メディアを面白くなくさせる奴等

虚構新聞のギャグが秀逸過ぎて、担がれた人達が怒っているらしい。

もうちょっと冷静な人達も、「虚構新聞はそうわかるようにタイトルに工夫しろ」とか、お行儀のいいことを言っているらしい。

おまえら、そんなに情弱を育てて、メディアを退屈なものにしたいのか? それは、「モンスター視聴者」に殺された

テレビ

と同じことになるぞ。

虚構新聞に担がれるのは情弱。異論は認めない。なぜなら、虚構新聞は

1クリックすれば虚構とわかる

からだ。まぁ知らない人が1度くらい騙されるのはいい。でも、「1クリック」を惜しまなければ、騙されることなんて皆無だ。なぜなら、タイトルにはしっかり「虚構新聞」と書かれているからだ。それにまぁ、記事読めば虚構だってわかる。わからない奴は多分何を読んでもわからない。

その1クリックを惜しんで、キャッチーなタイトルに反応して拡散するものだから、一見デマが流れているように見える。そして、そのタイトルに反応して騒いで、「あれは虚構新聞なんだが」とつっこまれた奴等が逆ギレする。騒ぐのもネタのうちではあるが、

1クリックを惜しんだのはお前だ

それを「騙された騙された」と騒ぐようなことを、日本では「恥の上塗り」と呼ぶ。

そういった情弱にも気をつかえという意見は、一見冷静で正しいように見える。でもそれは

マスメディア

の刺激がなくなって、退屈なメディアになってしまったのと全く同じ道だ。毒気を抜かれ、刺激を抜かれ。生ぬるい離乳食のようになってしまったのが、日本のマスメディアという奴だ。

お前達、いつの間にそんなにご立派になったん?

「マスメディア」が流行らなくなった理由の一つ

「視聴者を騙すな」「馬鹿にするな」という、「正論」で刺激をなくしたのが、日本のマスメディアだ。ちょうど、「お子様」用にスパイスを抜いてしまったカレーのようなものだ。エイプリルフールの記事に一々エイプリルフールだと書かなきゃいけない、ちょっとでも「笑い」を学んだ人にとっては、実に屈辱的なものだ。

よく「人を傷つけて楽しいか」的なことを言う人がいるだけど、誰も傷つけない笑いは、気が抜けたコーラのようなものだ。牧師の説教のギャグはたいてい笑えない。それは彼等が笑いが下手くそなのではなくて、誰も傷つけないようにしているからだ。本当は己の罪なるところをチリチリと責めるようなギャグが「説教のギャグ」にはふさわしいと思うんだけど。

ギャグで早とちりする奴が恥をかく。そこまでがパブリックで毒のある笑いというものだ。遠足は家に着くまでが遠足だからな。普段マジメなことを言い、いかにも情強ですとゆー顔をしている奴が、実は情弱だったとゆーことを晒される。ここまでやってネットのギャグは完結する。

そういったことを皆無にしてしまった結果、(日本の)マスメディアは刺激や毒が抜かれてしまい、ちょっと高度な—と言っても日本人の8割以上はギャグだと認識出来るような— 笑いは、マスメディアから消えてしまった。それと同時に、あらゆる「鋭さ」も消えた。

確かにデマが流れるのは良くない。一々「嘘を嘘と見分ける」ことはダルい。そのことは1ミリも否定しない。でも、

1クリックすれば嘘とわかること

まで、一々「嘘です」とか書かなきゃいけないなんてのが常識になってしまったら、うっかり冗談も言えない。冗談を言うのに、一々

これは冗談です

とかつけるのは、面倒臭いだけではなくて、冗談の死でしかない。真面目な顔をして、普段の会話と同じ調子で冗談を言うから面白い。ヘラヘラしながら「これ冗談なんだけどね」とかやられたら、萎えるだけだ。

問題は、そういったことが「真実」だとして、ソースに当たることが出来ないように、文脈を無視して伝わることであって、情報そのものではない。だいたい、デマの流布を批判してた人達は、その「1クリックを惜しむこと」を批判してなかったか?

頼むから情弱どもは、インターネットを退屈なメディアにするのはやめてくれ。また、情弱の味方を気取って「虚構新聞」を批判する奴等もやめてくれ。それが、メディアを退屈でつまらないものにするだけじゃなく、あらゆる「鋭さ」を丸めてしまう元になるのだ。刃物は使い方を間違えば傷がつくから、刃物としての価値がある。刃物が危険だからと言って、刃を丸めてしまえば傷はつかなくなるが、役にも立たなくなる。日頃から刃を丸めるようなことをやっていれば、いざと言う時に使えなくなってしまう。今回の騒ぎだって、

似非ジャーナリスト

をあぶり出して楽しいことだったじゃないか。

まぁ、担がれて怒っている人達をまとめサイトにまとめるとかってのは、趣味悪いことだと思うがね。間違いは誰にもあって、その間違いをするから人は成長する。ストライクも3回あってアウトなんだし。

PS.

「虚構新聞、別に面白くないよ」って声があったんだけど、実はそれも大事なことだと思う。テレビがつまらなくなったのは、「万人ウケ」を狙い過ぎてしまったからだというのは、感じてる人は結構あると思う。「万人ウケ」するものって、たいていそれ程は面白くない。

この辺、「タモリ」への批判と賞賛の変遷とか見ると、ある程度わかるかも知れない。

ってもそうだけど、今や「虚構新聞」はリアルなニュースや新聞に負けてることが多いってのが、報道やら社会やらの問題ではないかとゆー気がする。そっちの方こそ「虚構って書いとけや」と。これはウェブメディアによくある「記事広」の問題と同じかも知れないw

PS2.

Facebookで、「虚構新聞の中の人はそんなにヤワじゃないし、批判あっていいんじゃない」って言われたんだけど、批判はあっていいと思う。それは「別に面白くないよ」的な意見と同じで、秀逸な笑いに「万人ウケ」は百害あって一利なしだから。

でもあえて「批判の批判」を書いたのは、今回はいわゆる「情弱の味方」と言うか、普段「デマを防ぎましょう」的なことを言っている人まで、「虚構新聞」をデマの発生源的に批判をしていることに危険を感じたから。つまり、

虚構新聞を叩くのは正義

的な臭いが漂って来たからだ。私は過去に何度も書いているが、(日本の?)ネットにありがちの、「正義の集団ヒステリー」を恐れる。

「藁の一本」の罪は問えないものか

そして、それは思いもよらぬ展開になることもある。

「海外ニート氏」のblog閉鎖

批判はいくらあってもいいし、賛成者は別に少なくてもいい。だけど、ネガティブに取ることが「正義」になったらアウトだ。

PS3.

よくわからんのだが、「虚構新聞」はURLをクリックしたら負けとか思ってる層があるわけ? この辺とか

虚構新聞は誰でもなくインターネットに殺された。

別にクリックしたって負けじゃないだろ。PVとかそれ自体はどうでもいいだろうし。「負け」があるとするなら、そこの記事を真に受けて騒いだりすることであって、読む分には「くそーやられたぁ」とか「余裕でした」とか思えばいいだけのことなんだが。それとも、そんなに「PV」って大事か? いくら嫌儲でも、PVだけなら金になってないと思うが。妙なスレタイの「2ちゃんまとめサイト」とか、無意味な「もっと読む」のある(虚構でない)新聞の方が、よっぽど不愉快だと思うんだが。

社主」はそんなに気が強い方ではないらしいよw

PS4.

ブログでの弱気な発言で心配したけど、やめる気ないらしい。

検証:橋下市長ツイッター義務化報道問題

私も「坂本義太夫教授」の見解を支持する。

PS5.

「1クリックしたらわかる」のが「知っている人」だって?

あんだけでっかく「虚構新聞」って書いてあるじゃん。別に「虚構新聞」自体知らなくても、「虚構」って書いてあったら「??」って思うのが正しい態度。私は初めてクリックした時は、それで「へー」って思ったものだけど。「東スポ」とか「日本経済新聞」とか書かれて「担がれた」って怒ってるのであれば、1クリックしてわかるのは知っている人だけだって言っても良いと思うけど。

あっちこっちで「お行儀のいい意見」が出てるようだけど、そんなにインターネットを無菌化したいのかね? そーゆー人達はSNSの中に潜った方がいいと思うよ。いやマジで。それがSNSの価値だと思うし。

SNSは流行りblogは廃れる(1)

SNSは流行りblogは廃れる(2)

切込隊長殿に見られたとは光栄至極w

試される虚構新聞

PS6.

「虚構新聞」の事を語る前に、まず「東北大学助教授レポート」の件を考えようよ

全くそうなんだよ。だから、あらゆる「注意しろ」とか「気をつかえ」ってのは、意味を成さない。つまり、

ポイズン♪

なんだよ。でも、だからこそ、情弱を甘やかすようなことをして、「テレビ」みたいに死んだメディアにされたくないのだ。担がれて怒ってる奴は怒ってりゃいーじゃん。怒ることは止めないよ。それが「インターネットの多様な価値観」と言う奴だからね。でも「騙された」人達は、怒りを「虚構新聞」に向けるんじゃなくて、自分の浅はかさに向けれたら、情強に近付けるかも知れない。無菌化されたインターネットに何の価値があろうや。