろぼろになった状態で、フェイは苦しい息のもと、くやしげな呟きをもらしていた。
(こんなにも、こんなにも努力しても、変えられないのか?)
身体の傷以上に、心が痛い。
よろける身体から繰り出す拳は、デウスにとって、何の痛手にもならないようだった。逆にはたかれて、叩き付けられる。胸を強打されて、喉の奥から血がせり上がってきた。そのまま吐いた血のせいで、コクピットが赤くそまる。とてもじゃないが、もう、動けそうになかった。
両手を濡らす血。それが、自分の運命の象徴のように見えて、フェイは知らず涙を零していた。
「先生」
(俺、先生が、好きだったよ)
だから変えたかった。この未来を。
自分の意志とは関係なく働く、運命という力を。なのに……、なんて無力なんだ。
変えられるというのは、思い上がりにすぎなかったんだろうか。
「先生…」
やはり、思い出すのはシタンのことばかり。抱きしめる腕のぬくもりや、穏やかな声や、森の香り。守護天使のなごりのせいか、ときたま見せる鋭い視線。その全部が好きだった。
全てを再現するかのように、フェイは静かに目を閉じた。ただ、その想い出に浸りたかった。
先刻から、ゼウスの内から呼ぶ者がいる。それを無視して、自分の世界に没頭したかった。
(変えられないのだったら、せめてこのまま。…先生を好きな俺のまま…死なせて欲しい)
だが、それを許さないものがいる。
『フェイ』
その呼び声はフェイを求める。それに伴い、ゼウスもパーツとしてのフェイを求め、その活動を開始していた。
「エリィ」
それは彼女の意志の反映なのだろう。
「だけど、俺は…」
俺は―――。
フェイは震える唇で、名を呼ぼうとした。ずっと、ずっと、側に居たいと願った人の。
だが、呟いた声は音にならない。微かな息が漏れただけで、呟きは、そこで途切れた。

なぜなら、フェイの思考は。たった今、デウスの闇に飲まれたのだから――――。

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「シタンさんがいないよ!ギアもないし!」
ビリーの叫びと共に、雪原アジトはまたもや混乱に陥っていた。
「あんの、先生は〜!!!」
バルトがそれを聞いて、唸り声をあげる。
「しょーがねー!俺達も行くぞ!もう、面倒くさい事は言いっこなしだ!どーせ案なんて通用する相手でもない訳だし」
机をバアンと叩いて立ち上がったバルトを、他の面々が驚いたように見つめていた。
「なんだよ?その顔は」
「めずらしく…」
「正論ですね」
ビリーとシグルドがそんなバルトの様子に驚いたまま「ほほう」といった面持ちで、相づちを打つ。
「うるせー!ぐちゃぐちゃ言ってないで、行くぞ!」
二人の態度に怒りかそれとも照れのせいか赤面しつつ、バルトは先頭をきって自分のギアへと乗り込んでいった。

そして、丁度その頃。シタンはゼウスの元へとたどり着いていた。
だが、そこで見たものは…。
ゼウスに取り込まれたフェイ――――。
あまりの事に、頭の中が白く焼き切れそうになる。それは、怒りなのか、悲しみなのか。
「フェイ…?フェイ!!」
そんな風な形で終わらせないで下さい。
「私との事を!」
がむしゃらにデウスに切り込みつつ、シタンは血を吐くような想いで叫んでいた。
「貴方という存在が生まれてから、ずっと見てきたんです!」
ラハン村で、フェイに出会ってからずっと。
「貴方が幸せになるんなら、彼女と生きるのでも構わない。そう、思っていました。だが、それはこんなことじゃない!」
生きて、笑って、そして、「先生」と呼びかけてくれる。
それがないと死んでしまいそうなのは、本当は自分のほうだった。
「離したくない。そう、思っているのは私だけなんですか?フェイ」
無駄な足掻きと知りながらも、ゼウスに切りかかり、打ち倒されるを繰り返す。一人の力には限界がある事を知らないシタンではない。だが、愚か者にならずにはおれなかった。
まるで、取り込まれたフェイに声が届いているかのように、シタンは独白し続ける。
「貴方はエリィを愛したのかもしれない。それでも、私は、…貴方を愛してます」
それは、今までフェイを縛る事になってはと思い、一度も口にした事がなかった言葉だった。シタンはもう決めていた。ここに来た次点で。
「後悔はしないことにしたんです、私は。ですから、フェイ!」
戻ってきてください。
それは、シタンの悲痛な懇願だった。
「フェイ!」
薙ぎ払われながら、シタンは声を振り絞っていた。

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暗闇で、フェイは一人だった。
走っても走っても、闇ばかり。他には、何も見あたらない。
「……」
誰かの名を呼ぼうとして、自分がその相手の名を忘れている事に気付く。
とても、とても大切な誰かだったはずなのに、思い出せなかった。それに、ひどく心が痛んだ。だが、そんな時に声を掛けられる。
「フェイ」
振り向くと、エリィがいた。
優しい微笑みを浮かべた、優しい女性。自分の対存在。運命の片翼の存在。
「エリィ」
縋り付いてくるエリィにゆっくりと腕を回した。それは、ひどく安心できる感触で…。
きっと"好きだった"のだろう、自分は彼女を。そう、フェイは結論づけた。
「ずっと、待ってたの。一緒になれる日を」
エリィの囁きにフェイは目を閉じる。
「フェイ…貴方を…愛してる」
その響きは酷く穏やかで、フェイはそのままエリィを抱く腕に力を込め、同じ言葉を返そうとした。
『俺も、エリィを、愛してる』と。
だが……。
どうしても、言葉にならなかった。何度か口を開こうとして、その度に躊躇してやめる。
胸の奥の方がずきずきと痛んだ。どうしてなのか、分からないけれど。
(俺は、愛してる)
でも、誰を?
(それは、エリィを)
いや、エリィではなく。
もっと、ずっと確かにこの言葉を伝えなくてはならない人が、いたんだ。
それは、彼女ではなく、もっとずっと穏やかに笑う人。
こんな風に抱き合った時に、切なくて胸の奥が苦しくなる人。
「フェイ?」
エリィの訝しげな声にも答える事はできなかった。フェイはゆっくりとエリィの身体から腕を離した。そして、呟く。
「……すまない。俺は…俺は、君を愛せない」
「私は貴方の対存在なのよ!?貴方と私は結ばれる運命にあるの!それは絶対なのよ?」
「それでも!」
他に愛している人がいる。
誤解していた。運命を打ち破る為に、デウスと戦うなんて、そんな事は本当は些細なことだったんだ。俺が先生を好きになった事。それこそが、運命だったというのに。
プログラムされてたのに、全部決められてたのに、それでも、俺は先生を好きになったのだから。
「俺は、先生を、シタン・ウヅキを愛してる―――」
そう告げた時、エリィの顔が泣きそうに歪んだ。
そして、それに重なるようにして……。

『フェイ!』

先生の、声が聞こえた。

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何故だろうか、フェイの名を叫んだ一瞬。ゼウスの動きが止まったような気がしてシタンは目を細めた。
「フェイ?」
まさか、意識が?
信じられない思いながらも、シタンはフェイの名を呼びかける。と、その時に、更に信じられない事があった。つまり、フェイが呼びかけに答えたのだ。
『先生』
声だけながらも、頭に響くようにしてフェイの思念が伝わってくる。
「フェイ!?本当に、フェイなんですね!?」
『そう、すまない、こんなことになって。先生にまで…』
貴方が生きているなら、それでいいんです。
フェイのしょげた様子にシタンは思わずそう声を上げていた。
もう、どうして一人でデウスに向かったのかということは、些細な事だった。ただ、ずっと側にいたかった。
だが、フェイはそんなシタンには答えず、辛そうな声を伝える。
『一人じゃ、無理だ。俺で証明ずみだろ?先生だけでも、逃げてくれよ!』
「デウスを倒せば貴方は開放されるんでしょう?だったら、私はやりますよ」
そう言って満身創痍ながらも再び剣を構えたシタンを見て、フェイが慌てたように叫んでいた。
『逃げてくれってば!俺が、デウスをなんとかするから。なんとか制御して、犠牲は俺だけですむように、なんとか……』
その言いように、シタンの頭のどこかがプチっと切れた。ゆらりと剣を構えつつ、シタンは怖い顔で呟く。
「あんまり私を見くびらないで下さい」
『せ、先生?』
「そのまま、しばらくゼウスの動きを止めておいてください。二人なら、出来る事もあるんです!」
そう、フェイを失う事に比べたら、世の中どんな事でもできる。
いや、できなければならない!
そんな思いでシタンは剣を振り上げていた。フェイを失い、自らも死ぬのは簡単だ。だけど、そうじゃない。そうじゃない未来を選びたかった。どうしても、これから先を生きたかった。
これまでじゃ、何も始まっていなかった。全てはこれからなのだ。
2人で。

強烈な願いは偶に奇跡を起こす。
案外、この時、世界にはゾハルの力が働いたのかもしれない。

余談になるが…。
幾らか遅れて来たバルトたちが丁度目にしたのは、ゼウスを一刀両断するシタンの姿だった。
「すげ…」
バルトがぽつりと洩らした言葉があまりにもらしく、他の皆もただただ肯く。
シタンだけは怒らせない方がいい。というのが、その後の仲間内での暗黙の了解と化したのはひとえにこれが原因であった。

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あの戦いからまもなく。雪原で、一組の恋人同士が夜道の散歩に歩いていた。
「先生さ、俺と別れても平気?」
空には月。さくさくと、雪を踏みしめる度に真っ白な雪の上に真新しい足跡が残ってゆく。
「フェイ…私は、私の方から貴方を放す気なんて、更々ないんですよ」
「先生…ひょっとして、すごく…怒ってないか?」
「怒ってますよ、当然でしょう。私がどんなに貴方のことを想っているか、全然分かってなかったんですからね、フェイは。」
「そういう先生こそ、俺がエリィとどうこうなるんじゃ、みたいに思ってただろ。」
俺が好きなのは先生だけなの!
そう、ぶつぶつと呟くフェイに愛しさを感じて、シタンはゆっくりとフェイを抱き寄せる。
「それじゃあ、彼女に惹かれたんじゃなかったんですか?」
「うーん、大事だけどさ。なんだか……母さんって感じかなぁ。」
呟いたフェイの台詞にシタンは思わず微笑する。母親扱いされたエリィには気の毒ながらも、もうシタンはフェイを譲る気など全くなかった。
「愛してますよ、フェイ。」
「俺も先生が、大好きだよ。」
黒い瞳にもう迷いはない。健やかでまっすぐな笑顔を見せて、フェイはシタンを正面から見つめ返した。月明かりの中、影が重なる。
長い長い間。お互いの吐息が続かなくなるまで。それからなごり惜しげに、ゆっくりと離れた。だけど、それでも手は離さないままで。
「行きましょうか」
「ああ、うん」
顔を見合わせて、どちらともなく照れたように笑いながら一歩を踏み出した。長く続く道を、今度は2人で。

END

ふにゃ〜。ちさと様、リクエストに答えてくれて有難う御座います〜ああ。2人共、幸せそう。

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(言い訳)させて下さい。
エリィは?……?さぁ?…ということで、ツッコミはごめんなさい〜。しかも、段々先生、変に。なんでしょうか、これは〜。ごめんなさい。ヨロヨロ。コメディとシリアスブレンド(プラスラブラブ)?それと、バルトが出したかったんです。うう、それが敗因でしょうか…。