98年12月9日執筆

地に足をつけよう


japan.sukisuki.meganekko

今回の前口上はちょっと軽い。

比較的最近、netnewsにjapanというトップカテゴリが出来た。説明はいろいろ あるのであるが、まぁ簡単に言えば「fjだけでは足りないと思う人への alternative」としてのnewsgroupだと思っていい。fjにはないような娯楽系の news groupも多く、ノリもわりと軽い。ただ、知名度としてはイマイチという のがちょっと残念である。

その中にjapan.sukisuki.meganekkoという「眼鏡っ娘フェチ(「眼鏡っ娘」に ついての説明はhttp://www.meganekko.orgを参照のこと)」のためのnews groupがある。私もあさだたくや氏と共にmeganekko.orgなどとゆードメインを 取ったりしてしまうような眼鏡っ娘フェチであるので、このnews groupは愛読 しているし、時々postもする。

その中でやはりお仲間のこすみっく氏が「日吉の本屋でLinux Japanを立ち読 みしている眼鏡っ娘がいました」という報告をしていた。まぁ日吉という場所 が場所なので、おそらくは慶應理工あたりの学生だろうという話なので、「理 工系の女学生が読んでいた」と言ってしまえばそれまでで、特に珍しい話でも 何でもないとは思うし、現状Linux使いの女性も大勢いる。最近はLLUG(Ladies LUG)というものもあるくらいなので、ことさら「女性にまで広まったか」など と言うのはナンセンスではある。

とは言え、実は私自身はLinux Japanを立ち読みしている人自体を見ることが 極めて少ない。まぁいる場所に行けばいるのだろうとは思うが見たことはあま りない。その極端に少ない中のさらに女性で、さらに数の少ない眼鏡っ娘が立 ち読みをしているというところが、「来るところまで来てしまった」の感があ る。

さて、今回はその「来るところまで来てしまったLinux」ということから話を 始めよう。ちなみに私は「小柄理系貧乳すっぴん眼鏡っ娘」が好みであるので、 そーゆー人がいたら遠慮なくファンレターを送って欲しい(^_^) またそう人に 限らずfeed backは嬉しいので感想のようなものを送られることは、常に歓迎 している。

Linuxの隆勢

「眼鏡っ娘」の話は半分冗談としても、昨今はLinuxは大流行りである。最近 のweb上の業界ニュースのようなものを見ていると、「Linuxという文字が出な い日はない」と言っても過言ではないくらいLinux関係のニュースがおどって いる。業界ニュースならいわゆる「濃い世界」であるから、ある程度は当然だ としても、最近は一般のメディアにもよく顔を出して来る。日本ではプレイボー イの記事あたりからか、一般誌に顔を出すことが増えて来ているようで、ちょっ と前は内輪で話題になっていたのであるが、今は特別に話題にする程のことは ないと思われるくらい、珍しいことではなくなった。

このように少なくともマスコミ的にはLinuxは大流行りである。日本ではRHSに Intelが出資したような大きなニュースはないのであるが、アメリカの流れか らかマスコミはかなり積極的で、私も先日「番組にするから」とのことでテレ ビの取材を受けたりした。今年はおそらく日本でもあちこちでLinuxについて の報道がされるのだろう。またあくまでも噂の域を出ない話であるが、大手の ソフト会社がLinux用ソフトウェアに進出して来るという話もある。そうなれ ば世間的にも完全にプラットホームとして認知されたということになるので、 ますます注目度は上がるだろう。

もちろんこれらLinuxに注目する人々の中には、なにやら勘違いをして、Linux を単なるWindowsのalternative OSとしての価値くらいしか見てない人や、 「マイクロソフト VS オープンソース」みたいな関係でしかとらえていない人 も少なくはない。わけのわかった人にしてみれば「なんだかなぁ」なことでは あるが、まぁそのような側面でもそれなりのとらえ方が出来るくらいなのだか ら、やはり「Linuxは流行っている」と言っても良いだろう。

また現時点ではどうなるか未知数なのであるが、大手のコンベンション屋が Linux関係のショーをやりたいという話を持ちかけているようである。我々が 開いた「Tokyo Linux Fair Ver 0.5」なぞまるで比較にならないような大規模 なショーである。企画を見ていると「オイオイ」と思うような企画であるし、 これがそのまま通るとは思えないのであるが、それでもそのような企画をコン ベンション屋が組むというのだから、なかなか凄い。

まぁとにもかくにも、我々の想像を超えてLinuxは流行っている。記者の人が 「昔からやって来られた立場としてどう思われますか?」と聞いていたのだが、 我々(少なくとも私)はまさにこの状況が欲しくて普及活動をして来たのである から、この状況について全く異論はない。どんどん流行って、早く我々の手が 届かないくらいになってくれれば、使えるソフトもハードもどんどん増えて行っ てくれるだろう。そうなれば私のようなものが普及普及と騒がなくても、多く の人々が使うようになるだろう。そうなれば普及活動に注いでいたエネルギー を他のことに注ぐことが出来るのではないかと思う。

我々のやって来たこと

このように流行りまくっているLinuxであるが、それに対して我々は何をやっ て来ただろうか。なお、ここでの「我々」とは、日本のLinux界のことを指す。

ごく初期の頃、私は「この上でプログラムを書いてくれる人に届け」とか「将 来偉い人になる人に届け」と思いながら、フロッピをコピーして配っていた。 別の人は「使いやすい環境を作ろう」と日本語関係の環境を整備したりしてい た。また他の人はぼちぼちドキュメントを書き始めたりもしていた。それらの 人々の中には、「今どうしてるかなぁ」とか思い出す人もいるが、多くの人は 今もコアな人として活躍している。

昔話をすることは本意ではないが、かつて我々の中の一人がLinux MLを作り、 JFを作った。CD-ROMを作った者もいれば、雑誌の連載を書いた者もある。単行 本を書いた人もいるし、free documentを書き続けた人もいる。Linux MLは JLUGが出来た後にlinux-users-mlとなり、さらにjlug.ml.usersとなってnews で配送されるようになった。ついにそのMLはDoc CD-ROMとなってオフラインで も情報を手に入れることが可能になった。このようにして我々はあの手この手 で情報が行き渡る努力をして来た。もちろんそれは我々的な努力であり、今の ようなマスコミに取り挙げられうような方向での努力は、あまりして来なかっ たと思う。もちろん我々のやっていることは無意味ではなかったようで、いわ ゆるLinux本は「売れスジ」として出版社にはウケが良い。それだけLinuxは普 及し、少なくとも技術系の人々には喜ばれるための活動は十分やって来たはず である。

私個人はミーハーなウケ方をしてこそ普及であると思っていたので、Super ASCIIの連載の中で「女子高生とLinux入門」などという連載もやってみたので あるが(因果なもので、当時の担当が本誌の編集顧問だったりする)、「良識あ る人々」にはウケなかったようで、いまだにそれをネタにした中傷メールが来 たりする。まぁそのように「ミーハー」をターゲットにしたにしても、いわゆ る「オタク系雑誌」の上でしかないので、今日あるような「わけのわからない マスコミにまで取り上げられる」ことの元にはなっていないだろう。

このように我々は「Linuxの普及」ということについて、いろいろとやって来 た。しかし、それらの多くは技術者向けであったり、業界向けであったりする ものがほとんどである。今のマスコミが注目しているような分野については、 我々は何もして来なかったばかりか、そのような世界でこのように注目されて いるということは、全く理解の外であった。「やーこんなところでも紹介され てる」と驚くか、「来るものが来たなぁ」と他人事のように思うか、どちらか でしかない。いずれにしても、非コンピュータ業界系マスコミでの注目という 現状は我々の力によるものではない。

さらにそのマスコミの取り上げている内容に目を向けよう。

非コンピュータ業界系マスコミがLinuxに注目しているものは何であろうか。 いろいろ挙げられるとは思うが、だいたい以下のようなものであろう。

さて、この中に我々が直接関わったものがどれだけあるだろう。もちろん我々 が使っている過程でLinuxの品質や性能や機能が向上したのは嘘ではない。ま た、その開発の一部を支えて来たことも、まんざら嘘ではないだろう。

しかし、マスコミの注目している「マイクロソフトOSに代替可能である」とは、 大メーカの作ったDBMS特にOracleあたりがLinuxに載るようになったなったと いうことが元である。もちろんIISに対抗出来るApacheだとかと言ったものも 関係ないわけではないが、それよりは「大手ソフト会社の注目しているプラッ トフォーム」という側面の方が重要である。つまり、我々の活動とは直接は関 係ないのである。

「オープンソースモデル」についても、注目されているのはLinusのマネージ メントとか、多くの人がそれに協力しているという現象であったり、クローズ なマイクロソフトの体制に対するアンチテーゼとして注目されているに過ぎな い。これも我々に関係がないと言えば嘘になるが、直接関係がある人や当事者 はごく一部に過ぎない。

「無料」であるということについても、我々は無料であるということよりは、 いわゆるGPL的freeに価値があるということに意義を見い出していることは、 言うまでもない(夢々単純に「タダが嬉しい」などと言うなかれ)。しかし、こ の辺のことをマスコミ的に言うなら、「マイクロソフトOSに代替可能なOSが無 料で手に入る」ということでしかない。

と一つ一つとり挙げてみると、今マスコミがLinuxに注目しているというのは、 実は我々の活動とは直接には関係ないということが、よりわかって来ると思う。 これを持ってして「我々は実はLinuxの普及にあまり貢献してなかった」と思 うのは早計であるが、今マスコミが注目していることについては、あまり貢献 もしていなければ、当事者ですらないことであったりするのである。

「Linuxブーム」は本物か

とは言え、Linuxがもてはやされている事実は事実として存在している。我々 的には降ってわいたようなLinuxブームであるが、それでもマスコミ露出度は 高くなった。その結果いやおうなしに、我々は「流行っているLinux」を目の 前にすることになる。この時に思うのは、「本当に世間でもてはやされている 程のものになっているか」ということである。

この連載でも何度も取り上げているように、Linuxを「サーバ用のOS」として 捉えるならば、特に不満のようなものは感じない。NTと比較しても軽いし、使 い方にもよるが安定させるのもそう難しくない。sambaを使えばファイルサー バとして十分使用に耐える環境が作れるし、大規模データベース構築のための 商用DBMSも主だったものは移植されている。土俵が比較的小規模なサーバであ る限り、「Linuxは敵なし」と言ってしまっても良いかも知れない。何が何で もLinuxが上だとは思わないが、この分野では十分互格以上である。「流行っ ているLinux」という観点でも、この世界だけを見せている限りは、まんざら 嘘ではないし、世間でもてはやされても許されるものであるように思う。

しかし、良い評価には「ハロー効果」がつきものである。つまり、サーバでNT より良く見えると、何も知らない人はNTの他の応用に対してもNTより良いよう な気がしてしまう危険性があるのである。非コンピュータ系マスコミの扱いを 見ていると、その心配は単なる杞憂と言い切れないように思う。

確かに私の場合は、PCを使うほどんどの時間をLinuxの上で過している。私の PCはmeganekko.orgのMXとして機能させたり、身内のゲートウェイやファイル 交換所にもなってはいるが、基本的には私のデスクトップマシンである。この 上で特に不自由な思いもせずに過しているわけだから、私の使い方の範囲では デスクトップとしても十分であると言える。しかし、私は典型的なEmacs使い であるから、「何から何までEmacs中のCUI」で物事を済ませてしまっているの で、特にクライアント的なソフトがなくても、Emacsとkterm、せいぜい Netscapeくらいがあれば十分なのである。

Emacs以外のアプリを使う必要性と言えば、前にいた会社では旅費精算はExcel のマクロが作ってあったのだが、それもこの会社ではawk + TeXで作るように している。このようなこともそれなりのシステムはあまり必要としていない。 用途がこのあたりであれば、ソフトに不自由はしないし安定性に問題が出るよ うなこともない。だから「使えるか使えないか」と言う議論になれば、「使え ると言い切れる。しかし、このような使い方は、多くのいわゆるUNIX使いは同 意するであろうが、世間の大部分の人に受け入れられることかと言えば、それ は疑問である。

そーゆー現実を目の前にして、「Linuxはいい」と言い切る程の度胸は私には ない。だからこの「Linuxブーム」にしても、サーバ分野であれば本物だと言 い切っても良いように思うのだが、ハロー効果のことまで考えると、本物と言 うには抵抗がある。「OSには特性があるのだから、得意不得意はある」と言っ てしまっても良いのかも知れないが、どうもこの「Linuxブーム」はWindowsと の比較の上であるから、話がややこしい。

我々は本当の「Linuxブーム」に耐えられるのか

この連載で何度も言っているように、Linuxを「デスクトップ用OS」として捉 えるなら、現状はあまり満足出来るようなものではないように思う。もちろん 便利なソフトの存在は否定しない。しかし、いわゆるオフィスツール(いわゆ るワープロ表計算)の類はまだ一般的ではないし、そこまでLinux上でやろうと いう人も少ない。

しかし、最近はいろいろなオフィスツールがLinuxに移植されつつある。 ApplixwareやDp/NOTEはその代表であるが、海外に目を向ければCorelとか Wingsとか、それこそ山のようにある。だから少なくとも英語圏においては、 遠からずLinuxをクライアント用OSとして使うということも、そう特殊なこと ではなくなるような気もする。

商用だけではなくfreeものの世界でも、Siag Officeのような良質のオフィス ツールが出て来ている。動かしてみるとなかなか凄いので、今後に期待出来る と思う。また、デスクトップアクセサリの類でも、KDEやGNOMEがしのぎを削っ ている。いずれもなかなか便利そうであるし、見た目も綺麗だったりして、心 魅かれるものがある。これらの環境を使うことが一般化し、Windowsも現状の 独占体制ではなくなって「選択枝の一つ」となれば、「さぁどっちを使おうか」 と迷うようなものになりそうである。

しかし、ここで一度目を国内に向けてみよう。これらオフィスツールの大部分 はまず日本語が通らないのである。

また、freeもののオフィスツール移植することを考えた時に、最初に当たる問 題が、「使用されているGUIツールキットが日本語に対応していない」という 問題である。最近はGTKが使われているものも多くなり、幸いなことにGTKはか なり初期の頃から日本語化が行われていたので、日本語が使える。アプリ的に も、若干の問題が起きることを覚悟していれば、「日本語が通ればいい」とい うレベルでは使えなくもない。ちゃんと使うためには内部もいじる必要があっ たりするが、とにかくGTKで書かれているものは何とかしようがある。だから GNOME(GTKで書かれたデスクトップ環境)はいろいろと希望が持てる。同じよう にTcl/Tkを使ったものも、かなり初期から日本語化されていたので、日本語を 通すのは問題がない。Tkを使って作られたxxlという表計算があるのだが、こ れなぞmakeにさえ気をつけてやれば特に何もしなくてもほぼちゃんと日本語が 使えると言ってしまっても良いくらいである。

しかし、問題となるのは「これ以外」である。現在のところ安心してアプリ開 発に使えて、かつちゃんと日本語の通るGUIツールキットは、GTKとTkしかない と言っても過言ではないのだ。またGUIに限らず、日本語(国際化)文字列をちゃ んと操作出来る標準ライブラリもいまだちゃんとは存在していない。

たとえばNetscapeで日本語を入力しよう思ったら、結構いろいろなことをしな いといけないということはよく知られているが、これはモロにその問題なので ある。最近のバージョンのMotifは国際化されているらしいのだが、これはOS の国際化文字列ライブラリの機能に依存している。そのためマトモな国際化文 字列処理ライブラリが一般的になっていないLinuxの環境においては、ちゃん と日本語の入力が出来ないのである。このような問題はMotifに共通の問題な ので、Netscapeだけの問題ではない。

Motifが使えないとなると、AthenaWidgetで...となる。しかしAthena自体はあ まり品質は良くないし、そもそもあまり見栄えが美しいとは言えない。Xaw3D とかXaw95とかと言った見栄えを改良したものもあるのだが、いまいちパッと しない。またAthena自体が旬を過ぎてしまったので、新しいAthenaを使ったア プリというのが、それ程ないという現状がある。

GNOMEに対する勢力としてKDEというものがある。これも美しいデスクトップと 良いアプリで構成されるデスクトップツールである。しかしKDEはQtというGUI ツールキットの上で作られている。このQtはつい最近オープンソースになった のであるが、改造したものの再配布は「パッチを配布すること」となっている ため、バイナリをどんどん配布するようなことはいけないようである。そのた めKDEを日本語化してPJEのような形式で配布出来るようになるには、まだ時間 がかかるようである。

その他、デスクトップアプリを書くのに都合の良さそうなGUIツールキットは 玉石混合ながら様々な種類がある。しかし、そのどれもが日本語が通らない。 ベースとなるGUIツールキットに日本語が通らないのであるから、アプリに日 本語が使えることを期待するのは無理である。

このようなことを考えると、英語圏は別にして日本でデスクトップ系アプリが 使える環境としてのLinuxということを考えると寒いばかりである。「だから GUIツールキットの日本語化を真剣に考えましょう」というTODOもあるが、そ れは今回の主題とはちょっとはずれるので、今回はあまり深入りしない。

むしろ今回特に言っておきたいのは、「日本で使うLinuxは、いまだにその程 度のものである」ということである。もちろんサーバとしての能力に不足はな い。しかし、ある意味「それだけ」に過ぎないのである。WindowsNTが目指し ているような「サーバにもデスクトップにも使える汎用OS」にはなっていない のである。

Linuxが本当に汎用OSになる必要があるかどうかは、実のところ未知数である。 しかし、現実にその方向を目指しているし、世の中が「Windows vs Linux」と いった見方をしているのである。NTと比較してサーバとしての性能が良いため に、ハロー効果でもって非コンピュータ系マスコミはデスクトップとしての能 力も期待してしまっているフシがある。これを「我々とは関係ない」と言って 切り捨てることも可能であるが、せっかくそこまで期待されているのだから、 それに乗ってやって行くのも選択だろうと考える

しかし、くどくどと書いて来たように、汎用OSとしてのLinuxの能力はまだそ こまで備わってはいない。サーバ分野は別にして「汎用」ということになると、 まだまだ「ひのき舞台」に立つには早過ぎる。それが本当にLinuxの姿なので ある。

TODO

さて、例によってTODOで締めよう。

Linuxは今や非コンピュータ系マスコミにまで取り上げられる程に世間の目耳 を集めるようになった。このように注目されることによって、今までLinuxに 関心を持たなかった人々がLinuxに関心を持ち、またマーケットとみなしてい なかった企業がマーケットとみなして参入するようになることが期待される。 このことは非常に喜ばしいことである。

しかし、この現状は直接我々の力によるところではない。また、この注目され ていること自体、本来の実力以上に評価されていることによる部分が多い。つ まり現在の「Linuxブーム」は我々的にはバブルでしかない。その証拠にLinux はデスクトップ環境用のプラットホームとしてもまだ満足行けるものではない のである。

だから我々は今の「Linuxブーム」を見て、「もう安心」とか思ってはいけな いのだ。ブームに踊らされずに、地道な活動を続けることが、多くの人に認知 されて以降のLinuxを発展させるために必要なことなのである。

ブームに浮かれることなく、地に足をつけた活動を続けようでは ないか。


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