「ギャラ」考

togetterで話題の、

役所から「ギャラ削減のために本名で落語やってくれ」と頼まれて断ったら不幸の手紙が届いた

って奴。もうあるある過ぎて首がもげそうである。

この手のネタは以前にも書いたような気がする。

出版社

もっとあった気がするんで、多分Wordpressに移行させてないんだと思う。

誰であっても、誰かを本人が自発的にしようと思わないことを依頼すれば、労賃が必要になる。それは、「経済活動」に関わっている人は、老若男女を問わず避けることは出来ない。時給1000円で働いているアルバイト学生であっても、1時間何かをさせれば1000円という労賃が発生する。時間単価1万円のエンジニアに講演を頼んで1日拘束すれば、10万円は下らないだろう。

人にものを頼むのはこれが基本だ。もちろん中には、「タダでいいです」という奇特な人もいるかも知れないし、「他で色つけてもらうんで、ここは…」みたいな話だってある。これらはみな

支払方法

の話であって、必要な金額が変わるという話ではない。

もちろんこの他に「付加価値」もあるだろう。偉い人、ネームバリューのある人の「講演」であれば、それなりの集客があるだろうし、有料の講演会ならまたイロをつけて欲しいところだが、それはまた別の話だ。

とにかくまぁ、「儲け」をあまり考えなくても、ここまでは当然のこととしてある。だから、「その辺をふらふらしているあんちゃん」を捕まえて1時間の話をさせても、1000円くらいの「ギャラ」は当然に発生するものだと思うべきだ。私がバリバリ現役で講演して歩いてた頃は、本業の方もバリバリ時間単価1万円くらいにはなっていたので、「3日間拘束」とかになると30万はないとやってられないし、

アゴアシマクラ

は当然だし、さらに準備期間を考えると、それでも赤字だなぁということは多々あった。交通の便の悪いところでの講演をちゃんとやろうと思うと50万とか覚悟してもらって、やっとこさだ。

これは「原価」の話だから、これから値引くということは、どこかで無理をすることになる。あまり「無理」があるなら

本業やってた方がマシ

ってことになる。その方が金になるし、周囲はそれを求めてるわけだから。

ところが、これが「適正価格」かと言えば、必ずしもそうではないというのは否定しない。

「その辺をふらふらしているあんちゃん」に「人生について語ってもらう」ために、1000円のギャラを払うに値するかと言えば、いささか疑問を感じる人もいるだろう。「私」に50万のギャラを払って秋田あたりで講演させて、ギャラに見合う集客が見込めるかと言えば、多分そうじゃない。いや、これは多分私じゃなくて、「大島優子」や「舛添要一」であっても、ホールを満杯に出来るかと言えば疑問だ… ってのが「田舎の集客力」である。

つまり、必要な費用と効果について、バランスが取れないようなことは多々あるのだ。

そこで多くの主催者は、

値切り

にかかる。特に「お役所」「学校」あたりは平気で値切る。あるいは「ボランティア団体」みたいな人達も平気で値切る。「良いこと」系の人達は、すぐ値切りにかかる上に、「お前には良い目を見させてやるんだ」的な上から目線であることも多い。

「値切り」に対する怒りは、そこらじゅうで書かれているだろうから、一々私は書かない。値切られたら、とりあえず笑顔で答えておいて、

「二度と来ねーよ、ばーか」

と二度目がないだけ… ってことにしてる。

でも、一番カドが立たないのは、

金額の合わない講師は頼まない

ことだと思う。それなら誰も不幸にならない。もし、どうしても講演して欲しい人がいて、手元の金が足りなかったら、「会費」を高くするなり

補助金を獲得する

なりして欲しい。

人は動けば金がかかる。それは「バイトのにーちゃん」でも「偉い先生様」でも同じこと。金額が合わなかったら、諦めるか金を調達して来る。もし値切るようなことがあれば、「あそこは値切るぞ」という悪い噂だけが広まってしまうのが、ネットの時代であるとゆーことは覚悟しておくが良い。