松江市にいたということを黒歴史にしようと思う

もう散々目にしてると思うが、

<はだしのゲン>松江市教委、貸し出し禁止要請「描写過激」

松江市では昨年8月、市民の一部から「間違った歴史認識を植え付ける」として学校図書室から撤去を求める陳情が市議会に出された。

「一部の市民」とは、在特会らしい話を聞いた。まぁ、それは良い。彼等は彼等の思想を主張する権利は当然にある。そういった陳情をする自由は保護されるべきだ。もちろん私はそれを支持することはありえない。でも、彼等の権利と私が支持するかどうかは、全く別の話だ。「この蛆虫未満め」と思うけれど、それはあくまで私の価値観の中でのこと。彼等には彼等の価値観と主張がある。

それゆえ、この問題は「松江市教育委員会」の問題だ。在特会が「反日的」と言おうが、「残酷なシーンがある」と言われようが、「平和教育には必要である」と判断すれば、開架しておけばいい。多くの人達がそれを望み、また長い間そう思われて来た作品なのだから、後からとってつけたような理由で閉架にしてしまうというのは、弱腰もいいところだ。

民度

の問題だ。

大変残念なことに、中学出てから20年以上、この松江市に住んでいた。そう今となっては「残念なこと」だと思うようになった。そういった民度の低い土地で長らく生活して来たことを、今や恥だと思っている。

まぁ、松江市というところは、こういった「文化的なもの」に関しては、やたらに民度が低い。私が住んでいた間、非常にうんざりしたのが、「松江城」と「小泉八雲」だ。もう何かと言えば、この2つを持ち上げる。まるで、

馬鹿の一つ覚え

のようだ。そんな特定のものばかり持ち上げていたら、他に何もないかのように思われて、そっちの方が恥ずかしいと思うのだが。

最近それに「まつもとゆきひろ」が加わったようで、やたらにmatzの名前やらRubyやら見掛ける。そう言えば、「蛙男」もそんな感じになって来た。これらは別に悪いものではないし、むしろ良いものだと思うのだけど、やたらに持ち上げられていると、「もういいよ」という感じになって来る。なんつーか、偶像を作って崇めないと気が済まないのかと。

そんなわけで、「松江市出身」とか言うと、本当に恥ずかしい気持ちになってしまうので、あれは黒歴史ということで、なかったことにしておこうと思う。それにまぁ、本当の出身は

世界遺産の石見銀山の近所

だしな。実際、遠足で雨が降ると、石見銀山になるというくらい近所だったんだよ。当時は「大森銀山」って呼んでたけど。