夢色カルピス 「ねー、これお母さんの?」
 梨緒はどこから引っぱり出してきたのか、古いアルバムを持っていた。
「えー、どれどれ。あ、それはお祖母ちゃんのだよ」
 うっそー、お祖母ちゃんのときにもカラー写真あったんだ、と無邪気に梨緒が言う。二世代ちがうとそういう気持ちになるのだろう。写真が白黒だったのは、私の祖母の代だ。
「ね。これだぁれ?」
 ずいぶん熱心にみていると思ったら、誰がだれだかわからなかったのか。
「どぉれ」
 のぞきこんだ先には、色褪せ、黄ばんだ写真たち。梨緒の細く白い指。私も梨緒くらいの時は(孫娘は今年十二になるといっていた)、友人からうらやまれるほど白い肌をもっていたのだ。でもこんなに細くはなかったけれど。
「これよ、これお祖母ちゃんでしょう? この男の子は」
 さぁっと音がたったような気がした。血が、ひいた。
「これは、」
 何という名称で呼ぶのだろう。叔父、ではないだろうが。
「お祖母ちゃんの、おとうとよ」
「ふぅん。お祖母ちゃんも弟、いたんだ」
 そうよ、と言ってからのガラスコップをとった。
「梨緒ちゃん、カルピス飲むでしょう」
 飲むー、と元気のいい声が台所へ行く背中へかかった。ほっとする。元気の塊のような。大人になった、と言ってひとりで来たって、私からしたらまだまだ子供だ。
「弟なんていらないよねー」
 梨緒が言う。からん、と氷がグラスにはねた。
 あ、氷いっぱいね。はいはい。
「なんかさ、鬱陶しいじゃん。あ、お母さんには言っちゃダメだよ」
「そんなこと言っちゃだめよ。啓介くんだってまだ小さいんだし。啓介くんなりに頑張っているのよ。梨緒ちゃんからみたらまだまだかもしれないけれど」
「啓介は今年で八歳だよ。みんな甘やかしすぎてる」
 足を投げ出して、天井を見上げて、梨緒がふくれている。私もそうだった。ほほえましい。
「これ、言っちゃだめよ」
 ?という顔をして梨緒がこちらを向いた。
「お祖母ちゃんもね、弟がだいっきらいだった」
 カルピスの入ったグラスをそっとおきながらいう。
 へぇ、と言葉にこそしなかったが、梨緒はすこし目を見開いておどろきの表情をした。多分いつも同じ様なことを娘に言って怒られているからだろう。肯定されるとは、という表情。
「でもお祖母ちゃんの弟はね、お祖母ちゃんが14の時に死んでしまった」
 息を呑む。部屋をだれかが俯瞰でみているような感覚。そう、きっと神様が。
 たしか弟はそのとき10歳だった。早生まれでまだ誕生日がきていなかったから。
「ごめんなさい」
 梨緒がうつむいた。いい子だ。素直で、きちんと他人を思いやれる。
 私が黙っていたからだろう。手持ちぶさたになった梨緒がカルピスを飲んだ。そしてすこし顔をしかめた。苦いものなのだろうか。私は飲んだことがないからわからない。
「あやまらなくていいのよ」
 むしろ私があやまらなければならないのだろう。
「面白い話をしましょう」
 話がかわるので梨緒が顔をあげた。
「人にいうのは初めてなの。本当は墓場まで持って行くつもりだったんだけど」
 ばつが悪いのか、完全に笑顔ではないがそれでも生き生きとした顔。なになに、とうながす。
「弟のお葬式のときお祖母ちゃんは笑ってた」
 笑顔が、凍った。
「うれしくてうれしくて仕様がなかった。なんでみんな気付かないんだろうって思った」 こんなに簡単なの。涙を流すふりをして奥歯で笑いをかみころしていた。警察なんてこなかった。だれにも疑われなかった。
「おばあちゃん……」
 梨緒の顔。かわいらしい梨緒の顔。十二になって、少し大人になって、好奇心が旺盛で。梨緒は大人になったといっていた。だからこっそりひとりで来たのだ、とも。
 すこしせきこむ。かわいらしい咳。
 カルピスはどんな味だっただろう。
 私の長い間の秘密をふくんだカルピスは。
 梨緒の白い指がのどをなぞった。咳が止まらなくなっている。
 やがて静かにあおむけにたおれるのだろう。弟よりはきっとずっと綺麗な指をしたまま。
 面白い話にしてあげる。きっと笑ってあげる。
 
 カルピスはまだ少しだけ残って、夏の光を反射していた。きらきらしている。
 飲んでみたい、と思うけれど、それはむりな相談。

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