「悪い大人」

久しぶりに日経BPネタ。

プログラミング教育にも悪い大人が群がってしまうのか (3/3)

ただ、こうした人が自分でソフトウエアを作っているという話は聞いたことがなかった。オープンソースソフトウエアの開発に参加するでもなく、オープンソースソフトウエアを使ってシステムを開発するでもない。「オープンソース推進」という謎の運動の旗を振っているだけだ。

この話に該当する人を私は知らない。

かつて私は「オープンソース推進」な世界にいたことはご存知の通り。てか、最近は知らない人が多いみたいなので、「???」と思った人は、適当にぐぐってくれ。

なので、件の文章の中で触れられている人は、多分私の同労者の中にいるはずである。しかし、私は具体的に誰という名前を挙げることが出来ない。それは「やってはならない」からではなくて、「そんな人がいたことを知らない」からだ。

件の文章では「作っている」ことに妙にこだわりを持っているようなので、たとえば当時管理職であった人達(「オープンソース推進室長」みたいな肩書のある人達)は、ここで言うところの「作っている」ことにはならないだろう。そーゆー人なら何人も挙げられる。あるいは私のように「本当はプログラム作りたいんだけど、活動忙しくてそんな暇ねーよ」な人も「作っている」ことにはならないだろう。そーゆー人なら何人も挙げられる。

また、

オープンソース推進を叫んでいた人は、いつの間にか見かけなくなった。

とか言っているんだが、今の時代に「オープンソース推進」とか言ってる奴なんていない。そりゃそーだ、もはやオープンソースなんて当然の存在になり、MSですらコミットする時代だ。今時「オープンソース推進」とか言ってる奴がいたら、そいつの方がヤバい。そんな化石脳では、この業界で生きて行けない。

件の文章が、「かつてオープンソース推進を叫んでいた人達がオープンソース業界から消えた」という意味なら、それはそれで別に不思議でもない。私なんかは、オープンソースが世間の当然となってしまったから、もはやオープンソースそれ自体への興味を失なっている。そういった奴等は大勢いる。

かつて、「オープンソース推進」とか言ってた奴等とその繋りで行われていた「OpenJibiki」なる地引き網イベントが先日あったのだが、今そこに来る面子を見ても「オープンソース」とはあまり関係のない人達になっている。いや、来る面子が入れ替わったというわけじゃない(増えたけど)、それぞれが別の仕事をするようになっただけだ。時代は代わる。「オープンソース推進」は「キーパンチャー」と同じレベルになったとゆーだけだ。

たとえば件の話に私は該当するのだろうか? だったら、

お前が知らないだけだろ

と言っておこう。それ程表に名前を出してはいないし、今はタッチしてないし、「過去」の業績にたいして興味がないからこーゆー時にしか言うことはないのだが、

ORCA Project: 日医標準レセプトソフト

のミドルウェアは私の設計で私がオリジネータだ。その辺のことは、ここいらに書いている。時代としては、「オープンソース推進」とか言ってた頃とかぶる。てか、あのプロジェクト自体がそーゆー側面があったわけだし。

あの当時の「管理職」の身分からなら、RubyにしろOpenCOBOLにしろ、「うちんところの」と言っても嘘ではない。オープンソースなんだから「うちんところの」ということに意味があるとは思えんが、「やってる奴等の給料払った」のだから、嘘でない程度には本当だろう。

これらはみな「前の会社」の実績であって、今の会社の実績じゃない。それは単に私が「ビジネスとしてのオープンソース」に興味を失なったからだ。まぁこの辺の事情は

行かない

Junkware manifesto

に書いている。

ついでなので書いておくと、じゃあ当時なぜ「オープンソース推進」とか「Linux普及」とかやっていたかと言えば、

プログラミング環境の整備

のためだ。もっと具体的に言えば、.emacs を編集したり、コンパイラを書いたりするのと同じだ。気持ち良くプログラムを書くために、自分の書きたいプログラムに集中してエネルギーを使うために、快適なプログラミング環境を手に入れる。そーゆープログラマとしての当然の欲求を満たすためだ。

カーネルコードがいつでも見れていじれるUNIXが欲しかったからMachをいじり始め、その過程でLinuxを知った。それがそこそこ便利だったから、もっと便利になって欲しかった。自分でやると技術も至らないし、自分の時間も取られるから、他人にやってもらうために「普及」をさせようとした。その過程で

プログラムだけではソフトウェア足りえない

ということを知ったので、直接プログラムを書く人達だけではなく、「使う人」「解説する人」の意義もわかった。だからこそ、

「タコは育てよ」

という必要性がわかり… ということの連鎖から、あーゆーことになって行ったのだ。そこに「りなっくすこみゅにてぃ」の意義があった。

まさにこれだった。いつの間にか、「オープンソース界」は英語やhackでマウンティングする奴等が力を持つようになってしまって、陳腐なhacker集団に成り下がってしまったようだが。

昔話をしてもしょうがないが、件の記事では随分と不愉快な思いをさせられている。とゆーか、マトモにその世界をフォローしてない奴がわかったようなことを「メディア」に書くんじゃねーよ。

ついでに言っておくと、「オープンソース推進」とか言ってた頃を含む10年くらいは、プログラムはあまり書いてない。なぜなら、その間は、

プログラムを書くことを我慢

して、そーゆー活動に注力していた。だから、その「我慢の10年間」を見て、

生越はプログラムを書かない奴

みたいなことを言う奴は、謝りに来るまで赦さないつもりである。まぁ、今はそーゆー「雑事」から離れたので、日々プログラム書いているわけだが。

PS.

かなり本気で思ってるんで、日経ネットワークの当該記者はコンタクト取って欲しいんだけど。