「デタラメ」もへったくれもない

麻生元総理の発言で、「真意は」とゆー話が出ている。

でまぁ例によってネトウヨが「マスゴミが」とか言ってるのは日本の伝統芸能。

確かに「あれはないだろう」とか言いたい気持ちはわからんでもない。とは言え、内容はどうあれ、私はこの発言に対して1ミリも肯定しない。「発言の内容」にではなく「発言」に対してだ。どのような文脈であれ

「ナチス」を引き合いに出した時点でダウト

なのだ。

たとえば、「うんこで作ったおいしいパイ」があったとする。それが作れるかどうかは知らんけど、あくまでも仮ね。それを食べもしない人が「うんこのパイwww」とか言うことが責められると思いますか? それが食べたら本当においしいパイで、作った人は40年くらい研究して…. でも、やっぱり「うんこ」って時点でダメでしょ。

食べもしないで「うんこのパイwww」って言うのは、確かに失礼だろうし、「本意が伝わってない」とか「食べてから言えよ」とか思うだろう。それはある意味当然の感覚だ。でも、「うんこ」の時点で誰も食いたいとは思わない。諸外国、特にヨーロッパ人にとって、「ナチス」という言葉が持っている「感覚」はそういったことなのだ。

日本人で、「知的な人達」は「ナチスって言うだけで思考停止www」とか言うかも知れない。それは確かにもっともだ。じゃー、デートの時に「とってもおいしいうんこのパイ」とか出されて良いかってこと。そういった意味だ。普通の日本人にはよくわからない感覚にも思えるのだけど、Facebookでは「うんこのパイ」よりももっとダメとか言われた。

ちょっとわかってる人だったら、「フォルクスワーゲン」とか「アウトバーン」とかって、ナチスの成果だって知ってる。「フォルクスワーゲン」や「アウトバーン」は肯定的に言っても誰も怒らない。でも、それを以ってして「ナチス」を肯定的に扱えば、理由はどうあれ怒られるのが普通。肯定的でなくても、持ち出すだけでアウト。ヨーロッパのどこかで無料の高速道路を作ろうと政治家が考えて、「ナチスのように」とか言ったら、その時点で政治生命を失なっても、たいていの人はフォローしてくれない。そういったこと。

つまりはそーゆーことなのだ。レトリックだとか比喩表現だとかですら、肯定的な文脈の中では扱うことすら許されていない言葉が、「ナチス」なのだ。どんなにおいしくても、食卓に「うんこ」は載せられない。そういった言葉なのだ(*1)。

そういった、後から一々「本意は」とか説明しなきゃいけないような表現を使ってしまった時点で負けなのだ。どんなに「正しく」真意が伝わったところで、せいぜい「うんこのパイがおいしかった」に過ぎない。

確かに「マスコミのデタラメ」で「真意」が間違って伝わったとか、そういったことはあるのかも知れない。でも、そもそもが「ナチス」という言葉を使った時点でアウトなのだ「とってもおいしいうんこのパイ」を食ったら、マスコミは「うんこ食った」って言うのだ。「ナチス」ってそーゆーニュアンスを持った言葉なのだ。そして、そういった一種の思考停止をしても許されてしまうくらの言葉らしいのだ。

多分本人は「正しい歴史認識で持って、正しいことは正しいと評価すべき」「そういった認識の俺かこいい」とか思っての発言なのだろうけど、そういったものを全てけし飛ばしてしまう、それをフォローするのは日本人くらいとゆー、そういった残念な「タブー語」を使ってしまった、またそういった語であるとゆー「国際感覚」がなかったとゆーこと。

まぁだからと言って、「つっこんだマスコミ」がそういった「国際感覚」を持ってやったかどうかと言えば、それは別の話なのだけどね。

*1それを思うと「ユーグレナ」って本当に苦労してると思う。てか、彼等のそういった苦労を考えたら、「タブー語」の壁の厚さをちょっとは想像出来るかも知れない。