ある喫茶店での話  喫茶店にはいると、ミイはまだ来ていなかったので、僕はとりあえず入り口からよく見えるボックス席に座って、コーヒーをたのんだ。いつもは紅茶派なのだが、紅茶は時間がたつとどんどんまずくなっていくので、長時間待ちそうな時はコーヒーにすると決めている。
 コーヒーが来るまでの間、文庫本でも読もうかと思ったら、コートのポケットは空だった。しまった。コートを替えてきてしまったからミヒャエルエンデはもう一つのコートで待ちぼうけみたいだ。
「うちに変な女が来たの、話したっけ」
 後ろから聞こえてきた話し声が、喫茶店で普段話す声より幾分、興奮した感じに大きくて、僕は思わず後ろを窺う。後ろの席はやはりボックス席になっていて、男が二人、向かい合って座っていた。話しているのは僕から顔の見えない方だ。
「なんかさあ、自分は異世界から来たんだって言い張るんだよ。異世界ってお前、剣と魔法の世界かっての。完全、ゲームだろ? で、そう。証拠見せてみろって話になるじゃん、そしたらさあ、なんか呪文らしきものを唱えてくれたわけよ、え? ああ、もちろん火の玉なんか出てきやしなかったよ。他になんにも起こらなかったって。そしたらさ、ああ、この世界では使えないのね、って。平然と言うんだわ。で、お次は剣よ、剣。剣。勝負しましたよ。……それが型はなっちゃいないけどなかなか強いんだよ。なんていうか一本も取れないだろうけど、実際ここ来たらやばいな、みたいな……は? 勝ったよ、剣道三段の俺をなめてもらっちゃ困るね」
 後ろの席はそこで大きく息をついてげらげらげらと笑った。ウエイトレスが間を見越したように湯気立つコーヒーを運んでくる。僕は彼女に小さく頭を下げて、たっぷりのミルクと砂糖を入れる。まずは、ひとくち。
「あと自分は猫になれるんだーとか言い出すんだよ、まあ、嘘なんだろうけど。でもちょっと変なのがさあ、そいつが確実にいない時にやったこととかあとで言われんの。洗濯したあとの服踏まないでとか。なんで知ってんだよって言うと、猫になって見てたから、みたいな。確かにその時猫いたなあとかそんなこと考え……え、いや、ちょっと変なこと言うけどかわいいからさ、」
 扉が開いて、ミイが顔を出した。きょろきょろと少し見回す仕草をして、軽く手をあげた僕に気付き、小走りで駆け寄ってきた。予定外に早い。支度がうまくいったのだろうか。
「おなか空いた。出ようよ」
 ミイは遅れてきたことを悪びれる風もなく茶色の髪を揺らす。ときおり黒がまじるそれは少し不自然だ。後ろの席は、いいじゃんかべつに、清く正しい同棲だって、と笑いで終了していた。
 ここにも軽食はあるよ、と僕はメニュウを差しだしたが、せっかくだからちゃんと食べたいとミイはもう出口に向いており、取り合わない。僕は慌ててコーヒーを流し込むと伝票をつかんでミイの後を追う。少しむせた。コーヒーの選択は失敗だ。
 お会計をしながら、さっきから聞き慣れた鈴の音がすると思っていたら、いつもの首のそれをミイが鞄につけていたからだった。ミイは僕の視線に気付いて小さく笑うと、鈴をはじいてちりんと鳴らしてみせた。

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