98年6月6日執筆

あなたの知らない世界


前口上

最近は結構Linux絡みの開発があるようで、あちこちにコンサル等で呼ばれる ようになった。中には相当ミッションクリティカルな基幹業務系とかあったり して、「Linuxここまで来たか」の感があるものもかなりある。企業の情報シ ステムの内容はある意味「社外秘」な部分があったりするので、あまり我々の 目に触れるような形では見えて来ないが、かなり色々なところでLinuxは動い ているようである。これについては、また何かの機会に紹介出来るようなもの は紹介したいと思う。

このような話を聞くと、なかなか嬉しい。と共にちょっと寂しいなとも思う。 この辺から今回のTODOを始めよう。

Linuxを使う人々

このような「いい話」は我々の知らない世界で起きているということが多い。 最初にも言っているように、企業の情報システムの内容はある意味「社外秘」 だったりするわけだから、OSが何であるとか、マシンが何であるとかを一々外 部に公開するようなことはおよそない。だからそのような話が正規ルートで入っ て来ることはまずなく、たいていは打ち合わせの時の世間話等で入って来る。 この時のルートをたどれば、結局その話を伝えて来る人々も直接相手先で聞い た話だったりしているわけで、つまりは全ての話は人伝てである。と言うこと は、その話題になっている情報システムを組んだ人はMLやnet newsに出て来な い種類の人、あるいはその手の情報があっても外部には出さない人なのである。

出てない理由は様々あるだろうし、その個々の理由が重要かも知れないという ことも考えないではないが、少なくとも確実に言えることは、「MLやnet news で見る世界が全てではない」ということである。我々はついネットワーク上で の評判や動向ばかりを気にしてしまうのであるが、実はそれが世界の全てでは ないのである。だから、この辺のこともちょっと考えてみる必要があるのでは ないかと思う。

Internet上のLinuxな人々

本誌でもMLやnetnewsでどのような話題がかわされているかといウォッチング 的連載(Internet Letterのこと)がある。それを見ればいわゆるInternet上で どんな話題が飛びかっているかはわかると思う。もちろん本誌の一般的読者も 直接それらにアクセス出来る人は少なくないだろうから、自分の目で直接見る のが良いだろうと思う。

これを見ると実に活発に情報がやりとりされているのがわかるだろう。linux users MLにいたっては、ちょっと長い出張でメールが読めないでいると、あっ と言う間に数100通単位で溜まってしまう。日に100通以上のメールが流れてい るのだから、これは当然のことである。

とは言え、それを全部読む時間はないので、最近は直接メールで読むことはや めて、net newsとして読むようにしている。これだと興味のないスレッドはバッ サリ読まないで済むので、時間の節約になる。個人的には「○○がインストー ル出来ません」的話題には全く興味がないので、それらは常にスレッドごと飛 ばしてしまう。MLだと「あまりに流量が多いのでついて行けません」的理由で 退会する人がいるが、newsとして読めばそんなに大変なことにはならない。時 間のない人にはお勧めである。

そーゆーわけでインストール関係のスレッドはほぼ全部飛ばしてしまうのであ るが、そうしてしまうと読むべきメールがほとんど残らない。つまり、ほとん どのメッセージがインストール関連のQ&Aなのである。まぁ基本的にlinux users MLはその手の話題はOKにしているし、FAQを何度も出すことも許容して いるので、これ自体を良いとも悪いとも言わない。個人的には「面白くない なー」とは思うのだが、それで役に立っている人がいるのだから、文句を言う 筋合のものではない。これはこれで良いのだと思うし、相互扶助は重要である。 同じような傾向はfj.os.linuxやjapan.os.linuxでもあって、やはりほとんど の話題は「○○が動きません」の類である。もちろんそーゆー話題でない話題 が皆無ではないのであるが、現実にその手の話題は非常に少ない。

かつてLinux MLが存在していた頃、そこでは確かに「○○が動きません」とい う私は確かに存在はしていたが、その多くは「○○自体の問題」であったり Linuxの問題だったりしていて、インストール関連の話題も結構楽しめるもの であった。つまり今のlinux users MLよりはずっと濃いMLであった。などとい うことを懐しがる向きもないではないが、やはりそこはそれ「時代」というこ とであるから、あまり不満に思わずに甘んじて受け入れるべきではないかと思 う。また、そんなに濃い話題が欲しければ、宴会MLのような集まる人自体が濃 いML(そこにはLinuxだけではなくFreeBSDのコアな人も多数いる)に行くか、 jmanやpackageといった実働系MLに行けばよい。

ただ、最近思うのは、こーゆー「濃いML」もlinux users MLやnet newsも、実 は同じようなものではないかという気がしているのである。それは、

ということである。つまるところは、みんなLinuxそれ自体を使うことに用が あり、それを共通の話題としているのだ。そして、Linuxをどう使うかという こと自体は、「ここでは話すべきことではない」と思っているようなフシがあ るということだ。ここではそれが良いとか悪いとか言う気はないし、そんなこ とは問題だとは全く思っていない。ただ、了解しておかなくてはならないこと は、「Internet上の情報というのは、そーゆー視点である」ということである。

だから、「最近のビジネス界におけるLinuxの位置」のような情報を得るため には使えないし、そのような使い方を考えることは「木に寄りて魚を求む」よ うなナンセンスなのである。

ソフト会社とLinux

Dp/noteの成功とか、Linux CD-ROMの売れ行きとかからか、最近多くのWindows 系会社やデベロッパがLinuxを熱い目で見ているらしい。Windows用のソフトの 売れ方は「どれだけプリインストールマシンに入れられているか」ということ で決定されるらしく、ソフトによってはソフト会社が「金を払ってインストー ルしてもらっている」ということもあるらしい。まぁこれは一種の「営業経費」 に属するものであるから、御勝手にと思うのではあるが、いくら試用版である とは言え、なかなか大変なことである。

また御存知のようにWindows用ソフトのうち「三種の神器」と言われるワープ ロ・表計算・データベースは、MSのほぼ独占状態になっていて、かつてこれら の世界の雄であった各社は、MSのいじめにあって苦労している。

また、IMのようなかつては他社が頑張っていたものも、事実上MSがAPIや相性 問題で「いじめ」をやっているため、MS IME以外のものは事実上存在出来なく なっていたりする。Linux/FreeBSDのWnn6で成功しているオムロンソフトにし ても、Windows用のIMでは苦戦しているらしい。このようなものはかつては様々 なものが出ていて、ユーザは選び放題であった。もちろん相性問題等を起すこ とはあったにせよ、それはそれなりに対策やらあって、基本的にユーザの自由 であった。しかし、今はMSの意図的ないじめがあったり、あまりにパソコンが 一般的なものになり過ぎて、「全社的管理」とかという面倒なものが存在した りしてしまい、自由な選択は出来なくなってしまった。だからあえて「不安定 さ」だとか「管理部門からクレーム」とかといったリスクをおかしてまでMS IME以外のIMを使うということは、まずありえなくなってしまった。そうなる と、IMを作るということは、ペイする行為ではないということになる。本来 IM(というかUI全般)なんてものは自分の好きなものが選択可能であることが望 ましく、またそれを可能にするものであったはずなのだが、なんだかんだとそ れが出来なくなってしまい、結局ソフトウェアの市場としても「あらゆるMS」 な状態になってしまった。そうなると、別の会社が参入する余地はない。故に 「Windowsではソフトウェアが売れない」ということになってしまう。

ところがこれがLinuxだとどうであろう。確かにLinuxには良質のfree softwareが大量にあるため、Windowsにありがちのいい加減なソフトは参入の 余地はない。だから、いい加減な気持ちでLinuxの商用ソフトウェアを作るこ とは、ソフト会社にとって命取りになってしまいかねない。そう言った意味で は、容易に参入出来る世界ではないかも知れない。

しかし、ある程度の品質をクリアしていれば、「ああWindowsにはこんなにソ フトがあるのに、Linuxには少ないなぁ」ということを思っている人にとって は、非常に嬉しい。悪い例のような挙げ方で申し訳ないのであるが、Dp/note のような「一昔のワープロ」であっても、喜ぶ人は少なくなったし、歓迎され た。もちろんこれはある程度の品質がクリアされていたからではあるが、それ でも現代的なワープロから見れば見劣りするものには違いない。それでも売れ たのである。

このことを見れば、「Linuxでは大儲けは出来ないかも知れないけれど、 Windowsよりは確実に儲かる」という図式が見えて来る。またそーゆーことに 敏感なソフト会社はLinuxでの商売を考えているようで、開発や営業と話をし ていると結構食いつきがいい。本誌の広告等や海外の動向とかを見ていると、 おそらくこの傾向は進むことはあれ後退することはないだろう。これは「ソフ トがいっぱいあると嬉しいな」という観点からすると、とても嬉しい。私が最 初に普及のことを考えた時には、この日の来るためにやっていたという面もあ るので、手放しに嬉しい。

ところが、これはこのことだけでは終わらないであろうインパクトがあるのだ。 それは、「売れるためには何でもする」という思想が導入されるということで ある。これにはマイナーな見方も存在しないではないが、私はそうでない立場 を取りたい。ではそれは何にプラスになると言うかと言えば、「Linuxの商品 としての完成度の向上」につながると思うわけである。

最初の方で「Internet上の情報のほとんどはインストールのQ&A」というよう なことを言った。これは裏返すと、それだけインストールに悩む人が多いとい うことである。つまりは、現状のLinuxのパッケージはエンドユーザがインス トールするということを考えるならば、「イマイチ」なのである。この現状は、 「じゃんじゃんLinux上のソフトを売って儲けたい会社」にとっては、大きな 問題である。

ではLinuxのソフトの販売は諦めるべきか? しかし、ここまでオイシイ市場は そうそうなさそうである。ではLinuxにもっとエンドユーザ向けなパッケージ が出来るのを待つべきか? 今Linuxを使っている連中なら「座して待つ」でも 構わないだろうが、営利企業にとってはそんな時間はないだろう。そうなれば 現状を打破することを考えるしかないわけである。

ここでの「現状打破」は何かと言えば、「ソフト会社自らの手によってよりエ ンドユーザ向けのパッケージを開発する」ということである。自分たちのソフ トを動かすためのプラットホームをエンドユーザに提供する方法を作ることで ある。そうすればソフト会社にとってLinuxはより快適なターゲットとなるだ ろう。それが「Linuxの商品としての完成度の向上」ということなのである。

つまり、我々がJEだPJEだDebian-JPだと言いながら、なかなか出来ないでいた 「誰でも使えるLinux」というものが、「商用ソフトのプラットホーム」とい う面を出すことによって実現されるということになる(その一つがTurboLinux だと思っている)。ここで「我々が作れなかったものを企業に作られるのは残 念だ」とは思うべきではない。「そーゆーエネルギーを注入することによって、 より新しい展開がされた」というように解釈するべきである。

EDPなLinux

この連載で何度も書いているように、私は元々EDP屋でもあるので、この方面 の動向は非常に気になっている。また、「この分野に使ってこそのコンピュー タ」とも思っているので、「実用性」という視点で非常に重要な応用だと思っ ている。

とは言え、最初にも書いたように、この分野全般のこととして、「外部の人間 にはあまり知らされない」ということもあるので、「世の中全般の流れ」とし ての話は難しいので、私の見聞した世界での話となるのを許してもらいたい。

この本の読者の大多数はこの方向の応用そのものには興味ない人であろうし、 その結果この分野での動向については、それ程関心はないと思う。また実際の 問題として、いわゆるEDP業務用のパッケージの存在は皆無に等しい。ところ が、この分野でのLinuxの応用は、非常に期待されている部分らしいのである。 理由を聞くとなるほどと思う部分があるので、ちょっと挙げてみよう。

  1. EDPシステムはコケてはいけない。だから安定なLinuxは嬉しい
  2. EDPマシンは特定の使い方さえ出来れば良い。だから、様々な アプリが使えることは、それ程重要なことではない
  3. 日本的EDPシステム、特に大規模なものに関しては業務パッケー ジは使わない。それより快適な開発環境があればいい。

ということらしいのである。特に安定性の要求は厳しい。例えばCDやATMといっ た「端末」は絶対にコケてはいけないものであるが、現状メジャーな環境であ るWindowsが事実上「使えないOS」で(CDやATMが妙なアラートを出してハング アップする様を想像して欲しい)なのである。ところが多くのコンピュータメー カがWindowsによって骨抜きにされてしまい、マトモな小規模OSを作ることが 出来なくなってしまっていて、EDP屋には非常に不安なものになっているのが 実状である。

Linuxには確かに網羅的なアプリケーションはWindowsと比べれば少ない。しか し、それはEDPのコアな部分ではそれはあまり問題にならないのである。それ よりは安定であるだとか、マシンパワーを十分発揮させることが出来るだとか、 あるいはプログラムが開発しやすいだとか、そういった面の方が重要なのであ る。

かつてメインフレームがEDPの主流だった頃、EDPにUNIXを使うことは、非常に 恐い決断であった。それはUNIXには有効なパッケージがないとか、安定性に難 があるとか、そういった問題が気になっていたのである。この状況は実は今に あってもそう大きく変わったとは言えない。しかし、情報システムの高度化は 従来のメインフレームだけで情報システムを構築出来るような甘いものではな かった。そのためメインフレームが機能的にUNIXに歩み寄ったり、メインフレー ムとUNIXの混成システムが作られたりするようになった。これでなんとか寿命 を伸ばしたのである。

ところが肝心のメインフレームがイマイチ元気が足りない。いわゆる「ダウン サイジング」のせいで、逆風が吹いているのである。また純粋なCPU性能で見 るなら、メインフレームのCPUはPCのCPUと比較しても今やそう高速なものとは 言えなくなってしまった(小規模のメインフレームの中には、PentiumProあた りでメインフレームの命令をエミュレートさせて実装されているものもあるく らいだ)。そのくせメインフレームの値段はそう極端に低くはならない。

メインフレームには安定したDBMSやDCMSが存在している。これらは系列の銀行 の基幹業務で鍛えられた結果、非常に高い信頼性を持っている。だから、これ らを有効に使うオンライン業務システムに適用するのは良いことである。とこ ろが大多数のユーザにはそこまでの信頼性は不要であることが少なくない。リ カバリなぞなくても済む応用は少なくない。仮にリカバリ出来なくても、再試 行にかかる時間や資源が十分に少なくて済めば、再試行してしまえば済むので ある。こうなると、「何もメインフレームでなくても良いではないか」という 考えが頭をもたげて来る。

いくらメインフレームが時代の流れに合わせて柔軟なものになっているとは言 え、メインフレームの安定性と柔軟性というのは、ちょっとした二律背反なの である。だから本当にUNIXマシンと同じ程度の柔軟性を持つということは、メ インフレーム自体の否定になってしまう。ところが時代は柔軟性を要求してい る。基幹業務の売り上げをWWWで管理部門が見たいとか、オンラインショッピ ングしたいとか、そういった要求はどんどん増えている。これを多大な工数を 費やすことなく「ちょろちょろっと」実現したいというのが、現代の流れなの である。これが現代の「基幹業務」の展開なのである。

そうなると「基幹業務もUNIXで」という考えは当然出て来るし、UNIXサーバで 実現出来ていれば、低コスト化のためにfree UNIXを使いたいという意見も出 て来る。私はどちらかと言えば古いタイプのEDP屋であったから、「そんな無 茶な」と思うのであるが、現実にメインフレームをUNIXサーバで、UNIXサーバ をLinuxでリプレースして行こうとしているところは存在している(NDAの関係 でどこと書くわけには行かないが、聞けば「げ!」と思うようなところでそれ は行われつつある)。

EDPシステムは安定性が命の部分がある。それゆえ、気の効いたEDP部門ではメー カの宣伝にあるような一方的な「安定性の保証」など信用せず、使えるかどう かを自分たちで検証するのが通例である。Linuxであっても土俵に乗せてもら えさえすれば検証の対象となるし、我々が漠然と持っているような「そんな用 途にLinuxが使えるのか?」というような不安も、「検証」を行うことによっ て正当に評価される。逆に言えばそこさえクリアしてしまえばLinuxであって も「検証の範囲内では安心して使える」という評価になるのである。

残るはいわゆるEDP向けの開発環境があるかという問題なのであるが、商用も 含めれば結構いろいろなものがある。DBMSにしてもEMPRESSのようなUNIX系の ものばかりではなく(EMPRESSは一例に過ぎない)、メインフレーム系のADABAS も存在している。日本語の扱いに若干の問題があるとは言え、COBOLも存在し ている。私の会社(実際に書いているのは私)ではDCMS(オンラインマネージャ) の開発をしていたりする。もちろんいわゆる「プログラム開発環境」が揃って いるということは、今さら言うまでもないことだろう。そうなると「EDPでも Linux」というのは単なる冗談ではなくなる。

TODO

さていつも通りTODOによって締めよう。

Linuxの情報は実はInternet上の情報が全てではない。そこにある情報の多く は、いわゆる「コンピュータの専門家」のための情報であるに過ぎないし、さ らにつっこんで言えばインストール情報がほとんどである。だから、これだけ 見ていれば「Linuxは何に使ったらいいの?」という疑問がわいても何ら不思 議はない。

しかし、使用目的を持ってインストールされたLinuxは、その目的で使用され ているのである。これらの多くは実は公開されることなく、一部の人々の間で しか知られていない使われ方だったりするわけである。これらは公開されてい ないが故に、使われているということすら伝わって来ないことも少なくないが、 確実に使われているのである。

これらの使われ方は漠然としたものではなく、わりと目的のはっきりした使わ れ方である。そして目的のはっきりした使われ方をする場合は、Linuxのハン ディだと思われていたことは、かなり容易に解決がつくのである。

他方、今や我々が持っている「Linuxの文化」がLinuxの文化の全てだという時 代は終わったようである。我々がかつて持っていた文化からは思いもよらぬ現 象が起きている。そして、そのような世界であってもLinuxはLinuxである。し かも我々の持っている常識を越えた文化であったりするので、「多様な価値感」 を肯定するLinux界としては発展である。

ということで、今回は「もっともっと広い目で物事をとらえよう」ということ をTODOとしたい。思いもよらぬ使い方で、思いもよらぬ人がLinuxを使おうと しているかも知れない。それを「今までこうだった」という狭い見方で否定し てはならない。

Linuxの使い道を決めるのは、ユーザ自身なのだ。デベロッパでもなければ、「ユーザ会」のようなものでもない。


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