98年4月1日執筆

広告塔


前口上

毎度ぼやいているのであるが、JLUGはお金のない団体である。もっとも実際に お金がかかることと言えば、linux.or.jpの維持にかかる金、もっと具体的に 言えば、インターネットへの接続費用とサーバの運用経費(電気代とか)、ハー ドウェアのメンテナンス費用(ハードディスク代とか)くらいなものである。

とは言うものの、この中のインターネットの費用はちょっと馬鹿にならない。 実は当社の資源をそのままlinux.or.jpが使うようになっているのであるが(も ちろん払いは当社だ)、そのトラフィックたるやハンパではない。ちょっと前 まで128Kbpsだった当社の下り回線は、7割以上がlinux.or.jpのトラフィック で潰れ、さらに多くのバンド幅を要求していたのである。そのため顧客サービ スにも支障をきたすようになって来たので、先日ついに256Kbpsまで増速した。 それと同時にriccia(www.linux.or.jpとして知られるホスト)を私の部屋から 会社のサーバ室まで移した。増速した時のns.tokyonet.ad.jpまでのpingは数 10msだったので、「さすがに256Kとなると速いね」と喜んでいたのであるが、 ricciaを再起動した途端、これがいきなり数1000msになってしまい、「速くし たら速くした分だけ食い潰す」という事態になってしまった。

今回の回線増速はもちろんwww.linux.or.jpが遅いということが気になってい たということもあるが、それ以外にも顧客サービスに支障があったし(業務で は100MB級のftpをしばしば行う。これに一日以上かかっていた)、外からftp getするのも問題があったし、また2次プロバイダとしての業務もあるという ことで、より太い回線が必要だったために行った増速である。それが一瞬にし てlinux.or.jpのトラフィックによって潰れるというのは、本意ではない。幸 いにも回線を潰す元凶がftpであるということが判明したので、ftp出来るユー ザ数を制限することにより、回線を空けることが出来た。それでもちょっと油 断をすれば飽和してしまう。これでもさすがにマズい。幸いなことに某有名ア ダルトページの運用を当社が引き受けることになり、その運用のためにサーバ ファーム(東京インターネットの社内にサーバを置かせてもらうサービス)を契 約することになった。そこにwww.linux.or.jpも一緒に置くということで回線 の問題の結着はつきそうである。

このようにしていろいろやっているので、インターネット関係の費用は100万 近い経費が月々出て行っているのである。この他にもサーバを私の部屋に置い ていた頃は、電気代が月々1万くらい出て行ってたし、何かクラッシュした時 には家族サービスは全てキャンセルして復旧作業をしたりという、表に金額と して出て来ない儀牲もかなり払って来た。

これがお金のある団体なら、全部自費で出来るのであろうが、残念ながらJLUG は実体があるのかどうなのかも怪しいくらいの弱小団体である。結局のところ 「逃げることの出来ない」人や会社の負担によって何とかなって来たのである。 とは言え、仮に当社がネットワーク費用を負担していなければ、その支出の7 割は当社の元にあったわけだから、社員に環元することも出来ただろうし、資 金繰りも楽になったはずである。私にはJLUGやlinux.or.jpを維持しなければ いけないという立場と共に、「管理職」という立場もあるわけで、なんとも辛 いものである。

さらにつけ加えるなら、Linuxを看板に上げてメシのネタにしている会社は当 社だけではない。別に彼らがこの維持費を出してくれてもバチは当たらないは ずである。しかし、出してくれている会社はごくわずかであるし、ネットワー ク費用から見れば無いに等しい金額でしかない。実はこの辺のことを先日MLで 嘆いたのであるが、その会社の人達から来たメールには、やれ税金のことがあ るだの何だのと、出そうとしない自分達を正当化することばかりが書かれてい た。全くなさけない「Linuxビジネスなんとか」である。ということで、今回 はあてこすりをした表現があったりするが、他意はもちろんある。

という前フリであるが、例によってこの前フリが直結した話題ではない。しか し、私の気持ちの中では深くリンクしている話が今月の話題である。

Linuxの広告

JLUGには全く寄付をくれない日本のLinuxビジネス界ではあるが、それでも多 少はお金になってはいるし、宣伝をしないことには商売にならないので、雑誌 の広告で「Linuxを看板に上げている会社」の広告を目にするようになって来 た。主には当社と同じようにLinuxを使ってサーバを構築しているところでは あるが、オムロンソフトのようにクライアント系アプリの広告も出て来ている。 また、いわゆる「オタク系」の雑誌だけではなく、コンピュータビジネス系の 雑誌に広告を出しているところも少なからずあるので、今後の拡がりが期待出 来る。

いろいろな広告を見ていて無邪気に「世の中進んでいるなぁ」と思っている分 には良いのであるが、読んでいるうちにちょっとした問題に気がつく。それは どれもが「小さく寂しい」ものでしかないということである。まぁ確かに税金 が恐くてJLUGに寄付の出来ないような会社ばかりであるから、そんなに広告に 金が出せるわけではないだろう。しかし、それにしても各広告小さくて寂しい。 広告の物理的な大きさがあるところでも、内容としてはどうも寂しいのである。 これではまるで「零細企業が無理して広告を出している」という雰囲気さえ感 じる(実際そうであることが多いのだが)。これらの広告を見ていると、広告に 必要な「夢」の部分が欠如しているのである。あまりに現実的で、ただ単に 「こーゆー製品があるのでお知らせします」でしかないのである。なんだか三 流地方新聞に出ている商店の広告を連想してしまう。

まぁこれはよそ様のされることなので、私のような者があれこれ言うべきもの ではないのであるが、これではあまりに広告としてつまらない。この中で「広 告です!」と言えるのは、「テンアートニ」のわけのわからない(角田社長に 怒られそうな言い方であるが、この先を読めばこれは誉めているということが わかると思う)広告くらいなもので、他は「単に告知しているだけ」でしかな い。まぁその企業の出している製品の告知くらいにはなるかも知れないが、こ れではLinuxが良いものであるかどうかもよくわからないし、「夢」の部分も よく見えない。「単にそれだけ」なのである。

ところが他の会社の広告を見てみよう。確かにそこにはその製品の告知もある が、それ以上にその製品への力の入れ方とか、企業のカラー、将来の顧客への メッセージに満ち満ちている。いや、業界をコンピュータに限らずもっといろ いろな広告に目をやれば、製品の告知よりも将来の顧客へのメッセージの方が ずっと多いくらいである。そのような広告は単なる広告主の自己満足だけでは なく、様々な種類のメッセージに満ちていて、我々にいろいろな夢---化粧品 の広告なら姿を良くするだけではなく、生き方にまで影響を与えるかのような 気分にさせる---を与えてくれるのである。このような考えで作られている広 告には、生き生きとしたものが感じられるので、仮に大きさが小さくても「零 細企業が無理をして広告を出している」という印象はあまりない。

プレイボーイ

最近はLinuxはいろいろなところで紹介されていて、とうとう先日は「プレイ ボーイ」にまで紹介されるに至った。見た人の中には、内容にいろいろと異論 のある人もあるし、不正確と思える個所も少なくないが、大衆情報誌であれく らい紹介出来ていれば上出来であるし、むしろ我々「コンピュータライタ」に 書けない雰囲気のいい紹介だったと思う。まぁそれはともかく、「Linuxはこ こまで来たか」という感じは大いに受けた。次は週刊ポストか週刊現代に出れ ば本物である B)

私がこの記事を読んで感じたのは、この記事はいい意味での「夢」に満ちたも のであるということである。だいたい「プレイボーイ」なんて雑誌がLinuxを 記事にするということ自体が夢に満ちていることだと思うが、それ以上に「夢」 が感じられるのだ。たとえば今、仮に私が「Linuxを簡単に説明してくれ」と 言われたら、一体どう書くだろう。きっと昔「Linuxを256倍使うための本」や らSuper ASCIIの特集に書いたように「きちんとした」説明を書くのではない かと思う。おそらく同業の他のライタであっても、表現や何を重点的に書くか の違いが多少あるだけで、基本的には同じだと思う。もちろんそれが悪いわけ ではないし、それも必要なことである。しかし、これをコンピュータ界ではな い一般の人が見た時にどう思うだろうか。もちろん全く何も知らない人に Linuxが何であるかということを説明する意味はないのだから、そーいった人 は除外して、「Windowsとかの言葉くらいは聞いたことがあるよ」的な人なら、 我々がするような「きちんとした」説明よりは、このプレイボーイの記事的説 明の方がずっと歓迎されるだろうし、よりイメージが掴めるのではないだろう か? そして、その方がより「Linuxって素晴しい!」と思わせるのではないか とさえ思う。

このプレイボーイの解説は、細かい点を見て行けば正確さには欠けたものであ る。しかしこのような記事で「正確さ」がいったい何の意味があるのだろう。 もちろん誇大広告的なことを書けばJAROに電話されてしまうわけだから、あま りいい加減なことは書くわけには行ない。しかしこれを「広告的記事」として 考えるなら、仮に紹介された時の解説が正確でなくても、その気で入門すれば、 何が正しくて何が正しくないかは、すぐにわかるようになるだろう。だから、 多少正確さに欠けていても、害はあまりない。それよりもこの記事が与えてく れる「夢」の部分は非常に意味がある。何しろこの記事がきっかけで「Linuxっ て何ですか?」などというメールが来るくらいである。技術的には取るに足り ない記事ではあっても、それなりのインパクトはあったわけである。これは 「プレイボーイ」というメディアの凄さもあるだろうが、それと共に「その気 にさせる書き方」の妙もあったのではないかと思う。

○イメージ広告

世の中の広告をいろいろ見ていると、時々「これはいったい何が言いたいの だ?」と首をかしげるような広告に出逢う。身近な例で言えば、マイクロソフ トの「月曜が楽しみになる」とかいう広告がそうだ。おそらくこれは「マイク ロソフトの製品を使えばどんどん仕事がはかどって仕事が楽しいから、仕事の デキる奴は月曜に仕事が始まるのが楽しみになる」とでも言いたいのだろう。 このコピーの出来が良いかどうかは別にして、このコピーでは直接的に「マイ クロソフト製品はいい」とは言っていない。また、間接的な意味を見てもマイ クロソフトの「どの製品がいい」とも言っていないし、「マイクロソフトはい い会社である」とも言っていない。つまり、ある意味「何が言いたいのかよく わからない広告」である。とは言え、これはちゃんとマイクロソフト製品の広 告であるのは、誰の目にも明らかである。

別の例を出すと、現アップルのジョブスが記者会見する時、いろいろと派手な 演出をするのは有名な話である。ある時はスモークを炊き、またある時は空か ら降りて来る。ジョブスは一つの「派手なショウ」を演っているのである。こ れがアップルの製品の良さを伝えるのにどんな効果があるかと言えば、もちろ ん全くない。単に派手なショウであるに過ぎない。「わけわからない度」から 言えばマイクロソフトよりも上であるが、とは言えこれもアップル製品の広告 であるのは明らかであるし、アップル製品の好感度を上げることには確実に貢 献している(異論のある人もあるだろうが、その人は単に「一般人」と感覚が ズレているのである)。

何にしても、これらの「広告」はちょっと見ると何が言いたいのかわけがわか らない。バブルな時期のテレビCMであったような「イメージ広告」というのと もちょっと違う。何のことやらさっぱり意味のわからない「広告」ではあるが、 確実にそれらは意味を持ったメッセージを送りつけている。そして潜在意識に 「我々の扱っている製品は良い製品なんだ」ということや「この製品を使うこ とによって、あなたはスーパーマンになれる」ということを植えつけようとし ている。そして、それらは多くの場合成功しているのである。つまり、イメー ジ作りに貢献しているのである。

ひるがえって、我らがLinuxを見てみよう。新しいkernelが発表になった時に Linusがスモークを炊いたという話は、まだ聞いたことがないし、空から降り て来たという写真もまだ見たことがない。それどころか、記者会見をしたとい う話すら聞いたことがない。また、RHSが広告で「笑ってお仕事」的なことを 書いたのも見たことがない。アメリカあたりの広告によくある、「何かを見な がら頭を抱えて驚いているおじさんの写真」的な広告すら見たことがない。実 に控えめな、別の言い方をすれば寂しい「広告」しかないのである。

「広告」対象は誰か

Linux以外の「売れている商品」「売れている企業」の広告は、多分にイメー ジ的なものがある。それに対して「そんなものいらない。わかる人だけわかれ ばいい」と言うのがかつての考え方であった。「虚名を高めても意味がない」 というのも、確かにそうである。しかし、今やLinuxは単なる「hackerのおも ちゃ」の域を越えて、「商品」になりつつある。特にサーバに関して言えば、 市場のかなりの比率でLinuxが使われていることは確かである。

かつて「Linuxを購入する人」は「hackerになりたいけどなれない人」とか 「安いワークベンチの欲しい非コンピュータ専門家」であった。これらの人々 はある程度コンピュータがわかっているから、「Windowsや他の商用UNIXと比 べてどこが優れているか」といったような、どちらかと言えば「技術系」の紹 介のしかたが好まれる。また、そのような時期はLinuxがどれくらいの実力が あるか今一つわからかったので、「本当にLinuxは使いものになるのだろうか」 という心配があったので、広告の方も「大丈夫。あなたの要求したものはここ にありますよ」という内容である必要があった。

しかし、「現在の」「サーバ」となると事情が変わって来る。購入の意思決定 は、企業の部門長であったりトップであったりする。そして導入を勧める方と しては、「商業的には無名に近いLinuxであるが、自分たちの用途には十分使 える」というある程度の確証を持っている。当座の問題は「いかに上を説得す るか」だけであり、技術的な問題はほぼクリアされている...という状態での 話になって来る。

そうなると、「広告」の対象はいわゆる「わかった人」ではなくて、「意思決 定能力はあるけど、よくわかってない人」であるし、伝えるべきは実際の性能 能力の類ではなく、「使って安心」と思わせるようなイメージなのである。そ の時、「魅力的なイメージいっぱいの派手派手な広告」と、「嘘は書いてない けど、夢も美しさも欠ける誠実な広告」とどっちが意味があるかと言えば、当 然前者となるだろう。

実は当社のサーバを販売している代理店も、我々の扱うLinuxが良いものやら 悪いものやらよく知らなかった。ただ、私個人の信用で扱ってくれていて、ま た実績として安定稼働しているという結果があったために、「とりあえず安心 して売れるものらしいから」ということで販売していたのである。もちろん折 に触れLinuxがどんな能力を持っているとか、どんなシェアを持っているとか いうことは説明して来たのであるが、技術にそう詳しくない営業では、どうも 半信半疑に近い状態だったのである。

しかし、先日のプレイボーイの記事を見てそれは変わった。あの記事のおかげ で「何だかわからないけど凄い」的認識も持ってもらうことが出来たのである。 また彼ら自身が営業の時にその記事のコピーを見せたりして、営業攻勢をかけ たりした。その結果営業もより安心して出来るようになったし、トップ攻勢も しやすくなったようである。今まで多くの営業用資料を書いたり、自著を見せ たり、やまだ君の本を見せたりしても、どうも今一つピンと来なかったようで ある。私は末端の営業がどのようなことを言って販売しているかは知らないが、 「やりやすくなった」と言っているところを見ると、何か具体的な「夢」が語 れるようになったのではないかと思う。

このようなことを考えると、普及のためには単に正確なだけの解説記事ではな く、より「夢」のある解説が必要であることがわかるだろう。となると問題は その「夢」をどのように語るかということになる。そこでこの節の始めに出て 来た「何だかわけのわからない広告」ということになるのである。

もちろん本当に「何だかわけのわからない広告」ではダメなのは当然である (実はそんな広告も本当はいっぱいある)。しかし、ちょっと見ただけでは何が 言いたいかわからない---つまりあまり具体的ではない---広告で、かつ我々に 何らかのメッセージを送って来る広告は確かにある。例えばジョブスが派手な 演出で記者発表するのは、「今回発表するこいつの世界はこんなにおシャレな んだぜ」ということの表現になっているわけである。そして、それで眉をひそ めるような「良識派」が見たとしても、そのイメージは確実に浸透している。

また、ゲイツの発表はもっとずっと泥臭い技術的な感じのする発表なのである が、それでも「ビジネス界の未来はこうなるのだ」というメッセージに満ちて いる。そして、それが仮に競合会社から見ればJARO駆け込みものの誇大広告で あっても、その発表を聞いた人に「ビジネスの未来像」というイメージを植え つける。そしてゲイツが「我々はこの未来の実現のために××を作る」的に締 めくくれば、商品の発表と共に「未来の提案をするマイクロソフト」というイ メージをも植えつけることが出来るのである。

いずれのやり方もいわゆる技術論を超越した部分での「広告」である。しかし、 既にLinuxは現在市場にある商用UNIXと比較しても優位に立てるくらい「商品 としての技術」としては成熟している。もちろんこの連載で今まで指摘して来 たように、アプリケーションの品揃えは今一つであるし、商業的にサポートし ている会社も少ないという現状はあるのだが、それらは「市場が大きくなれば 参入する者も増える」という部分もあるから、既にしくみとしては十分と言っ ても良いだろう。「LinuxはWindowsよりも難しい」ということにしても、 「Linuxは売れる」ということになれば、必ずやどこかが解決するのが「市場」 というものである。かつてのように一般の人から海のものとも山のものともつ かないと思われていた時代は既に終わったのだ。「やれば何でも出来る」と言 い切れる程度には技術的に安定して来ている。となると「売れるから売れるも のを作ろう」という循環がよりスムーズに回転するように、市場を拡げるとい うことが重要となって来る。

既に書いているように、「Linuxは使えるものである」ということを技術者相 手に説得することは、今さら力を入れなくてはならないことではないように思 われる。それよりもこれからは意思決定能力を持った人々に理解されるような 方向を考える必要があるのである。そしてその時に必要となるのが、より良い イメージを持ってもらうための「広告」なのである。

TODO

さて例によって「何をするべきか」ということで話を締めくくりたいと思うが、 今回は「具体的にこのようにせよ」ということは明確に示すことが出来ない。 だいたいそんなことが出来れば、大企業が「広告宣伝部」を持ったり、広告代 理店がプレゼンに苦労してりする必要はない。そういったわけで今回は漠然と した話しか出来ないのであるが、以下のことをすれば良いのではないかという 気がする(ちょっとょゎい)。

一言で言えば、「より宣伝のセンスを磨いて、もっと宣伝らしい 宣伝をしよう」ということである。Linuxをとりまく環境は、既 にそのようなものが必要な状況になっているのである。


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