98年8月4日執筆

妨げるものは何か


前口上

ここ一年くらいのことだろうか、Linuxを使う環境は急速に良くなった。かつ ては「ないから何とかしよう」と言っていた商業的サポートも行われるように なったし、いわゆるOA用のソフトも揃うようになった。早い話がこの連載で書 いている「これが必要である」と言ったことは、次々と実現されている。つく づく良い時代だと思う。

ではそれくらいLinuxが普及したかと言えば、確かに普及していることは事実 なのであるが、環境の良くなり方と比べると、どうも物足りないような気もす る。ちょっと前の考えからすれば、「ここまで出来ていれば、もっと爆発的に 普及しててもいいだろう」という気がするのだが、どうもそうではない。期待 の方が大き過ぎてそう思うのかも知れないが、それにしても意外に効いてない 「TODO」というのが、ちょっと悲しい。

とは言え、やっていることが悪いはずはないので、多分せっかくの活動を台な しにしている何かがあるのだろう。今回はその辺について考えてみよう。ちょ うど今回は通刊10号でもあるので、細かい問題点も一気に挙げて、ちょっとし た区切りにしたい。

何となくの不安感

純粋に技術的な目でLinuxを見れば、いわゆる「不安」というものはないと言っ ても良いくらいになった。細かいところを見れば、全く不安がないわけではな いが、少なくともWindowsや他の商用UNIXと比較して、そう遜色のない程度に は安心して使える。それどころかより安心だという点も少なくない。特に安定 性について言えば、NTよりもずっと良いように思う。その結果、「勝手に立て た部門サーバ」のようなところでは、非常によく使われている。その理由は皆 さんよくわかっているだろうから、ここでは一々挙げない。また、わりと大き なゲートウェイとかプロキシサーバとかでも、「NTからLinuxにリプレースし たら、コストは安くなり性能は上がったし、安定になった」という声はよく聞 く。Linuxは今や堂々たる「高性能OS」と言って良くなった。

ところが、これを「公式採用」するとなると、躊躇する人が少なくない。それ までLinuxを使っていた人も、たとえば会社の「公式採用」となると、つい従 来のWSを勧めたり、NTを勧めたりしてしまう。これだけLinuxを勧めている私 であっても、かつては「やっぱり業務で使うにはBSD/OSくらいにしたいな」と 思っていた頃もあったし、今でも何か大きなシステムで「Linuxを使って構築 しました」と言われると、「なんでLinux?」とつい思ってしまうことは少な くない。よく考えてみれば問題がなさそうなものであっても、ついそう思って しまうのである。

これはつまりいまだに私にも「Linuxに対する漠然とした不安」があるのだと 思う。特に、古くから使っている人は、まだbuggyだった頃のLinuxを知ってい るので、最近Linuxを使い始めて「Linuxってrobustなんだぁ」と喜んでいる人々 よりも、ずっと不安感を持っているのかも知れない。聖書に「預言者は郷里や 家族には尊敬されない」と書いてあるのだが、そういった感じの感覚なのかも 知れない。

またそういった信頼性に対する不安感とは別に、「本当に期待した性能が出る のだろうか?」という不安もある。Linuxにはシステム設計をする時の性能見 積りのためのデータがないのである。

たとえばメーカ製のシステムの場合、「これくらいのハードウェアならこれく らいの性能がある」とか「これくらいのことをするには、これくらいのディス クが必要である」といったような、システム設計に必要なパラメータはメーカ の手によって測定され、それを元にハードウェア規模等を検討するようになっ ている。このことはNTのシステムあたりでは若干崩れ始めているのも事実なの ではあるが、それでも「○○を動かすにはハードディスクが×MBとメモリが× MB」みたいな数値は、わりとわかっているものである。

ところがLinuxの場合、これらのパラメータは、ごく漠然としたものしかない。 処理性能も「だいたいNTよりはいい」とはわかっていても、それが高々2倍く らいまでなのか、桁違いに良いのか、あるいは単なる風説に過ぎないのかよく わからない。「100万hit/dayのWWW serverが欲しい」と言われた時、この使用 に耐えるハードウェアの規模がどの程度になるか、これもよくわからない。 「一般的なclientの環境を構築するのにHDDは何MB必要か」と言われてもよく わからない。どうもこういったシステム設計に必要なパラメータは提供されて ないのである。そのため、システム設計は経験が物を言う世界となってしまい、 経験のない人にしてみると、非常にヤバいことだということになってしまう。 もちろんこのようなパラメータは誤差だらけであって、過信すると酷い目にあ うことはわかっている。とは言え、ある程度の方向性を示すためには十分であ るし、相対値として使う分には、かなりの精度を持ったものとして使うことも 出来る。

このような「かなり経験を積まないと、シビアな設計は出来ない」というのも、 漠然とした不安をかりたてる元である。そして、その不安は「素人は手が出せ ない」ということになり、正式採用を難しくさせる元になってしまう。逆に言 えば、このようなパラメータが簡単に手に入るようになれば、「普通のSEなら ちゃんとシステム設計が出来る」というレベルになり、もっと採用されるとこ ろが増えるのではないかと思う。

実はこの作業、きちんと腰を据えてやる分には、必ずしもそれ程高い技術が必 要なわけではない。

ドジなサポート

最近では学校あたりのかなり大きなコンピュータ導入でも、入札仕様に 「Linuxが入っていること」とか「freeなPC-UNIXが入っていること」といった ものが散見されるようになって来た。これはLinuxが広く認知され、教育用途 で使うに十分なものであると認識されるようになったからだと思われる。非常 に喜ばしいことだ。

ところが、「入札仕様」にLinuxが書かれてしまうと、一つ困ってしまうこと が起きる。それは、入札せんがために我も我もと「当社はLinuxをサポートし ます」と言い出す「にわかLinuxサポート会社」が出て来るのである。あまり どこもが「Linux ready」を言うものだから、おかしいと思った入札担当(入札 仕様にLinuxなんて単語を入れる担当なのだから、この世界のことが多少はわ かっている)が実績の有無を問うと、「あります」と胸を張って言うらしい。 私もウラを取るための問い合わせを受けることがあるのだが、「そんな会社 Linux出来るんかぁ?」みたいなところが「Linuxの実績がある」と言っている のである。

もちろん私が何もかもを知っているわけではないから、秘かに実績を積んでい るという例があるのかも知れない。しかし、ここで言っている「実績」とは商 用利用の実績である。規模によっては我々の耳に聞こえて来ても良いはずであ る。また、実績事例の欲しい世界なのであるから、そのような会社は積極的に 事例を公開して欲しいし、そうするべきだと思う。逆に言えば、それがない会 社だと「本当に実績があるの?」と疑問に思ってしまうのも当然であろう。全 てが「架空の実績」とは言わないが、そうであるものも少なくないように思料 される。

もっとも、仮に「架空の実績」であっても、マトモな会社なら、それから急い で勉強をし、スキルを身につける努力をする。御存知のように普通にLinuxを 使う分にはそれ程難しいものではない。また、大量導入すると、どうしても運 用ノウハウが必要になって、個人が自分のパソコンに入れるのとは違う難しさ があるものなのだが、それも「プロ」がやる気になれば、克服出来ないもので はない。最悪、担当SEを現場にしばらく貼りつけにしておけば、システムのお 守りと勉強とが出来るわけなので、実際はそれ程大変なことではない。だから 「架空の実績」しかない会社であっても、臆することなくLinuxを提案して欲 しい。もちろんちゃんと勉強をするという条件はつくのではあるが。

ここでの問題はその落とし前をつけない会社である。

これは現実にあった話であるが、ある学校の入札に入札仕様には「Widowsと Linuxの両方が使えること」というのがあったらしい。落札した会社はLinuxの サポートが出来るというふれこみであったのだが、現実にはWindowsはちゃん とインストールをしたのであるが、LinuxはインストールのためのCD-ROMを納 入するだけで、「Linuxはfree softwareなので我々は保証しません」と逃げた らしい。この手の商談をやった経験のある人ならわかると思うが、入札させる 側はこの「free softwareだから面倒だ」ということをクリアするために、入 札仕様に「使えること」と書くのである。つまり、この「あとは知りません」 本当はやってはいけないことなのである。だいたい「free softwareなので保 証しない」という言葉は、ディーラとして言ってはならないセリフである。元 のものに保証がないから、保証が必要ならディーラが保証しなくてはならない のである。それを含めての「Linuxが使えること」という入札仕様であり、そ れが出来る者だけが応札出来るのである。

まぁここまでで済めば「ドジな発注者とドジな業者」という喜劇で終わりなの だが、問題はこの先である。このような事件が起きた場合、業者の態度は確か に問題なのであるが、最後に責められるのは、発注した人である。ダメな業者 を選んだ責任やら、実際に稼働しない責任は最終的に発注した人に来る。この ような条件の下、この事件はどう評価されるかと言えば、最終的には「使えも しないOSを発注した」ということになるのである。つまり、この無責任な業者 の態度により、「Linuxは使えないOS」ということが発注者の間の実績になっ てしまうのである。そうなると発注する側はLinuxを入札仕様に入れることに ビビってしまうことになる。

この話を聞いた時に、正直「やってらんないよなー」と思った。我々が苦労し てLinuxの信用を作り、少しずつ実績を積み、入札仕様に書いてもらえるよう なものにしたのである。それをそういった苦労を知らない、単に落札したいだ けの金の亡者的会社によってだいなしにされるのである。これはなんとも腹立 たしい。「落とし前つけれないんなら、俺達に外注しろよ」と思うのであるが、 何しろ金の亡者である。社外に発注なんてことはしない。

このような話を聞くと、最近流行りの「○○認定試験」というのをメーカがやっ ている気持ちはよくわかる。自分たちの商品をこのような金の亡者のせいでだ いなしにはされたくないのは当然のことである。そうなれば、ある程度のレベ ルを確保するために認定だの資格だのを作りたくなるのも当然のことである。 ひょっとしたらLinuxもいずれは「Linux利用者認定試験」とか「Linux管理者 認定試験」のようなことをやらなくてはならないのだろうか。そろそろ考えな くてはならないのかも知れない。

poor man's SunとしてのLinux

Linuxの普及はfree softwareのプラットホームに大きな変革をもたらした。も ちろんこれは色々な意味でそうなのであるが、最近のプログラムをmakeしてい て気がつくのは、「Linuxがターゲットして開発されているものが多い」とい うことである。多くのソフトでconfigureしたら後はmake一発という状態であ ることが多い。これはAutoconfの進歩で移植性の高いプログラムが書きやすい ということもあるのだが、付属しているドキュメントの中を見ても、最初から Linuxが第一ターゲットであったり、またそうでなくても「テスト済み環境」 になっていることが少なくないということが効いているように思う。つまり、 一昔前のSun WSの地位を占めているのである。これはfree software的にもそ うであると同時に、「それ以外」でもそうなりつつある。

つまり、いわゆるfree sofrware作りだけではなく、研究開発用のプラットホー ムとしても、Linuxは便利に使われているのである。これ自体は非常に喜ばし いことであるし、そーゆー使われ方は非常に良いことである。どんどん使って 成果を出して欲しい。そして「この研究を成功させるためにLinuxは重要だっ た」と宣伝して欲しい。

しかし、最近この用途のことを見るにつけ、「何だかなー」と思うようなこと も散見される。例えばメーカの場合、基礎研究の時にはLinuxを使うのである が、製品化の時にはそれをWindows用として出すのである。つまり、Linuxはプ ロトタイプを作ったり研究をしたりしている時には使われているし、そういっ た「開発途中版」はLinuxの上にあるのであるが、最終成果物はWindows版しか ないということが起きるのである。

確かにメーカの多くはWindows版のソフトウェアを出さなければいけない事情 があるのだろう。現状、メーカはWindows版のソフトを作らないと商売になら ないという面があるのだから、これは我々がとやかく言うべきことではない。 しかし、せっかくLinuxをワークベンチとして使うのであるのだから、その 「開発途中版」であるLinux版を出荷してはくれないものなのだろうか? それ がfree softwareをワークベンチとして使った場合の「貢献」であり「恩返し」 ではないだろうか? マンパワーの問題であるだとか、開発工程の管理である だとか、障害が多いことは確かに理解出来る。しかし、Linuxを使うだけ使っ て、成果を何も残さないというのは、ちょっとズルいのではないか? ソース 公開が出来ないのであればバイナリでもいい。もちろんこれを「義務だ」と言 うつもりもないし、全てがそうあるべきだと言うつもりもない。しかし、 Linuxを使って様々な恩恵を受けるのだから、このような「恩返し」をしても、 けっしてバチは当たらないと思うがどうだろう。

Linuxはツールとしては素晴しい。かつてWSでないと出来なかったことは、た いてい何でもLinux上で出来る。重いWindowsのおかげで、PCのC/Pは非常に高 くなっているから、今時下手にWSを買うよりは、ずっと快適な環境がずっと安 くPC+Linuxで実現出来る。かつて「WS(通常Sunだ)が買いたくても換えない」 と悔しがっていた人もWSを持てるようになった。逆に誰もが持てるようになっ てしまったものだから、Linuxやfree softwareの「文化」を理解しない人も少 なくなくなった。今さらその「文化」を理解しろと言うのは、ある意味Linux の「文化」に反することでもあるし、それを声高に言うのは「ダサい」ことだ とも思う(Gnuと違って、この種のことを声高に言わなかったことがLinuxの成 功の一因であろう)。とは言え、Linuxはそのようなドライな面だけではないの も特徴の一つなのである。いや、元々コミュニティ自体がかなりウェットであ るから、一々「文化」のようなことを言ってウェットにする必要がなかったと も言える。そういうわけで、「Linuxの文化を理解しろ」と言う必要はないと 思う。ただ、一般社会にで通用している「○○ってすることは当然だよね」と いう感覚は忘れないで欲しい。

ふたたび「保証」について

現在、複数のベンダが大手メーカ製PCにLinuxをプリインストールさせようと しているらしい。今まででもLinuxをプリインストールしたマシンはいくつか あったのであるが、それらの多くはメーカとしてはマイナーなものであり、 「知っている人しか知らない」ところであった。ところがこのベンダーがプリ インストールさせようとしているメーカは、TV CMを流したり、子供でも知っ ているような、いわゆる「大メーカ」である。つまり、「物好きなメーカ」が 趣味でLinuxプリインストールするようなものではなく、「大メーカ」が 「Windows以外の選択枝」としてLinuxをプリインストールするというものであ る。

現実に複数のベンダが複数のメーカに対してアプローチしているのであるが、 まだどこも成功していないようである。だから、「どこそこからLinuxプリイ ンストールマシンが出る」という類の情報はまだ持ってない。

そのような交渉の過程のことを聞いていると、一つの共通した問題が見えて来 る。それは「Linuxをプリインストールした時に来ることが予想される様々な イチャモンが恐い」という心配があるらしいことである。

確かに言われることはもっともで、よく調べてみれば「その心配は無用である」 と言い切れるものではない。ソフトウェア特許の問題はいつ襲いかかるかわか らないし、freeだと思っていたものが本当に完全にfreeであるという保証は厳 密には難しい。

メーカの場合、特許については事前に調査することも可能であるから、対抗特 許で交換条件を出すなり、それなりの条件で利用契約を結んだり、あるいは面 倒そうな特許だったら抵触しないようなことを考えることも可能である。また、 他者の著作権を侵害しないようにするために、クリーンルーム開発を行うのは、 常識である。しかし、freeものの場合、これらを保証することは非常に困難で ある。思いもよらぬところで他者の独占的権利を侵害している危険性がないわ けではない。いずれにしてもメーカ製ソフトウェアや特別に注意して作られた フリーソフトウェアを除いては、なかなか完全にクリアにするのは難しい。

また、これは日本固有のことなのかも知れないが、ライセンス条件にGPLとか それに類することを書いていても、それを商用にしたり商用配布したりすると、 いきなりクレームをつける人がいる。自分がfreeで配布しているもので他人が 金儲けするのが嫌だと言う気持ちは理解出来ないでもないのではあるが、そう いった「気持ち」は本来のGPLとは背反するものであるから、そういったこと が気になる人は、GPLなどとは言わなきゃ良いと思うのだが、とにかく事実と してそのような人やソフトウェアが存在しているのは確かであり、またそのよ うなソフトウェアであるということは、ライセンス条件を見てもわからない。 仁義を切ればその旨を言われることもあるが、GPLと書かれていれば仁義不要 と解釈しても不思議はない。ところが油断しているとクレームである。

小さいメーカがプリインストールマシンを出している程度のことであるなら、 そうそう大事にはならないのであるが、これが大メーカとなると「いっちょタ カってやれ」と思うところも出て来るかも知れない。また扱い数量が多いとこ ろだと、いわゆる「損害」も大きいということもあるので、変に訴えられると メーカとしては辛いところであると思われる。となれば、大メーカが「イチャ モンが恐い」というのも、わからんではない。また「イチャモン」ではないに しろ、Linuxの登録商標の問題は、多くのメーカに暗い陰を投げかけたことは 事実である。メーカは「ある日突然」このような事態が起きるのが恐いのであ る。

このような時に「落とし前をつける」会社があるかないかという問題は大きい。 これは今までこの連載で言っていたような、いわゆる「技術的落とし前」では なく、もうちょっと政治的な落とし前である。ところが現在、国内のLinuxの ベンダはそこまでの資金力も政治力もないのが実状である。メーカとしては 「これを何とかしてくれればプリインストールしてもいいし、技術情報も出す」 と言ってくれているところもあるわけで、Windowsが一気に伸びたのと同じよ うな展開が期待出来るのであるが、どうもこのような「どうにもならない」部 分での問題があるのが歯掻い。

TODO

例によってTODOでまとめるのであるが、今回はTODOのようなものは、それぞれ の節に書いてしまっているので、ここではさらにメタなまとめのようなことを 書いてまとめよう。

Linuxの抱える諸問題は、以前に比べれば随分と解決した。これは紛れもない 事実である。しかし、それでもまだまだ解決するべき問題は山積しているので、 「これで十分」などと言える状況にはない。さらに、今残っている問題の多く は、直接技術的な問題ではなくて、どちらかと言えば心理的政治的なものだっ たりする。つまり、技術以外の土俵でも戦う必要があるのである。

これは技術者にしてみれば辛いことかも知れないが、反対に技術者でない人に してみれば、「技術者でなくても活躍することが出来る可能性が出て来た」と いうことでもある。だから、「私は技術的にはタコだから」という人も、また 別の意味で貢献出来るのである。ソフト会社にしても、技術者が全てではなく、 総務もいれば営業もいる。同じようなことはLinux界にも言えるのではないだ ろうか?

Linuxの普及に必要なのは技術だけではない。

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